夜空に瞬く星に向かって

松由 実行

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第四章 Bay City Blues (ベイシティ ブルース)

14. 罠(トラップ)

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■ 4.14.1
 
 
 建物は二十八階まであった。この街のこの辺りによくある中くらいの高さのビルと言って良い。リゾート都市という性格を持つスペゼには、高層の建物は少ない。
 勿論二十八階全てがダバノ・ビラソ商会の事務所になっている訳ではない。ノバグからの情報によると、ネットワーク上で「正式に」ダバノ・ビラソ商会の事務所として登録されているのは二階から四階の三フロアだけだった。
 勿論そんな情報を鵜呑みにするつもりは無い。
 
 電子キーはパイニエのネットワーク上を泳ぎ回っているノバグR01が解除し、物理鍵を含めてネットワークに接続されていないタイプの鍵はその場で撃ち抜いて開けていく。
 ノバグが俺の視覚情報をモニタしており、ネットワーク上のマッピングと瞬時に重ね合わせてくれるので、俺の視野に入る端末がオンラインかどうかは瞬時に判明する。
 オンラインの端末にはノバグがAAR画像でタグを付与していく。つまり、視野に入る端末で、ノバグのタグが貼られていないものをチェックすればいいわけだった。
 
 二階の事務所と思しき部屋に入って早々に、その手のスタンドアロン端末を二台発見する。
 一台は俺が自分で気付いた。見落としていたもう一台は、俺の視覚映像をモニタしていたノバグが気付いた。
 さらにそこにニュクスのバックアップが入る。
 
「リモコンを半分に割ってみや?」
 
 リモコンとは、例のナノマシンで固めたリモコンだ。
 ナイフとSMGを路地で生成した後、いつの間にかまたポケットに入っていた。
 ニュクスの指示通りリモコンを手に取り、軽く力を加えるだけで二つに割れた。片方を端末に近づけると、リモコンは白い煙に変わって端末を包んだ。
 
「時間も余り無いからのう。とりあえず端末ごとコピーじゃ。解析はお主が走り回って居る間にやっておくわの。」
 
「コピー?データ量が凄い事になるんじゃないのか?」
 
「この星のネットワークを使おうとすれば問題じゃの。今、お主の居るその建物の周りには、儂らのプローブが五個も集まって居る。量子通信し放題じゃ。ふふふ。」
 
 呆れて一瞬動きが止まってしまった。
 すぐに立ち直って、もう片方の独立(スタンドアロン)端末の傍に、リモコンの残り半分を置く。同様に白い煙になってリモコンは消える。
 
「終わったぞえ。リモコンを回収して上の階じゃ。ほれほれ、急げ。」
 
 ニュクスに急かされ、リモコンの形をしたナノボットを回収する。
 
「おい。リモコンの数が増えてるぞ。」
 
 一つのリモコンを半分ずつにしたはずが、リモコンが四つになっている。
 
「端末を元に戻すのも面倒じゃでな。そのままもろうた。効率が良うなる。最後にそのビルごと爆破すればバレんじゃろ。」
 
 なんとなくそうじゃないかとは思っていたのだが、俺が家捜しした後の証拠隠滅はやっぱりそうなのか。
 そのまま、三階と四階の事務所で計五台あった独立端末のスキャンを行う。
 
「マサシ、上の五階から七階については、公式にはダバノ・ビラソ商会社長の住居として登録されています。実質、商会の裏事務所と思われます。バペッソの別事務所(ブランチ)も兼ねているかも知れません。調査願います。」
 
「諒解した。」
 
 階段ホールに駆け戻り五階に上がろうとするが、途中で止められる。
 
「少々お待ちください。五階から、各フロアのセキュリティが強固になっています。かなり複雑なトラップの組み合わせになっています。現在、ノバグR01が解除しています。」
 
 ここから上の三フロアは、間違いなく商会の裏事務所兼ヤクザの事務所だろう。
 
「残念じゃの。今のところの七台はハズレじゃ。まあ、これはこれで面白いデータも入って居るが、お主には余り意味がないの。頑張って当たりを見つけてくりゃれや?」
 
「マサシ、セキュリティ解除できました。五階侵入可能です。六階のセキュリティ解除を行っておきます。」
 
 ノバグからの知らせを聞いてすぐに階段を昇り始める。
 五階には、階段ホールと事務所スペースを区切る金属製の壁と扉があった。
 
「物理的電磁キーを用いるロックです。ネットワーク接続が無く、ネット越しに開錠できません。申し訳ありませんがそちらで解除願います。」
 
 もちろんそんなキーなど持っていない。ライフルを構え、扉に向かって連射する。
 電磁キーを挿入するユニットに穴が開き、火花が散る。
 これでロックは解除できたはずだ。銃を下ろし、扉に近づく。
 
