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第一章 危険に見合った報酬
5. スヤ・ハファハ星系第三惑星ハフォン、首都イスアナ
しおりを挟む■ 1.5.1
ハフォン入国直後、通路を歩いていた所でいきなり警報が鳴り、身体の自由を奪われた。
警報は大音量で鳴り続けている。
いきなりバレたか?
心臓が口から飛び出そうなくらいに激しく脈動しているのがわかる。
継ぎ目無く見えた白い通路の壁の一部分が開き、警備員らしき武装した男達が五人出てきてこちらに近づいてくる。
マズい。焦っているのが顔に出るのはマズい。
顔から血の気が引いていくのが自分でも分かるが、それでもどうにか平静な振りをする。
警備員はそれぞれ手に棒状の何かを持っている。
警棒にしては華奢な構造だと思っていたら、一人の警備員が手近な下船客の顔の近くに棒をかざす。
棒本体が白く光って軽いチャイム音を鳴らす。
警備員は別の下船客の近くに移動し、同じ行動を繰り返す。
五人の警備員が皆同じ行動を取っている。
チップをスキャンしてIDを確認しているのだと分かる。
まさかもう俺たち二人の手配が回っているのか?
入国時にはIDの詐称も何もしていないので、基本的には問題無い筈だが、相手はハフォン政府内の有力者を中心としたグループだ。何を仕掛けてくるやら分かったものではない。
しかし、逃げ出そうにも身体の自由が利かず、どうすることも出来ない。
俺のすぐ前に立っている男のところに警備員の一人がやってくる。
スキャンし、スキャナーが白い光とチャイム音を発生する。
次は俺だ。
警備員がすぐ脇に立つ。
スキャナを俺の顔の近くに持ってくる。
何とかこの場を切り抜ける方法を必死で考える。
何か出来る事はないか。逃げ道は?
しかし、考えは空回りするばかりで、身体の自由を奪われた状態ではどんな良案も見つからない。
警備員と眼が合う。
俺を見る表情が僅かに険しくなったような気がする。
焦っている事に気付かれたか?
警備員が腰に吊ったハンドガンのグリップが見えている。
この男がこれに手を伸ばす前に奪うことができれば。
しかし警備員を殴りつけることさえ出来ない。
手は動かないわけではないが、冗談のような緩慢な動きしか出来ない。
警備員の手が動き、スキャナがゆっくりと上に動く。
スキャナが俺の顔のすぐ脇で白い光を出し、耳元で軽快なチャイム音が鳴った。
警備員は俺から離れていった。
どうやら俺が対象者では無かったらしいが・・・どういうことだ?
結局、その場に拘束された四~五十人全員がスキャンされたが、誰も連行されるようなことはなかった。もちろん俺も、ブラソンもだ。
五人の警備員達も仕事を終えて手慣れた風にもとの扉に戻っていく。
「またかよ。ったく、最近誤動作多すぎるぜ。」
戻りしなに警備員の一人が毒づいているのが聞こえた。
通路に設置してある入国管理用のチップスキャナの誤動作だったというのか?
