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5章

63 愁蓮視点

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「陛下……柊圭殿から、非公式にお会いできないかとの文が参りました」

 定期的に行われる各領主達の公式的な謁見と報告を終えた後、執務室に戻った愁蓮の背に、順流の声がかかる。「柊圭」の名に反射的に息を飲むと、一拍置いて心を落ち着けるように大きく吐く。

 柊圭が帝都について、3日。申し出があるのならば公式の謁見が済んで少し経ってから……そう予想はしていたものの、まさか直後とは……。
 柊圭が、何かを勘づいているのは間違いないだろう。それがどの程度の事であるかは、会って話してみないと分からないが……。

「日程を調整してくれ……なるべく早く」
 苦い気持ちでそれだけを搾り出せば、後方で順流がこくりと唾を飲み込む気配を感じる。
「実は……そこに紅凛を……いえ、紅妃様も同席できないだろうかと……以前お会いになって親しくなられたので、土産物を献上したいとの仰せです」

 順流の部下である文官もいる中、どうやら順流も動揺しているのだろう。
 言い違う彼もまた珍しい。

「……それについては少し考えさせてもらいたいと伝えてくれ」

 やはり、紅凛の事なのだろう。愁蓮の言葉に、順流が深々と頭を下げる気配を感じる。

「承知いたしました」

 返答を聞いて、またしても大きく息を吐く。
 紅凛と最後に会ってから1年が過ぎている。顔はおろか声も、彼女の認める文字にも接することはなく、ただ2日に一度、西楼宮に届く彼女の二胡の音色を耳にするだけが、愁蓮にとって彼女を感じる唯一の術となっている。

 恋しい、顔が見たい。声を聞いて笑いあいたい。彼女の温もりを指先だけでもいいから感じたい。
想えば想うほど、湧き上がる願望を、毎日宥めながらここまで過ごしてきたのだ。

 今、紅凛に会ってしまったら、自分は彼女を離明宮に返す事はできないかもしれない。
 彼女が耐えた尊い1年を無駄にしてしまう。

 紅凛に会いたい気持ちと同じくらい、会う事が怖くて仕方がないのだ。

 故に、柊圭との謁見は、自分一人で臨む。
 そう決心して、その日を迎えた。
 
 
 予め予想をしていたのだろう。皇帝の執務室に案内されてきた柊圭は、その部屋にいるのが愁蓮だけだと知ると。やれやれと、困った子どもを見るかのように眉を下げた。

「お2人が仲違いされたとは聞いておりましたが……まさかこれほどとは思いませんでした。本当に紅凛様を離明宮におやりになったのですね」
 
 咎めるような物言いは、柊圭にしては珍しい。まだ年若い王太子であった頃でも、このような言い方をされたことはない。どうやら柊圭はこの件に関して愁蓮の想像している以上に怒っているらしい。

「色々、あったのだ、柊圭」
 
 茶の香りがたつ卓へ柊圭を誘い、座るよう促せば、彼は少しだけ眉を寄せて、椅子に腰を落ち着ける。

「それにしても、貴方様らしくないやり方です」

「俺もそう思っている」

 自嘲してそう呟けば、目の前の柊圭がわずかに厳しかった表情を緩めると、「お二人に何があったのです?」と問いかけて来る。敏い柊圭のことだ、何か理由があって、紅凛をこのような扱いをしているのだろうと、最初から理解の上でやって来たに違いない。

 もう、彼に話してしまった方が良いのではないか……ずっと悩み続けてついに今の今まで方向性を決めきれなかった事にようやく諦めがついて来たような気さえしてきた。茶を一口飲んで息を吐く、部屋の中には自分と柊圭しかおらず、外には順流が待機しているはずだ。柊圭に自分達の罪を告白しよう。そう心に決めた時、「私は……」と柊圭が口を開き始めた。

「勝手ながら、鈴円によく似た紅凛様を他人とは思えずにおります。出会ったあの日からずっと。ゆえに、お二人の話を伺って、黙っていられず……ご無礼を承知で参りました」

 そう言うと、彼は姿勢を正し、まっすぐ愁蓮を見つめる。

「紅凛様を、我が陳家に下賜して頂きたく、お願いに参りました。まだお若く、先の将来も長くある方です。後宮の片隅に寂しくあるより、しかるべき場所で幸せに過ごすべきです」

 紅凛が鈴円の娘であると知ったならば、柊圭からそのような提案が出る事は、予想していた。だからこそ彼に真実を告げて、相談を持ち掛けるべきかどうか迷っていたのだ。
 それなのに、彼は、真実を知るよりも先に、紅凛を引き取りたいと言うのだ。流石に愁蓮もそこまでは予想していなかったため、息を飲んで、しばらく言葉を発する事ができなかった。
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