幽閉塔の早贄

大田ネクロマンサー

文字の大きさ
上 下
182 / 240
3部 王のピアノと風見鶏

第38話 愛の音

しおりを挟む
 ピアノの練習をしていたら、王はひっそりと部屋に入ってきた。手を止めて振り返ると、王は寂しそうに笑う。

「そのまま続けてくれ。これは例のラルフ=ハーマンの曲か? コンクールも近いのに、課題曲やあの曲を練習しなくていいのか?」

 あの曲。それは俺が望郷という言葉に触発され、自分の心を形にした曲だった。譜面を書き上げ、未だ曲名のついていないコンクールの自由曲。俺はその譜面を響板から手にとり、題名の部分を指さした。

「曲名の候補はできたか? コンクールでは曲名なんてなくてもその美しさはわかるがな。でも名があれば人々に広まりやすい」

 俺は王の前で久し振りに紙と木炭を取り出した。少し悩んだが、でも今の気持ちをそのまま書く。


 今ならどんな曲にもギードという曲名にしてしまう。だから、名をつけて欲しい。


 紙を受け取った王はしばらく動かなかった。またその辺に俺の気持ちを捨て置かれてしまうだろうか。そう思うとやりきれなくなって、渡した紙を奪おうと手を伸ばした。

 王は俺の手を掴み、紙を胸元に仕舞った。

 そして木炭を取り上げて、響板の上にあった俺の譜面に走り書きをする。

「風見鶏。それがこの曲の名だ」

 王はその譜面を持って、ゆっくり俺の隣に座る。譜面台にそれを置き、俺の演奏を待っていた。

 さっきあんな話をしていたのに、王はいつもどおりだった。鍵盤に指を置いて、そして冬の朝を奏でる。

 王がいつもどおりではない時は、フォークで刺したあの時、あの悲しい笑顔の時だけだ。荷馬車で俺と国境を越えろと命令した時も、きっと全てわかっていながら、いつもの王を演じていたのだろう。今、隣でそうしているように。

 感情が乱れて指が絡れる。速度も安定せず、思った以上に雑音が混ざった和音が、迫力だけで部屋に響き渡った。焦れば焦るほど、音は澱んで心に痛みを蓄積させる。それが苦しいと、悲しむ中で、演奏を終えた。

 震える指を鍵盤に放り投げたまま、横を向けずにいた。

「今日服を選んで、緊張してきたか?」

 俺はピアノで喋ると王は言う。しかし、どうして今彼は俺の気持ちがわからないのか。それともまた俺は自分のみたいように風景を捻じ曲げてみているのだろうか。王の髪ではなく、手に触れた。

 それに体を震わせた王が、俺の腰を掴んで自身の膝の上にのせた。息を漏らしながら俺の顔中にキスを落として、そうして頬を撫で、鼻を喰んで、唇を喰む。

「きっとあの燕尾服も似合うだろう。こんなに美しいのだ。俺は気楽なものだ。こうやって楽しみにしていればいいのだから」

 俺の髪を撫でて息を漏らす王の目は、愛に溢れていた。

「どうしたら、リアムの緊張を和らげらげてやれるか、わからないのだ。全く……今までなにをしていたのだろうな……」

 王の手が少しだけ震えていた。全てを知り尽くしたような眼が、今俺の目の前で僅かに揺れている。それが俺の心を揺さぶり、求めずにはいられなかった。王の髪を握りしめて、愛して欲しいと伝える。そうすれば王は俺を優しく沈めるだろう。そして、あの魔法で俺を湖に沈めて何度も愛してくれるだろう。

 そうやって、俺はまた他者に選択を委ねてしまう。それが苦しくて仕方がないのだ。2人の心の奥深くにマリーの子どもが蹲っている。それを見ずに愛し合うことが、苦しくて仕方がなかった。
しおりを挟む
口なしに熱風| ふざけた女装の隣国王子が我が国の後宮で無双をはじめるそうです

口なしの封緘

皇帝に追放された騎士団長の試される忠義
感想 5

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

男装の麗人と呼ばれる俺は正真正銘の男なのだが~双子の姉のせいでややこしい事態になっている~

さいはて旅行社
BL
双子の姉が失踪した。 そのせいで、弟である俺が騎士学校を休学して、姉の通っている貴族学校に姉として通うことになってしまった。 姉は男子の制服を着ていたため、服装に違和感はない。 だが、姉は男装の麗人として女子生徒に恐ろしいほど大人気だった。 その女子生徒たちは今、何も知らずに俺を囲んでいる。 女性に囲まれて嬉しい、わけもなく、彼女たちの理想の王子様像を演技しなければならない上に、男性が女子寮の部屋に一歩入っただけでも騒ぎになる貴族学校。 もしこの事実がバレたら退学ぐらいで済むわけがない。。。 周辺国家の情勢がキナ臭くなっていくなかで、俺は双子の姉が戻って来るまで、協力してくれる仲間たちに笑われながらでも、無事にバレずに女子生徒たちの理想の王子様像を演じ切れるのか? 侯爵家の命令でそんなことまでやらないといけない自分を救ってくれるヒロインでもヒーローでも現れるのか?

処理中です...