ブラソンと並び、やっと通常状態に戻り始めた血流を意識しながら、努めて平静にゆっくりと歩いてその場を離れる。
「かなり焦ったな。」
しばらく歩いてからブラソンに話しかけた。
「何にせよ、何も問題が起こらなくて良かった。慌てて妙な行動を起こさなくて良かった。」
起こさなかったのではなくて、起こすことができなかったというのが正しいのだが、結果は同じだ。
「俺の斜め後ろにいた男が、随分念入りにスキャンされていた。あの青いジャケットの男だ。」
ブラソンが顎をしゃくった方、俺達の進行方向十歩ほど先を一人のハフォン人とおぼしき銀髪で中肉中背の男が歩いていた。
身なりからして、ちょっとした金持ちが商務でこの星を訪れた、といった風に見える。
「スキャンされていた? ハフォン人だろう? チップを持っていないはずだ。」
「・・・そうだな。ハフォン人だ。」
ブラソンはそう言って思案顔になり黙った。
俺たちは人波に乗って黙々と都市交通ビークル乗り場へと進んでいった。
俺たちは丸っこい特徴的な形のビークルに乗り込んだ。
車内は案外広い。車体後部に設えられた向かい合わせに座れるベンチ席に座る。
ドアが閉まると同時に軽快な音楽が鳴り、チップIDのプロテクトを外して行き先を告げる様にと、管制システムの車内アナウンスが流れる。
チップIDのプロテクトはもとより外してある。
ハフォン星系の首都イスアナにある指定のホテルの名前を告げると、了解したと言ってビークルはまっすぐにハフォンを目指して進み始めた。
ビークルの窓の外、ハフォネミナが遠ざかる。
少し離れてみると、なるほどハフォネミナが環状だというのがわかる。
ハフォンからの反射光に照らされて淡く白く光る細い帯が、ゆるく湾曲しながらずっと遙か彼方まで続いている。
そのさらに先の方は、糸のように細くなった白銀の帯が宇宙空間の星と闇の中に消えて見えなくなる。
いくら宇宙空間でも数万キロも先のたかが幅50kmの構造物まで肉眼で視認することはできない。
それに対して前方にあるハフォンはすばらしい勢いで近づいてくる。
半月状に太陽光が当たっているうっすらと緑かかった右側の半球では、陽光を受けた純白の雲がマーブル模様で渦を巻いている。
赤道近くに大きな低気圧が発生しているのが見える。
雲に隠れて全てを確認することはできないが、海の面積の多い惑星の様だった。
反対側の夜の半球には、まるでイルミネーションの光の点で書いた入れ墨のように、街明かりが浮かび上がっている。
街と街が薄い線でぼんやりと繋がっているのが分かる。
海岸沿いにも人口密集地があり、くっきりと海岸線を浮かび上がらせていた。
あの明かり一つ一つが人々の営みを表している。
当たり前の事なのだが、それでも不思議な感覚を覚える。
銀河の星々が星雲を成すように、雲状にぼやけて集まった小さな光の鱗粉一つ一つが小さな一つの家であったり、巨大なオフィスビルの一つの窓であったりするのだ。
巨大なガス惑星の表面に渦巻く複雑な模様も美しくて見飽きないが、人類居住惑星の夜の表面に刻まれた、人々の暮らしが織りなす明かりの模様は息を呑む程の美しさがある。
行く先々のいろいろな惑星でこの明かり模様をみる度に、ああ本当に宇宙に上がって良かった、と思う。
俺はこの惑星外から眺める夜景が好きだった。
そこに、地上の人々の日々の営みを想いながら光の洪水を眺める。
柄にもなく優しく穏やかな気持ちになれる。
ビークルは素晴らしい速度でまっすぐ大気圏に突入する。
隕石並みの速度で突入したビークルのシールドの外側で大気が白熱する。
薄雲を抜け急激に減速するビークルの前に、森に囲まれた巨大都市が現れる。
都市の回りは海と見まごうばかりの広大な森が広がっている。
少しいびつな円状に広がった都市の中心部に大きく、そこだけ緑の濃い部分がある。
王宮とその周辺の首都機能施設が存在するエリアだ。
都市の上空に近づくと、地上近くを飛んでいる他のビークルが目立つようになる。
俺たちの乗ったビークルは首都の市街地の外縁部を目指して高度を落としていった。
ホテルの軒先の路上にビークルが止まる。
車寄せなどという洒落たものなど無い程度の安ホテルだった。時刻は夕方と言って差し支えのない時間になっていた。
安ホテルの前、という限定的状況下ではあるが、はじめて降り立ったハフォンの星、イスアナという街を見回す。
