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第四章 Bay City Blues (ベイシティ ブルース)
17. 包囲網突破
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Section 4: Bay City Blues (ベイシティ ブルース)
第十七話
title: 包囲網突破
■ 4.17.1
「軍警察か入国管理から臨検の要求でもあったか?」
今や南スペゼ大規模テロ事件という正式名称になりつつある、俺とアデールが引き起こした(実際には主にアデールが面白がって暴れた)南スペゼでのヤクザ相手の市街戦の容疑が、レジーナを離れている俺とアデールに掛かっているという。その俺達が乗るレジーナが調査対象になっているとノバグが言った。
容疑が固まれば軍警察のやることは一つ、地上に降りている俺達を追い回して逮捕し、レジーナに踏み込んで証拠を押さえた上でレジーナ自体を差し押さえるだろう。
「いえ。『調査を開始した』と言っても、本船やマサシが特定されたわけではありません。パイニエ周辺宙域に現在停泊中の船の中で、乗員がパイニエに上陸しており、且つその乗員の行き先がスペゼ市であった船がすべて調査対象になっています。対象となっている船は209隻あり、他国からの半公船や定期航路の旅客船も含まれます。」
これは一刻も早くレジーナに戻り、必要とあらばいつでもパイニエから逃げ出せる体勢を整えて置いた方が良さそうだ。
そのためには、ペニャットに戻る足を確保しなければならない。その前にまず疑われずにこのショッピングセンターから抜け出さなければならない。
「このショッピングセンターは封鎖されているか?」
しばらく前に俺が到着したときには軍警による封鎖などは行われていなかった。しかし状況は刻々と変わるだろう。
「現時点では封鎖は特に行われていません。しかし本件調査の主導権がバペッソから軍警察に移った現状では、容疑者確保のために遠くないうちに封鎖される可能性は極めて高いと思われます。」
つまり、抜け出すならまだ混乱が残っている今か。
「アデール、今どこにいる?」
「北スペゼに少し入ったところの学校の校庭にいる。この付近の住民の避難場所になっているところだ。」
「抜け出せるか?」
「大丈夫だ。まだ可能だ。」
「すぐにそこを抜け出して、ビークルを一台捕まえてペニャットに戻れ。俺もすぐに後を追う。」
「了解した。」
「マサシ。スペゼ市周辺でビークルの絶対数が不足しています。住人達が逃げ出すために多数使用されています。周辺地域から補充が回っているようですが、絶対的に数量が足りないようです。」
「ノバグ、一台乗っ取れるか?アデールを拾った後、俺を拾ってほしい。俺はショッピングセンターに深く入り込みすぎた。ここから出るのに少し時間がかかる。」
「乗っ取りは可能ですが、中央官制からの指示を無視させた場合、かなり高い確率で交通管制局に看破されます。」
「ではこうしよう。私がもう一度状況をひっかき回す。そうだな、バペッソが使用していた港湾倉庫を爆破しようか。その後すぐに光学迷彩を掛けて地上を走ってマサシの近くまで行こう。合流してからビークルを一台調達して、ペニャットに戻ろう。ビークルは当てがある。任せろ。」
「了解した。俺はとにかく目立たずにこのショッピングセンターを出ることに尽力する。」
「OK.。幸運を。」
「お前もな。」
■ 4.17.2
アデールは辺りを見回した。
多層式になっているこの学校の校庭には、スペゼ市中心部の住人が多く集まっているようだった。状況の変化を予想して、校庭の地上層の比較的端に近いところで地面に座っていたのだが、どうやらその判断は間違っていなかったらしい。
目立たないようにゆっくりと立ち上がると、知り合いや家族を捜す多数の避難住民の流れに乗って移動を開始した。
ちなみに今の彼女の服装は、白い長袖のシャツにゆったりとしたサンドベージュのパンツ姿だ。目立つ特徴となる眼鏡は外している。
少し歩くと、出入り口の近くにまでやってきた。
