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5章

80 回想 桜寧 桃艶視点

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 慌ただしく祝言をあげて夫婦となり、初めのうちはどこかよそよそしかった2人が、床を共にして二ヶ月ほどの月日が経過した頃。
 
 「子を、身籠る事ができたみたい」

 恥ずかしそうに、しかしとても嬉しそうに微笑んで、まだ膨らみもない腹を大切そうになでて月香が幸せそうに2人に報告をしてくれた。

 大切な兄弟や所縁ある故郷を失った直後に、結婚を強いられ、気持ちが追いつかない様子の愁蓮に月香が辛抱強く尽くした結果だと、2人は思っていた。
 
 月香が想うほどに、愁蓮の気持ちは彼女に向いていると思えず、彼女が悩み落ち込む姿をなん度も目にして、見守ってきた二人にとっては、月華の努力と我慢が実を結んだように思えて、自分事のように嬉しかった。

「おめでとうございます。旦那様には……」
「文を書くつもり。今回は随分と難しい戦いになると聞いていたし、少しでも励みになって下さるといいのだけど……父様は泣いて喜んでおられたわ」

「当主様にとっても励みになりましょう」

 近頃、病状の悪化により、起き上がることすらままならなくなった鄭家の当主である、月香の父はいつその命の灯火を消してしまうかわからぬほどの状況が続いている。

 そしてそんな彼を鼓舞するように、鄭家の軍を吸収した姜家は周辺の敵対勢力に大して、大躍進を繰り広げている。

 家の存続……そして将来を担う新たな命。月香と愁蓮がそれぞれ未来のために出来ることを懸命に遂行した結果、実を結んだのだ。

 きっと旦那様も喜んでくださる。

案の定、戦を終えた愁蓮は、すぐに月香の元へやってきて、懐妊を喜んだ。
 思えばその頃が月香にとって1番幸せな頃だったのかもしれない。

 妊娠も中期に入り体調も安定した頃、月香の父である鄭家の最後の当主が亡くなった。それと同時に、周辺の勢力の動きが活発になり、愁蓮を含む男達は皆戦場を駆け回る日々が始まった。

 はじめこそ7日に一度はあった体調を心配する文も遠のき、入ってくるのは進軍の状況を報告する情報のみとなった。

「仕方ないわ。私達のために命を張って頑張ってくれているのだもの」

 時折寂しそうに、まるで自分に言い聞かせるように、日に日に大きくなるお腹を撫でるその横顔が切なかった。

 結局愁蓮が戻ってきたのは、月華が産月に入った頃だった。
 これでしばらくは夫婦で過ごす時間が取れるだろうか……そんな期待を月華は持っていたように見えた。
 
 しかし戻った愁蓮はとんでもなく忙しい様子で、とてもではないが顔が見たいなどと些細な事で時間を取らせるわけにはいかなかった。
 時折、何かの合間に顔を見せて、ぎこちなく月華の腹を撫でて、周囲の者に急かされて帰っていく。そばにいてもそんな日々が続き、そうこうしている内に、月香が産気づいた。

 折り悪く、その前夜に友軍が奇襲を受けているとの報告を受け、愁連が多くの兵を引き連れて発ったところであったため、生まれた子供をすぐに抱いてもらうことは叶わなかった。しかし出産じたいは順調なもので、月香も産後に少しばかり体調を崩したものの、数日で回復を果たした。

 なによりも生まれた子供が、鄭家と姜家の血を引く男子であったことはなによりも喜ばしいことで、その後の両家の結束に大きく貢献した。

 そんな中、戦場から戻らない愁連からは、月香をねぎらう言葉と、ささやかながらの贈り物が届いた。

「初子が生まれたのですから、部下に任せてひと目でも会いにおみえになったらいいのに!」

「そうですよ! 出産のために妻がどれだけ大変だったのか! こんな贈り物と手紙だけで済ませるなんて!」

 手紙と贈り物を受け取った月香の隣で、桜寧と桃艶はプリプリと怒った。この頃になると、二人の気持ちは、愁連に心惹かれた最初の想いなど忘れて、大切な主をないがしろにするその夫に募る苛立ちやもどかしい気持ちの方が強かった。

「仕方ないわ。少しの遠征のはずだったものが、帰って来られなくなるほどに大きな戦になってしまっているのだもの。私の調子が悪かったことだって、伝えないように言ってあるのだから、彼は知らないわけだし。旗印の彼が一人離脱してしまったら兵の士気に関わるのだから……。武人の妻なんてものはこういうもの、いずれ情勢が落ち着いたなら親子3人で穏やかに過ごせるのだから、今は耐えなければならない時なのよ」

 贈り物に届いた、簪についた翡翠の飾りを光に当てながら、桜寧と桃艶に説明しているようでどこか自分に言い聞かせているような月香の言葉に、二人の胸は切なさで苦しくなった。

 武人の家族というものは代々そういうものだと、自分たちだって両親の姿を見ていて、重々理解をしてはいた。しかし、そういうことではないのだ。

 二人が婚姻関係を結んでから、この時すでに1年の歳月が経っていた。愁蓮を愛し、彼の立場を想う月香に対し、愁蓮が彼女と同じような想いを抱いているとは、傍から見ていても到底思えないのだ。

 側で見ている自分たちでもそう思うのである。当事者である月香がそれに気づいて居ないはずもない。それでも彼の置かれた境遇を想いやり、何も求めない主を見ていると、いじましくて、一言文でも書いて文句くらい言いたい気持ちになる。

 しかし彼はまだ17歳の若輩で、青春時代のほとんどを戦場で過ごしてきているのだと聞けば、恋や愛などという、柔らかく暖かな感情に触れることすらなかったのだろう事は容易に推測できることでもあった。知らぬ感情を、突然妻になった女に向けよと言われても彼自身が戸惑うだろう。

 いずれ世が整い、平和な時が来た時、彼の心が戦場でなく家族に向いたならば、きっと月香の想いも報われる時が来るであろう。

 そう信じ、もどかしいながらも二人の関係を見守ることにしていたのだ。

 後にその行いを、死ぬほど悔いることになろうとは、思いもしなかった。
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