約束へと続くストローク

葛城騰成

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第三章 手紙で揺れるストローク

第十一話 璃子の特訓に付き合ってみる

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「はぁ……はぁ……なによ、この地獄の特訓は……」

 ウチの課題はトップスピードの維持だ。序盤から加速して逃げ切る戦法をとる以上、終盤で遅くなるわけにはいかない。速さを上げるにはどうすればいいのかを、いろいろと試そうと思っていたのもあって、璃子と一緒にランニングをすることにした。
 水泳部の活動がない日曜日に、早朝から走りに出かける璃子に追従することで、体力の増幅を図ることにしたんだ。
 しかし、璃子の特訓は想像以上に厳しいものだった。いったい、何往復しただろう? 学校近くの公園のランニングコースを延々と走り続けている。足が悲鳴をあげていて、ふくらはぎがパンパンだ。

「あら、お疲れみたいね。紗希は自分のコンディションを見極めるのが下手なんだから、そのくらいにして休んでおいたほうがいいわよ」

 ランニングが終了した後は、顕著にウチらの差が出た。ウチに向かって嫌味を言う余裕がある璃子と、手を両膝について息切れしているウチ。彼女に頷きで返すことしかできない自分に愕然とした。

「っ……まだまだっ!」

 左頬を伝う汗を拭って、自分を鼓舞するように大声を出す。璃子が余裕なのにウチだけが疲弊しているなんて、嫌や!
 それから毎日のように璃子を観察したことで気が付いたんだけど、どうやら日曜日だけじゃなくて部活が終わった後の、平日の夜も走っている時があるみたいだった。いつもなら、大浴場に行ってお風呂を満喫している時間帯だ。

「璃子、夜のランニングもついていっていい?」
「別に構わないけど、うるさくしないで頂戴よ。あたしは静かにトレーニングがしたいの」
「わかった! お口チャックしてついていくね!」
「今の大声の決意表明を聞いて不安になったわ……」

 50メートルのプールを何十周も泳いだ後に、薄暗い公園を走るというなんともハードな特訓。一度決めた以上、音なんて上げるつもりは毛頭ないんだけど、しんどいのは事実だ。こんなことを毎日やっていたんだとしたら、あいつが平然とした表情をいつも浮かべているのにも納得がいく。

「よく毎日こんなに走ってて大丈夫だね。たまには休もうとか思わないの?」

 夜の公園は昼間と違って人がいないからか、別の場所のように感じる。ウチが口を開いたことで、璃子がジト目を向けてきたけれど、今は水分補給中なのでノーカウントのはず。トレーニングの邪魔はしてないもんね。観念したのか璃子が口を開いてくれた。

「だから、たまに早寝をしているのよ。誰かさんが机の電気をなかなか消さないせいで、眠れないのだけどね」
「さ、最近は璃子が寝たらウチもすぐ寝てるし、嫌味を言われる筋合いはないと思うんだけど」
「ただたんに、疲れのせいで机に座って頭を使う余力がないだけでしょ」
「うっ!」

 自動販売機で購入したスポーツドリンクを飲み終えたウチらは、再び無言になって走り出す。こんな風に二人きりで会話をするなんてこと今までなかったなとか、今度は部屋でストレッチも一緒にやってみようかなとか、そんな他愛もないことを前方を走る璃子の背中を見ながらぼんやりと考えていた。
 そして、そんなことを考えている自分に自分で驚いたりなんかして、余計に心境の変化を感じていた。驚きはそれだけに留まらない。彼女が部活中に行う自主練習の方法もびっくりするものだった。

「璃子、ビート板なんか出してなにしてるの?」
「なにって……紗希だって知ってるでしょ。もしかして忘れてしまったのかしら? よくやらされたでしょう?」
「あ~、もしかして中学の時の?」
「そうよ。覚えていたようでなによりだわ」
「いやいや、中学生の頃にやらされていた練習方法を高校になった今も律儀にやっているなんて普通は思わないじゃない」

 ウチの記憶が正しければ、最初は普通に50メートルを四本泳ぐんだよね。その後は、足でビート板を挟みながら手のかきだけで進む泳ぎを四本。その次は逆に、手にビート板を持って足の蹴りだけで進む泳ぎを四本。最後に全速力で泳いで四本。計十六本ある練習方法なんだ。

「璃子のフォームが綺麗なのは、こういうことの積み重ねのお陰なんだな……」

 認めたくない気持ちは散々なんだけど、璃子はすごい。この数日間一緒にいるだけであいつが頑張り屋さんなのが充分に伝わってきた。

「最近頑張ってるじゃん。金井っち」

 プールサイドで水に足を浸けながら璃子を呆然と見つめていると、隣にみっちーがやってきた。

「うん。ちゃんと助言通りに向き合ってるよ」
「そっか。金井っちは同じ人を何年も好きでいるくらいピュアだもんね。そりゃあ、わたしの言うことを真に受けてすぐに実践しちゃうか」

 お互いに目は合わせなかった。この間喫茶店で会話をして以来、仲が良いのか悪いのか微妙な関係性が続いている。せっかくみっちーってあだ名で呼ぶようになったのに、三島ちゃんって呼んでいた頃よりもギクシャクしてしまっている気がする。

「なにか含みのある言い方だね?」
「別に~他意なんてないよ。ただ、そういうところなんだろうなって思っただけ」
「ん? どういうこと?」
「金井っちはそのまんまでイイってことだよ」

 よく意味がわからなかったので首を傾げていると、みっちーが右手と左手の人差し指をくっつけてくるくると回しながら、上擦った声で急に話し始めた。

「あ、あのね! わたしも金井っちの助言を参考にしたよ」
「え? ってことは……」
「うん。て、手紙書けたんだ。だ、だから今日さ、おにぃに送るつもりなんだ」
「そっか。やったじゃん。お兄さんからいい返事が返ってくるといいね」
「金井っちに言いたいことはそれだけだから! じゃあね!」

 次の言葉を発する暇もないまま、言うだけ言ってみっちーは泳ぎ始めてしまった。
 柊斗君がバタフライに選ばれてみっちーのお兄さんが選ばれなかった件で、ウチに対して怒ってしまったことを気にしているのかもしれないけど、普通に接してくれたらいいのに。
 まだ彼女のバタフライはぎこちない。速く泳ごうとして焦っているのか、この間よりも形が悪くなっている。今にも沈没しそうな船みたいだ。
 遠くのほうのレーンには、三年や二年の先輩と会話をしている中條ちゃんの姿が見える。中條ちゃんがとても真剣な表情をしているから、きっとメドレーリレーについて話しているんだろう。
 こうして視野を広くして見てみると、皆の努力の様子が見えてくる。今は璃子の真似をしているけれど、もしかしたらこの中にもっと良い方法で練習をしている人がいるかもしれない。

「柊一君。ウチね、楽しみながら強くなるからね」

 皆の姿を見ながら、独り言を呟く。
 柊一君からリレーメンバーに選ばれたという報告を受けて以来、ずっと返事が書けなかった。約束に全然近付いていない自分の不甲斐なさに押し潰されそうになっていたから、紙に文字を走らせることができないまま時が過ぎてしまっていた。

「いつもウチの先をいく柊一君に追いつけるくらい速くなってみせるよ」

 璃子と向き合ったことで、自分の進歩を感じることができた。
 やっと柊一君の手紙に向き合える心の余裕ができたかもしれない。今なら、彼に伝えられそうな気がする。
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