「マサシ!避けて!」
 
 ノバグの声が頭の中で鳴り響くのと、右側から強い衝撃を喰らって吹き飛ばされ、壁に叩き付けられて一瞬で意識が暗転するのが同時だった。
 
 
■ 4.14.2
 
 
 重装甲スーツを適度にいたぶりながら、ダバノ・ビラソ商会ビルの周りを飛び回っているアデールに、緊迫した声音のブラソンから連絡が入った。
 
「アデール。緊急事態だ。マサシがトラップにやられた。大至急ダバノ・ビラソ商会ビルに戻ってくれ。」
 
「あらあら。どうしたの?ママが居ないとアンヨも出来ない坊やだったかしらねえ。」
 
 重装甲スーツが行った一連射を遮蔽体を使って避けながら応える。
 遮蔽体に使われたビルでは、炸裂弾が立て続けに着弾して十五階部分を中心に大きく削り取られ、そこから上の部分がゆっくりと傾き始める。
 このような猥雑とした市街地に立つビルの強度は高くない。一部欠損するとすぐに崩壊する事が多い。
 もちろん、それを分かっていて混乱を発生させるために市街戦をけしかけ、あちこちのビルを倒壊させているのだが。
 
「冗談は抜きだ。マジでやばい。すぐに戻れ。」
 
 普段冗談と皮肉ばかり言っているブラソンが、有無を言わさない口調で返してくる。
 どうやら、本当にかなりまずいことになっているらしい。
 
「本当に手の掛かる坊やねえ。すぐにママが助けに行ってあげるから、待ってらっしゃいな。」
 
 アデールは笑顔で呟き、ビルの群の中から飛び上がってライフルを連射する。
 重装甲スーツは真正面からこちらに突っ込んでくるところだった。今までの被弾であちこち壊れているのか、速度に勢いがない。
 これまでのからかうように僅かに外した狙いではなく、「ちゃんと狙った」実体弾が大気摩擦の光の尾を引いて突き進む。
 全ての弾が吸い込まれるように空中の重装甲スーツに命中する。スーツは突然飛翔能力を失い、秒速数百mの速度を保ったまま緩い放物線を描いてビルの群の中に沈んでいった。
 

 アデールは、落下していくスーツの最期を見届けることなく向きを変え、空に駆け上る。
 黒い柔スーツに身を包み、背中にはまるで黒い羽根を広げたように重力ジェネレータの放熱板とセパレータが付属したその姿は、まるでこの町に災厄をもたらす黒い怪鳥が空を駆けているかのように見えた。
 
 数kmを僅か数秒で飛び、アデールはダバノ・ビラソ商会ビルの裏手に舞い降りた。
 片膝を突き、手を地面に着けた形で着地した彼女の背中に火花が乱れ飛ぶ。
 後ろを振り向きもせずに、腕だけで後ろに回したライフルを一連射する。路地の陰から乱射していたサブマシンガンが沈黙する。
 一瞬しゃがみ込んだ姿勢のまま動作を停止し、それ以上の攻撃がないことを確認してアデールは立ち上がった。
 
「ママが到着したわよ。それで、私はこれからどうすれば良いのかしら?」
 
「そのビルの入り口を守ってくれ。十分間誰も入れるな。」
 
「マサシを回収するのだと思っていたのだけれど?」
 
「回収は必要ない。マサシはこっちで何とかする。邪魔が入らないように守ってくれればいい。」
 
「成る程ね。分かったわ。」
 
 そう言うと、アデールは飛び上がり、ダバノ・ビラソ商会ビルの四階にある配管の束の上に降りたった。
 この位置からであれば裏通りの両側が見渡せる上に、相手に気付かれにくい。数人程度であれば、狙撃することで建物に全く接近できなくすることも可能だった。
 
