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第一章 危険に見合った報酬
21. 脅迫
しおりを挟む■ 1.21.1
激情に駆られたというわけではないが、それでも十分に腹立たしい話だった。
一つには、マサシをあっさりと切り捨てる結論を出してきたこと。
半ば予想していた結論とはいえ、面と向かって言われるとやはり腹立たしいものだった。
そしてその腹立たしさはもう一方の予想とも関連する。
マサシだけでなく、自分が似たような窮地に陥った場合、同じようにすぐに切り捨てられるのだろうな、という想像。
それが軍と政府のやり方であることは良く知っていたし、理解もしている。
彼らは冷徹にリスクとコストとリターンのバランスで動く。
例えダナラソオンの洗脳を脱することが出来る唯一の駒であろうと、テランのパイロットであろうと、王宮にミリ一人を送り込んで侵入させ、マサシを救出するという作戦を実行した場合、作戦失敗も含めた状況の急転というリスクに対して、マサシというリターンが見合わない、と連中は判断したのだろう。
作戦が失敗し、情報軍が王宮に侵入者を送り込んだという事がバレたときの影響は計り知れない。
そしてブラソンのバックアップでミリが王宮に侵入する場合の、ブラソンのバックアップの力量は連中にしてみれば未知数であり、評価の仕様が無かったのだろう。
そうであれば、失敗したときのリスクは大きく見積もって評価される。
確かに、贔屓目に見てもリスクが大きすぎる。
分かっていた。連中がマサシ救出作戦を了承しないだろうと言う予想は付いていた。
だからこんなところまで出張ってきたのだ。
分かっていたとはいえ、腹立たしい。そこにミリの余計な一言が加速を付けた。
だから、せいぜい本気で怒っている振りをしてやろうとブラソンは思った。
顔から全ての表情を消し、自分なりに一番凶悪だと思っている目つきで、立っているミリを下から睨み上げる。
「お前、なにしに対策本部まで行ってきたんだ、この無能女。説得できませんでした、で済むと思ってんのか。マサシは見殺しか。」
「それが情報軍の結論よ。変更は無いわ。諦めなさい。」
弱い女なら、この口上は情報軍への責任転嫁だろう。
だが、目の前に立ってブラソンを見下ろしている女は、どう考えてもそっちに分類される生物ではなかった。
ならば、この台詞は自分に行動を促しているのだろう、とブラソンは思った。
もちろん、マサシを助けたい、などという思いをこの女が持っていれば、の話だが。
ただ単に自分のチームの失策を回避し、自分への悪評価をかわすための企みの発端としてこっちを利用しているだけかも知れない。
それならそれでも良かった。
どのみちやることは変わらず、成功した場合の結果も同じだった。
「諦められるか。ここで降りたら報酬も消える。俺達の命も、な。諦める気はないね。お前の上司、サベスだったか。通話を繋げ。でなければ面会を要求しろ。」
ミリの目が少し細くなったのが分かる。当然の反応だろう。
「私の上司の名前をあなたに言ったことは無いわ。」
相変わらず、止めたいのか進めたいのか分からない反応をしやがる、とブラソンは思いつつ言った。
「無いな。だが俺は知っている。どういうことか分かるだろう。通話を繋ぎにくいというのなら、俺が繋いでやってもいいぜ。お前の端末を使って、な。」
「あなたが私から端末を奪うつもり? 無理よ。」
「なにも力業で物理的に奪う必要は無いだろう。それとも分かって言っているのか?」
ミリはしばらくブラソンを無表情に見下ろした後、上着のポケットに手を突っ込んで自分の携帯端末を取り出した。
全く素直じゃ無い女だな、と表情には出さずにブラソンは苦笑した。
どういう理由であれ、やっぱりお前も進めたいのだろう?
