絶対零度女学園

ミカ塚原

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氷騎士烈闘篇

ディウルナ

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 奇怪な新聞の情報を気にしつつ、百合香は瑠魅香のサポートでどうにか心を落ち着けて、再び表に出て移動を開始した。

「またあった」
 十字に分岐する通路の右手の壁に、新たな新聞が貼ってある。そこには、雑兵ナロー・ドールズの生産工程らしき写真が掲載されていた。
『”ナロー・ドールズに不具合、一斉リコールか”だって』
 瑠魅香が、その新聞の見出しを読み上げる。
「なにそれ」
『あっちもトラブルがあるって事なのかな』
「あんなザコ人形、不具合なんてあってもなくても一緒でしょ」
 言いながら百合香は、とりあえずそれが貼ってある方向の通路を曲がる。

 さらに進むと、今度は丁字に分岐しており、左側に新聞が貼ってあった。
『”魔導柱の修復完了、防衛体制の強化へ”』
「まどうちゅう?」
『たぶん、この間百合香が壊した例の柱だよ』
 それは、城の基底部から情報へ突き抜ける、下界からの生命エネルギーを吸い上げる装置だった。
「また見つけたら、今度は確実に破壊しないと」
『慎重にね。警戒が強くなってるはずだよ』
「うん」
 百合香は、また新聞が貼ってある方に曲がる。

 その後も似たような分岐ルートがあり、そのたびにどちらか一方の壁に、同じように新聞が貼ってあった。しかも、だんだん枚数が2枚、3枚と増えている。もはや百合香も瑠魅香も、内容には興味を持っていなかった。
「どういう事だろう」
『さあ』
「それにしてもこの城、外観から想像していた以上に広いな…一体どこまで広がっているんだろう」
 そう、百合香が呟いた時だった。通路が行き止まりになっているのに百合香は気付いた。
「参ったな」
 溜息をつく百合香だった。右側の壁に、奥からドア1枚ぶんくらいのスペースを空けて、新聞が1枚だけ貼ってある。瑠魅香は見出しを読み上げた。

『”侵入者の気配途絶える 捜索は難航か”』

「瑠魅香のステルスイヤリング、効いてるって事じゃないの?」
 百合香は、瑠魅香が創ったエネルギー中和イヤリングを触った。
『あたしもやるもんだね』
「自分で言うかな」
 言いながら、百合香は行き止まりの壁を睨む。
「引き返すしかなさそうね」
『待って、百合香』
 突然、瑠魅香は百合香を引き留めた。
「なに?」
『なんかヘンじゃない』
「ヘンな事だらけだわ、この城は」
『そういう事じゃなくてね。ちょっと代わって』
 瑠魅香は、百合香とバトンタッチして表に出てきた。
「ねえ、百合香。今まで、分岐点ごとに壁に新聞が貼ってあったよね」
『うん』
「しかも、枚数がどんどん増えて行った。さっきの壁には4枚もあった。まるで、こっちだよ、って私達をおびき寄せているみたいに」
『あっ』
 百合香は、その言葉にハッとさせられた。
『罠ってこと?』
「なんとも言えない」
『でも、こうして行き止まりに来ても、誰か待ち伏せていたわけでもない』
「ねえ。このスペース、何か不自然じゃない?」
 瑠魅香は、新聞の左横に空いているスペースを見た。
「しかも、この記事内容」
『あれ?ねえ、瑠魅香。その新聞、下にもう1枚貼ってない?』
 百合香の指摘に、瑠魅香は新聞をよく観察した。
「あっ」
 確かに、左下の角がわずかに裂けており、そこにもう1枚の新聞らしき紙の角が見える。瑠魅香は、表の新聞をゆっくりとはがしていった。
 
 そして、新聞の下に貼ってあった小さな紙片に、百合香は驚愕した。


 【野球のランナーが塁を通り越してしまう行為の名称は?】


 という文面が、日本語で書いてあるのだ。
『なに、これ』
「百合香の世界の…日本語、だよね」
『どういう事?』
「うーん」
 瑠魅香は唸ったのち、百合香に訊ねた。
「それで、このクイズの答えは?」
『え?それは、「オーバーラン」っていう…』
 百合香がそう言った、その時だった。
 左側の壁のスペースがスッと消えて、その奥に通路が現れた。
「!!!」
『!!!』
 二人は、突然の無音の出来事に、心臓が停まるかと思った。
「なっ、なにこれ?」
 そう思っていると、壁に貼ってあった紙片はスッと消えてしまった。
「これ、魔法の扉だ。合言葉で開くんだ。でも、こんな所にどうして」
『…誰かが、これを仕掛けていたんだ。私を招き入れるために』
「あっ」
『日本語を読める氷魔はいるかも知れないけれど、野球の用語を知っている氷魔なんて、サーベラスみたいな例外を除いて、多分いない。現に、いま瑠魅香がそれに答えられなかった』
「なるほど」
『瑠魅香、代わって。私をご指名なら、私が出ないとね』

