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9. パーカー医師

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 目の前で銀色の剣が体を貫く。
 誰かが後ろで叫んでいる。目の前で倒れているのは……誰だ?俺は何故泣いているのだろう。わからない。◼️◼️◼️は自分の手の平を見る。怪我をしていないはずの掌からじわじわと血が滲み出し広がっていく。ふと足元に違和感を感じて下を見る。そこには血で汚れた自分の足と血に塗れた人間の山が広がっていた。これはなんだ?さっきから叫んでいるのは誰なんだ?一体俺は何を見ている―――――

 ピピピピピピ

 無機質なアラーム音に引きずられ違う世界へ戻ってきたのかぼんやりと目を開ける。見慣れた天井に目をやると、徐々に頭のモヤが晴れていく感覚がする。体勢を起こしたパーカーは息を大きく吸い込みゆっくりとため息をついた。またこの夢か。そう心の中で呟くとパーカーは先程まで血が滴っていた手のひらを見つめた。
 見るタイミングはまちまちだったが、長年同じ夢を見続けている。夢の中の目線はパーカー自身であった。そして目の前で倒れていたのは一体誰なのか、剣を貫いたのは何者なのかを現実世界のパーカーは知っている。後ろで叫んでいたのがかつて自分に一番近い人物だったことも、全てパーカーにはわかっていた。ただ何年も夢の中で同じように自問自答しているのだ。自分が何者なのか。なぜこんなことになってしまったのか、と。永遠に終わらない呪いのように。

「……今日から仕事か」

 以前は大学に付属する大きい病院へ勤めていたが、5年前より特殊部隊の医療班に職場が変わっている。パーカーは手術を行う外科医だった。血を見るだけで豹変してしまう吸血鬼もいるなかで、パーカーは外科医という職種に就いていた。代々血に強い家系で、パーカーは血に対して他の吸血鬼と比にならないほどの免疫を持っていた。
 1週間の大型連休が明けた今日は連休明け初日の出勤日だ。先程まで見ていた夢も相まって、心に暗い影を落としながら朝支度をする。連休明けの出勤っていうのはいつになっても憂鬱だよなあ、と自分が何故気を落としているのか誤魔化すように独りごちた。


 ◇

 
「パーカー」

 薬の整理をしていたところ、後ろから声をかけられたパーカーは薬の瓶を持ったまま振り返る。そこには古くからの付き合いの友人がいた。

 「おお、ノア。1ヶ月ぶり……じゃないな。あれ、まだ薬の処方日じゃないよな。2週間後じゃないか?」
 「薬が切れたから貰いにきたんです。あと血液パックも」

 月に1回吸血鬼の衝動抑制薬と血液パックを受け取りに来るノアだったが、今回は予定より2週間前倒しでパーカーの事務所を訪問していた。衝動抑制薬とは主に匂いや血による吸血衝動とそれに伴った性衝動を対象にした物だ。感知する血の匂いを大幅軽減する上に、衝動が起こった際それを緩和する役割を果たす。人間社会で正体を隠しながら暮らす吸血鬼は、お守り代わりにこの薬を服用しているものが多い。
 パーカーは外科の医師をしていたが、先祖代々薬品開発事業にも携わっているので個人事務所兼研究所も所持していた。今日は事務所での作業をする予定であった。

 「珍しいな、まさかもう飲み切ったのか?」
 「……まあ」

 歯切れの悪い返事をする友人に、頭の回転が早いパーカーは直ぐ何かにピンとくる。

 「随分と早いな。……ところでアリスとはうまくやってる?」

 2週間前倒しできた時点で確信をつかれると覚悟していたノアだったが、わざとらしいトボケ顔を作っているパーカーにノアは嫌味の一つでも言いたい気持ちになる。

 「……本当に趣味が悪い」
 「何が?何も言ってないだろ」

 明らかに含み笑いをしているパーカーに、ノアは非難の目を向けた。

 「なんか懐かしいなあ、と思ってさ。吸血鬼なりたての頃ってそんな感じだったよな。色々欲を持て余して薬の過剰摂取とかあるあるだろ」

 暗に自分が思春期真っ最中の若造だと言われている気がして、次回から薬の受け取りは郵送にしてもらおう、とノアは独りごちた。この時代に自ら足を運んでたまにパーカーの元に直接受け取りに来るのも、ひとえに古い友人の顔を見るためだ。口に出して言うことはなかったがパーカーもそれをわかっていた。
 
 「うそうそ冗談だって。まあ良かったよ、上手いこと知り合えたようで」
 「……お陰様で。引き合わせてくれたのは感謝しています、本当に」
 「古い友人なんだ協力くらい喜んでするさ」
 
 アリスのことはノアが気にかけていたため、前々から一方的に知っていた。偶然にも同じ職場になったことで、連絡が取れる吸血鬼がいるとアリスに直接伝えたのはパーカーだった。偶然の産物ではあったが特殊部隊の医療班に配属となり、アリスとノアを引き合わせたのはパーカーである。
 
 「それで、知ってたんですか?アリスの匂いのこと」
 「……まあ同僚だしな。それに抑制薬飲んでたらなんてことないだろ?」
 「前倒しで薬貰いに来てるんですからわかるでしょう……」
 「全然効いてないのか?……もしかして何かあった?」
 「何もないですよ。でも気を張ってないと持ってかれる感じがして……」
 「あー……。俺は同僚って言っても部署も違うしそんな近くに行くことないからな」
 「だいぶ濃いんですよ……今まで経験したことないくらい甘くて。原因を調べてるんですが何か思い当たることないですか」
 「んーわからん」
 「ちょっとでもいいので何かありませんか。あなた博識でしょう」
 「生きてる年数的にはそんなにノアと変わらないだろ」
 「自宅の地下に膨大な蔵書庫がありますよね、それが全部頭に入ってるんだから莫大なデータベースです」
 「流石に全部は入ってない。代々受け継がれてきた書物を保管しているだけだ」
 「でも吸血鬼に関しての知識でパーカーの右に出るのはそうそういないでしょう」
 「まあな。じゃあアリス人間じゃなくて妖精なんじゃないか?なんか可愛いし」
「……」

 聞く人を間違えたかなという顔をしているノアに、パーカーは笑った。

 「でも、冗談抜きで人狼や吸血鬼がいる世の中だ。俺はあったことないけど魔女もいるって噂だし、妖精が出てきても何ら驚かないよ」
「……それなら吸血鬼の血が混じってるって言われた方がまだ信憑性ありますね」

 そうぼそっと言うと、ノアは今日は帰りますと言って薬と血液パックを手にドアに向かった。

 「薬あんま過剰接収しすぎるなよー。体に悪いぞ」
 「……わかってますよ」

 じゃあまた、というとノアは一瞬のうちに霧散しパーカーの目の前から消えたのだった。
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