さりげなく出入り口に近づき、そのままゲートをくぐって外に出ようとした。
「そこのあなた。危険なので中に入っていなさい。」
数人で銃を持って入り口を守っている兵士に見咎められた。
まだ封鎖されていないと思っていたが、すでに封鎖され始めていたようだった。
「あ、えっと、ちょっと家に戻って来たくて。忘れ物しちゃったのよ。」
どういう言い訳ならばこの避難場所を離れることを認めてくれるだろう、と思いつつ兵士に向かって答える。
「駄目だ。まだテロの容疑者が捕まっていない。危険だから避難所から出ないように。」
料理を火にかけたまま・・・いや、直火を使って料理をする習慣はパイニエにはない。
子供を家に残してきてしまった・・・そんな間抜けな親はいないだろう。
庭のプールの水を出しっぱなし・・・少し弱い。
家に施錠し忘れた・・・ここから遠隔で窓も閉められるし、玄関のロックも出来る。
ペットを家に残してきてしまった・・・弱いな。
そこまでいくつか考えて、よく考えたらこの兵士達を上手くだます必要はないのだ、と気づいた。どうせひっかき回して注目を集めるのが目的なのだ。バペッソの倉庫を襲撃してから注目され始めるか、ここから始まるかだけの差でしかない。
「ごめんなさいね。怪我しないでね。」
そう言って、向かい合った兵士から一歩下がる。アデールが逃げると思った兵士は、それに合わせて一歩前進する。
ジェネレータを低出力で起動して、地面を蹴る。アデールの身体はたちまち数m空中に飛び上がる。
惚けたような顔でアデールを見ている兵士ににっこりと笑って軽く手を振って、ジェネレータ出力を上げる。
弾かれたように加速したアデールの身体は、通り沿いに低空を疾走してビルの谷間に消えた。
「アデール。マークされた。ジェネレータ重力線を追跡されて特定されている。軍警は重装甲スーツを一中隊十二機投入している。すぐに出てくるぞ。今度はヤクザのポンコツスーツとは訳が違う。プロが操る最新型だ。」
通りに沿って、建物の上に飛び出さないように低空で飛んでいると、すぐにブラソンから通信が入った。
建物の群れの中を飛ぶと速度を出すことは出来ないが、その代わり狙撃されたり、ミサイルを撃ち込まれたりすることも無い。相手が軍警であれば間違いなくこの方が安全だ。
「うふふふふ。市街戦というのはそうでなければいけないわ。大丈夫。私が捕まる訳が無いじゃないの。バペッソの倉庫のマーカーをもらえるかしら。ところでテロリストの私と通信していてあなたは大丈夫なのかしら?」
黒い羽根と見まごうばかりのセパレータ兼放熱板を背中に広げ、アデールの身体は地上十m程度の高さを、配管や看板を巧みに避けながら凄まじい速度で飛翔する。
付近住民の振りをするために着ていたブラウスとパンツは、武装を取り出すのに邪魔なのですでに破り捨てた。
全身黒い怪鳥と化したアデールは夜のスペゼ市街を駆け抜ける。
「舐めんな。軍なんぞに尻尾を捕まれるようなヘマはしねえ。しかも相手は昔馴染みのパイニエ軍だ。三手先まで予想できる。そもそもお前にはニュクスのペットのナノマシンが付いている。量子通信が通る。」
「ふふふ。頼もしいことね。バペッソの倉庫のマーカーは貰ったわ。突入して爆破して、爆発に紛れてステルスで地上を離脱するわ。その後マサシと合流して船に帰るつもりよ。良い?」
「手段とルートは任せる。広域の軍の動きは随時伝える。そっちのスーツのチップの出力をモニタさせて貰うぞ。こっちの情報を書き込んで返す。お前のAARに表示されるのは合成情報だ。大丈夫だ。ノバグに限って遅延は起こさねえ。」
「もう嬉しくなっちゃうような手厚いバックアップ体勢ね。完璧よ。」
「無駄話しているうちに敵に動きだ。軍警の重スーツ十二機が発進した。方位260、距離12000。ほぼ正面だ。」
アデールの視野に投影されている中距離マップに赤い輝点が十二個表示された。目標であるバペッソの港湾倉庫を示す黄色いマーカーの向こう側になるが、急速にこちらに近づいてきている。
こちらが倉庫に着くよりも、軍のスーツ中隊が倉庫を越えて自分に接触してくる方が早いだろう、とアデールは見当をつける。軍のスーツは高度を上げて、こちらに真っ直ぐ飛んで来るに違いない。
