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第一章 危険に見合った報酬
24. 脱出
しおりを挟む■ 1.24.1
「その辺りだ。」
頭の中にブラソンの声が響く。
「何か怪しいものはないか。隠し扉とか、床の継ぎ目とか、そんなようなものだ。」
そういう意味では全く怪しくはないが、周囲の状況と比較すると怪しすぎる程怪しい大型の金属の扉が目の前にあった。
金属の扉そのものはどこにでもありそうな分厚く重そうなものだ。
しかしそれがこの白一色の廊下にはめ込まれているところが、あまりにアンバランスだった。
間違いなくこの扉だろうと思った。
「目の前に、相当怪しい大きな金属の扉があるが。」
「それだ! こっちには表示されない。間違いない。」
なるほど。
現実世界ではこれほど目立つものでも、カメラやセンサーが無い場所だとネットワーク越しには見えない。
王宮への侵入の間、まるで全能の神のように次から次へとセキュリティを無力化し、予告通り彼女を「見えない」存在にし続けたブラソンでさえ、ネットワークの眼と耳が無ければこれだけ目立つ扉が見つけられないのだ、と思った。
問題はこの扉の開け方だった。
ブラソンに見えないのであれば、電子錠であるはずがなかった。
ドアの取っ手の少し上、壁側に小さな穴が見えた。
棒状の鍵を差し込んで解錠するものだろう。
「周囲を見張っていてくれ。解錠する。」
「諒解だ。現在その付近には誰もいない。」
ミリはバッグの中から解錠用のピックを取り出した。
程なく錠を開け、ミリは扉を横に引いてみた。
重い扉だが少しずつ動かす事が出来る。
扉を抜け、また少々苦労しながらもう一度扉を閉める。
辺りを暗闇が支配する。
バッグからライトを取り出し、最低光量でスイッチを入れる。
暗闇に慣れた目には、最低光量でも随分明るく感じた。
目の前に下りの階段があり、その先は地下の暗闇の中に消えている。
「聞こえるか?」
ブラソンの話に依れば、この先はネットワークブラックらしい。
通信が途切れる上に、ブラソンのバックアップも得られなくなる。
そもそもいきなり消えれば、心配もするだろう。一声かけておくべきと思った。
「まだ聞こえる。行くのか?」
「ああ。この先は地下に続く階段になっている。かなり長くて、先は暗闇で見えない。」
「気をつけてくれ。」
ゆっくりと階段を降り始める。
真っ暗なので、多分誰もいないのだろうとは思うが、実は看守の部屋が下に設けてあり、そこからはカメラでこちらが丸見え、という可能性もある。
階段を降りるに従って、湿って澱んだ空気の独特な匂いが徐々に強くなる。
少し古いもののようだが、腐敗臭もそれに混ざる。
しかし血の匂いはしない。
長い階段が終わり、平坦な場所に出た。
壁が切れ、金属の格子の連続に変わる。
少し向こうの暗闇の中で何かが動く気配がする。
右手にナイフを持ち、ライトをいきなり最高強度に上げて、音がする方を照らした。
汚れた服を着た男が一人、少し向こうの檻の中に座っているのが確認できた。
そのまま周囲を照らして、他に周囲に脅威が無い事を確認する。
それほど広くない部屋全体が、金属の格子で細かく区切られている様だった。
おかげでライトの光が部屋の端まで届き、どうやら脅威はなさそうだと分かる。
もしカメラでも取り付けられていた場合隠れる場所は皆無だが、今もって誰も出てこないという事は、それも無いのだろう。
汚いなりをした男の牢に近づいて、顔を照らす。
血と泥で汚れ、さらにあちこち腫れ上がっていて、随分酷い顔になっている。
「マサシか?」
「ミリ?」
弱々しげな声が応える。
「歩けるか? すぐに開ける。」
「歩くのは問題無い。手錠をかけられている。」
とにかく牢を解錠する。
先ほどの扉と同様の鍵が付いている。同じようにピックを使用して手早く開ける。
「見せてみろ。」
マサシが手を突き出す。
いわゆる生体拘束具だった。情報軍でも良く使用する。
被拘束者の身体の一部と結合して、通常のやり方では取り去る事が出来ない。
決められた電気パルスを打ち込む事で癒着が剥がれて取り外す事が出来る。
