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第四章 Bay City Blues (ベイシティ ブルース)

9. 二面都市「スペゼ」

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■ 4.9.1
 
 
 パイニエにも静止衛星軌道上に直径四十万km程の環状ステーションがあり、その名前を「ペニャット」と言った。
 何とも気の抜けそうな音感の名前だが、パイニエ語で「空の環」というそのまんまの意味だ。
 レジーナは接岸シーケンスにあり、管制から指定されたピアに徐々に接近しているところだった。
 接岸後、ブラソンとアデールと俺は三人でスペゼ市を訪れ、俺とブラソンはアノドラ・ファデゴ矯正孤児院に直行し、アデールはダウンタウンで携帯端末を何台か買い込むついでに、心当たりを聞き込んでみるという予定にしている。
 アデールの言う心当たりがどういうものなのか尋ねてみたが、「ヒ・ミ・ツ」とにっこり笑われてかわされた。
 以前一度スペゼ市を訪れたことがあるというのは本人の言なので、そのときに世話になった伝手か、あるいは郵便配達の仕事をするついでに対象者に聞いてみるのかも知れない。いずれにしても、その手の仕事には慣れているだろうから、任せてしまって構わないと考えている。
 
 レジーナは特に問題無くペニャットに接岸し、俺達はゲートを通ってステーションに上陸した。
 ブラソンによると、このステーションは各ピアがそのままイミグレエリアになっており、歩いてピアを通過しているうちに自動的にイミグレーション手続きを終えられるようになっているとのことだった。不審な物を所持していたり、お尋ね者だったりした場合には、ピアの通路を歩いているところで身体を拘束されたり、どこかから湧き出てくる係官の尋問を受ける仕組みになっているようだ。
 
 アデールは俺達の船に便乗している地球製浄水器のセールスマンに扮し、ナノボット分解した銃器を浄水器の見本サンプルの形に再構成してスーツケースの中に詰め込んでいた。
 俺達は俺達で、いつでも銃器を生成できるように船のリモコンユニットに偽装したナノボットを持たされていた。
 ニュクスから渡されたナノボットの偽装はどうやら完璧らしく、係官に後ろから肩を叩かれる事もなく、俺達はペニャットの主通路に到達した。
 近隣惑星行きドメスティック航路とパイニエの地上行きのビークルの乗り場は、レジーナが接岸したピアからは十kmほど離れている様だった。俺達三人は主通路で移動用の車両を適当に止めて乗り込んだ。
 
 ステーション内移動用車両は、主通路の車道を自動制御で飛ばし、十分も立たないうちに俺達の乗った車両はビークル乗り場に到着した。
 ビークル乗り場には、パラパラと旅客がおり、待合所の周りには売店やレストランなどの出店があった。
 
 実は俺は、パイニエに来るのは初めてだった。
 パイニエ人は皮肉屋でブラックジョークが好きな者が多いという一般的な情報は当然知っていたが、ブラソンの他にパイニエ人の知り合いが居るわけでもなく、パイニエと云う国について殆ど知識を持っていなかった。ブラソンも飛び出してきた故郷のことをそれほど話したがる訳ではないので、俺のパイニエに関する知識は一般的なものに止まっていた。
 
 一般的な銀河種族の国というのは、地球に比べて飯も不味く、娯楽も少なく、文化芸術に関してもあまりぱっとしない、言うなればお前達何が楽しくて生きているのだ、と問いたくなるような国が殆どだった。これは、国力の殆どを汎銀河戦争に突っ込まねば生き残っていけないという事情もあり、そのような戦時下の体制を何十万年、下手をすると百万年近く続けている為に文化や芸術や娯楽と云った戦争に不要なものが次々と削ぎ落とされていった社会の末路と云う姿でもあった。
 文化だの芸術だのといったものにうつつを抜かす暇と余力があるのならば、その余力は総て戦いに投入されるべきだという思想でもあり、またそうしなければ生き残れなかったという現実の結果でもある。
 逆にそのような社会に慣れた彼等の眼には、地球は余りに享楽的で猥雑でやかましく不真面目な国に映っているのだろうことは想像できた。
 