果たして、軍のスーツは互いの間隔を数百mずつ取り、両端に行くに従って前に突出する鶴翼陣に似た形で、アデールを包囲する陣形を見せていた。
もちろん、アデールが反撃してくることを想定しての包囲陣だった。
アデールは楽しげな笑いを顔に浮かべたまま真っ直ぐ包囲網の真ん中に向けて突っ込む。
その陣形は、敵が反撃する場合にのみ有利になる。今から自分が行おうとしている行動に対しては、全くの無意味、というよりも悪手でしかない。
しかしもちろん軍はそんなことを知らないのだから仕方がない、とアデールは黒いシールドバイザーの下で独り笑う。
鶴翼の両端が回り込み、アデールの後方を遮断する形に包囲網を完成しつつある。
それを見てアデールは大通りの上でさらに増速する。
正面に二機の重スーツが居るが、建物に邪魔をされて射線を確保できていない。
そこにつけ込み、彼女でさえほぼ限界の速度にまでさらに増速する。
目標倉庫までの距離二千二百m。
あと八秒で到達する。
すでに音速に近い速度の彼女の身体から発生する、超音速衝撃波一歩手前まで圧縮された衝撃波は、路上にある色々な物を空中に巻き上げ、通りに面した建物の窓を全て叩き割る。
こんな速度で市街地の、しかもビルの谷間を高度二十mで飛ぶなど、完全に狂気の沙汰だと言うことは自分でもよく分かっていた。
この速度と彼女の質量では、たった一本のワイヤに接触しただけで、一瞬でバランスを失って地面かビルのどちらかに叩き付けられるだろう。
建築構造材に音速で叩き付けられた程度で破壊されるようなやわなスーツではないが、とりあえず速度を失い、軍警察の重装甲スーツに捕捉されることは間違いない。
前方、通りの上空に二機のスーツが姿を現す。
幅二十m程の狭い通りを最大限に使って左右に移動しつつ急な加減速を行う。
白熱した実体弾が空気を切り裂き、路上に着弾して辺りに火花を散らす。
軍警察であるからには、市街地を大規模に破壊するミサイルや機雷の類は使えないはずだ。
二秒ですれ違い、重装甲スーツ十二機の包囲の外に出る。
まさか音速まで加速するとは思っていなかっただろう。反射神経の鈍い彼らには出来ない芸当だ。
さらに四機の重装甲スーツが後方上空に占位する。
一瞬でほぼ停止するまで減速し、直角に曲がって細い路地に飛び込む。
反応できない重装甲スーツ達は全て彼女を追い越して数百m彼方までオーバーシュートした。
路地から裏通りに出て大加速。
あわてて停止し、戻ってきた軍のスーツ達とすれ違う。
十二機を後方上空に従えたまま、細い路地でさらに加速する。
じれたのか、三機が高度を下げてビル群の中に入り込み、彼女を追跡し始める。
しかし、地球人の反応速度を限界まで使って障害物を避けて飛ぶ彼女に追いつけない。
四機が上空を高速で追い抜いていき、彼女の進行方向で急降下して着地して銃を構える。
発射の瞬間、彼女は急上昇して、右側のビルの壁面に脚を突いて急制動。
ライフルの射線は彼女の動きに追従できない。白熱した弾丸が夜空を切り裂く。
壁を蹴って、同時にジェネレータ全開で加速。
一瞬で音速を突破し、空中で体勢を変えた彼女は、脚から重装甲スーツの一機に突っ込む。
彼女に強烈な跳び蹴りを食らわされた形のスーツが吹っ飛び、道路脇の壁にめり込む。
トンと軽く地面に脚を突いて、もう一機のスーツの脇をすり抜けつつ、右の太股からナイフを抜いてスーツが構えているライフルを半ばで切り落とす。
そのまま超低空で加速。
前方三百mほどの所に、ビル群の屋上辺りにホバリングする四機。
また急制動し、先ほどとは逆に左の路地に突っ込む。
彼女が曲がった先の路面を、無数の白銀の光が埋め尽くし、路面にクレーターを穿ち、路上にあったあらゆる物を粉砕する。
しかしそこに彼女はもういない。
路地とさえ言えないほどの狭さの建物の隙間を飛び抜けつつ、衝突コースに入ってきた排気ダクトの様な物をライフルで粉砕し、その破片を浴びながら路地から飛び出す。
向かいのビルの壁を蹴り、大通りの上を高度十五mで加速する。
隣の通りから、あわててこちらに移動してきた重装甲スーツが四機。