この場にブラソンがいれば、もしかしたらハッキングできるのかも知れない。
しかし、この手錠を生かしたままネットワークの存在する場所に戻れば、それだけで警報を発せられる可能性がある。
いや、たぶんそうだろう。
幸いこの手錠は情報軍でもよく利用する。
つまり、この拘束具を無効化する方法も良く知っている。
ミリは左手に持ったナイフを右に持ち替え、マサシの拘束具に当てた。
切断強度はそれほど高くない。刃物を用いれば、ミリの力でも十分切断が可能だ。
ただし、この手の生体拘束具の最も効果的なところは、被拘束者の痛覚に連結するところだった。
すなわち、無理に剥がそうとしたり、切断しようとすると、被拘束者は自分の腕を切られるのと同じ激しい痛みを感じる。
だが今はそんな事を言っていられない。とにかく無効化が先だ。
「おまえ、そのナイフ・・・」
マサシが何か呟いたが、無視して右手に持ったナイフに力をこめる。
勢いよく一気に両断する。
「っ!!!!!」
マサシの身体が激痛に反り返る。
無理もない。手首で腕を切られたのと同じだけの痛みがあるはずだ。
むしろ、よく大声を上げなかったものだ、と少し感心する。
「偉いな。良く我慢した。もう少し我慢しろ。」
激痛に耐え、歯を食いしばって肩で息をするマサシに声をかける。
切断しただけではまだチップが生きている。
解錠用マーキングの内部にチップの受信部と本体が埋まっている筈だ。
マーキングのすぐ脇を切断したので、多少ましな痛みの手術になるはずだ。
手錠の切断面、内側のマーキング下辺りの切断面をナイフの先で抉る。
マサシがのけ反る。
「暴れるな。上手く取り出せない。余計痛むぞ。」
マサシはのけ反り、肩で荒い息をしているが、それでも両手をミリに預けたままにしている。
ミリは手錠の中から小さな痼りのようなものを切り取り、指でつまんで引きずり抜いた。
痼りの後に紐状のものが一緒に引きずり出されたが、これが送受信部と一体化した生体手錠のコントロールチップだった。
引きずり出した生体チップは、確かに人間の肉体の一部と思しき色と形をしているのに、血が一滴も流れていないのはかえって不気味だった。
「よし。終了だ。もうこれ以上痛みはない。手錠の切断面を長時間合わせるな。手錠同士が癒着して元通り繋がる。」
マサシは息も絶え絶えの状態だが、少しずつ落ち着いてきているようだった。
「かなりやられたな。走れるか?」
「大丈夫・・・だ。まだあちこち・・・痛むが、骨は・・・折れちゃいない。」
「では行くぞ。」
ミリは立ち上がり、そして牢の入り口をくぐった。
■ 1.24.2
何とも効果的かつ乱暴な方法で手錠から解放してくれたミリが立ち上がり、檻の入り口を出て行く。
俺はというと、まだあちこち悲鳴を上げている身体の痛みに顔をしかめつつ、ゆっくりと立ち上がり、そしてミリの後について牢屋を出る。
暗闇の中にミリの持つライトの明かりは十分明るく、歩くには困らない。
部屋の中の通路は程なく階段の下に到達し、ミリがゆっくりと階段を上り始めた。
階段を昇るために上を見上げるとどうしてもミリの尻が見えるのだが、ここで俺はとうとう質問を我慢しきれなくなった。
「ミリ。」
「なんだ。問題か?」
「その格好は何だ?」
今俺に見えているミリの格好はといえば、光沢のある真っ赤な生地で出来た前合わせのノースリーブの上着を着て、やたら際どいカットの同じく真っ赤なショートパンツ、そしてそのショートパンツから延びる形のいい足は黒い網タイツに覆われていた。
靴も、服と同じ光沢のある真っ赤な生地で出来たブーツで、そしてセミロングだった筈の黒髪は、背中丈まで延びてポニーテールにまとめられていた。
そもそも、先ほど俺の手錠を切断した変わった形のダガーナイフはどう見ても・・・
「ニンジャだ。」
・・・嫌な予感が的中した。
「ブラソンから教えてもらった。お前の故郷にはニンジャというスペシャルコマンドーがいるのだろう? 少し資料を調べて、その凄さに感動した。ジェネレータなどの補助具も無しに空を飛び、水面を走り、姿を消し、魔術まで使うらしいじゃないか。ある意味、私たち情報軍エージェントの理想型だ。すばらしい。」