 再び瑠魅香と交代した百合香は、通路の奥を見た。階段が下に降りている。
『行くの?』と瑠魅香。
「ここまでお膳立てされて、行かないってわけには行かない」
『罠かもよ』
「なら、罠をぶち壊すだけよ」
 そう言う百合香に、瑠魅香は笑った。
『悪逆非道、当たってるんじゃない?』
「うるさいわね」
 百合香は聖剣アグニシオンを両手で構え、通路の奥へと進む。すると、とたんに再びドアが閉じられ、暗闇に包まれてしまった。
『百合香!』
「照明なら持ってる」
 そう言って、百合香はアグニシオンを発光させた。
『便利よね、その聖剣』

 階段を降りていくと、以前の地下ライブハウスのような、ノブつきのドアが現れた。
「開けるよ」
『気を付けて』
 瑠魅香に言われて、百合香は一呼吸置いてノブに手をかける。しかし。
「ん?」
 力を入れても、ノブは回らなかった。
「鍵がかかってる」
『留守なのかな』
 だんだん会話が町内会じみてきたところで、ドアの向こうから男性の声がした。
『誰だ』
「!」
 百合香と瑠魅香はギクリとした。こちらに気付かれていたらしい。当然ではあるが。
 男性の声は、続けて質問をしてきた。
『日本国内で、存在理由がよくわからないドアや階段などの設備を指す俗称を言え』
「は!?」
 百合香は面食らった。いきなり何を言い出すのか。
「合言葉ってこと?」
『そんなところだ』
「トマソンでしょ。学校の近くの建物にもあるわよ。高さが中途半端で、階段もついてない謎のドア」
 百合香がそう答えると、ドアノブが青緑色に一瞬光って、ガチャリという音がした。
『入りたまえ』
 男性の声はそう言った。
「なんか、ちょっと想像してたのと違う展開になってきたな」
『入るの?』
「逆に訊くけど、この状況で立ち去れる?」
 それもそうだ、と瑠魅香は言った。