 その最たる例の一つはしばらく前に訪れたハフォンだった。戦いを生き抜くため他の銀河種族同様に前述のような選択をし、そこにさらに宗教的禁欲が上乗せされたことで、娯楽と言えるものは全く無く、食事もたった二種類しか存在せず、仕事と宗教と戦いしか無い社会が形成されていた。
 別の例もあった。地球人の仇敵とも言えるファラゾアの社会がその代表例になる。
 産まれたときこそ人の形をしているが、二十歳になる頃には人の体を捨て、脳だけの存在となって機械に組み込まれて戦争に出て行く。正に戦争をするためだけに特化された社会システムを持つのがファラゾア社会だった。
 文字通り、娯楽も文化も全く何もない、戦争を継続し勝利する為だけの社会と、そこに住まうものの人生だった。逆の見方をすれば、そこまでやったからこそ銀河列強種族と呼ばれるだけの戦力と地位を得たのだ、とも言えるだろう。
 
 話がだいぶ逸れた。
 地上向けのビークル乗り場周辺に幾つもある店を見て、パイニエはハフォンとは違ってだいぶ人間らしい生活の出来る文化を持った星なのだ、と知った。
 ハフォンでは食事は基本的に二種類のみ、日用品を売る商店も実用重視で、商品に装飾性だとか、いわゆる遊び心の様なものは皆無だった。そしてまた、そのような商店の数も極端に少なかった。そもそもが、そのような商店は素っ気ない看板を一つ出しているだけで、ショーウィンドウの様なものは全く無く、一見して何を売っているのか今一つ掴めず、そもそも商店であることにさえ気付けない様な店ばかりだった。
 パイニエでは、まだステーションの中の十km程度の移動しかしていないが、その間に幾つもの商店やレストランを見かけた。商店で売られている商品も、拙いながらも装飾性やカラフルさというものに多少なりとも気を遣ったと思える商品があり、そのような商品が店先に置いてあって客の目を引こうとする努力を感じることができた。
 ビークルに乗ってステーションを離れつつ、俺はパイニエに対して少しばかり身構えていた心が、僅かながらも緩んでいくのを感じた。
 
 
■ 4.9.2
 
 
 スペゼ市は、首都パイニヤードの南方五百km弱に位置する海沿いの街だった。
 パイニヤードからビークルで二時間程度かかることから、いわゆる通勤圏からは外れてしまっている。しかし、赤道に近い温暖な気候と、美しい海沿いにあるという立地から、首都近郊に住む人々が週末などにちょっとした旅行で訪れるリゾート地、という性格を持っている。
 地球におけるリゾート地の煌びやかさや猥雑さとは比べるべくもないが、パイニエなりに娯楽があり、町並みは飾られており、そして休日を過ごすための街、という開放的な雰囲気が溢れる街だった。
 しかしそのような陽光溢れるリゾート地であっても、いや、そのような明るく光り溢れる街だからこそ、色の濃い影を落とす部分を持っていることも確かだった。
 
 スペゼ市街は大きく北スペゼと南スペゼに区分けることができる。
 北スペゼはいわゆる高級住宅街の様なエリアで、特権階級や金持ちの瀟洒な別邸が立ち並び、小綺麗な通りと、海沿いには清潔で開放感溢れる白い砂浜が続いている。
 一方南スペゼは、歓楽街を中心に広がった区域であり、市街中心部は猥雑として庶民相手の宿泊施設や飲食店、雑多な店がひしめき合っており、それはそのまま町並みが途切れる郊外まで続いている。狭くごちゃごちゃとした通りが多く、建物の間には名も無い路地や横丁が無数に存在した。
 そういう街並みにはそういう手合いが住み着くもので、ブラソンの言った無法地帯としてのスペゼ市は主にこの南スペゼのことを指す。
 そしてスペゼ市はそのような成り立ちの為に、パイニエで最も手軽でポピュラーなビーチリゾートであると同時に、最も多くのヤクザやあらゆる無法者が潜み蠢く街でもある、明るく綺麗な表の顔と暗く淀んだ裏の顔という二面性を持つ街となっていた。
 
