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第三章 Cjumelneer Loreley (キュメルニア・ローレライ)
20. 郵便配達員
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男の名前は特に秘密だったわけでは無いらしかった。アデールを同行させる条件について詳細を話した時に、まだ名前を聞いていないと指摘すると、謝罪と共に男は「オリファー・ヘルフストベルグ少佐」と名乗った。
もちろんそれが、階級を含めて偽名であろうと云うことは、お互い納得ずくだ。
結局、アデールは俺達に同行することになった。
名目上は、地球外の他勢力から俺の身の安全を確保すること。だが勿論それは表向きの話で、実際には俺とレジーナとその乗務員の監視役の割合の方が多いだろう。
さらにニュクスが拾ってきた情報では、銀河各地に散らばったエージェントや調査員の情報の収集役という任務も請け負っており、この任務は相当に重要なものである様だった。
量子通信では他星系にメッセージ程度しか送ることが出来ない。
もちろん、技術的にはデータを送ることも可能だ。物質変換機と組み合わせて、転送装置にすることさえ可能だし、事実昔はそのような技術が銀河中に溢れていた様だ。
機械戦争勃発時、銀河人類のネットワークを徹底的に破壊した立役者であった、ネットワーク上の機械知性体達は、距離に依存しない量子通信ネットワークに乗って銀河中で一斉に蜂起し、一瞬で人類のネットワークをズタズタに切り裂いた。
星系や惑星などの数多くのフラグメントに一瞬で多数のコピーを送り込み、惑星上のローカルなネットワークまでも完膚なきまでに破壊し、人類からあらゆるインフラを取り上げた。
量子通信を使えば、いわゆる「悪意ある」プログラムが一瞬で銀河中に蔓延することが可能となる。
その過ちを二度と繰り返さない為、量子通信でのデータ通信はそれ以降行われていない。
機械戦争以前であれば、自宅に居ながらにして他星系のデータにアクセス可能であったが、今は他星系とやりとりできるのはごく簡単なメッセージだけとなっている。
ちなみにレジーナは、シャルル造船所に量子通信データ接続をして、地球のネットワークに接続を可能としている。その為、レジーナは銀河中、はたまた宇宙のどこに居ようとも、地球のネットワークに接続できる。
しかしそれは、レジーナとシャルル造船所と、その双方がお互いを信用した上でパスキーを使用し、さらに専門のAIによる通信データをお互い監視する下に行っている通信だ。
このようなお互い身元が確かな二点間での量子データ通信は今でも行われているが、いわゆるパブリックな量子データ通信はほぼ皆無であると言って良い。
話を戻そう。
超の字が付く様な機密データを、パブリックメッセージで報告する訳には行かない。
一部、量子通信用の端末を持たされているエージェントも居る。
量子通信は距離に依存しないと云ったが、それは通信時間の問題であって、通信出力は距離に依存する。銀河の反対側の端から報告を送ろうとするならば、とても携帯端末とは云えない大きさの通信端末が必要となり、そのようなものを携行するのは不可能である場合が多い。
通信手段が無いからには、報告の為に本部に戻るか、誰かがそれを回収して回るしか無い。