急上昇して、その内の一機を蹴り飛ばす。
蹴りは見事にスーツの頭部に決まり、強烈なアッパーカットを食らったスーツは回転しながら吹き飛ばされる。
その反動を使って、さらに隣のスーツを急襲する。
慌ててこちらにライフルを向けようとするが、遅すぎる。
彼女は頭を下にした上下逆の体勢から、右手のナイフでそのライフルを切断し、さらにスーツのわき腹を蹴って地上に急降下する。
他の二機は、彼女が味方と絡んでいるために銃を撃つことが出来ない。
さらに五機のスーツが上空から追い縋るが、すでに目標の倉庫はもう目の前だ。
ライフルを構え、実体弾を連射しながら、弾に続いて倉庫の壁をぶち抜いて中に突入した。
もうもうと立ち上がる埃の中で彼女は倉庫の床に立つ。
彼女が降り立ったのは三階建ての倉庫の二階部分だったが、周りを見回すといくつもの棚やコンテナが置いてあり、銃器用ラックには何十丁ものライフルが、棚の上のコンテナには大量のグレネードが無造作に突っ込んであるのが見て取れた。
なかなか素晴らしい武器庫だった。
新旧入り混ざっているのであろう武器の種類までは一目で特定は出来ないが、数百人規模の重武装集団を編成するのに十分なだけの量の武器があると見た。
タイマーを十秒に設定し、ありったけのグレネードを床にイジェクトしながら、大量のグレネードが入った棚のコンテナに一つ、何十もの対人地雷が積み重なった小型コンテナの中に一つ、壁際に積み重なったミサイルランチャーの隙間にまた一つと手に持ったグレネードを放り込む。
最後に弾種炸裂にセットして、入ってきたのと反対側の壁を撃って大穴を開けた。
ライフルを床に放り投げると、ジェネレータを切った状態で倉庫の床を蹴って走り出した。
ビルの壁に叩き付けられて機能障害を発生して脱落した一機を除いた重装甲スーツ十一機が見守る眼の前で、民間倉庫業者所有の倉庫が盛大に火を噴いて大爆発するのと、走るアデールが壁に開けた穴から隣の倉庫の中に飛び込むのはほぼ同時だった。
第十七話
title: 包囲網突破
■ 4.17.1
「軍警察か入国管理から臨検の要求でもあったか?」
今や南スペゼ大規模テロ事件という正式名称になりつつある、俺とアデールが引き起こした(実際には主にアデールが面白がって暴れた)南スペゼでのヤクザ相手の市街戦の容疑が、レジーナを離れている俺とアデールに掛かっているという。その俺達が乗るレジーナが調査対象になっているとノバグが言った。
容疑が固まれば軍警察のやることは一つ、地上に降りている俺達を追い回して逮捕し、レジーナに踏み込んで証拠を押さえた上でレジーナ自体を差し押さえるだろう。
「いえ。『調査を開始した』と言っても、本船やマサシが特定されたわけではありません。パイニエ周辺宙域に現在停泊中の船の中で、乗員がパイニエに上陸しており、且つその乗員の行き先がスペゼ市であった船がすべて調査対象になっています。対象となっている船は209隻あり、他国からの半公船や定期航路の旅客船も含まれます。」
これは一刻も早くレジーナに戻り、必要とあらばいつでもパイニエから逃げ出せる体勢を整えて置いた方が良さそうだ。
そのためには、ペニャットに戻る足を確保しなければならない。その前にまず疑われずにこのショッピングセンターから抜け出さなければならない。
「このショッピングセンターは封鎖されているか?」
しばらく前に俺が到着したときには軍警による封鎖などは行われていなかった。しかし状況は刻々と変わるだろう。
「現時点では封鎖は特に行われていません。しかし本件調査の主導権がバペッソから軍警察に移った現状では、容疑者確保のために遠くないうちに封鎖される可能性は極めて高いと思われます。」
つまり、抜け出すならまだ混乱が残っている今か。
「アデール、今どこにいる?」
「北スペゼに少し入ったところの学校の校庭にいる。この付近の住民の避難場所になっているところだ。」
「抜け出せるか?」
「大丈夫だ。まだ可能だ。」
「すぐにそこを抜け出して、ビークルを一台捕まえてペニャットに戻れ。俺もすぐに後を追う。」
「了解した。」