 アデールが言うところの心当たりのある地域は南スペゼ市街中心部に存在した。俺達が目的としているアノドラ・ファデゴ矯正孤児院は南スペゼの市街地を少し外れた小高い丘の中腹に建っている。
 ステーションから降下したビークルは、まずはアデールの要求に従って南スペゼの中心から少し外れた市街地にアデールを落とした。
 ゴテゴテとした看板や、路上駐車の車両をかき分けるようにして俺達が乗ったその白い小型の乗り物は南スペゼ市街の狭い道路に舞い降りた。ピンストライプの入った濃紺のスーツに身を包み、ファッション製の高いサングラスをかけたアデールはビークルのドアを開け、地上に降り立った。
 夜の街という一面を持つ南スペゼの市街は、日の高いこの時間にはそれほどの人通りもなく、商店も半分ほどがまだ店を開けていなかった。
 ビークルから降りたアデールは、一瞬でその街並みの雰囲気に溶け込み、後ろを振り返ることもなく歩道を歩いていき、アデールを降ろしたビークルがもう一度空中に飛び上がろうとする頃には、すでにどこを歩いているのか見つけることさえ難しいほどに街の中に溶け込んでいた。
 
 再び空中に舞い上がったビークルは次に俺達の目的地であるアノドラ・ファデゴ矯正孤児院を目指す。
 弓なりに曲がったビーチの最南端に水上船舶用の港が存在し、そのさらに南側にまだかなり緑の残る標高百m程度の丘が連なっている。丘は海岸線まで達しており、港の南側で海に向かって少し突き出す形となっていた。この丘が突き出した岬がスペゼ市街の最南端となっている。
 孤児院はその丘の連なりの中で少し内陸に入った辺りの中腹に、緑に包まれて存在していた。
 俺達を乗せたビークルは、孤児院の建物脇に広がる車寄せに舞い降り、ドアが開いた。エアコンが効いていた車内に南国特有のむっとした空気が混ざり込む。俺達は腰を上げ、少し強めの日差しが木々の影を濃く落とす路上に降り立った。
 ビークルから降りた俺達の後ろでドアが閉まり、軽い音を立ててビークルが浮上する。ビークルは少しずつ速度と高度を上げながら、次の客が待つどこかに向けて飛び去っていった。
 
 車寄せの端に、緑に囲まれて孤児院の門が見える。ブラソンとともにその門に向かって歩いていくと、門から二十m程度までに接近したところで自動プログラムらしき声が来訪の目的を誰何してきた。
 ブラソンは声に出して、エイフェに面会したいこと、自分がバディオイの友人であること、面会の目的は父親からの言づてを娘に伝えるためであることを返答した。
 しばらくの沈黙の後、今度は職員らしき女の声が応答し、入場を認めないと通告してきた。
 
「別に怪しい者じゃ無い。ここに収容されているエイフェという女の子に面会したいだけだ。彼女の父親のバディオイの友人だ。」
 
「お断り致します。身元が明らかで無い方の入場を認める事は出来ません。」
 
 まあ、そうなるか。パイニエ人に地球人の様な色々な性的嗜好のバリエーションがあるかどうかは知らないが、少なくとも地球の孤児院なら、とりあえず不審者として対処するだろう。
 
「彼女が元気かどうかだけでも教えてもらえないか?」
 
「お答え致しかねます。」
 
 取り付く島も無い。これは、多分幾ら粘っても駄目だろう。
 
「彼女を引き取るかどうかという話をしたいんだ。」
 
「いい加減にしないと警察を呼びますよ。」
 
 さすがに旗色が悪い。俺はブラソンの肩を叩いた。こちらを振り返るブラソンに首を振ってみせる。
 
「一旦引き上げよう。話がこじれるだけだと思う。」
 
 ブラソンは不承不承と云った風に頷くと、俺と一緒に孤児院に背を向けた。
 戻るためのビークルを呼ぶ。至近のビークルが到着するまでの数分を使って、この場所に来た本来の目的を完了する。
 数分後、俺達は到着したビークルに乗り込み、南スペゼ市街に移動した。
 当然アデールはすでに降車場所から異動しているのだろうが、俺達はアデールを下ろした場所の近くでビークルを乗り捨てた。街中を歩きながら、俺はレジーナと、ブラソンはアデールと連絡を付ける。
 
