空色の龍の世界で、最下層に生まれた青年は 〜すべてをもっているひと〜

朝子

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第二章 ツル

02.逃げる黒茶の羽

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 もう駄目だ。……正直、そう思ってた。

 逃げて逃げて、走って逃げて、息が切れて喉の奥から悲鳴のような呼吸音がしてきても構わず走り逃げ、それでも尚追い詰められて普段あまり使うことのなかった羽を使って飛んだ。
 点在する島々を目的もなく、……そもそも、目的が持てるような生活だってしていなかったわけだし……ただ闇雲に逃げるだけだ。温存していた魔術を使って時に自分を隠しながら、遠くへ。少しでも遠くへ。

 できる限り遠くへ逃げないと、自分はこの先二度と外に出られなくなるだろう。

 ただ生涯一度でいいから、自分の意志で外に出たかった、それだけの話なのに、今止まったら何もなし得ないうちに捕まってしまう。ただ逃げ出して体力を使い果たし、ボロボロになった状態で連れ戻されたら、今まで以上に監視はきつくなる。

 いやだ、それはいやだ、助けて、誰か助けて。もういやだ。助けて、こんな生活いやだ、ここから連れ出して、誰か、お願い、助けて。

 身体が傷つき、土に擦れ、それでも走り、飛び、羽の付け根が震えて動けなくなるまで、朦朧としながらも走り、そして飛び続けた。


 さすがに、限界を感じる。――いや、限界なんてとっくに過ぎていた。捕まることが嫌で、認めなかっただけだ。

 もういい、このまま地上に落ちて死んでも構わない。あそこに今戻されるぐらいなら、せめて落ちたい。地上に叩きつけられたらどれほど痛いのだろうか。自分の身体は原型を保っていられるだろうか。わからないけど、羽は、脚は、もう動かない。

 覚悟して、それでも最後の魔力を振り絞り身体を守るように空気の層を纏い意識を手放した、はず、だった。

 まさか、落ちようとした先に、国境ギリギリの所に、こんなに小さな島があったとは。
 西浮国ではなく、もっともっと下の、……中つ国の端っこ辺りに叩きつけられて粉々になる予定だったのだが、その前に地面についてしまった。

 意識が消える瞬間、確かに目にしたものは太陽に反射して白く輝く羽、それから、夜の闇のように真っ黒な頭髪。人がいる、そう認識した瞬間、身体は地面に投げ出されるように落ち、意識は消えた。


 次に意識が浮上した時、最初に気づいたのは顔が土に擦れていることだ。自分は土の上に横たわっている。らしい。
 頭をあげて身体を動かそうとすると痛みであちこちが悲鳴をあげ、実際に喉の奥から掠れきった声が漏れた。状況を把握したいが、全身に黒っぽい布を掛けられているのか、周囲を伺うこともできない。
 果たして自分は逃げ切れたのか。それとも、やはり捕まってしまったのか。それすらわからない。
 頑張れば動けるような気もするが、下手に大きく動いてまた逃げる羽目になったらどうする。この身体では、もう逃げ切れない。


 そこまで考えた時、ばさり、と掛けられていた布がはがされた。


 それでも、地面に顔をつけたままでいると、目前に見える白い羽。視線だけずらし顔があるであろうあたりに目を向ける。漆黒の髪、血の気の通っていないような青白い顔に唇だけが異様に紅い。その唇が薄く開いた。


「起きたのか。お前は誰だ」


 今まで会った事のない人間が、目の前で話している。言葉を紡ぐその唇の紅に目を奪われる。


「……聞こえているか? お前は、誰だ」
「……ぁ、わた、し……」


 声が、掠れる。


「……待て、上を向け。太陽の方を。意味わかるか?」


 横向きだった身体を無理やり仰向けの状態にすると、目の前の白い男は満足そうな顔をして、口を開けろと言う。おとなしく言う通りにした。相手が誰であっても、反発するのは慣れていない。
 開いた口に、男がそっと水を流し込んできた。神経質そうな見た目の割にその動きはどこまでも優しい。少し咳き込んだが、今度は喋れそうだ。


「あの、ありがとう。私は……」


 そこまで話して、ふと気づいた。

 全てを馬鹿正直に話してはいけない。誰とも知れない人に全てを話したとして、下手にどこぞに連絡されては、また捕まる。また、追われる。それは嫌だ。


「私は」
「……」
「私、は……」


 言葉が出てこない。男は訝しげにこちらを見ている。


「あの……ここは、どこ、でしょうか……?」


 聞かれたことには答えられず、その上質問を返してしまった。だが、男の様子はあまり変わらない。相変わらずたいして感情の乗らない青白い顔でこちらを見ている。


「ここは俺の島だ。で、お前は」
「私は……」


 どうしても言葉が出ない。初対面のこの男に何を話せと言うのか。何を話しても、今の自分にとって良い結果にはならないと思う。
 あまりに答えない自分を見て、男が言う。


「まさか、覚えていないのか?」


 全部、全てを余す事なく覚えている。だけど、覚えてないと言えば、答えなくても済むだろうか。そう考えて、あまりに安易に、よく考えることもなく答えた。


「そう、ですね、なんか……記憶が曖昧で……落ちた事は覚えているんですけど……」
「……そうか。では、近くの村の巡察隊に事の次第を伝えてくる。待っていろ」
「それは!」
「問題でもあるのか」
「あ、ります、かね……?」


 目の前の青白い男は盛大なため息を漏らす。


「俺は、面倒な事は嫌いだ。面倒事は自分の時間が取れなくなる。性格上、人と一緒に過ごす事もできない。だからこんな小さな島を買って一人で暮らしている。
 動けるなら出て行ってもらうか、動けないなら巡察隊に引き取ってもらいたいのが正直な所だが……」
「あの! 怪我が治ったら! すぐにでも出ていきます! それまでの間だけ、島の端っこでいいので休ませて……ください……」


 あー、とか、うー、とか唸るような声をあげて目の前の男は悩んでいるようだった。


 これを受け入れて貰えなければ、今度こそ島から落ちて地上へ行くしかない。だが、羽を動かす体力も尽きているし、身体を守る魔力ももう残っていないようだ。次に落ちた時は間違いなく死ぬだろう。
 さっきだって、死ぬかも、と覚悟はしていたのだ。だけど、生をながらえてしまった今、あの覚悟はすっかり萎んでしまった。

 男がこちらに視線を合わせる。切れ長で細めの目に随分と長い睫毛がついている。瞬きをするたびに、そのすっと伸びた睫毛が上下に揺れて目が離せない。


「お前、……名前は」
「……」


 本名は言えない。


「ぴっ……ピィ……」
「ふざけてんのか? それ、小さな子供が言うやつだろ」
「いえ、ふざけてません、……ピィです!」


 男は頭を抱えて下を向いた。
 あの睫毛が見えない事を、残念に思いながら「俺と身体の大きさそうかわらないやつがピィとか……ふざけてんのか……」そうぶつぶつ呟く男の頭頂を見続ける。


「よし」


 男が顔を上げた。やっぱり睫毛が綺麗だ。


「治ったら、出て行け。部屋の隅に置いてやる。外の夜は冷える。身体に良くないだろ。身体を温めて、早く治して早く出て行け」


 それは、ピィの首の皮が繋がった瞬間だった。




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