本気で止めたいのなら、銃を突きつけるなり、首を締め上げるなりすればいい。そうしてこないということは、相変わらずミリはこのまま突き進めと言っているのだ。言外に。
全く疲れる女だ。と、通話が繋がり上司と話し始めたミリを眺めながらブラソンはまた苦笑いする。
だが、嫌な苦笑いではなかった。
携帯端末を顔の横から外し、ミリがこちらを見た。
「いくらわがままを言っても決定事項は覆らないわ。」
まぁ、そうくるだろうな、と思った。
間違いない。ミリはやる気になっている。
あとは、大義名分を整えてやるだけだ。
せいぜい無茶をやってやるさ、とブラソンは腹をくくる。
「埒が開かん。貸せ。俺が話す。」
ミリが固まる。
ブラソンは小さな溜息を付いて椅子から立ち上がる。
いちいち面倒な女だな、お前は。
固まっているミリの左手から携帯端末をもぎ取る。
ついでに一度テーブルの上に、高い位置から明らかにわざと落下させる。
携帯端末はミリの上司と通話が繋がったまま、固い音を立ててテーブルの上で数回跳ねた。
テーブルに転がる携帯端末を乱暴に拾い上げて、耳元に持ってくる。
「よう、上司さん。確か、サベスとか言ったかな、あんたのコードネーム。」
性質上、情報軍のエージェントたちは皆偽名を持っているようだった。
ミリの名もそうだ。
そして、管理職となった彼女の上司も引き続きその偽名を使用していた。
いきなり手の内を全てさらすのもどうかと思い、ブラソンはミリの上司のことを偽名の方で呼んだ。
もちろん、情報軍のサーバ情報から、彼の本名もとっくに分かっている。
「君が私の名前を知る必要は無い。彼女はどうした。」
音節の区切りのはっきりとした、明瞭な発音の声が返ってきた。
軍人らしい喋り方だと思った。
「まぁそう言うなよ。名無しじゃ呼びづらいじゃないか。これからちょっとばかりお話ししようって時によ。」
自分でも思わずニヤけてしまうほどチンピラな話し方だった。
船乗り達と付き合う様になってから、こういう喋り方も覚えてしまった。
あまりやりすぎるとノバグの名前に悪印象がこびり付いてしまいそうだ。
ノバグにはクールかつシャープなイメージでいて欲しいのだが。
サベスの後半の問いはわざと無視した。余りやりすぎてもボロが出るだけだった。
「いくら話そうとも決定は変わらん。かのテランの為に計画全体を危険にさらすつもりはない。」
「計画? あんたたち、何か計画あったのか? 計画が立てられるほどの情報は持っちゃいないだろ?」
これは事実だった。
情報軍のサーバに今回のクーデターに対抗するための具体策など無かった。
あるわけがなかった。
計画を立てられるほどの情報を得られていないのだ。
もちろん、サベスはそれを肯定するようなバカではないだろう。
しかし、全てを知られてしまっている相手に虚勢を張り交渉をしなければならないのは可哀想な役割ではあった。
「情報源は君たちだけではないのだ。自分たちが何も得られていないからと言って、私たちもそうであるとは思わないことだ。」
ブラソンはミリの上司の虚勢を心の中でニヤニヤと笑いながら聞いていた。
「そうかい。そりゃ失礼したね。ところでそろそろ本題だ。俺の言いたいことはミリから聞いていると思うが、考え直してみる気はないかい?」
すでに用意した台詞を口にしながら、ネットワークに集中する。
視野をネットワークに切り替える。
基幹システムの赤い流れと、密集したサーバの赤い球が浮かぶ。
ロケーションサーバにイスアナ市エネルギー局の場所を問うと、少し向こうの方の赤い球が軽い音とともに輝きを少し増し、黄色の円が球を囲んだ。
示されたサーバに飛ぶ。
付帯するフラグメントの中にいくつものサブサーバの存在が見える。
主サーバの情報から、その中の一つがパワーコントロールシステムであると分かる。
上位IDを用いて、そのままパワーコントロールシステムに侵入する。
「先ほども言ったとおりだ。彼一人のために全体を危険にさらすわけには行かない。決定は覆らない。」
ネットワークからの電子音に混ざって、リアルからのサベスの台詞が聞こえる。
空中に別ウィンドウを開く。
リアルでの現在位置周辺のマップを表示する。
緑色の二重輝点は自分の位置だ。すぐ隣にミリの緑色の輝点が見える。
先ほどの対策本部が入っているビルの住所を取得する。
「コドオギルファ兄弟信仰商会本社ビル」? なんだそりゃ?