「何か問題は起こっていないか?」
 
 音声でレジーナに問う。問題が起こっていればすぐに通信がやって来るであろうから、半ば形式的な質問ではあるのだが、それでもAIであるレジーナ達だけが船に残っている今の状態は、地球圏の外では何が起こるか分からず気にはなる。
 
「特に問題は発生しておりません。外部からのアクセスも通常の正規のものだけです。」
 
「こちらのモニタは?」
 
「相変わらず特定できません。ノバグはまだ投入していません。機械ネットワークもまだ利用していません。」
 
 パイニエでは、ゲスト扱いとなる他国籍のレジーナは、パブリックネットワークと呼ばれるゲスト用のネットワークにしか接続できなかった。
 それに対してブラソンはパイニエ人であるので、ドメスティックネットワークと呼ばれる、パイニエ人用のネットワークに接続できる。
 パブリックネットワークは大きく機能制限されており、メッセージのやりとりや音声通信などは問題無く可能だが、例えば政府の住民向けサービスや、色々なパイニエ国内向けデータベースなどには接続できない。これに接続するためには、長期滞在登録を行い、イミグレーションからパイニエローカルのIDを振って貰う必要があった。
 
 面倒な手続きに思えるが、汎銀河戦争が行われている現在、多くの国家では同程度のセキュリティ対策を講じている。
 戦争は何も船艦同士の殴り合いだけではない。ハフォンの様な馬鹿正直な国家はそのような事はしないのだろうが、敵国家内に足場となる中継プローブを飛ばして、それを拠点にして電子的な攻撃を実施する事も可能なのだ。
 勿論、そのような攻撃は「民間人居留地への攻撃」と見なされ、汎銀河戦争の交戦規定に大きく反する。しかし足が付かず、証拠を握られなければ交戦規定への違反を立証しようが無い。まるでスポーツの様な、交戦規定にキッチリ沿う物理的攻撃に反して、電子的攻撃は比較的陰険で交戦規定違反スレスレのところで行われている事が多い。
 ブラソンもその点を指摘していたが、以前、外国人IDでも問題無くローカルなネットワークに接続できていたハフォンのネットワークが無防備すぎたのであって、一般的にはパイニエの様な対応が常識だった。
 
 実はレジーナは、宇宙船としてのハードウェアIDを取得する事が可能だ。
 例えば外国船籍の旅客船などがパイニエに寄港した場合、パイニエ国内の観光情報や各種政府サービスなどの情報を旅客に提供するためには、旅客船のIDをドメスティックネットワークに接続して情報を収集する必要がある。
 しかし、AIであるレジーナがハードウェアIDを取得した場合、パイニエ政府がどのような反応をしてくるか全く読めていないので、パイニエ国内でエイフェの足取りを追わねばならない今はまだそれを試していなかった。
 そして、実はパイニエ人と云っても差し支えないノバグも、彼女の知識と機能を使えば、パブリックの壁を突破してドメスティックに侵入する事が可能だ。彼女なら、ブラソンの支援など無く鼻歌交じりでやってのけるだろう。
 しかしそれも、エイフェの情報が掴めるまでは余り無茶な事をしたくないという同様の理由で、今はまだ行っていなかった。
 
 なので今現在、レジーナはパブリックネットワークにしかアクセスできず、大きく機能制限されたそのネットワークからでは、俺達の現在位置の特定や、俺達に音声通信以上のデータ送信などが出来ない状態となっている。
 アデールが入手する予定になっているパイニエ国籍の端末は、この問題を解決するために実は非常に重要なアイテムなのだ。
 
「マサシ、こちらはアデールと連絡が付いた。彼女は2ブロックほど先を歩いている。とりあえず問題無く終了した様だ。別ビークルで船に戻ると言っている。」
 
「諒解だ。とりあえず船に戻ろう。」
 
 ブラソンと俺は、すぐ近くの路上を流していたビークルを止めて乗り込んだ。
 俺達の乗ったビークルは、ペニャットに向けて青い南国の空を上昇していった。
 
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