緑の多い、静かな街だった。
大きく傾いた太陽から、柔らかな光が地上に降り注いで長い影を作り出している。
ホテルの周りには、それ程高い建物は無かった。住宅街に近い構成の地域の様だった。
ホテルの中に入りフロントデスクで名前を言うと、すでに宿泊代は支払われているのでそのまま部屋に入れと言う。
多分、このホテル自体がミリ達情報軍の息のかかったホテルなのだろう。
部屋に入り少しのんびりとしていると、一時間もしないうちにミリからのメッセージが入る。
別の部屋が確保してあるのですぐにそっちに来い、との事だった。
ほぼ同時に部屋から出てきたブラソンと合流し、余り広いとは言えない少々薄暗い廊下を歩き、指定の部屋に着いた。
ドアチャイムを押すとすぐにドアが開いたが、中から顔を出した女はミリではなかった。
肩までの長さのセミロングの黒髪が艶やかな、鳶色の丸い眼をした女だった。
「入って。」
そう言ってドアを開けたまま女は部屋の中に引っ込んだ。
ブラソンと顔を見合わせ、俺たちは言われるがままに部屋の中に入り、ドアを閉めた。
「早速だけれど、明日からの行動の方針を立てるわ。」
戸惑っている俺たちに構わず、さも当然のように女は話を進め始めた。
新しい情報軍との繋ぎ係だろうか。
自己紹介もまだだった。俺たちは彼女をどう呼べばよいのだろう。
「ちょっと待ってくれ。あんたは何者だ? ミリはどうした? 彼女もハフォンに着いているんだろう?」
女は一瞬丸い目をさらに丸くして、キョトンとした表情を見せた。
「は? ・・・ああ。なるほど。」
女は何かに納得したようだったが、俺たちは何も納得できていなかった。
新しい連絡係が来るという知らせは受けていない。
「あなたたち、観察力がないのね。大丈夫?」
何を言っているのかわからない。
いや、もしや。
「ミリか? 変装しているのか?」
「当たり前でしょう? 他に誰がここに来るというの? 船の中ですれ違ってもこっちを意識さえしないから、もしかしたらと思っていたら、本当に私だと気付いていなかったのね。ということは、もしかして私が最初の酒場にいたのも気付いていないの?」
なんだって? 最初の酒場? 船の中?
「マサシ。私はあの酒場であなたの隣に座っていたのよ。知らないの?」
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そもそもネット上のエロサイトから飛び出してきたような、いかにも娼婦といった感じの、少し気だるげな色気のある美人であって、今目の前にいる明るく優しそうな顔をした女でも、怜悧でスパイもののビデオ映画にでも出てきそうな冷たい青い眼のミリとも全く違う女だった。
それは見てくれだけの話ではない。
しゃべり方、身体の動かし方、身にまとう雰囲気、そういった個人を特定するための特徴となるもの全てが、三人がそれぞれ別人であることを示していた。
いや、本気で他人になるためにはそうでなければならないのだろう。
そして今俺の前にいる女は、諜報機関のエージェントだ。その道のプロだ。
「マサシだけでなく、ブラソンも気付いていなかったのね。まったく。情報軍を甘くみない事ね。二重三重の保険をかけているに決まっているでしょう。」
言葉もない俺たちを交互に眺めながら、あきれ顔のミリが両手を腰に当てて言い放つ。
どうやら彼女は、変装して顔立ちが変わると性格や動作の癖まで変わるようだった。
よく喋り、動作の表情が豊かだ。今の顔から受ける明るく元気で優しそうな女、という印象そのままの性格をしている様だった。
「さて。私に関する状況が理解できたなら、仕事に取りかかるわよ。まずは役割分担から。」
まだ多少混乱が残る俺たちを精神的に半ば置き去りにして、ミリが場を仕切る。
「マサシには王宮へ行ってもらって、まずは相手組織の情報収集と、潜入の突破口を掴んでもらいます。今日はもう夕方で、王宮の事務方もオフィスを閉める時間だから明日からスタートね。
「中心的なターゲットは、レブレイ・ダナラソオン相談役だと特定できているのだけれど、その周囲がどうもはっきりしないの。相談役と関係が深い秘書室や、王宮の中で実力を行使するのに必要な近衛兵団は確実に支配下におかれていると思って良いわ。