「そうかい。そりゃ残念だ。生憎俺の方も主張を曲げるつもりはなくてね。結論を出したところ悪いが、そちらに曲がってもらわなければならないんだ。」
空中に開いたマップウィンドウを縮小して端に寄せ、パワーコントロールシステムに「コドオギルファ兄弟信仰商会本社」の位置を入力する。
小さなウィンドウが開き、契約内容、契約エネルギー量や現在のエネルギー使用量、今月の使用料請求明細などの情報が表示される。
ウィンドウ下部に並ぶスイッチ類の中に「緊急停止」と書かれたものを見つけた。これだ。
「君は誰が雇用主か思い出す必要がある。決定に従え。勝手は許さない。」
さて準備は整った。
後は、実際はどちらが上位にいるのか、実際に思い知ってもらうだけだ。
「あんたこそどちらが支配的立場か知る必要があるようだ。もう一度尋ねる。考えを変えてみる気はないか?」
サベスは今、なぜブラソンがこれほど自信に満ちているのか不審に思っているはずだ。
想像できるのは、どこかに物理的な破壊力のある爆弾を仕掛けたとか、ブラソンが直接システムに侵入してクーデター対策本部のネットワークに破壊工作をするとか、そんなとこだろう。
そんなやり方はつまらない。
とりあえずの傷は浅いが、とんでもなく深刻な事態に陥っている事が簡単に理解できるような決定的な一撃が必要だ。
「一介のハッカー風情が何を言っている。この件について話すことはもう無い。」
今頃サベスの中では、ブラソンが何を仕掛けてくるのか不安と疑念が渦巻いているはずだ。
決定を変えるつもりはないと言いながらも通話を切らないのがその証左だ。
もしかしたら部下を動員して、ネットワーク上で防御を固めているかも知れない。
ビルの中に不審物がないか、情報局員が走り回って総点検しているかも知れない。
オレ様がそんなストレートな面白くないことをするわけ無いじゃないか。
「残念だよ。
「これからあんた達のところにちょっとした不幸が訪れる。少しそれを体験してもらってからもう一度お話ししないか? たぶんお互いに納得できる譲歩が可能になる。」
「貴様、何をするつもりだ?」
サベスの言葉を聞き終わる前に、パワーシステムのウィンドウの「緊急停止」のスイッチを入れる。
「本当に実行するか?」とシステムが誰何する。もちろんだ。
携帯端末の向こうから悲鳴とも怒号とも付かない音が聞こえる。
左目の視野を現実に戻す。
ネットワークが3D表示できなくなるが、仕方がない。
ブラソンはネットワークと現実が二重写しになった視野でミリを見た。
ミリはブラソンの向かい側の椅子に座っており、これまでのやりとりからブラソンが何かをやらかそうとしていると知って、不審げな視線をこちらに投げかけてきていた。
「貴様、何をした。パワーを戻せ。」
ブラソンは何も答えなかった。
クーデター対策本部のビルの中は大騒ぎになっていた。
情報軍の支部である関係上、もともとそれほど窓の多いビルではなかった。
外から覗かれたときのカモフラージュ用に事務所や廊下の一部は窓際に設置してあったが、重要部署は全てビル内部の部屋にあった。
窓からの侵入者に備え、窓際の部屋や廊下から内部には簡単に侵入できない構造になっていた。
言わばビルは外郭と内核の二重構造になっており、内核が情報軍本体であり、相互の行き来は殆どできない構造となっていた。
つまり、本体のある内核に外からの明かりは殆ど差し込まない。
そのような構造のビルの電源が落ちた。
活動中の端末は全てパワーが落ちた。
携帯用にパワーユニットを内蔵しているもの、パワーが落ちても記録を保持する機能を持つもの以外は全ての情報が消失した。
部屋の中がほぼ完全に暗黒になり、歩行中の者は何かにぶつかるか、その場に立ち止まるかするしかなかった。
サベスの命によって、建物内に仕掛けられた不審物を探して走り回っていた達者は、突然の暗黒に壁に激突するか、階段を転げ落ちてやはり壁に激突した。
リフトに乗っていた者は、さすがにこればかりは備えてある非常用パワー供給の働きにより落下することはなかったが、そのかわり中途半端な空中で固定されてしまい、登ることも降りることも叶わなくなった。
より深刻な問題もあった。
軍の組織として、常に侵入者を監視しチェックしていた、建物のセキュリティシステムが完全に停止した。外敵に対する防御が完全にゼロになった。
エージェントの活動や、マークした人物の行動を常にモニタしているシステムが停止した。証拠能力のある行動ログに致命的な空白が生じた。
そもそも突然の停電に誰もがパニックになり、業務が完全に停止した。
突然の完全な暗黒に驚いて泣き出す女性部員までいた。
相互補完できる網目状のパワー供給によって、このようないわゆる停電は、意図したもの以外この数千年発生したこともなかった。
誰もが驚くのも無理はなかった。
そのうち誰かが、携帯端末の画面で辺りを照らすことを思い出し、暗闇の中にいくつもの四角い明かりが浮かび上がった。