「マサシ。スペゼ市周辺でビークルの絶対数が不足しています。住人達が逃げ出すために多数使用されています。周辺地域から補充が回っているようですが、絶対的に数量が足りないようです。」
「ノバグ、一台乗っ取れるか?アデールを拾った後、俺を拾ってほしい。俺はショッピングセンターに深く入り込みすぎた。ここから出るのに少し時間がかかる。」
「乗っ取りは可能ですが、中央官制からの指示を無視させた場合、かなり高い確率で交通管制局に看破されます。」
「ではこうしよう。私がもう一度状況をひっかき回す。そうだな、バペッソが使用していた港湾倉庫を爆破しようか。その後すぐに光学迷彩を掛けて地上を走ってマサシの近くまで行こう。合流してからビークルを一台調達して、ペニャットに戻ろう。ビークルは当てがある。任せろ。」
「了解した。俺はとにかく目立たずにこのショッピングセンターを出ることに尽力する。」
「OK.。幸運を。」
「お前もな。」
■ 4.17.2
アデールは辺りを見回した。
多層式になっているこの学校の校庭には、スペゼ市中心部の住人が多く集まっているようだった。状況の変化を予想して、校庭の地上層の比較的端に近いところで地面に座っていたのだが、どうやらその判断は間違っていなかったらしい。
目立たないようにゆっくりと立ち上がると、知り合いや家族を捜す多数の避難住民の流れに乗って移動を開始した。
ちなみに今の彼女の服装は、白い長袖のシャツにゆったりとしたサンドベージュのパンツ姿だ。目立つ特徴となる眼鏡は外している。
少し歩くと、出入り口の近くにまでやってきた。
さりげなく出入り口に近づき、そのままゲートをくぐって外に出ようとした。
「そこのあなた。危険なので中に入っていなさい。」
数人で銃を持って入り口を守っている兵士に見咎められた。
まだ封鎖されていないと思っていたが、すでに封鎖され始めていたようだった。
「あ、えっと、ちょっと家に戻って来たくて。忘れ物しちゃったのよ。」
どういう言い訳ならばこの避難場所を離れることを認めてくれるだろう、と思いつつ兵士に向かって答える。
「駄目だ。まだテロの容疑者が捕まっていない。危険だから避難所から出ないように。」
料理を火にかけたまま・・・いや、直火を使って料理をする習慣はパイニエにはない。
子供を家に残してきてしまった・・・そんな間抜けな親はいないだろう。
庭のプールの水を出しっぱなし・・・少し弱い。
家に施錠し忘れた・・・ここから遠隔で窓も閉められるし、玄関のロックも出来る。
ペットを家に残してきてしまった・・・弱いな。
そこまでいくつか考えて、よく考えたらこの兵士達を上手くだます必要はないのだ、と気づいた。どうせひっかき回して注目を集めるのが目的なのだ。バペッソの倉庫を襲撃してから注目され始めるか、ここから始まるかだけの差でしかない。
「ごめんなさいね。怪我しないでね。」
そう言って、向かい合った兵士から一歩下がる。アデールが逃げると思った兵士は、それに合わせて一歩前進する。
ジェネレータを低出力で起動して、地面を蹴る。アデールの身体はたちまち数m空中に飛び上がる。
惚けたような顔でアデールを見ている兵士ににっこりと笑って軽く手を振って、ジェネレータ出力を上げる。
弾かれたように加速したアデールの身体は、通り沿いに低空を疾走してビルの谷間に消えた。
「アデール。マークされた。ジェネレータ重力線を追跡されて特定されている。軍警は重装甲スーツを一中隊十二機投入している。すぐに出てくるぞ。今度はヤクザのポンコツスーツとは訳が違う。プロが操る最新型だ。」
通りに沿って、建物の上に飛び出さないように低空で飛んでいると、すぐにブラソンから通信が入った。
建物の群れの中を飛ぶと速度を出すことは出来ないが、その代わり狙撃されたり、ミサイルを撃ち込まれたりすることも無い。相手が軍警であれば間違いなくこの方が安全だ。
「うふふふふ。市街戦というのはそうでなければいけないわ。大丈夫。私が捕まる訳が無いじゃないの。バペッソの倉庫のマーカーをもらえるかしら。ところでテロリストの私と通信していてあなたは大丈夫なのかしら?」
黒い羽根と見まごうばかりのセパレータ兼放熱板を背中に広げ、アデールの身体は地上十m程度の高さを、配管や看板を巧みに避けながら凄まじい速度で飛翔する。