色々な組織に潜り込んでいることの多いエージェント達が、親元の組織に報告に行く為に長期間不在になる訳にも行かず、いわゆる「郵便配達人」と呼ばれる情報回収専門のエージェントの出番となる訳だ。
諜報情報を人が回収して回るなど、余りにアナクロで悠長な話に思える。
しかし、量子データ通信端末が使えないという全種族平等な条件の下、我々地球人に較べればかなりゆったりとした時間の流れの中で動いている銀河種族達の政治的、軍事的最新情報であれば、そのような時間的スケールでも十分に回っていくものらしい。
彼らに較べるとまるでドッグイヤーを生きている様な地球人ではあるが、量子データ通信が使えないという条件に変わりは無く、結局彼らと同じ様に郵便配達人がデータを回収して回ることとなる。
今回、アデールはその任を与えられたという訳だった。
アデールを同行させる条件について協議している時、「時々彼女を通じて依頼をすることがある」とヘルフストベルグ少佐は言っていた。多分、情報回収の為にどこかの星系に立ち寄れなどの依頼を寄越すのだろう。もちろん、その目的まで明らかにはしないだろうが。
別の問題も発生した。
アデールが同行することで、船室が足りなくなった。
もちろん、今回の探査行の間の様に、彼女を一般客室に入れておくことは出来る。
しかし幾らクソ女とはいえども、乗務員として同行するのであればその扱いは変えるべきだろうし、一般客室と乗務員室では作りも機能も全く異なっている。
乗務員室の追加と、ついでなので一般客室も追加したいとアンリエットに相談したところ、スペースが無いとけんもほろろに断られた。
もちろん、こちらもそんな事は分かって相談している。元々ニュクスに頼むつもりだったのだが、シャルルのドックに入っているのにアンリエット達の頭を飛び越してニュクスに頼むのも筋の通らない話だと思ったので、アンリエットに形だけ持ちかけたのだ。
ドックの中でナノマシンを使わせてもらえるならば、と前置きした上で、ニュクスとそのしもべ達による作業をドックの中で行いたいと相談すると、思いの外簡単に許可が下りた。それどころか、その工程を見学させて欲しいとドックの親方連中からの申し入れを受けた。
造船所には資材がふんだんにあり、ナノマシンが稼働するためのエネルギーにも困ることは無い。もちろん、アンリエットに話すより前に相談したのだが、ニュクスは上機嫌で引き受けてくれた。
「なんじゃ、ようやっと儂の言う通りに改造する気になったのかや?」
「違う。俺が欲しいのは乗務員用船室が2つと、乗客用船室が2つそれぞれ追加と、それに伴う必要なだけの船体の延長だ。2000mmのレーザーが欲しいわけじゃ無い。というか、そんなもん絶対付けるなよお前。」
「なんじゃつまらぬのう。この世にはこれほどまでに魅惑的な武器が溢れておるというのに、お主の筋繊維脳ではその美しさが理解出来ぬのか。ほんに可哀相な奴じゃのう。」
いやいや、武器にやたら固執するのが脳筋野郎だろう普通。それと人のことを可哀相呼ばわりするな。
「見や。レジーナもあの美しい身体を震わせて、お主が強力な主砲を取り付けてくれるのを今や今やと待ち焦がれて居るではないか。あのような美しい乙女をいつまでも待たしておくのは男が廃るというものじゃ。ほれ、ここは一つ思い放ってぶっといのを一つ二つと。」
お前。レーザー砲の取り付けで何故そこまで盛り上がれる?
