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第二章 ツル

01.孤独な白い羽

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 クレインは、幼い頃から編み物や縫い物が好きだった。

 誰もが羨むような大きく長い純白の羽を持ち、特別な人間として生まれてきた。

 国の中枢孵卵施設で高等と言われる教育を受け、成功を約束された未来が待っていたはずなのに、それよりなによりも糸と針をおもちゃにして、思い描いた通りのものができあがる事に、価値を見出すような子供で。


 余りにそればかりに夢中になっていた為、本来であれば国の中枢教育の外に出されるような人間では無かったはずなのに、成人するよりもっともっと以前に反物を扱う仕事をしている者の元へ里子に出されてしまった。


 養父となった者は仕事で反物をおろす仕事をしていた。
 他の孵卵施設の子供はそんなクレインのことを「反物屋に養子に出された脱落者」などと陰口を叩いていたようだが、そもそも当の本人には陰口は届かなかったし、誰に咎められることもなく好きなだけ編んだり縫ったりできる環境に移れた事に、心底喜んだ。


 養い親である父とは愛情と言う不確かなものでは繋がっていなかったように思うけれど、共に物を作りお金を稼ぎ会社をもり立てる、その部分ではお互いに確かな繋がりを感じていたと思う。
 目に見えないと言うものが、全く理解できなかったから、養父にもそれを求めなかったし、体の触れ合い、……抱き締めて欲しいとか頭を撫でて欲しいとか、その手の欲求も覚えた事がなかった。


 養父が引き取って育てていた子はクレインの他に同世代の男の子が二人いたが、彼らはいつもやんちゃをしては養父を困らせ、その一方で目一杯甘えていたように見えたものだ。
 それがの子供なのかもしれないが、その、心のまま行動できる彼らを羨ましいとも思うこともなく、彼らも、クレインに対してはいつも知らない人相手のような態度を取っていたけれど、それについても特に思う所も無かった。

 年相応の人としての感情に疎かったのだ、とも言える。


 だいたい、クレインが大人になるまでに心を揺さぶられるような心地になったのは後にも先にも一度きり。
 西浮国を守護する龍が空を飛ぶのを見た時だ。

 普段龍が何処にいるのかなんて、クレインはわからない。クレインだけではなく、西浮国の国民のほとんどがわかってない。だって、西浮国の龍はほとんどその姿を現さない。

 だけど、空にその姿を認めた時、身体が芯から震え頭の中で鐘が鳴り、あれはこの国の龍だと本能で理解した。

 それは、鳥で言えば緻密で綺麗な孔雀の大群のような、水中から太陽と空のきらめきを眺めたときのような、青い、蒼い、精密な羽の集まりか鱗のようなキラキラ輝くものなのか、そんな荘厳な光を纏う大きな生き物がはるか頭上を飛び、一度だけ旋回し、視界から消えて行った。

 消えて尚、鳴り止まない鐘が頭の中を響きわたる。クレインはただ一度の邂逅で完全に西浮国の龍に囚われてしまった。

 当時まだ少年とも言えるクレインはその鮮烈な一件以来、一度だけ見たあの美しいものを作りたいと、益々編み物や織物へとのめり込んで行く。

 そんな事を成人するまで続けていたのだから、養父が若くして突然亡くなった時、義理の兄弟たちから疎まれて家を出されたのは必然だったのかもしれない。多少まとまった財産を貰えたのは、彼らの罪悪感からだったのだろうか。……全く連絡もとらなくなってしまった今ではもう、わからないが。

 それに、クレインには、自身の腕だけで食べていけるぐらいの技能があったから、それでも別に構わなかった。
 二十数年兄弟として育ったのだが、その後家を出て以来、連絡をとらないだけではなく彼らに会うようなことも一度もない。生きているのはわかる。だけど、どのように暮らしているのかは全くわからず、家族であったはずの人が気にかからない事実についても、悲しくも寂しくもない。