 ドアを開けると、中はなんだかシャーロック・ホームズの下宿部屋みたいな雰囲気だった。氷巌城である以上、全てが青白いのは致し方ない。
 ホームズの部屋と明白に異なるのは、部屋の奥に、いかにも書くことを生業としています、といった風情のデスクが据えてある点である。そして、デスクにはソフト帽ふうの帽子を被った、のっぺらぼうの氷魔が座っていた。
「!」
 瞬間的に百合香は身構えた。
「おっと、物騒なものは下げてくれ」
「ふざけないで。あなたね、あんな訳のわからない新聞を貼って、私に読ませたのは」
「ほう、君はあの文字が読めるというのか」
「うっ」
 少し高めの、鼻にかかったような声で、氷魔は言った。
「それとも、他に誰か読める人がいる、という事なのかな」
 帽子の氷魔はゆっくり立ち上がると、百合香を指差して言った。
「私の推測はこうだ。侵入者くん、君には、氷魔側の何者かが常に協力している。いや、もと氷魔側、というべきなのかな。それはひょっとして、謎の黒髪の魔女なのだろうか」
 百合香は、喉を締め付けられるような思いでそれを聞いていた。この氷魔は、何かを知っている。いや、完璧に知っていないかも知れないが、真相に近い所にいる。
 氷魔はさらりと答えた。
「最初の質問に答えよう。あの新聞を書いたのは私だ。貼ったのは違うがね」
「誰だというの」
「協力者、とだけ言っておこう。どうぞ」
 そう言うと、自分は再びデスクに座り、百合香には応接用のチェアーを勧めた。
「ここでいいわ」
「君がそれでいいというなら、構わんよ。脚が疲れやしないかと思ってね。それとも、体重は一人分で済んでいるという事なのかな」
「!!」
 百合香は、今度こそ確信した。この氷魔は、瑠魅香が百合香の中に存在している事を見抜いている。
「女性の体重を訊くなんて、紳士とは言えないわね」
「おっと、これは失礼」
「回りくどい話は嫌いなの。あの新聞を書いた目的は何」
 百合香は、いつでも斬りかかるぞ、といった態勢で凄んでみせる。それに少しも動じることなく、帽子の氷魔は言った。
「もちろん、君をここに呼ぶためさ。お招きに応えていただいて、感謝しているよ」
「そのままで質問に答えなさい。あの記事の、どこからどこまでが真実なの」
「それを訊ねる君はどう思うね」
 そう問われて、百合香は答えに窮した。実際のところ、百合香には判断のしようがない。しかし、思っているところは答える事にした。
「サーベラスとレジスタンスが処刑、というのは嘘だわ」
「なぜかね?裏は取ったのかね」
「写真よ」
 百合香の指摘に、氷魔はぴくりと反応した。
「あのサーベラスの写真は、訓練の風景だった。捕らえられた者に関して報道するなら、捕えられた写真を載せなければ、信憑性に欠ける」
「……」
「レジスタンスに至っては、写真さえ載っていない。一斉検挙された組織のうち、幹部一人の写真すら用意できない理由は何か。それは、そんな事実が存在しないからよ」
 すると、氷魔はパチパチと拍手をしてみせた。
「いや、お見事。君たちについて悪口雑言を書き散らした件は、謝罪させていただく。申し訳なかった」
 氷魔はハットを脱いで深く頭を下げる。頭部は、デッサン人形のようにつるつるだった。どこから声を出しているのだろう。
「いかにも、サーベラスが処刑されたという情報は、今のところない。レジスタンスについてもね」
「つまり、他の記事についても虚偽を認めるということ?」
「いくらかはね」
 改めてハットをかぶると、氷魔は再びデスクにつく。
「まず、君が住んでいた都市については、現段階ではまだこの城の真下のような事態になってはいない」
「それは本当なの?」
 百合香は、身を乗り出して確認を取る。
「本当だ」
「良かった…」
「だが、事態が良くなっている、というわけでもないらしい。君達が言うところの、”寒波”というものが各地で発生している。都市機能が麻痺し、混乱をきたしている、という事だ」
 その報せは、百合香を動揺させた。母親は無事なのだろうか。氷魔は続ける。
「いずれ、放置しておけば事態は拡大し、私が書いた記事は現実になる」
「ちょっと待って。あなたは何者なの」
 百合香は剣を下げて訊ねた。
「私の名はディウルナ。この氷巌城で官報を書いている。…表向きはね」
「どういうこと」
「やれやれ、察しが悪いな。あの新聞の嘘を見抜いたなら、わかるだろう」
 すると、百合香の背後で瑠魅香が言った。
『百合香、この人レジスタンスだわ』
「なんですって?」
 瑠魅香の声にうっかり返事をしてしまった百合香は、慌てて口をふさいだ。ディウルナは笑う。
「ふふふ、いまの声が君の”協力者”というわけだな」
「瑠魅香、なんで声を出したのよ!」
『わかるもの。この人からは、悪意の想念を感じない』
 そう瑠魅香は言った。
「いや失礼。本当のことを言うと、君の情報は知っているんだ、瑠魅香くん」
「えっ!?」
「そして、人間界から勇敢にもこの氷巌城に挑んできた少女、百合香くんだね」
 氷魔はコツコツと百合香に近付き、握手を求めてきた。よく見ると、服装は少し古めのデザインのブレザーである。百合香もしぶしぶ警戒を解いて、握手に応えた。

