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第四章 Bay City Blues (ベイシティ ブルース)
12. 小部屋にて
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薄汚れた白い壁とライトグレイの床の三十m2ほどの小さな部屋に、ベッドと椅子が一脚あるだけの殺風景なところだった。
入り口の反対側には窓がありスクリーンがかかっているが、これは本物の窓の様だった。窓を通して僅かに外の街の喧騒が聞こえる。
入り口から向かって左側、ベッドの向こうにもう一つ扉があるが、多分これはバストイレだろう。
多分どれも似た様な小部屋に続くと思われるドアが左右に連なった、廊下の入り口に座っていた男にチップを500渡して、俺達は今この部屋に居る。
「前金で渡しておく。ショートで二万五千、部屋が?」
「三千。」
「とりあえず三万渡しておく。」
俺はチップを三万、デミザナと名乗った女に握らせた。
デミザナはチップを受け取ると、小脇に抱えていたポーチの中にバラバラと放り込んで口を閉じた。
色気も何もない金属的なベルの音が響き、間髪を入れずにガチャリとドアが開いた。ドアの向こうには、ロンググラスに入った紫色の飲み物を持つ男が一人立っていた。デミザナがグラスを受け取る。
「あなた、飲むものは?」
「イバーズをくれ。幾らだ?」
「下で飲んだ分と、あたしのと合わせて二千五百。」
チップを三千分男に握らせる。男は少しだけ笑顔を見せてドアを閉じた。
「シャワーを浴びてくるわ。イバーズは受け取っておいてね。」
と、ベッドの上に服を脱ぎ始めるデミザナを止める。
「まあ待て。シャワーは後だ。少し話がしたい。」
「シャワー浴びない方がいいの?あたしはそれでも良いけど。」
当たり前の話だが、完全に誤解されている。
「情報料と言っただろう。教えて欲しい事がある。」
「なに?あたしはただの踊り子で、頭も悪いわよ。役に立てるかしら。」
デミザナをベッドに座らせ、俺自身は、クッションも何も付いていない薄汚れた椅子を引き寄せて、ベッドの脇に座る。
顔は笑っているが、明らかに警戒され身構えられている。
質問は出来れば飲み物が来てからの方が良いのだが、と思っていると、また愛想のないベルの音が響いてドアが開いた。
開いたドアから先ほどとは違う男が、冷えたプラスチック容器を持って顔を覗かせる。男にチップを二百握らせてボトルを受け取り、ドアを閉める。
さて、これで落ち着いて話せる。
俺は椅子に腰掛け、イバーズを少し飲んで、ボトルをベッド脇にある小さなサイドテーブルの上のデミザナのグラスの脇に置いた。
「教えて欲しい事があるんだ。アノドラ・ファデゴ矯正孤児院って、知ってるか?そこの丘の中腹に建っている。」
「孤児院?ええ、あるわね?それが?」
デミザナの表情が訝しげに少し曇る。
「どういう所だ?普通の孤児院なのか?」
「『普通の』というのがどういうのかは知らないけれど、孤児院よ。確か、犯罪孤児が入るところだったかしら?行った事はないわ。」
「知り合いに出身者は?」
「居ないわね。」
「あの孤児院について、何か妙な噂を聞いた事はないか?」
「妙な噂?ねえ、あんたやっぱり警察?だったら・・・」
デミザナの眼が険しく細くなり、こちらを睨んでいる。
「違う。知り合いが、ちょっとヘマして捕まった。奴隷落ち百五十年の刑を喰らったんだが、娘がそこの孤児院に収容された。優しい子だった。その子が心配でね。顔を見せろと言っても会わせてくれない。そうこうするうちに、孤児院の嫌な噂を聞いた。嘘か本当か、探って回っている。最悪、その子を引き取る事も考えている。」
色々順番が違ったり多少創作が入っていたりするが、概ね真実だ。
「奴隷落ち百五十年って、相当な重罪でしょ。『ちょっとヘマ』どころじゃないじゃない。へえ、あんた見かけによらず案外良い奴なんだ。」
