絶対零度女学園

ミカ塚原

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氷騎士烈闘篇

剣はペンよりも強し

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 百合香が、自分に対する悪口雑言が書かれた新聞記事に憤慨しながら氷巌城第1層の通路を進んでいると、今度は壁に同じような新聞が張られていた。今度は瑠魅香の写真が載っている。
『あっ、あたしだ』
「またろくでもない事書かれてるんじゃないの?」
『きっと素敵な魔女って書かれてるんだよ』
 そのポジティブさはどこから来るのだろう、と百合香は相方の性格を羨ましく思った。
 氷魔の文字は百合香には読めない。とりあえず、瑠魅香が百合香の視界を通して読めるように新聞の前に立つ。
『うん、いいよ。行こう』
「なんて書いてあったの」
『読まなくていい』
 若干声色に棘がある。どうやら、百合香と同じく言いたい放題の記事だったのだろう。
「ほらね」
『人間社会の新聞もこういう事書くの!?』
 すでに怒りを露わにしている瑠魅香である。百合香は答えた。
「新聞っていうのは、それなりに言葉は丁寧だけど…まあ、それぞれの立場にとって都合がいいように書いている、とは言えるのかもね」
『真実は書かないの?』
「基本的には、真実が書かれている。…とは思う」
 百合香は慎重に言葉を選んだ。
「新聞っていうか、情報を発信する媒体は、それぞれにとって都合のいいものを取捨選択しているのが、普通かもね」
『じゃあ、どれが正しいの?みんな違う事言ってるなら、ほとんどが間違ってる事にならない?』
「うーん」
 百合香には、即座に答えが出せない問いである。
「ごめん。私には答えられないわ」
『ふーん』
「精霊の世界では、情報はどうやって共有されるの?」
『基本的には、全ての情報が瞬時に共有される。だから、みんなが真実を知っている。個人的な感情だとかは別として、コミュニティ全体にとって重要な情報を、隠す精霊はほとんどいない』
 瑠魅香の語る内容は、百合香にはなかなか理解しがたい情報だった。
「…瑠魅香。あなたが人間になりたいと思う気持ちは尊重するし、実現したいなら応援するけど、ちょっとだけ、忠告させて。友達として」
『うん』
「人間の社会っていうのは、”嘘と隠蔽”で成り立っている側面がものすごくある。それは、世の中全体のレベルだけの話ではなくて、私達のような世代どうしのコミュニケーションの中にもある」
『うん』

「だから、あなたがいつか、人間社会で生活するようになった時、あなたは大きな幻滅を体験するかも知れない」

 百合香は、重みを伴う口調でそう言った。瑠魅香は少しの沈黙をはさんで答える。
『じゃあ、いま百合香は私に隠し事、あるいは嘘をついている?』
「隠し事はある」
 百合香は、はっきりとそう言った。
「私の、プライベートな感情だとか、家族にも明かしたくない事柄はある。それは間違いない」
『私にも?』
「…そう。あなたにも。あなたは私にとって、すでに家族や他の友達と同じ存在だもの」
 そう答えられた瑠魅香は、小さく笑った。
『うん、わかった。やっぱり、百合香を信じて良かった』
「え?」
『隠し事がある、ってきちんと説明してくれるなら、それはひとつの真実よ。本当に隠す人は、隠している事じたいを隠すもの。違うかしら?』
 瑠魅香の言葉は、なんだか禅問答や哲学にも通じるものがある、と百合香は思った。今更だが、瑠魅香の知能レベルは非常に高いのではないだろうか。
『人間社会に真実は存在しないの?』
「そんな事はないわ。真実が存在しなければ、なんていうか…ひとつの種がこんなに長く存在はできないと思う。まあ、色々と至らない生き物ではあるけれど」
『なら、大丈夫だよ、きっと』
 瑠魅香は笑って言う。
『うん、たぶん色々な幻滅を感じる事はあると思う。それが、どんなものなのかは知らないけどね。でも、あなたは人間が美しいっていう、ひとつの証明。だから、あなたが人間を信じられるなら、私は信じる』
「人をアテにすると、裏切られるかもよ」
『今のところ、百合香は私を裏切ってなんかないよ。ただ、ブラックコーヒーがあんなに苦いっていう”真実”は、先に伝えておいて欲しかった』
「あははは、ごめん」
『ふふふ』
 二人は、ひとつの精神を共有して笑い合った。
「私、あなたとこうして語らうのは好きよ」
『私もよ。いつか、人間になって、互いに向かい合ってお話したい』
「いつかね」
 そう言うと、再び百合香は新聞が貼ってある壁を離れて歩き出した。言葉で語り合うという事は、どういう事なのだろう、と考えながら。


