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3部 王のピアノと風見鶏
第38話 愛の音
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ピアノの練習をしていたら、王はひっそりと部屋に入ってきた。手を止めて振り返ると、王は寂しそうに笑う。
「そのまま続けてくれ。これは例のラルフ=ハーマンの曲か? コンクールも近いのに、課題曲やあの曲を練習しなくていいのか?」
あの曲。それは俺が望郷という言葉に触発され、自分の心を形にした曲だった。譜面を書き上げ、未だ曲名のついていないコンクールの自由曲。俺はその譜面を響板から手にとり、題名の部分を指さした。
「曲名の候補はできたか? コンクールでは曲名なんてなくてもその美しさはわかるがな。でも名があれば人々に広まりやすい」
俺は王の前で久し振りに紙と木炭を取り出した。少し悩んだが、でも今の気持ちをそのまま書く。
今ならどんな曲にもギードという曲名にしてしまう。だから、名をつけて欲しい。
紙を受け取った王はしばらく動かなかった。またその辺に俺の気持ちを捨て置かれてしまうだろうか。そう思うとやりきれなくなって、渡した紙を奪おうと手を伸ばした。
王は俺の手を掴み、紙を胸元に仕舞った。
そして木炭を取り上げて、響板の上にあった俺の譜面に走り書きをする。
「風見鶏。それがこの曲の名だ」
王はその譜面を持って、ゆっくり俺の隣に座る。譜面台にそれを置き、俺の演奏を待っていた。
さっきあんな話をしていたのに、王はいつもどおりだった。鍵盤に指を置いて、そして冬の朝を奏でる。
王がいつもどおりではない時は、フォークで刺したあの時、あの悲しい笑顔の時だけだ。荷馬車で俺と国境を越えろと命令した時も、きっと全てわかっていながら、いつもの王を演じていたのだろう。今、隣でそうしているように。
感情が乱れて指が絡れる。速度も安定せず、思った以上に雑音が混ざった和音が、迫力だけで部屋に響き渡った。焦れば焦るほど、音は澱んで心に痛みを蓄積させる。それが苦しいと、悲しむ中で、演奏を終えた。
震える指を鍵盤に放り投げたまま、横を向けずにいた。
「今日服を選んで、緊張してきたか?」
俺はピアノで喋ると王は言う。しかし、どうして今彼は俺の気持ちがわからないのか。それともまた俺は自分のみたいように風景を捻じ曲げてみているのだろうか。王の髪ではなく、手に触れた。
それに体を震わせた王が、俺の腰を掴んで自身の膝の上にのせた。息を漏らしながら俺の顔中にキスを落として、そうして頬を撫で、鼻を喰んで、唇を喰む。
「きっとあの燕尾服も似合うだろう。こんなに美しいのだ。俺は気楽なものだ。こうやって楽しみにしていればいいのだから」
俺の髪を撫でて息を漏らす王の目は、愛に溢れていた。
「どうしたら、リアムの緊張を和らげらげてやれるか、わからないのだ。全く……今までなにをしていたのだろうな……」
王の手が少しだけ震えていた。全てを知り尽くしたような眼が、今俺の目の前で僅かに揺れている。それが俺の心を揺さぶり、求めずにはいられなかった。王の髪を握りしめて、愛して欲しいと伝える。そうすれば王は俺を優しく沈めるだろう。そして、あの魔法で俺を湖に沈めて何度も愛してくれるだろう。
そうやって、俺はまた他者に選択を委ねてしまう。それが苦しくて仕方がないのだ。2人の心の奥深くにマリーの子どもが蹲っている。それを見ずに愛し合うことが、苦しくて仕方がなかった。
「そのまま続けてくれ。これは例のラルフ=ハーマンの曲か? コンクールも近いのに、課題曲やあの曲を練習しなくていいのか?」
あの曲。それは俺が望郷という言葉に触発され、自分の心を形にした曲だった。譜面を書き上げ、未だ曲名のついていないコンクールの自由曲。俺はその譜面を響板から手にとり、題名の部分を指さした。
「曲名の候補はできたか? コンクールでは曲名なんてなくてもその美しさはわかるがな。でも名があれば人々に広まりやすい」
俺は王の前で久し振りに紙と木炭を取り出した。少し悩んだが、でも今の気持ちをそのまま書く。
今ならどんな曲にもギードという曲名にしてしまう。だから、名をつけて欲しい。
紙を受け取った王はしばらく動かなかった。またその辺に俺の気持ちを捨て置かれてしまうだろうか。そう思うとやりきれなくなって、渡した紙を奪おうと手を伸ばした。
王は俺の手を掴み、紙を胸元に仕舞った。
そして木炭を取り上げて、響板の上にあった俺の譜面に走り書きをする。
「風見鶏。それがこの曲の名だ」
王はその譜面を持って、ゆっくり俺の隣に座る。譜面台にそれを置き、俺の演奏を待っていた。
さっきあんな話をしていたのに、王はいつもどおりだった。鍵盤に指を置いて、そして冬の朝を奏でる。
王がいつもどおりではない時は、フォークで刺したあの時、あの悲しい笑顔の時だけだ。荷馬車で俺と国境を越えろと命令した時も、きっと全てわかっていながら、いつもの王を演じていたのだろう。今、隣でそうしているように。
感情が乱れて指が絡れる。速度も安定せず、思った以上に雑音が混ざった和音が、迫力だけで部屋に響き渡った。焦れば焦るほど、音は澱んで心に痛みを蓄積させる。それが苦しいと、悲しむ中で、演奏を終えた。
震える指を鍵盤に放り投げたまま、横を向けずにいた。
「今日服を選んで、緊張してきたか?」
俺はピアノで喋ると王は言う。しかし、どうして今彼は俺の気持ちがわからないのか。それともまた俺は自分のみたいように風景を捻じ曲げてみているのだろうか。王の髪ではなく、手に触れた。
それに体を震わせた王が、俺の腰を掴んで自身の膝の上にのせた。息を漏らしながら俺の顔中にキスを落として、そうして頬を撫で、鼻を喰んで、唇を喰む。
「きっとあの燕尾服も似合うだろう。こんなに美しいのだ。俺は気楽なものだ。こうやって楽しみにしていればいいのだから」
俺の髪を撫でて息を漏らす王の目は、愛に溢れていた。
「どうしたら、リアムの緊張を和らげらげてやれるか、わからないのだ。全く……今までなにをしていたのだろうな……」
王の手が少しだけ震えていた。全てを知り尽くしたような眼が、今俺の目の前で僅かに揺れている。それが俺の心を揺さぶり、求めずにはいられなかった。王の髪を握りしめて、愛して欲しいと伝える。そうすれば王は俺を優しく沈めるだろう。そして、あの魔法で俺を湖に沈めて何度も愛してくれるだろう。
そうやって、俺はまた他者に選択を委ねてしまう。それが苦しくて仕方がないのだ。2人の心の奥深くにマリーの子どもが蹲っている。それを見ずに愛し合うことが、苦しくて仕方がなかった。
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