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今度は推しをお守りします!

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 アレットは私の話を聞きつつ、ぽんぽんと言いたいことを言うだけ言って、廊下で別れた。相変わらず歯に衣着せぬ話し方で、私はとても話しやすい。

 ケリーの鋭い突っ込みとは違った、さっぱりな突っ込み担当だ。

 バルバラ令嬢のことは悼む間もなく、新しくメイドが入ってきたという。メイド長からバルバラ令嬢について何か知っていることはないかと聞かれたが、誰も何も口にすることはなく、きっと誰かに騙されたのだろうと皆が話していたそうだ。

 確かに彼女は結婚相手を探していた。王宮内に仕込もうとした呪具は香木で、見た目からは呪いが掛かっているなどと分からない。
 この香木を、どこどこに置いてきてほしい。そんな風に頼まれただけで捕らえられたら、誰かから頼まれたと言えば良いだけだが、彼女は犯人を口にしなかった。

(捕らえられて、すぐに殺されてしまったのかしら)

「でも、彼女を捕らえたのが、リュシアン様なのよね……」
 推しに捕らえられて、彼女は何を思っただろう。

「レティシア嬢、ここにいたのか」

 私は耳に届く推しの声に、すぐに振り向いた。リュシアン様に声を掛けられただけで、胸が高鳴るのが分かる。
 目の前に推しが来ればいつもならばその胸に抱きつきたくなる衝動に駆られるが、私は身動きできずにこちらに近寄ってくるリュシアン様を見つめた。

「これから、魔術師の建物に行こうかと」
「俺も今から行くところだった。一緒に行こう」

 推しに促されて私はリュシアン様の一歩斜め後ろを歩く。身長の高いリュシアン様の後ろ姿を眺めているだけで周囲の音が聞こえなくなるくらい、どきどきがうるさくなる。

 リュシアン様は珍しく髪紐を解いており、首元にかかる髪や背中に流れる髪がいつもよりサラサラに見えた。まとめていないのでふわりと揺れる。

「鼻血出そうです」
「は!? 何で、急に!?」
「いえ、なんでもないです! 心の声がダダ漏れで!」
「心の声で、何で鼻血が出るんだ??」
「それは―――、リュシアン様が色っぽいからですよ! なんで髪を解いているんですか! 色気が凄いんですよ!! お風呂上がりみたいじゃないですか!!」

 言いながら、お風呂上がりで髪を自分で乾かすリュシアン様を想像してしまった。髪から滴る雫。頬にかかるしめった髪。乱れた胸元。羽織っただけのローブ。

「はうっ! 刺激がっ!!」
「なにがどうした!」

 貧乏貴族の私と違って、きっとメイドが髪を乾かしてくれるだろうに、自分でタオルで拭いている想像をしている時点で、私の妄想は薄っぺらである。本当はきっとこう、乾かしてくれる女性とかに囲まれて、椅子に座ってワインとか片手に……。

「罪づくりですね!!」
「一体なんの話だ? 何を妄想しているんだ??」

 リュシアン様は訳が分からないと焦った声を上げるが、当然だと思う。私も何を言っているのかよく分からない。

「なんでもないのです。最近調子が……」

 きっとリュシアン様の色気に酔ってしまっているのだ。リュシアン様の手当てなど、分不相応な仕事を任されたため、脳が付いていけないのである。

(本当におかしいわ、私。近過ぎるのも問題なのね。推しはやはり見ているくらいが丁度良いのよ……)

「りゅしあー」

 歩いていると、可愛らしい子供の声がした。フランシス王子様だ。フランシス王子様はリュシアン様を見付けてご機嫌で走り始める。後ろにいる護衛やメイドたちが慌てて一緒に走ってくるが、突然フランシス王子が足を止めた。
 何かを待ち構えるかのように立ち尽くし、まんまるのお目々でこちらを睨み付けてくる。小さな手で拳を握り、どこか憤るように頬を膨らませた。

「フランシス王子、いかがされましたか?」

 リュシアン様がご機嫌ではなくなってしまったフランシス王子に近付いた。床に膝を付いてそっと近寄ったが、フランシス王子の視線はリュシアン様には向けられず、それを通り越した私に向けられていた。

(私、なにかしたのかしら。睨まれているようだけれど……?)