「人のことをまるで痴女か何かの様に言うのはやめてもらえますか?」
俺のことを常時モニターしているレジーナから突っ込みが入る。
もちろんニュクスは、レジーナとルナが常に聞き耳を立てている事を知った上でやっているに決まっている。
「いやいや。恥ずかしがらぬでも良いぞ。お主の心の内の欲望を解き放つのじゃ。そして主人に乞うが良いぞ。『ご主人様ふt あ痛。」
とうとう我慢できずにニュクスの後頭部を平手ではたいてしまった。いい音がした。
「何をするのじゃ。こんな幼女に暴力を振るうて良いと思うておるのか。頭蓋骨が陥没したらどうしてくれるのじゃ。」
「カーボンメタルセラミックコンポジットの頭蓋骨がこの程度で陥没する様なら俺は戦艦を素手で撃沈できる。そんなエロ小説の様なネタを振りまくる幼女なんざいねえ。そもそもお前どこで覚えてくるんだそんなモン。」
「うむ。ブラソンのサーバの中に沢山入っておるぞ。ノバグといっしょにこの間探検してみたのじゃ。生体の原初的な欲求というのはなかなか凄いものじゃのう。ブラソンがあのような性へk、ふが。」
聞くに堪えない。ブラソンの名誉の為にもニュクスの口元を右手で押さえ付ける。
まぁ、名誉も何も、この会話を聞いているレジーナもルナも全部知っているのだろうが。
しかしまたブラソンのピンクサーバか。
そろそろノバグにあのサーバから住処を移す様に言った方が良いかも知れない。あんな魔窟の様なところに住んでいては人格を疑われる。
「ところでそのブラソンはどうした?見かけないぞ?」
俺に口を押さえられてじたばたするニュクスを抱えて、姿は見えずともこの場を把握しているはずの二人に問いかける。
「ブラソンは昨日から地球に滞在しています。明日戻り予定です。」
俺の問いにルナの声が応える。
「地球?もしかして東京か?」
大体要件が分かってしまった。
「はい。『ヨメを探してくる』と言っていました。ノバグRと、当然ノバグゼロが同行しています。」
ルナが、なんとなくいつもよりも温度の低い声で答える。
「ノバグR」とは、レジーナネットワーク外挿サーバ、通常「ブラソンサーバ」に住んでいる方のノバグだ。知性審査を通過し、地球市民権を得たことで正式にレジーナの乗員として登録されている。
「ノバグゼロ」は、ブラソンの脳内チップに格納されているオリジナルの方のノバグだ。知性審査を通過するだけの人格を有してはいないが、レジーナのクルーの中では、こちらも一人の人格として扱われている。機械知性体クルー率が異常に高いレジーナならではの扱いと言える。
しかし、女性体のAIを二人も連れてヨメ捜しも何もあったもんだ。そんなに欲しければ、ノバグに生義体を与えれば動くリアルなヨメが手にはいるだろうに。
そういえば少し前にブラソンにそのように言ったら「分かってないなお前。」と鼻で笑われた。
どうやら俺には良く分からない世界に生きている様だ。
いずれにしても、ヨメが部屋から溢れ出してこない限りは奴の趣味に文句を付ける気も無いし、おかしな説教をする気も無い。奴の自由にすれば良い。
随分脱線した。
そういういきさつもあり、レジーナの改造をやる気満々のニュクスと、知らぬ間に自分の身体にどんな魔改造をされてしまうか微妙に戦々恐々としているレジーナを集め、アンリエット達数人の親方連中が見守る中、Dドックの中でニュクスの操るナノマシンによるレジーナ船体の改造が始まった。
ニュクスがアンリエットに言って、Dドックの中の重力アンカーを切る。
レジーナの中央部より少し前方、ちょうど船内に客室がある辺りのレジーナの船殻を白い濃密な煙の様なものが取り巻く。
そのナノボット達の煙は、厚みは数メートルに満たない程度に見えるが、煙を通してレジーナの船体が見えない程の濃度を持っていた。
何かに気付いた親方連中が、うめき声とも嘆息ともつかないような声を上げる。
親方達の視線をたどると、レジーナの船体が明らかに先ほどよりも長くなっていた。
その速度はゆっくりながらも、レジーナの船体が徐々に伸びていく。
ニュクスによると、まず船殻を作り、その後に船内骨格を形成して、最後に艤装をするらしい。船殻を伸ばしきるのに約1時間、骨格形成に2時間、船内艤装に4時間程度かかるらしい。