見かけによらず、は余計だ。
デミザナの表情が一気に柔らかくなる。良いのかお前、こんなにチョロく欺されても。
「悪いけど、孤児院について余り知らないのは本当よ。関わり合いのある場所じゃないしね。妙な噂・・・うーん、覚えがないわね。なんだったら、控えに入ってる子を何人か呼んでみる?」
デミザナが少し眼を細める。多分、控え部屋に待機している同僚の女達と音声通話をしているか、メッセージを打っているのだろう。
「呼んだわ。二~三人すぐ来ると思う。」
そう言ってデミザナはグラスを取り上げて明るい紫色の透明な液体をグラスから飲んだ。左手で俺のイバーズのボトルを取り上げて手渡してくる。それを受け取り、俺も喉を湿らす。冷えて汗をかいていたボトルが、すでに生ぬるくなり始めている。
「この街の治安は、良くないのか?」
追加でやって来るという女達を待つ間、間が保たなくて意味の無い雑談をする。
窓の外から、市街地に流れる音楽が聞こえてくる。
酔っ払いの集団が何かを楽しそうに叫んでいる声が聞こえる。
「どうかな。あたしはここで生まれ育ったから、これが普通なんだけど。治安悪いとは言われるわね。」
「ヤクザがかなり力を持っていると聞く。」
「付き合い方次第よ。仁義にもとる様な事をしなければ何の問題も無いわ。状況によっては軍警察よりも余程頼りになるし、筋の通った事をするわね。あたしは嫌いじゃないわ。」
また例の金属的なベルの音が鳴る。ドアを開けてやると、デミザナと似た様な格好をした女が二人、通路に立っていた。デミザナが手招きして部屋に招き入れる。
「何なに?手伝って欲しいって?何手伝うの?」
「もしかして三人なの?三人なの?もっと沢山呼ばない?」
外の喧噪が聞こえつつも、それでも落ち着いた雰囲気だった部屋が、一気に騒がしくなった。
「このお客さんがね、ちょっと教えて欲しい事があるんだってさ。あんた達、アノドラ・ファデゴ矯正孤児院って知ってる?」
「あ、知ってる。そこの山にある孤児院でしょ?」
「ねえ、それより喉渇いた。あたしナヴァナヴァ飲みたい。」
「あ、あたしイバーズ、ってここにあるじゃん。もらうねー。」
「ねえったら。ナヴァナヴァ。」
部屋の中が収拾付かないほどに混沌としてきた。必要なだけの冷却液と燃料を与えなければ前に進む事は出来ないだろう。
「分かった。何でも良いから好きに頼んでくれ。あと、チップを一万寄越す様に言ってくれ。」
「やったねー。ナヴァナヴァとイバーズひとつずつ!あとチップ一万!」
黒髪とプラチナブロンドのメッシュを長髪にしている方の女が、ドアを開け、下の階から突き抜けてくる重低音に負けない大声で叫ぶ。
その後も部屋の中では混沌とした状態が続く。
カピアと名乗ったプラチナブロンドのメッシュの女は、俺に延々と色々な質問をしてきた。もう一人の女はルクタエロと名乗り、俺のイバーズのボトルを片手に、ベッドに座り横のデミザナに延々と同僚の悪口を言い始めた。
しばらく混沌が続いた後に、またベルが鳴り、顔を知らない男がトレイに飲み物を乗せて部屋に入ってきた。男は新しいイバーズのボトルと、発泡する黄色の液体が入っているグラスをベッドのサイドテーブルに置いた。それから俺の方に近付いてくると、銀色の棒状のチップを俺に手渡して部屋を出て行った。
多分それがナヴァナヴァという飲み物なのだろう。カピアはグラスが置かれるとすぐに飛びついて飲み始めた。
ルクタエロは、途切れる事無くデミザナに同僚の悪口を言いつつ、新しいイバーズのボトルを器用にこちらに寄越した。
ボトルから冷たく冷えたイバーズを飲み、俺は仕事を再開する事にした。
「さて、ご婦人方。喉も潤ったところで協力してもらえないだろうか。」
そう言いながら、新たに手に入れたチップを半分に分け、カピアとルクタエロにそれぞれ渡す。
二人とも話をするのを止め、少し笑みを浮かべてこちらを見ている。