 その時、窓の外で、ギャアッとカラスが鳴いた。近くの木に降りてきたのだ。

 バサバサと羽を広げて枝を揺する。そうしてもう一羽も枝を揺らしてバサリと飛び降りてきた。

「レティシア嬢、こっちに来るんだ……」

 リュシアン様がそっと立ち上がる。緊張した面持ちで手を伸ばし、私に来るように招いた。
 私も妙な空気を感じた。木の枝に停まるカラスがどうにも私を見ているようにしか思えない。私がゆっくりリュシアン様の側に歩むと、カラスの首の角度が同じように回っていく。

 廊下の窓は開いていた。生ぬるい風を感じて、私はやけに寒気がした。
 暗黒の気。それを感じたわけではないが、それを強く感じるような気がした。

「レティシア嬢!」

 カラスの視線を後ろにした途端、カラスが窓から入り込んだ。それも先ほど二羽しかいなかったカラスが、何羽も増えて一斉に窓から入り込んできたのだ。

「きゃあっ!」
「レティシア!!」

 リュシアン様が魔法を発動した。私の頭の側で風の音がヒュンと飛び、カラスの滲んだ鳴き声が響く。私を掴み掛からんと爪を立てたカラスは、私の顔を引っ掻いてすぐに壁に吹っ飛ばされた。

 ギャア、ギャア。カラスがどんどん集まってくる。リュシアン様は魔法を掛けながら私の肩を抱いた。

「リュシアン様!」
「口を閉じていろ!!」

 瞬間、真っ赤な炎が爆発するように噴き出すと、カラスが一気に消し炭に変わった。
 粉のようになったカラスがパラパラと床に落ちていく。シンとしじまが響く廊下でリュシアン様の大きな吐息が頭の上から聞こえた。

「フランシス王子を連れて行ってくれ。至急ヴィヴィアンを呼び出し、対処を」
「しょ、承知しました」

 リュシアン様の言葉に護衛の男がフランシス王子を抱っこする。嫌がって顔を叩いたりしていたが、彼らは走り出すとこの場を去っていった。

「レティシア、大丈夫か!? 怪我は!!」
「だ、大丈夫です。今のは、一体。なにが……」
「怪我をしたのか!?」

 リュシアン様は言うと私の肩を引き寄せて、顔を近付けた。リュシアン様のアメジストのような紫の瞳が私をまっすぐに捉える。

 何も怪我など……。そう言おうと思ったが、リュシアン様はそろりと私の頬を拭った。
 ピリリと傷んだがほんの擦り傷だ。しかしリュシアン様はひどく青ざめた顔で私を見遣って、いきなり私を抱き上げた。

「りゅ、リュシアン様!?」
「手当をしよう。別の場所で」
「だ、大丈夫です。擦り傷ですから」
「何が擦り傷だ。顔に傷が付いたんだぞ!!」

 カラスの爪で付いたので病気が心配だが、そんなお姫様抱っこをされるような怪我ではない。ちょっぴり傷が付いた程度だろう。しかし、リュシアン様はひどく怒っているのか、険しい表情をして私を抱き上げたまま、魔術師の建物へと有無を言わせず連れたのだ。




 ソファーに座らされた私は、リュシアン様の指に触れられて身悶えしそうだった。

 リュシアン様も癒しの力は持っているらしく、すぐに癒しを施してくれたのだが、だったら廊下でちゃちゃっとやってくれて良かったのに、ソファーに座らせてからゆっくりと私の頬に触れた。
 他に傷がないか、深い傷ではないのか、見定めるようにじっくり私の顔を見つめる。

「あの、多分ここだけです。他には傷はありませんので」
「分からないだろう。あんなにカラスに囲まれたんだぞ!?」

 何羽集まっていただろうか。カラスは私を目掛けて襲い掛かってきた。木の側の窓が開いていたため近くにいた私に襲い掛かったのだろうが、あまりにもおかしな状況だった。

(何もしていないのに、どうして私を狙ったのかしら……)

 そう思いつつも、思い至ることがある。フランシス王子のあの目。まるで誰かを憎むように、私を鋭い眼光で見つめていた。

「フランシス王子は……」
「これは極秘事項だ」

 私が全てを口にする前に、リュシアン様が怒気を込めた、搾り出すような声を出した。
 想像はできた。まだ幼いフランシス王子だ。カラスが一体どうして私を狙ったかは分からないが、意図的に私を狙ったのは間違いないのだろう。

「すべておっしゃらなくて結構です。あの、治療ありがとうございます。今日は、暗黒の気を散じる予定でしたが、フランシス王子様の元へいらっしゃいますか? そうでしたら、私は執務室に戻りますが」
「戻らなくていい! どうしてそう―――、いや、すまない。君が落ち着いているのに、俺が落ち着かなくてどうするんだ。君が、察するのが早いことよりも、そうやって、自分が犠牲になっても怒らないところが……」
「私は大丈夫です。リュシアン様が治してくれましたし、それより、フランシス王子様が私を敵対視したようですので、私が何かしたのかと心配なだけで」