たったの7時間で船体が十メートルも伸び、さらに船内の艤装まで終わるその速度もさることながら、船体を中継ぎする様な改造をしてなお船体強度を落とさないこの改造方法に、親方達は興味津々だった。
改造をしている間中、次から次へと繰り出される親方達からの質問の嵐に、ニュクスはいかにも楽しげに丁寧に答えていたと後で聞いた。
その間やる事の無い俺は、腹を満たした後で一眠りする事にした。目が覚める頃にはちょうど改造も終わっているだろう。
イヴォリアIXや機械知性体群のバックアップのあるニュクスだ、わざとで無ければ改造に失敗するなどあり得ないだろうし、こっそり魔改造に着手しようとしても脇でレジーナが見張っている。安心して一眠りすれば良い。
造船所の職員達が利用する食堂に行く。24時間態勢の交代勤務で動いているこのドックで働く職員達の胃袋を満たす為、食堂はいつでも食事が出来る様になっている。
お仕着せの数種類の日替わりのメニューと、あとはフライドチキンやハンバーガーといったスナック類しかないが、しかし味は悪くない。取り敢えず日替わりのメニューを選択していれば、当分の間は特に不満無く食事を取る事が出来る。
シャルルの拘りらしいのだが、食事は厨房で人が作ったものが提供される。配食センターがデリバリーしてきたパッケージを暖めて出してくるのではない。
それだけの事をするには、大量の水やエネルギーの確保や、熱の循環を考慮したシステムの構築が必要となる。大型のアステロイドを一つ丸ごと買い取っているからこそできる贅沢だ。小さなアステロイドではなかなかこうは行かない。
配膳口でニンニクオイルのパスタと、チキンのエンチラーダを受け取り、Lサイズのコップにコークを注ぎ込んでトレイの上に置く。
トレイを持って振り返ると、右手の隅の方でアデールが一人で黙々と食事をしているのが眼に入った。
クソ女の顔を眺めながら食事をするのも気分の悪い話なので、踵を返して、アデールが視野に入ってこないところにまで移動しようとして、ふと足を止めた。
いつまでもガキの様な事をやっていてもしょうがない。
逆に考えれば、この女を我慢さえすれば、両親と妹を情報部に守らせることができるのだ。
トレイを持って、アデールの座っている席に近づく。同じテーブルの、向かいの席にトレイを置く。
「ここ良いか?」
ローストビーフの切れ端をフォークに突き刺したアデールが顔を上げてこちらを見る。
「どうした。私とは顔も合わせたく無いのじゃなかったのか。」
遠慮なく肉を口に入れながら、アデールがこちらを見ずに言う。
「ああ、それは変わっていない。俺個人としてはな。だが、船長としては気に入らない女も乗員のうちだ。知っておかなければならない事もある。」
こちらも遠慮なく食事を始める。口に入れたパスタから、強いオリーブオイルの匂いが口の中に広がる。
「まずは、おまえが出来る事についてだ。なにが得意だ?」
コークを持ち上げ、一口飲む。口の中に残った油が洗い流されるようで心地よい。
「少佐から聞いたのではないのか。もっとも得意なのは格闘だ。ナイフを用いたマーシャルアーツがベースだ。ナイフは長めの方が好みだ。次は小火器による白兵戦、艦船の操縦と艦載砲での射撃が次、それから電子的手段の攻撃。変装や話術は余り得意ではない。もちろん情報部の中では、という意味で、一般人なら簡単にだませる。苦手なのは長期間の潜伏作戦と、チームを率いての作戦だ。そんなところで良いか。」
ふと気付くと、アデールは食事の手を止めており、黒縁眼鏡の奥の碧眼が俺を真っ直ぐに見ていた。
長期作戦とチーム戦が苦手、と。なるほど、納得できる。
「俺の監視業務の他に、所謂郵便配達の指示を受けていると想像しているが。」
正直に答えが返ってくる事など期待していない。こちらが気付いているという事を伝えているだけだ。
アデールは手を止めたままだが、俺は遠慮無く食事を進めさせて貰う。少し冷め始めたエンチラーダをナイフで切り分けて口に運んだ。
「立場上肯定は出来ん。だが、配慮してくれるとありがたい。」
少し驚いて目線を上げると、アデールの視線とぶつかった。
すぐに彼女は目線を下げて、またローストビーフを切り分け始めた。
彼女が視線を下げる前の一瞬、僅かに口元が笑っていた様な気がした。
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