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3−4 燐家

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 曽祖父は、あの絵をしまったままにしておいた。

 亡くなってから華鈴に渡すことにしたのは、助けを求めるようなことが起きると予想していたからなのだろうか。

(ひいじいはこちらから帰る時、絵を描いたのよね。ひいじいの絵がこちらとあちらを繋げるとしたら、あの山の上に行けば、あちらに戻れるのではないかしら?)

「あの場所に行っても、元の道に繋がるわけではないから、そこは勘違いしないようにね」
 睦火にさらりと言われて、つい口を両手で押さえる。声に出してはいないはずだが。

「華鈴の考えていることはすぐにわかるよ。顔に出ているからね。源蔵は君とあの場所を繋げたのではなく、僕と君を繋げたんだ。だから、あの場所に行っても帰ることはできない」

 それもそうか。あの絵によって繋げられたのならば、華鈴が降りる場所はあの山の野原だったはずだ。しかし、降り立ったのは睦火の前だった。曽祖父は睦火のいる場所へ繋げたのだ。

「他にひいじいの絵はないんですか?」
「源蔵の絵は残っていないんだ。残すのを嫌ったからね。源蔵が帰れたのは、たまたま住んでいた家を描いた時に道が繋がっただけなんだよ。家を描いたことによって、帰る道が開いたんだ」
「ひいじいに、そんな力があるなんて思いませんでした」
「源蔵は不思議な男だよ。けれど、本人ですらその力に気付いていなかった。家を描こうと思わなければ、まだここにいただろう」

 華鈴が曽祖父の絵を開いたから道が繋がっただけで、一方通行だった。睦火は戻る方法は今のところ見つからないのだと、眉尻を下げる。

「ほら、あそこにいるのが見えるかな?」

 睦火が山の木陰を見るように促した。視線の先、木々の隙間で何かが動いている。
 あちらから付いてきた、帽子を被ったあの黒いモノだ。こちらに来る時にどこかに落ちていったが、こちらに一緒に付いてきていた。

「どうしてあれが君に付きまとうのか、理由はわかるかい?」
「わかりません。でも、向こうではたまにああいうのが付いてくるんです。ひいじいが追っ払ってくれていましたが」
「君が源蔵によく似ているからだよ」
「私が、ひいじいにですか? 初めて言われました」

 あちらには曽祖父と華鈴を比べる者はいない。あくまで曽祖父は大先生で、華鈴はただのひ孫。ちょっとした手伝いをする事務員くらいの扱いだ。親しくしていたのは弁護士くらいで、他にいない。
 似ていると言われると、少しだけ心が暖かくなる気がするのは、唯一の肉親だからだろうか。

 しかし、睦火は首を左右に振る。似ているからこそ、追われるのだと。

「源蔵が何をしていたか、君は知っている?」
 唐突な質問だったが、話の流れで何を問われているのか想像がついた。

「お化け退治のことですか?」
「あちらに行けば、そう呼ばれるかもしれないね。もちろん、こちらとあちらでは、存在するモノの意味が変わるだろう。あちらで実体を保つモノは少ない。あちらの言葉を使えば、幽霊やあやかしと言われるモノなのだから」
「幽霊やあやかし……」
「源蔵はあちらで失敗したのかもしれないね。だから執拗に君を追ってきたのかも。君と源蔵を間違えているんだろう」

 だからしつこく追ってくるのだと言われて、血の気が引いた。もうあれらを制することのできる曽祖父はいない。
 睦火はクスリと笑う。すると突然華鈴の抱く手を緩めて、体をずらした。

「よいしょ」
「きゃ、な、なんですか!?」

 先ほどよりずっと顔が近付く。足の指先が地面に届くか届かないか。爪先が草をかする。下ろすならば下ろしてほしい。あまりに顔が近くて、唇がくっつきそうになる。

「大きくなったよね。前はあんなに情熱的に名を呼んでくれたのに、急に他人行儀だ」
「じ、情熱的って、私が幼い頃の話ですよね」
「あの頃から僕は君のものだよ」

 紫の瞳が華鈴を映した。炎のような怪しげな光に吸い込まれそうになるが、長いまつ毛は華鈴の眼鏡のおかげで遮られ、それ以上近付くことはできない。
 睦火は忌々しそうに、華鈴の眼鏡を取り上げた。

「あ、眼鏡は!」
「大丈夫だよ。怖がることはない」
「か、返してください!」
「目が悪いわけでもないのに。疲れないかな?」
「――――、大丈夫です」
「源蔵に言われていると思うけれど、うっかり名は呼ばぬように。源蔵は自分を守る術を持っていたけれど」

 その言葉にギクリとする。何も答えずに黙っていれば、睦火は華鈴を下ろすと、華鈴の顔に眼鏡を戻した。強張った体を緩めさせるようにゆるりと頭をなでて、頬にかかった一房の髪を耳にかける。

「こちらとあちらの時間は同じではないけれど、あちらの時間がそう簡単に過ぎるわけではない。だから、しばらくこちらでゆっくりすると思えばいい。戻ることもそうだけれど、君の安全を先に考えたいからね」

 戻っても、再びあの影が付いてきたらどうにもできないのだからと諭されて、華鈴はおずおずと頷いた。
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