すすり泣いていた女性部員の肩を抱き、不安げに天井を見上げる女性部員。
壁に激突して床にうずくまって呻き声を上げる男に声を掛ける者。
早くも冷静さを取り戻し、状況確認を叫ぶもの。
テロリストの突入に備え、非常用の武器庫から銃器を取り出して階下に走る者。
建物全体が暗闇と怒号に包まれていた。
そして突然、全ての明かりが元に戻った。
「如何かな? 提案を再考してもらえる心の余裕はできただろうか?」
いまの台詞回しはまるで子供向け娯楽ビデオの悪役だった。
こうなったらとことん演じてやる、と半ばやけくそ気味にブラソンは気合いを入れる。
「何をした。ここは情報軍の施設だぞ。軍施設に破壊工作をする事の意味を分かっているのか?」
「何もしていないさ。あんたは忘れている。俺の本職はハッカーで、そしてこの惑星上の殆どありとあらゆるものはシステムで制御されている。そしてその手のシステムは全てネットワークに繋がっている。そう言うことだ。ホテルから脱出した際、ビークルを一台好きに使わせてもらった話は聞いているだろう? ビークル一台も、ビル一つも、惑星一つも、大した差じゃないさ。」
さすがにかなり誇張を含んでいる。
ビークル一台を占領するのと惑星を丸ごと支配下に置くのとではずいぶん労力に差がある。
しかし今はこう言っておくべきだろう、とブラソンは笑いを押し殺しながら考える。悪役として。
「貴様。情報軍を脅迫するつもりか?」
ギリギリと噛みしめた歯の間から絞り出すようなサベスの声が端末から聞こえる。
「何を寝ぼけたことを言っているんだ。脅迫しているんだよ。」
端末の向こうに沈黙が降りた。
さすがに火に油を注ぐばかりでは話がまとまらないだろう。この辺りで相手が乗って来易いように少し呼び水を出しておかねば。
「なぁ、あんた。何も俺は情報軍と真っ向から対立しようって訳じゃない。俺達の利害と目的は一致している。そうだろう?
「一日二日程度ミリを貸してくれて、そしてあんたは少し眼を瞑ってくれりゃ良いだけの話だ。あとは、ミリが突入するための装備品を少し、かな。失敗したときには、ミリの独断専行で情報軍は知らぬ存ぜぬを通せば良いだろう? 成功すれば、マサシが持っている情報が手に入る。ダナラソオンの至近にいた男の情報だぞ。欲しくないか?」
勝手にミリが処分される話にしてしまったが、左目に映ったミリは表情を動かさない。つまり、同意しているのだろう。
端末の向こうはまだダンマリだった。
「知ってるんだよ。悪いけど。あんた達対策本部のサーバの中は見させてもらった。計画も何もないんだろう? 余りに情報が少なすぎて。少しでも情報を回収できる可能性のある俺達に賭けてみないか?
「王宮や、あんた達が敬愛してやまない皇王陛下に余計な真似をする気は全く無い。ミリが忍び込み、マサシを助け出して脱出するのをサポートするだけだ。さっきみたいな無差別なのも無しだ。センサーやカメラを個別にいじるだけだ。」
もう少し沈黙が続いた後、端末の向こうのサベスの声が聞こえた。
「条件がある。」
対策本部内部は落ち着きを取り戻しつつあるようだ。バックグラウンドで聞こえていた怒号がかなり低くなっている。
「可能であれば。」
「ミリは好きに使え。計画は先に私の承認を得ろ。そしてお前はここからミリをバックアップするんだ。」
「計画は先に教える。だが承認は余計なお世話だ。そもそも承認したらあんた、責任取らされるぞ。」
「良かろう。」
「一旦宿に帰っていろいろ処分したらそこに行く。変な気を起こすなよ。定時で俺のチップからの信号を受け取れなくなったら、あちこちいろいろ動き出すぞ。あんたんトコのヒヨッコ四人組が、俺の尻尾を見つけることさえできないのは知ってるんだ。」
「了解した。言ったからには約束を違えるつもりはない。」
「ハフォン人てのは実直質実剛健でいいねえ。好きだよ。ああそれから。俺が先に頼んだシステムのセット、もう一回頼めるかな。一番使い慣れているんだ。」
「了解した。できるだけ希望に応えよう。」
ブラソンは通話を切った。
同時に右目の視野も現実世界に戻して、ネットワーク接続を一旦切る。
端末を返しながらミリの顔を見ると、呆れたような、諦めたような微妙な表情をしてこちらを見返してきた。
少し面白がっているような雰囲気が混ざっている気がしたのは、気のせいだろうか。
二人は席を立ち、レストランの正面でビークルを止め、乗り込んだ。
ビークルが浮き上がり、流れ始めた車窓の景色を眺めながらブラソンは思った。
俺がこうすることを分かっていて、ミリはあの余計な一言をわざと口にしたのだろうか。
ミリとの短い付き合いと、外見と併せて性格をコロコロと変えられるという彼女の特技から、そこのところのミリの思惑までは推量できなかった。
しかしそれはどちらでもよかった。いずれにしても、元々このように行動するつもりだったのだ。
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