 その後数分間歩いていると、またしても壁に新聞が貼ってあった。今度は、見覚えのあるシルエットの写真が載っている。パッと見は新聞というより、手配書、人相書きの雰囲気もあった。
「ちょっと、これ…」
『え?』
 百合香は、新聞の写真を指さした。なんとそれは、第1層で最初に出会った氷騎士、サーベラスである。
「何て書いてあるの!?」
『待って。…”裏切り者のサーベラス、処刑執行される”!!』
「なんですって!?」
 百合香は少なからずショックを受けた。瑠魅香は続けて読む。
『”栄誉ある氷騎士の立場にありながら、人間の侵略者と手を結んだサーベラスに対し、偉大なるラハヴェ皇帝陛下は処刑命令を下され、捕えられたサーベラスとその配下たちは、断首刑に処せられた”』
「嘘よ!」
 百合香は、蒼白になってサーベラスの写真を見た。サーベラスは、処罰しに来る奴がいたら返り討ちにする、と言っていた。
『落ち着いて、百合香。そうよ、これが真実と決まったわけじゃない』
「……」
 しかし、と瑠魅香は思った。これが真実でない、という保証だってどこにもない。氷魔皇帝ラハヴェとやらがその気になれば、配下の一人を処刑するくらい、造作もないのではないか。瑠魅香は、少なからず百合香が動揺している事に気付いたため、それは黙っていた。
「…行こう」
 少し硬い表情で、百合香は再び歩き出す。

 だが、またしても新たな新聞が貼られていた。今度は、写真が貼られてはいない。文章だけである。
「…これは、何だろう」
『読めばいい?』
 百合香は少しだけ考えたあとで、小さく頷いた。瑠魅香はゆっくり読み上げる。
『”レジスタンス一斉検挙、収監される”』
「…うそ」
『”長らく氷巌城を悩ませてきたレジスタンス達だが、内部からの密告によりアジトが判明。憲兵隊によってアジトは急襲され、一部を除いてほぼ全てのレジスタンスが地下牢に収監された。全員の死刑は間違いないと見られる”』
 そこまでで、ひとまず瑠魅香は読むのをやめた。続きは細かい補足だけである。
『百合香』
「…ホントじゃないよね」
『私には、わからない』
 思ったままを瑠魅香は言った。
『これが真実であるなら、情報を城内で共有するためだと理解できる。もし嘘だというのなら、どうして嘘をわざわざ貼るのか、という疑問もある。しかも、百合香には読めない言語で』
 瑠魅香の指摘はその通りだった。氷魔の知能レベルからして、おそらく日本語の文章を書く事は容易いと思われた。
『氷魔の言語で書かれているということは、氷魔に伝えるのが目的ということ。そこに嘘を書いても何にもならないどころか、むしろ情報が錯綜して、混乱するだけかも知れない』
「じゃあ、サーベラスやレジスタンスのみんなはもう死んじゃったっていうの!?」
 百合香は声を張り上げた。
『百合香、静かに』
「…私は、信じないわ。こんな飛ばし記事」
『……』
 瑠魅香には、百合香の心の動きがよくわかった。もう、ほぼ完全に混乱しつつある。この状態で、もし戦闘に入ったら、対処できるのか。