ミリは足を止め、こちらを振り向いて熱弁を始めた。
頭が痛くなってきた。もちろん、王宮軍兵士に蹴られた怪我が原因じゃない。
「で、その服は?」
「中央図書館のデータバンクに、運良く画像が数枚あったのだ。」
どこかの忍者アトラクションショーの画像を拾ってきたらしい。
誰だそんなもん図書館に保存したのは。
「で、そのダガーナイフは?」
「王宮にはこの程度の武器しか持ち込めないのでな。ちょうど良いから苦無を作ってみた。どうだろう?」
つい先ほどまでクールでハードな兵士だったはずのミリの顔がゆるんでいる。
どれだけ忍者を気に入ったんだ、こいつは。
というよりも、そんなクソ長い苦無なんて見たこと無い。
いやそれより、そんな真っ赤な光沢のあるショートパンツとか、敵地潜入用にはおかしいとか思わなかったのか。そもそも網タイツなんてこのクソまじめなハフォンでどうやって手に入れた。
いろいろツッコミどころがありすぎてどこからツッコめばいいのか分からない上に、オリジナルの忍者の事を知っている俺の評価を、足を止めて振り返ってまでワクワク顔で待っているミリの顔を見ていると、もう何も言う気が起こらなくなってきた。
「そうか。頑張ってくれ。」
「いつかテラに行って本物を見てみないとな。」
あああ、ここにまた地球文化の犠牲者が、というか、また間違ったニンジャ像が。
ただでさえ地球上の外国人どもがおかしなニンジャ像を広めたところに持ってきて、銀河系に拡散するときにもっと変なことになっているようだ。
空を飛んだり魔術を使ったり、どう考えても生身の人間には無理な設定がなされているのだが、「テランならもしや・・・」などと思われているに決まっている。
俺はもう知らん。
皮肉を言ったつもりだったのだが、基本的に根が真面目なハフォン人のミリにはどうやら通じなかったらしく、俺のコメントを額面通りに受け取り、いつか地球に行って本物のニンジャを見ることを夢見ながら、ミリは階段を昇っていく。
いろいろどうでも良くなった俺は、ツヤツヤのミリの赤い尻と階段を見比べながらゆっくりと階段を昇っていった。
■ 1.24.3
軽い電子音が鳴り、迎えの来訪を告げた。
モニタ上に点滅するスイッチを押し、扉を開ける。
「お待たせ致しました、ダナラソオン様。お迎えに上がりました。支度が調いました。」
ドアの向こうには四人の兵士の姿が見えた。
いずれもこの計画が本格的に動き始めたときから仕えてくれている者達だった。
「承知した。行こうか。」
ダナラソオンは自室の執務机から立ち上がり、扉に向かって歩き出す。
「ダナラソオン様。端末をお部屋に残してお成りください。パワーが切れていても、携帯端末は位置情報を発信し続けます。我々も端末は携帯しておりません。」
「おお、そうか。分かった。」
上着の内ポケットから、既にパワーを切ってある携帯端末を取り出し、机の上に置く。
携帯端末を手放すと言うことは、あちこちに設けられたIDチェックがクリアできなくなるということを示しているが、今日に限ってはこの部屋から格納庫までのIDスキャナは動作を停止しており、問題になることは無い筈だった。
もっとも、もしIDチェックに引っかかることがあろうとも、ダナラソオンの顔を知らぬ者はこの王宮にはいない。
端末を部屋に忘れてきたが、急ぎの用だと言って押し通ることが可能だろう。
LASに身を固め、アサルトライフルで武装した四人の兵士に護られて、ダナラソオンは内宮を抜け、格納庫への道を進む。
「キュロブ上級連隊長は?」
「はい、キュロブ上級連隊長殿は、タルクハブ連隊長殿とご一緒にすでにハフォネミナにご到着なされております。予定通りハフォネミナ220番ピアにて駆逐艦3848373の到着をお待ちです。」
「つまり、全て予定通り、ということだな?」
「はい。我々の知らされている限り、最終版プランから外れている問題は発生しておりません。」
「よろしい。では我々も急ぎ参ろうか。」
ダナラソオンの前に二名、後ろに二名の兵士が従う。
五人はゆっくり堂々と、王宮内の通路を進んでいく。
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