付近住民の振りをするために着ていたブラウスとパンツは、武装を取り出すのに邪魔なのですでに破り捨てた。
全身黒い怪鳥と化したアデールは夜のスペゼ市街を駆け抜ける。
「舐めんな。軍なんぞに尻尾を捕まれるようなヘマはしねえ。しかも相手は昔馴染みのパイニエ軍だ。三手先まで予想できる。そもそもお前にはニュクスのペットのナノマシンが付いている。量子通信が通る。」
「ふふふ。頼もしいことね。バペッソの倉庫のマーカーは貰ったわ。突入して爆破して、爆発に紛れてステルスで地上を離脱するわ。その後マサシと合流して船に帰るつもりよ。良い?」
「手段とルートは任せる。広域の軍の動きは随時伝える。そっちのスーツのチップの出力をモニタさせて貰うぞ。こっちの情報を書き込んで返す。お前のAARに表示されるのは合成情報だ。大丈夫だ。ノバグに限って遅延は起こさねえ。」
「もう嬉しくなっちゃうような手厚いバックアップ体勢ね。完璧よ。」
「無駄話しているうちに敵に動きだ。軍警の重スーツ十二機が発進した。方位260、距離12000。ほぼ正面だ。」
アデールの視野に投影されている中距離マップに赤い輝点が十二個表示された。目標であるバペッソの港湾倉庫を示す黄色いマーカーの向こう側になるが、急速にこちらに近づいてきている。
こちらが倉庫に着くよりも、軍のスーツ中隊が倉庫を越えて自分に接触してくる方が早いだろう、とアデールは見当をつける。軍のスーツは高度を上げて、こちらに真っ直ぐ飛んで来るに違いない。
果たして、軍のスーツは互いの間隔を数百mずつ取り、両端に行くに従って前に突出する鶴翼陣に似た形で、アデールを包囲する陣形を見せていた。
もちろん、アデールが反撃してくることを想定しての包囲陣だった。
アデールは楽しげな笑いを顔に浮かべたまま真っ直ぐ包囲網の真ん中に向けて突っ込む。
その陣形は、敵が反撃する場合にのみ有利になる。今から自分が行おうとしている行動に対しては、全くの無意味、というよりも悪手でしかない。
しかしもちろん軍はそんなことを知らないのだから仕方がない、とアデールは黒いシールドバイザーの下で独り笑う。
鶴翼の両端が回り込み、アデールの後方を遮断する形に包囲網を完成しつつある。
それを見てアデールは大通りの上でさらに増速する。
正面に二機の重スーツが居るが、建物に邪魔をされて射線を確保できていない。
そこにつけ込み、彼女でさえほぼ限界の速度にまでさらに増速する。
目標倉庫までの距離二千二百m。
あと八秒で到達する。
すでに音速に近い速度の彼女の身体から発生する、超音速衝撃波一歩手前まで圧縮された衝撃波は、路上にある色々な物を空中に巻き上げ、通りに面した建物の窓を全て叩き割る。
こんな速度で市街地の、しかもビルの谷間を高度二十mで飛ぶなど、完全に狂気の沙汰だと言うことは自分でもよく分かっていた。
この速度と彼女の質量では、たった一本のワイヤに接触しただけで、一瞬でバランスを失って地面かビルのどちらかに叩き付けられるだろう。
建築構造材に音速で叩き付けられた程度で破壊されるようなやわなスーツではないが、とりあえず速度を失い、軍警察の重装甲スーツに捕捉されることは間違いない。
前方、通りの上空に二機のスーツが姿を現す。
幅二十m程の狭い通りを最大限に使って左右に移動しつつ急な加減速を行う。
白熱した実体弾が空気を切り裂き、路上に着弾して辺りに火花を散らす。
軍警察であるからには、市街地を大規模に破壊するミサイルや機雷の類は使えないはずだ。
二秒ですれ違い、重装甲スーツ十二機の包囲の外に出る。
まさか音速まで加速するとは思っていなかっただろう。反射神経の鈍い彼らには出来ない芸当だ。
さらに四機の重装甲スーツが後方上空に占位する。
一瞬でほぼ停止するまで減速し、直角に曲がって細い路地に飛び込む。
反応できない重装甲スーツ達は全て彼女を追い越して数百m彼方までオーバーシュートした。
路地から裏通りに出て大加速。
あわてて停止し、戻ってきた軍のスーツ達とすれ違う。
十二機を後方上空に従えたまま、細い路地でさらに加速する。