「城の広報係がこんな事やってていいの」
 百合香は、怪訝そうに訊ねる。
「百合香くん、君は、君の世界で”ジャーナリズム”というものを最初に始めたのは誰か、知っているかな」
「クイズが好きな人ね」
「答えてみたまえ」
「…いつかしら。産業革命とか、そのあたりの誰か?あまり、その問題について考えた事はないわね」
 すると、ディウルナは笑って答えた。
「なるほど。では教えてあげよう。最初に”ジャーナル”つまり日報を用いたのは、紀元前のユリウス・カエサルだ」
 まさか氷魔から歴史学の講義を受けるとは予想していなかった百合香は、面食らって驚いた。
「そんなことを知っているの!?あなたは」
「サーベラスがソフトボールの知識を持っているのだ。新聞書きに人間の歴史の知識があって、なにか不自然かね?」
「ぬぐぐ…」
 何なんだこいつは、と百合香は思った。アグニシオンで叩き斬ってやろうと意気込んでいたのに。
「カエサルは執政官の任に就いた紀元前59年、元老院の議事録をまとめて公表する事にした。これが君達の歴史上、最初の新聞といわれる「アクタ・ディウルナ」だ。その真の目的は、何だったかわかるかね」
「政治の透明性を高めるためでしょ?」
「それは理念だ。カエサルにはその理念もあった。だがね、直接的な理由としては、元老院にとって不都合な真実を公表することで、彼らの支配力を弱める目的があったのだ」
「…なるほど」
 話を聞きながら、百合香はほんとうに人間と話しているような気がしてきた。ジッパーがついていないか、背中をあとで確認しなくてはならない。
 講師ディウルナの講義は続いた。
「いま、この氷巌城には、かつてないほどに”反乱分子”が急増している。実のところ、城側はその抑え込みに手を焼いているのだ」
「そうなの!?」
「本当だ。人間社会を混乱に陥れるやり方に、少しずつ疑問を持ち始めている個体も少なくない」
 そこまで聞いて、百合香はなんとなく、ディウルナが何をしようとしているのか、わかってきた気がした。
「…あなたは、この城の支配体制を、情報の力で揺るがしたいと思っているのね」
「はっきりと、そこまで直接的な効果が見込めるとは思っていないがね」
 デスクの上に腰掛けると、ディウルナは一枚の新聞を差し出した。日本語ではない。受け取ると、百合香は瑠魅香に読んでもらう。

『”生命エネルギーいずれ枯渇 矛盾抱えた氷巌城のシステム”』

「これは…」
 百合香がディウルナを見ると、ディウルナは小さく頷いた。
「読んだとおりだ。氷巌城を支える生命エネルギーは、それを吸い続ければいずれ地上から消滅する。この城は、誕生した瞬間から崩壊が決定しているのだ。しかも、膨大な数の他者を犠牲にしてね。私は、それを頃合いを見て全ての氷魔に公表しようと思っている」
「ちょっと待って。氷魔全てが、そのシステムを知っているのではないの?」
 すると、ディウルナは自嘲気味に笑った。
「さっきから何度も、質問に対して質問で返して申し訳ないが。君達人間の社会で、軍事やエネルギー、環境問題について、常に民衆に真実が提供されているかね、逆だろう。支配者たちは自分達のために都合のいい”真実”を語り、民衆の中の、それに付き従う事が正義だと思い込んでいる者たちが拡散する。そうではないかね」
「そっ…それは」
 百合香はまたも答えに窮した。若者である百合香も、何かおかしいと思う事はある。ディウルナは話を続けた。
「いや、それは別な問題だ。例えとして引き合いに出しただけだよ。だが、氷巌城を構成するためにこの城に束縛された精霊たちは、そのほとんどが思考までをもコントロールされているため、真実など知らない。沈む泥舟だと最初から決定しているこの城に縛りつけられて、人間や生命の世界を否定し、蹂躙するという、くだらない歪んだ欲求を満たすためだけに利用されるのだ」
「…そして、城が滅びれば」
「また城の記憶とともに眠りにつく。”次の文明”が栄華を極める、その時までね」
 百合香は、ディウルナの解説に背筋が寒くなった。それは、瑠魅香の推測と見事に合致したからだ。

「”ペンは剣よりも強し”というリットンの戯曲の有名な一節は、権力に立ち向かう言論の理念としてよく引用される。だが実際のセリフは”まことに偉大な統治のもとでは、ペンは剣よりも強し”となっている。これは知っているかね」
 ディウルナは、今度は文学の講義を始めたらしかった。百合香は渋い顔で答える。
「…知っているわ」
「さすがだ。では、その意味も知っているね」
「枢機卿リシュリューは、自分を狙う騎士団の反乱分子を黙らせるための文書を発行したのよ。”偉大な統治のもとでは”、つまり強大な権力者はペンの署名ひとつで、手を汚さずに武力を左右できるということ。言論の理念なんかじゃないわ。権力の横暴に対する痛烈な皮肉よ」
「ははは!」
 ディウルナは笑う。
「そのとおり。結局のところ、ペンで武力を動かせと言っているのだ。だがね」
 静かに立ち上がると、ディウルナは抽斗から、ひとつの署名らしきものが書かれた紙片を取り出した。
「何も、それは権力者の側だけが行使できる、と神が定めたわけではない。支配される側が、言葉で武力を動かす事も可能だ。実際に歴史はそれを繰り返してきた」
 そう言って、ディウルナはその紙片を百合香に手渡す。
「これは?」
 読めない署名を見て訝しむ百合香に、ディウルナは小さく笑って言った。

「開かない扉を、こじ開けるための剣だ」
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