 ……その頃、一人になってからようやく自分の周りに誰も居ない事に気づいた。
 同時に、自分には何かが欠落している、と思い至ったが、だからなんだ。そんな自分を今更変えることなんてできないし、実際に自分は、友達も家族も、知り合いでさえ必要としていない事にも気づいてしまった。
 貰った財産で、国境ぎりぎりの場所に位置する、人のいない小さな小さな浮島を買って他の人とはあまり関わらずに暮らす。
 朝起きる。顔を洗い歯を磨く。織る。縫う。編む。庭で育てた果物を食べる。それからまた、織る。縫う。編む。夕方、週に一度まとめて買ってくるパンを食べ、湯を使い、寝る。

 人に会うのは週に一度、近くの浮島で一番栄えている村に作ったものを持っていき、新しく仕事をもらい、食べ物を買う時ぐらいだ。

 そんなクレインの楽しみはと言うと、いつか見た龍の空飛ぶ羽の模様を、記憶を頼りに機で織ること。

 仕事とは別の機を買い、毎日誰のためでもなく自分のためだけに織っている。
 たった一度だけ見た、あの空に溶け込みながらも全く輝きを失わない生き物の模様をいつか自分の手で作りたいと、毎夜機を織る。

 毎日毎夜、同じ事を、同じような時間に繰り返す。

 それに全く不満も不安もなかった。むしろ、決まった事を日々こなすことはとても心が安らいだ。




 そんな毎日を送っていたある日。
 いつものように庭に出て果物の世話をしていた時の事だ。

 クレインは、何か得体の知れない気配を感じた。

 身体中がぞわぞわするような、今すぐ羽を動かし飛び立ちたいような、だけどその場所から動いてはいけないような、とにかく何か我慢がきかない気配だ。
 その気配は次の瞬間、クレインが反応出来ないほどの勢いで空気の圧を強めながら背後から近づき、その頭上すれすれをかすめ、轟音と土埃をたて視線の先に、落ちた。


 落ちた瞬間、得体の知れない気配は消えたが、落ちた本体は間違いなく目の前に残っている。
 途端、自分の心臓はここにあったんだ、と自身にわかる程に激しく心臓が脈を打ち出す。息も苦しい。


 それは、突如現れた見ず知らずの存在に対しての反応か、それとも、頭上すれすれを通った事で身の危険を覚えたからか、もしくは、対象物が頭上を抜けて眼前に落ちるまでのほんの数秒の間、空を映した自分の目に、幼かったクレインの心を震わせた孔雀にも似たような羽が見えた……ような気がしたからか。

 クレインにはわからない。

 目の前に落ちて動かない、ぼろぼろの身なりの人間。こんな小さな、自分しか住んでいない浮島に、なぜ。

 一体どこから落ちてきた、と上を見ても、いつもと同じく空と遠くの方に数多の島が見えるだけだ。

 先程、ほんの一瞬孔雀のような羽が見えたようにも思ったが余りにぼろぼろすぎてよくわからない。どこから来たかは知らないが、よくぞここまで飛んでこられた、という程に酷く傷んで汚れた羽。

 羽が大きいのは分かる、身体も大きそうだ。うつ伏せているので顔は分からない。全身が泥のような茶色にも見えるが、多分これはそう言う色ではなく泥汚れだ。

 少し離れた場所から観察していたが、泥まみれは全く動かない、それでも羽の根元が小さく上下している事から呼吸はしているのだろうと判断した。

 近づくのは怖かったが、家の中から大きな布を取ってきて、身体を覆うように掛けてあげた。炎天下の中、このまま置いておいたらこの人間は暑さでどうにかなってしまうだろう。
 とは言え、普段全く使っていないクレインの筋力ではどう足掻いても人一人運ぶ事はできないだろうし、無理に運んで商売道具の手を痛めたら目も当てられない上、そもそも見ず知らずの意識のない人間を家に入れるのも怖い。


 泥まみれを布で覆ったことで満足したクレインは、果物の世話に戻ることにした。


 視界に入らなければどうと言うこともない。


 先程の動悸はもう止まっていた。

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