「さっきデミザナからも聞いたと思う。アノドラ・ファデゴ矯正孤児院って知ってるか?」
「南の山の中腹の孤児院でしょ?」
「孤児院あるのは知ってるけど、行った事はないわね。」
冷却液と燃料を与えて、二人とも頭が回る様になった様だ。営業用の仮面を外して素に戻ったとも言う。
事実カピアは、先ほどまでの幼い表情が全く消え失せ、デミザナより少し年下の、年相応の表情と話し方に入れ替わっている。
ルクタエロの方も、同僚の悪口ばかり言っている残念な女の仮面を外し、イバーズのボトルを片手に組んだ足の上に肘を突いて、少し不敵な笑みを浮かべてこちらを注視している。
全く恐ろしい女達だった。
「噂を聞いた事は?」
「それを調べてどうしようっての?」
ルクタエロの質問に対して、デミザナにした説明をもう一度して聞かせる。
「ふーん。まあ、そういうことで納得しておいてあげる。あの孤児院はね、子供が収容されたって話はニュースとかで時々聞くけど、職員を含めてあそこの孤児院の人間を街中で見かける事は無いわね。まあ孤児なんて、売られて終わり、なんだろうけど。」
ルクタエロは最後にさらりと言ってのけた。やはり売られるのか。
」
「売られるのか。その辺りの情報は知っているか?」
「さあねえ。あたし達の商売じゃあ関わり合いのあるところじゃないしねえ。」
確かにその通りだ。
この場で孤児院に関する情報収集は諦めた方が良いだろう。攻め口を変えてみよう。
「では、ダバノ・ビラソ商会という会社を知っているか?」
「ダバノ・ビラソ?うーん、どこかで聞いた事が・・・」
三人とも表情に変わりは無い。隠している訳ではないようだ。
「あ、これ。」
カピアが声を上げる。
「ああ、これね。思い出したわ。」
三人でネットワーク検索結果か何かを共有しているようだった。
「去年ね、海沿いの人気レストランで食材偽装騒ぎがあったのよ。人気の有名店だったから結構大騒ぎになってね。その時、その偽装された食材を納入してた業者がそのダバノ・ビラソ商会だったわね。」
「だったらその商会はバペッソの手じゃないの?ナル・ヌアラはバペッソの店よ?」
ナル・ヌアラ?バペッソ?
知らない単語に顔をしかめた俺を見て、デミザナが破顔した。
「ゴメンね。知らないわよね。ナル・ヌアラが、さっきルックが言った人気レストランね。バペッソというのは、この街のヤクザよ。ナル・ヌアラはバペッソが経営している表の店のうちの一つ。だからそこに食材を入れているその商会も、きっとバペッソの傘下か、少なくとも息のかかった会社でしょうね。」
思わぬところでダバノ・ビラソ商会の情報が手に入った。やはり夜に生きる者達は、裏社会の情報に通じている。程度の差はあるだろうが。
このままダバノ・ビラソ商会に関する情報収集を進める事にする。
そう思った次の瞬間、腹の底に来る轟音が響きわたり、窓ガラスが激しく震えた。窓が割れた部屋もあったようだ。
部屋の中にいる三人の悲鳴と、窓の外から聞こえてくる色々なものが壊れて打ち付けられる様な音が重なる。
爆発音でセンサーが反応したのか、火災を実際に検知したのか、窓の外からあちこちの建物でけたたましい音で警報が鳴っているのが聞こえる。
「ノバグ、状況が分かるか。」
「はい。確認中ですが、アデールが情報屋・・・」
「マサシ、大丈夫か?」
ノバグの声にかぶせて、ブラソンが割り込んでくる。
「無事だ。何が起こってるか分かるか?」
「分かるも何も、アデールの奴がやりやがった。あのクソ女(アマ)いきなり当たりを引きやがった。いや、あれは知っててわざとやりやがったな。ダバノ・ビラソ商会近くの情報屋で聞き込みをしたら、そこの情報屋が商会のバックに付いてるヤクザの息のかかってる店だった。ヤクザが出てきて、あのバカがいきなりドカンだ。アデールの周辺の回線が混乱していて状況が掴みきれない。お前、カバーできるか?」
ある意味プロとプロの殴り合いの中に、俺に飛び込めというのか?