 その瑠魅香の危惧はすぐに現実となった。通路の奥から、ナロー・ドールズが大挙してきたのだ。
『百合香!』
「えっ!?」
『まずい!』
 瑠魅香は、咄嗟に表に出て杖を構える。
「『サンダー・ニードル!!』」
 大きく振った杖の軌跡に無数の小さな雷光の球が発生し、それは針の雨となってナロー・ドールズ達を一斉に撃ち抜いた。通路に、氷の人形の残骸が折り重なる。
「ふー」
『…ごめん、瑠魅香』
「いいのよ。私もたまに動かないと、体がなまっちゃうわ」
 なんとか百合香の気持ちに負担をかけまいとする瑠魅香だったが、ほんの数枚の新聞記事で、百合香の精神は予想外に参っているようだった。その理由は、いつも百合香と精神を共有する瑠魅香にはよくわかった。
「百合香、たった一人でこの城に乗り込んで来たんだもんね。心細かったよね」
『…うん』
 瑠魅香に、百合香の涙声が聞こえた。
『正直ね。今でも、もう駄目だ、って思うんだ』
「……」
『わたし、ただの女の子だもの』
 それは、たびたび百合香が口にする言葉だった。
 いくらすごい力を持っていたところで、結局は一人の少女である。それが突然、命懸けでみんなの命を救うために戦わなくてはならないと言われても、まともな精神の持ち主なら、受け止めきれるわけがない。
 そんな心理状態で、たとえ真偽不明であっても動揺を誘う情報がもたらされたら、いかに強い精神を持っていたとしても、影響を受ける事は避けられなかった。
 そんな百合香に、瑠魅香は言った。
「百合香。怖がっていいよ。泣いていいよ」
『…え?』
「不安な感情に嘘をつくのは、良くない。不安なら不安だと言えばいいの」
『……』
 百合香は、その言葉に即座に救われたわけではないが、ほんの少しだけ冷静さを取り戻す事ができた。
「何を言ったところで真実が変わるわけではないし、私が今ここで、あなたの心を支えてあげられるなんて、偉そうな事は考えてないわ。むしろ、何もしてやれない自分に苛立ってる」
『そんなこと、ないよ』
 百合香は、必死で励ましてくれる相棒にそう言った。
『いつだって瑠魅香は、たった一人の私を励ましてくれる。今も、こうして』
「そう言ってくれると、私も助かる。でもね」
 瑠魅香は、間を置いて言った。
「私だって怖いんだよ」
『え?』
「考えてみてよ。私は、氷巌城を裏切って、この可愛らしい侵略者に手を貸してるんだよ。裏切りの度合いで言えば、サーベラスなんか私の足元にも及ばないわ」
 そう言われて、そういえばそうだ、と百合香は思った。
「それに、人間になれなかったら、どうなるのか。精霊である事を放棄して、百合香のおかげで存在できている私が、もし人間になれなかった場合、どこかの時点で消滅してしまうんじゃないかとか、色々考えるんだよ」
『…そうだったんだ』
「百合香の不安を理解できるなんて、偉そうな事は言わない。けど、私も私で怖いんだよ」
『…そっか』
 それは、確かに百合香の気持ちを安定させる言葉だった。無責任に元気を出せと言われるより、ずっと心に入ってくる。
『…怖いものを、怖くないと言い張るのは、真実じゃないって事か』
「うん、そうだね。そういうこと」
『怖いなら、怖いでいいのか』
「そうだよ。一緒に怖がろう」
『何それ』
 ようやく、百合香が笑った。
「それにね、百合香」
 瑠魅香は、またしても少し先の壁に貼ってあるのが見える、新聞を睨んで言った。
「その目的が何であれ、言葉は言葉でしかない。そして言葉は、心よりも誤解されやすい、不完全なもの。そうでしょう、起きている事や思っている事を、文字という形式に変換するのだもの」
『哲学的な話になってきたわね』
「うん。だからね」
 言いながら、瑠魅香は貼ってある新聞に近付く。
「私はね、百合香。この新聞は、あなたに向けて書かれたものだと思う」
『私に!?』
「そう」
『何のために?』
「もうわかるでしょ。こうやって、あなたに動揺と混乱をもたらすためよ」
 瑠魅香は、そう断言した。
「正直、あなたがこんなに言葉で動揺するとは、私も思ってなかった。でも敵は、あなたが一人の少女である事を知ったうえで、こうして精神に揺さぶりをかけてきたんだと思う」
 瑠魅香は、新たな新聞を力任せに剥がし取った。
「読むわよ。”地上の制圧の第一段階完了する”」
『!』
 それは、百合香を戦慄させるに十分すぎる見出しだった。
 内容は、次のようなものであった。


 【地上の制圧の第一段階完了する】

 我らが氷巌城地上部隊は、愚かなる人類文明をこの地球上から排除するための作戦を計画どおりに開始し、その第一段階は完了した。まず、氷巌城周辺地域の人類約80万人の凍結が確認された。この人間たちは氷巌城を稼働させる生命エネルギー源となる。さらなるエネルギー確保のため、この範囲は拡大され、最終的には地球全土が凍結して氷巌城を支える礎となる計画である。
 また、人類の脆弱なる軍事施設は、すでにそのほとんどが極低温によって機能停止しており、彼らが核兵器と呼ぶ非効率的な兵器も、すでに使用不可能な状況に追い込まれた。現在の人類の白兵戦用武装で我々の装甲を破る事は不可能であり、彼らが戦争を仕掛けてきても、事実上すでに勝敗は決している。我々氷巌城による地球統一はすでに達成されたも同然である


「だって」
 きっちり読み上げた瑠魅香は、百合香に感想を促した。
「書いてある事、信じる?」
『…半分は信じる』
「なあに、それ」
 瑠魅香は、百合香の回答を興味深そうに聞いた。
『私が好きなホラー系のTVドラマに、こんなセリフがあるの。”嘘は真実の上に薄く被せてこそ、その効果を発揮する”って』
「ほう。なかなか鋭いところを突いたセリフだと思うわ」
『だから、私の動揺を誘うためっていうあなたの推測が正しいなら、これまで読んで来た新聞記事の内容に、真実は含まれていると思う。その割合はわからないけど』
「ふむ」
『それを踏まえたうえで、サーベラス達が処刑されたとかいう話は、頭からは信じない事にする』
 百合香の結論に、瑠魅香も同意した。
「そうね。私もそう思う」
『でも、地上に影響が出ているという話は、おそらく真実よ』
 百合香は、ほとんど断定するような口調で言った。
「そうなの?」
『私は、すでに学園が凍結するのを目の当たりにしたわ。あの凍結現象の範囲が拡大したとしても、何の不思議もない。軍事施設うんぬん、という話は私には確認しようがないけれど』
「なるほど」
 瑠魅香は、新聞をくしゃくしゃと丸めて床に放り投げる。
「それでどうするの百合香、ここから」
『この新聞を作った氷魔を突き止める。氷騎士かどうかはわからないけど』
「突き止めてどうするの?」
 瑠魅香は訊ねる。百合香は、当然という風に答えた。

『剣はペンよりも強い、という事を教えてやるわ』
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