幽閉塔の早贄

大田ネクロマンサー

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1部 ヤギと奇跡の器

第52話 悪魔の所業

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もう真夜中だというのに、お腹の痛みで断続的に目が覚めてしまう。体はだるく寒気を感じるのに、痛みで変な汗が止まらなかった。

「パンをくれ」

窓の外から悪魔の声がする。

「ぁ……悪魔……さん……」

「今日はパンが無いのか?」

そういえばルイスは買い出しに行くと言っていて、昼のパンはとっておけるほどなかった。夕食どころではなくなってしまい、階下にパンがあるのかもわからない。

「ご……めん……なさい……」

声を出すとお腹が痛むが、喋れないほどではない。でも階下にパンを取りに行くことは無理そうだった。

「ヤギは最近体調が悪い日が多いな」

悪魔はそう言うと僕をそっと浮かし、窓まで引き寄せた。腰を掴まれた時にお腹が痛んで呻き声を上げてしまう。

「パンは……ないんです……」

「それはわかった。すごい汗だな」

僕の話を適当にあしらい、痛いからやめてほしいのにお腹や腰を撫で回す。

「派手にやられたな。アシュレイか?」

「僕が……望んだことです……」

「激しい初夜だな、こんなにされてもまだアシュレイがいいのか?」

「僕が……望んだ……」

「愛のために死ぬか、もって明日までだぞ」

「ぁ……明日……」

「明日までの命だ。言い残すことはあるか?」

「香の……せいでした……酷いことを言って……すみませんでした……」

「明日までの命なのにそんなくだらんことでいいのか」

「パンは……ありません……」

「わかった、わかった。ヤギは食い物の話ばかりだな。おい、腕のこの辺噛んでろ」

唐突に悪魔はそう命令し、腕を鉄格子から突き入れる。もたもたしている僕の頭を掴み、悪魔の肩に近い腕に押し当てる。

「少々痛むぞ。声を出すな」

悪魔がそう言う間に、肩越しに見える長い銀髪が風もないのに舞い上がる。その綺麗な光景に見惚れていたら、突然激しい痛みが全身を襲った。


「んんんんんあああっ!」

「おい、ちゃんと噛んでろ。声を出すな」

「んんっんんんんん!!」

さっきの痛みとは比べものにならない激痛だった。なんと表現したらいいかわからない、今まで感じたことのない痛みだった。ただ意志のあるような何かが僕の中で這いずり回っているような気がする。

「よし。まあ、明日死ぬなんて嘘だ」

「嘘……」

言葉を発した時、さっきの腹の痛みが消えていて、思わず下を向いて確認した。腹を摩り、肛門を触った時に、悪魔に見られていることに気づき、恥ずかしくて俯いた。

「お前の恥ずかしいと思うポイントはよくわからないな」

「あ、あ、ありがとうございます。これは悪魔の力なのですか?」

僕はさっきから浮いているし、お腹の痛みも引っ込んだ。

「そうだな。だがお前もできるぞ。今俺が力を抜くから、自分の力で浮いてみろ。今日は初夜だったというのに、責務を果たしていないようだからちょうどいい」

悪魔の言っていることが難しすぎて、それを咀嚼している間に急に地面に近づく。さっき痛めた尻から落ちる激痛に備えたが、僕は地面につかなかった。

「そうだ。こればっかりはやってやらんと感覚がわからないからな。しかしお前は飲み込みがはやいな」

僕はこの浮く感覚にさっきからずっと違和感があった。その違和感を尻もちをつく恐怖が理解させたのだ。

「すごい、なんで……?」

僕は自分の下へ垂れ下がる縄のような感覚のものを少し伸ばした。そうすると体がふわっと浮き上がる。悪魔はそれを嬉しそうに見て笑っている。だけどさっき噛んでいた悪魔の腕の付け根が気になって僕はそこに手を当てた。

「これもやってみるか?」

「はい……」

僕は悪魔にしてもらったことを思い出す。そして触れた先の中に入り込み内側から傷を確認した。僕の髪の毛がふわりと浮き上がる。

「そうだ、ただ……力加減がちょっと、あ、そうそう」

悪魔は僕のすることに瞬時に感想をくれるから、迷わずそれを遂行できた。

「やはりお前は物覚えがいいな。草を食むと感覚が鋭くなるのか?」

悪魔は肩を上げ腕をブンブン振り回しながら僕を褒めてくれる。

「これをなにに使おうと考えた」

僕の考えていることは悪魔は全てお見通しだった。

「アシュレイの父上に……」

「酷いことをされたのに甲斐甲斐しいな。だが自分の魔力を超えた施しは、命を削ることになるぞ」

悪魔は困った目で僕を見る。確かに悪魔の腕を治した時に、自分の中から減っていくものがあって、その先に超えてはならないものがあった気がしたのだ。多分それを超えたならば、自分の寿命かなにかを削るのだと理解することができた。

「アシュレイの父は大丈夫だ。お前はアシュリーではなく、アシュレイを選ぶのだな?」

「いいえ、いいえ。やはりアシュリーはアシュレイだと思います」

「なぜだ?」

「今日夕方に来てくれた時、僕はわかったんです。迎えに来てくれたのだと」

「ほう?」

「でも僕を連れて帰ってはくれませんでした。アシュリーもアシュレイも、もう僕を迎えに来ません」

夕日に照らされた美しいアシュレイは、夕方に迎えに来てくれたアシュリーそのものだった。

でも僕の夕日はもう無くなった。

「それでも愛するのか?」

「はい」

「そうか。今度アシュリーとその名を呼ぶ時には、ちゃんと言うんだ。迎えに来てくれてありがとう、と」

もうそんな機会もないだろうけど、あったら素敵だと思って笑った。

「あと、これは悪魔の所業だから、浮くのも治療するのも他人に見られてはならんぞ。アシュレイにもだ。お前はそういうところが間抜けそうだからな」

またアシュレイに会えるといい。立派な武官になって、もしかしたら伴侶とともに現れるかもしれない。それでもまた会いたいと思うのだ。

「はい」

僕は目を閉じて僕だけの夕日を眺める。今度会えたなら言おう。迎えに来てくれてありがとう、と。
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