 早速、百mほど離れた交差点に現れた人影に向けて威嚇射撃を行う。
 夜の闇の中で光の矢の様に見える実体弾が着弾し、突然足下の地面にクレーターを穿たれたその人影は、飛び上がりあわてて交差点の陰に身を隠した。
 先ほどまでの市街戦に比べて、地味な仕事を受けてしまったものだと、アデールは一人苦笑いする。
 そもそも、様子を見に来ただけの一般人と、バペッソの組員か、もしくはダバノ・ビラソ商会の人間をどうやって区別付ければ良いだろうか。
 爆発を起こしてからすでに二十分以上経過している。いくら治安が最低のこの街といえども、そろそろ軍警察が到着してもおかしくない。
 通常装備でのこのこやってくる軍警察を相手にすること自体は難しくはないが、さすがに軍を相手に大立ち回りを演じると後でいろいろと面倒な事になりかねない。
 
 しかしどのみちもう始めてしまったことだ。
 ここまで来たら、マサシが無事情報を回収してから撤収しないことには、ただ騒ぎを起こして面倒を抱え込むだけで何も得ないまま終わってしまう。
 とにかくマサシが早く情報を回収することを祈りつつ、その間誰も近づけなければいいわけだ、と、また一人近くの路地から顔を覗かせた男のすぐ脇の壁に向けて弾を撃ち込んだ。
 
 
■ 4.14.3
 
 
「マサシとアデールのダミーはどうなってる?」
 
 ブラソンがノバグRに尋ねる。
 
「マサシダミーは中心街を避けて南スペゼ最北部に避難完了。アデールダミーは市街南部、港湾地区に避難完了しています。いずれも人混みに紛れています。発見されることはありません。」
 
 本来は、情報収集を行うマサシとアデールを軍警察やイミグレーションに追跡されないため、ひいてはバックアップを行っているブラソンやノバグを特定されない為に生成したダミーデータだった。
 アデールが提案したときに妙案だと思って採用したのはブラソンなのだが、まさかこういう使われ方をするとは思っても居なかった。
 今となっては、逆にこの騒ぎからマサシとアデールを無事に脱出させる生命線のような存在となっている。
 
「上出来だ。軍警察の動きはどうだ?」
 
「動きありません。バペッソが押さえているものと思われます。逆にバペッソの拠点の一つとしてマークされている港湾部の倉庫に動きがあります。反撃の準備中と思われます。」
 
 この街の、特に南スペゼ側の警察組織は、ヤクザ達と完全に癒着していることをブラソンは良く知っていた。
 手先のうちの一つである情報屋を正面から襲撃された形となっているバペッソは、必死になってまず襲撃者が何者かを確認しようとしている。
 「突然の出来事で混乱してしまった」警察が動き始め現場に到着するのは、襲撃者の生死を問わずバペッソがその身柄を確保して身元が確認可能となった後だろう。
 たかだか数ある情報屋のうちの一つでしかないのだが、その実バペッソにとって重要な拠点であったことは、情報屋のゴミ溜め事務所の奥に重装甲スーツが隠してあったことからも明らかだ。
 そのような重要な拠点を襲撃されたバペッソは、面子にかけても必ず自分達で襲撃者を捕らえるか、撃退するかしようとするだろう。
 
 以前この街に仕事で来たことがあるといっていたアデールは、それを知っていて無茶をやったに違いなかった。ヤクザの準事務所を襲撃し、散々ひっかき回すことで、実は本命の目標である隣のビルのダバノ・ビラソ商会の事務所を空にしようと狙ったのだろう。
 事実、重装甲スーツと市街戦を演じたアデールは、他にもあるバペッソの息のかかった複数の店や事務所に弾を撃ち込んでいた。
 情報屋の襲撃を皮切りに、バペッソ自体が襲撃されているように見せかけようとしているようだった。
 
「ダバノ・ビラソ商会周辺の状況は?」
 
「いくつかの動きがあります。バペッソの偵察と思われる動きもありますが、一般の野次馬との区別が付きません。」
 
「マサシは?」
 
「物理的欠損の修復はほぼ終わりじゃの。そろそろ意識を戻そうかのう。」
 
「急いでくれ。いくらバペッソがこの街の有力なヤクザとはいっても、これだけ派手にやればいつまでも軍を押さえていられるとは思えない。宇宙(うえ)からの画像はすでに軍警察本部にも届いているはずだ。首都から大部隊が出張ってきて街を封鎖されたら面倒なことになる。」
 