「バカ言え、スーツも着ていないし、武器も殆ど持っていない。俺はまだ命が惜しいぞ。」
「あら、あなた案外軟弱なのね。男でしょ?」
平然としたアデールの声がさらに割り込んでくる。話し方が変わっている。
どうも、スパイという奴らはどいつもこいつもカセットか何かのパッケージのように性格をコロコロ入れ替えてくれるもので、一瞬誰か分からずにこっちが混乱する。
多分、あの格好で夜の街をうろつくためにそういう性格に入れ替えたのだろう。
「バカヤロウてめえ、知っててわざとやりやがったな。」
ブラソンが喚く。
「言いがかりねえ。聞き込むならすぐ近くの情報屋の方がよく知ってそうじゃない?だからお隣に入っただけよ。」
「なにがお隣だバカヤロウ。ヤクザ出てきたら問答無用でグレネード叩き付けやがって。普通は最初はガンで様子見だろうが。」
いやブラソン、それも普通じゃないと思うぞ。普通は最初は友好的な挨拶からだ。少なくとも俺は子供の頃にそう習った。
「ねえ、マサシ。あなたこっちに来れる?私は怖いお兄さんたちのお相手をするのに忙しいのだけれど、お隣のビルで大爆発が起こったので、ダバノ・ビラソ商会ってきっと誰も居なくなっていると思うのね。今ならスタンドアロンのユニットも覗き放題だと思うの。」
やけに色っぽい口調でアデールが爆心地に俺を呼ぶ。
この女、ハナからこれを狙っていたな。情報屋でヤクザに対処したのは、ただの口実だろう。
「ブラソン、必要か?必要ならやる。」
「いや、そりゃ、やってくれればありがたいが・・・」
「諒解した。ノバグ、店を出たら誘導を頼む。」
「諒解しました。」
「あら、お楽しみ中だったのね。ごめんなさいね、お邪魔しちゃって。終わるまで引き延ばしておいた方が良いかしら?」
アデールが俺をからかうように言う。
「聞き込みをしていただけだ。すぐに行く。」
ふと見ると、部屋の中にいる三人の女達は、窓を開けて火の手の上がる外を眺めている。遠くない。200mも離れていないだろう。
「あー、三人とも。協力感謝する。ちょっと用事が出来てしまって、失礼する。」
三人がこちらを振り向いた。
「あんた、あそこに行く気なの?やめときな。ヤクザが乗り出してきて酷いことになるよ。」
いや、多分、もうなっている。
「相方にちょっと呼ばれているんだ。早めに行ってやった方が良さそうだ。お前達は早く逃げた方が良い。」
「やめときなって。この辺りのヤクザ舐めない方が良いよ。軍隊並に武装してる。それにチップどうすんのさ。貰い過ぎだよ。」
そんなに武装度が高いのか。
デミザナが真剣な表情で俺を見ている。この女はきっと優しくて情の深い、いい女なのだろう。もう少し違うシチュエーションで出会えたなら良かったのだがな。
俺は窓に近づく。それはそのままデミザナに近づくことになる。
真面目な顔で俺をまっすぐ見ているデミザナの頬に右手を軽く当てて撫でる。
「次来たときにその分サービスしてくれりゃいい。」
俺は開け放たれている窓枠に足をかけて下を見る。
天井が低くせせこましい造りなので、二階の窓とは言え地面まで5m程度しかなかった。
「じゃあな。」
俺は窓枠を蹴って、建物の間の狭い空間に躍り出た。
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