 私は予想していることを発言する。リュシアン様はすべて理解したか、と肩を下ろすと、床に膝を付くのをはやめて、私の隣にゆっくり座り込んだ。

「君の想像通り、フランシス王子は暗黒の力を使う者だ。しかも、かなりの強さで」
「そのようですね。無意識に、動物を操っているのでしょうか」
「そうらしい。なにか嫌なことがあると、近くにいる動物を操るようになったそうだ」
「では、最近のことで? ……暗黒期が始まってからですか?」
「君は勘が鋭いな」

 リュシアン様はやっと厳しい顔をやめると、フッと笑んで、体の力を抜いた。

 フランシス王子が暗黒の力に目覚めたのは今回の暗黒期から。前々より暗黒の気を生成していたようだが病になることはなかった。それはとても強い力を持つからだそうだ。
 エミールと違い、すでに無意識で小動物を操るほどだ。体を弱らせるはずの暗黒の気を自由に操り、その力を物にしているため、影響がないのである。

「では、王宮に集まっていた小動物は……」
「ああ、フランシス王子の仕業だった」
「だから、聖騎士団の手から離す案件になったんですね。納得しました」

 そうでなければ犯人を見付けるために血眼で探すだろう。もしネズミや鳥が王族を狙えば大事になる。そうならないために、犯人探しは必須だった。
 なのに、それを警備騎士たちに委任したのである。

「おかしいと思っていました。そういう理由だったんですね。王子様の技だと皆に伝えなかったのも、暗黒の力を幼い頃から操ることができるからですか」

 私の言葉に、リュシアン様は大きく息を吐く。そして、困ったように眉を下ろして私を見つめた。

「この国の唯一の王子だ。その王子が暗黒の気を持ち、力を用い、動物を使って人を襲った。これが知られれば大きな問題になるだろう。そして王子が幼い間に、何を口出ししてくるか分からない。危険な力を持つ王子。それがもしも誰かを傷付ければ? 王になる権利はあっても資質はどうかと問うてくるだろう」

 まだ何も分からぬ年でありながら、人を殺す力を持っている。それが王子の足を引っ張ることになるだろう。王には不向きであると誰かが口にすれば、同調する者がどれくらい現れるか。
 幼いとはいえ、その時の感情で誰かを傷付けてしまえば、王の素質はないとされるかもしれない。それほど恐ろしい力なのだ。

「ですが、長く隠し通すのは無理があるのではないでしょうか? 私のような、王子様が気に食わない相手が現れた時、あの短い時間でカラスを操ったのならば、今後も有り得るでしょう」
「その通りだ。だから、現在、魔術師たちでその力を抑制する道具を造らせている。時間が掛かるだろうが、もうそれしか手がないそうだ」

 それができ上がるまでは、皆で秘密を共有し、フランシス王子様に暗黒の力を使わせないようにしなければならない。

「今はヴィヴィが王子の暗黒の気を消しているが、集めるのも常人とは違った早さのようだ。だから、俺が、王子にその力を使わないように言い聞かせたり、我慢できるようにあやしたりと、王や王妃たちと共に協力して押さえているんだ」

 それですべてを理解した。
 リュシアン様は、体に蓄積された暗黒の気は、敵の攻撃ではないと知っていたのだ。フランシス王子様は暗黒の気を持つ者。一緒にいればその影響も受けるだろう。
 自分の身を犠牲にして、王子様の力を抑制するよう働きかけていたのだ。

「君に、気になることがあればすべて話せと偉そうなことを言っておきながら、このような大事を黙っていたのだから、呆れただろう」
「そんな、そんなことありません! リュシアン様が自らを使い犠牲になっていることを、どうして怒ると言うんですか!? むしろ、教えていただければ……。いえ、教えられるはずがないのですから、私ができることを命令してくださればいいのです。今も、リュシアン様の体の中に暗黒の気が蓄積されているんですから、どうか、私に、その気を消させてください!」

 私はリュシアン様の手を取り懇願する。私が役に立てるのだ。この貧乏くじを引いている大切な推しのために、私は大きく貢献したい。

「レティシア嬢……」
「先ほどは助けてくれてありがとうございました。推しに守っていただくなんておこがましいですが、その代わりとして、大集中してリュシアン様の暗黒の気を消させていただきます!!」

 有無を言わせず私はリュシアン様の手を両手で握りしめ、その中に潜む暗黒の気を探しに入る。

 その時のリュシアン様の顔を見ることはしなかった。ただ集中して消すことばかりを考えていたから。

 リュシアン様がどんな顔で私を見ていたのか。知るのはずっと後のことである。
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