じれたのか、三機が高度を下げてビル群の中に入り込み、彼女を追跡し始める。
しかし、地球人の反応速度を限界まで使って障害物を避けて飛ぶ彼女に追いつけない。
四機が上空を高速で追い抜いていき、彼女の進行方向で急降下して着地して銃を構える。
発射の瞬間、彼女は急上昇して、右側のビルの壁面に脚を突いて急制動。
ライフルの射線は彼女の動きに追従できない。白熱した弾丸が夜空を切り裂く。
壁を蹴って、同時にジェネレータ全開で加速。
一瞬で音速を突破し、空中で体勢を変えた彼女は、脚から重装甲スーツの一機に突っ込む。
彼女に強烈な跳び蹴りを食らわされた形のスーツが吹っ飛び、道路脇の壁にめり込む。
トンと軽く地面に脚を突いて、もう一機のスーツの脇をすり抜けつつ、右の太股からナイフを抜いてスーツが構えているライフルを半ばで切り落とす。
そのまま超低空で加速。
前方三百mほどの所に、ビル群の屋上辺りにホバリングする四機。
また急制動し、先ほどとは逆に左の路地に突っ込む。
彼女が曲がった先の路面を、無数の白銀の光が埋め尽くし、路面にクレーターを穿ち、路上にあったあらゆる物を粉砕する。
しかしそこに彼女はもういない。
路地とさえ言えないほどの狭さの建物の隙間を飛び抜けつつ、衝突コースに入ってきた排気ダクトの様な物をライフルで粉砕し、その破片を浴びながら路地から飛び出す。
向かいのビルの壁を蹴り、大通りの上を高度十五mで加速する。
隣の通りから、あわててこちらに移動してきた重装甲スーツが四機。
急上昇して、その内の一機を蹴り飛ばす。
蹴りは見事にスーツの頭部に決まり、強烈なアッパーカットを食らったスーツは回転しながら吹き飛ばされる。
その反動を使って、さらに隣のスーツを急襲する。
慌ててこちらにライフルを向けようとするが、遅すぎる。
彼女は頭を下にした上下逆の体勢から、右手のナイフでそのライフルを切断し、さらにスーツのわき腹を蹴って地上に急降下する。
他の二機は、彼女が味方と絡んでいるために銃を撃つことが出来ない。
さらに五機のスーツが上空から追い縋るが、すでに目標の倉庫はもう目の前だ。
ライフルを構え、実体弾を連射しながら、弾に続いて倉庫の壁をぶち抜いて中に突入した。
もうもうと立ち上がる埃の中で彼女は倉庫の床に立つ。
彼女が降り立ったのは三階建ての倉庫の二階部分だったが、周りを見回すといくつもの棚やコンテナが置いてあり、銃器用ラックには何十丁ものライフルが、棚の上のコンテナには大量のグレネードが無造作に突っ込んであるのが見て取れた。
なかなか素晴らしい武器庫だった。
新旧入り混ざっているのであろう武器の種類までは一目で特定は出来ないが、数百人規模の重武装集団を編成するのに十分なだけの量の武器があると見た。
タイマーを十秒に設定し、ありったけのグレネードを床にイジェクトしながら、大量のグレネードが入った棚のコンテナに一つ、何十もの対人地雷が積み重なった小型コンテナの中に一つ、壁際に積み重なったミサイルランチャーの隙間にまた一つと手に持ったグレネードを放り込む。
最後に弾種炸裂にセットして、入ってきたのと反対側の壁を撃って大穴を開けた。
ライフルを床に放り投げると、ジェネレータを切った状態で倉庫の床を蹴って走り出した。
ビルの壁に叩き付けられて機能障害を発生して脱落した一機を除いた重装甲スーツ十一機が見守る眼の前で、民間倉庫業者所有の倉庫が盛大に火を噴いて大爆発するのと、走るアデールが壁に開けた穴から隣の倉庫の中に飛び込むのはほぼ同時だった。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
【完結】バグった俺と、依存的な引きこもり少女。 ~幼馴染は俺以外のセカイを知りたがらない~
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※第18回講談社ラノベ文庫新人賞の第2次選考通過、最終選考落選作品。
※『小説家になろう』『カクヨム』でも掲載しています。
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