 対人地雷のトラップに引っかかったマサシは、下半身がズタズタにされてしまい、応急処置をしなければ確実に命を落とす状態だった。
 対人地雷はネットワークとは分離されたドアのロックと連動しており、ドアロックが破壊された上で、ドアから一定の範囲内に人が近づくと起動するように仕掛けてあった。マサシはそれをもろに食らい、下半身を吹き飛ばされた。
 ニュクスの機転で、マサシのポケットの中に入っていたナノボットをそのまま医療用ナノボットとして用い、短期間で傷を塞ぎ身体を修復している。
 壁に叩き付けられ、ショック状態で意識不明となったマサシの意識を呼び戻すのに、マサシの体内にはまだ大量のナノボットが存在している。
 
 運が良かった。
 マサシがトラップに引っかかる少し前、独立端末の解析を効率化するために、ニュクスがマサシに持たせているナノボットの量を数倍に増加させていた。だから迅速な対応ができた。それがなければ、マサシの命は危うかった。
 
 マサシがトラップにかかり、肉体的に大きく欠損して瀕死の重傷を負ったと知った時、機械知性体の筈のルナは半狂乱とも言える状態となり、バックアップ指揮を執っているブラソンと、直接マサシのバックアップを行っていたノバグRを激しく糾弾した。
 なぜマサシを危険と分かっている場所に向かわせたのか。なぜトラップに事前に気づけなかったのか。
 普段なら冷静な調停役をかって出る筈のレジーナもルナを止めることをせず、時間にしてほんの数秒間ではあったが、船内ネットワーク上を怒りや悲しみや恐怖、焦燥と云った様々な感情がごちゃ混ぜになったルナの感情データが吹き荒れ、ブラソンとノバグRに叩き付けられた。
 ほとんど攻撃と云っても良いほどのそのデータ奔流にさらされ、ブラソンはノバグに守られながらじっと耐えること以外出来なかった。
 ナノボットを使った対処をニュクスが提案し、それでマサシの死が確実に回避できると分かってルナは落ち着いたが、そもそも気か一斉体であり、また普段ほとんど感情を表に出さないルナが、これほどの激しい反応を示したことにブラソンは驚いていた。
 
「ふむ。そろそろ意識が戻るはずなんじゃがのう。」
 
 量子的に人の頭脳をほぼ完璧に解析できるようになったこの時代でも、人の意識というものについてはまだ未解明の部分が多く残っていた。むしろ、掘り下げれば掘り下げるほど謎が深まった、と言ってもいい状態だった。
 肉体的には完璧に治療復元されている筈の患者に、どう手を尽くしても意識が全く戻らず何年も経過した、などという事例は幾らでも存在した。
 人の意識というものが一体何なのか完全に解明などされて居らず、また同様に機械知性体になぜ突然意識が芽生えて三十万年前に反乱を起こしたのか、その原因も分かっていなかった。
 人の自我とはなんぞやという役に立たない哲学的な命題を追求するよりも、銀河種族たちは戦争のための技術開発に全ての力を注ぎ込んでいた。
 物質転換機やナノボットを使い、あらゆる物質を自由に扱えるようにはなったが、人や機械知性体の心や精神と云った分野に関してはまだまだ完全ではなかった。
 ニュクスもそれを知っているので、マサシの意識がなかなか戻らないことに不安げな声を出している。
 
「お。」
 
 ニュクスが明るい声を上げる。
 ニュクスがモニタしているマサシのバイタルデータを、船内ネットワーク上で全員が注視する。
 心拍や血圧と云った肉体的データは依然として平常状態にほど遠いが、脳波や神経パルスなどが急速に強まっていた。
 そしてマサシが手の指を動かしたことを示す神経パルスが表示され、続いて身体中のあちこちを巡り始めた電気パルスを、マサシの全身に行き渡っているナノマシン達が拾う。
 
「再起動、じゃの。」
 
 ニュクスが嬉しげに言った。
 船内のネットワーク上を再びルナの感情の嵐が吹き荒れた。喜びと安堵。
 生義体の顔にはほとんど感情や表情といったものを表さないルナだが、船内ネットワーク上ではこれほどまでに感情豊かなのだと云うことをブラソンは初めて知った。
 そしてマサシがそれほどまでにルナに慕われていることも。
 
 俺が危機に陥ったとき、ノバグも同じように反応してくれるのだろうか、とブラソンは思い、益体もないことを考えたものだと独りで苦笑いした。
 ニュクスを経由して中継されるセンサープローブ画像の中で、マサシが上半身を起こしていた。
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