「問題はそんな実行部隊ではなく、リーダークラス、特に組織をまとめている幹部リーダークラスがサッパリわかっていない事よ。宰相は敵なのか味方なのか、軍の大元帥はどうなのか、内務大臣はどうなのか。はっきり言って誰が味方で誰が敵なのか分かっていなくて疑心暗鬼状態なの。どんなリーダーがどの規模で存在するかが分かっていないから、クーデター組織の裾野の広さも分からない。」
そこまでをミリは一気に喋った。
その内容に、俺は半ば呆れ、半ば驚く。
「クーデターが近いとか言いながら、それさえも分かっていないのか。情報軍がそんな体たらくでどうする。甘く見るな、と言ったのは誰だ。」
意趣返ししたかったわけではない。諜報組織だと言う割に、情報が全然集まっていないことに本当に呆れただけだ。
「仕方ないのよ。クーデターの計画があるらしいと気付いたのは最近。それもネットワーク上のキーワード解析から高い確率で予想されているというだけで、規模や方法はネット上から拾えていないの。
「洗脳されている連中は、一見普通の状態と全く差がないわ。人格も元のまま、言動も奇異ではない。でも、捕まえて催眠状態下で尋問していくと洗脳されていると分かる。
「とは言え、政府や軍の高官を片っ端から捕まえて催眠尋問するわけにも行かないでしょう? そもそもそんなことをすれば、情報軍が気付いているという事を敵に気付かれてしまう。そうすれば連中を警戒させてしまって、もっと見つけにくくなる。
「だからマサシには組織と接触してもらって、組織の中に入ってもらう必要がある。地球人パイロットであるという利点を最大限に使ってちょうだい。相手から、スカウトするべき人材と思われなければ声をかけてももらえないわ。」
ミリは少し困ったような表情をしながら、こちらを見て説明する。
ダマナンカスで襲撃の夜、脱出した後の酒場で話をした時とは喋り方が全く異なる。
あのときのミリはまさに俺が頭の中でイメージしているスパイという存在そのものの喋り方をした。冷たく感情がこもらず、こちらの都合など無視して必要なことだけを手短に伝える。
今の彼女は感情豊かに喋る。
まるでどこかの民間企業のマネージャが、部下を前に新しい仕事の段取りを説明しているようだった。
「ここが大事なところよ。いい? マサシ、アナタでなければできないの。だからわざわざ何千光年も彼方のハバ・ダマナンまで出向いたの。組織に入れば間違いなく洗脳される。普通は一度洗脳されたらもうこっちには戻って来れない。だけど、あなただけは、あなたの名前だけは戻ってこれる。あなたが自分の名前の意味を意識する限り。そして戻ってこれるあなただけが、私たちに情報を伝えることが出来るの。」
普通、こんな美人にこんなに熱っぽく説得されたら、高額の報酬がなくても皆喜んで危険に飛び込んでいくだろう。
いろんな意味で恐ろしい女だった。
ミリはまるでこちらを睨んでいるかの様な熱のこもった視線を外すと、脇に置いたバッグの中から黒い棒状のものを取り出して俺に渡す。
「パーマネントペンよ。腕でもお腹でもどこでも良い。あなたの名前を漢字で書いておいて。今すぐ。それを見たときにあなたはあなたの名前とその意味を思い出す。そして魔法が解ける。」
俺はペンを受け取ると、左前腕部に「正司」と自分の名前を書く。それが文字であると分かり難い様に正方形に切れ込みが入っている様な意匠で。
この形なら、たとえ誰かに見とがめられても、認識票だとか、スキャン用マーキングだとか、いくらでも言い訳が出来る。
パーマネントペンで書くと、よほどの力の摩擦か高温でない限り消えることはない。
人の皮膚に用いると速やかに浸透して、半永久的な入れ墨の様になる。もちろんイレーザーペンというのもあって、そのペンでなぞるとインクは消える。
「それがおまえの民族の文字か? 面白いな、随分システマチックに見える。」
ブラソンが俺の左腕を覗き込んでしげしげと眺める。漢字に興味を持った様だ。
この男だと、明日の朝には漢字仮名交じり文の日本語を書き出しかねない。これはわざと少し意匠を凝らしてあるのだ、と説明する。
「しかし、大きな問題もあるぞ。」
ずっと気になっていることを切り出す。
「どうやって潜り込む? そもそも、どうやって相手の組織と接触する機会を作る? 俺はハフォン王室にコネなど持っていない。まずは王宮に潜り込まないことには、接触する機会さえないぞ。」
もちろん、そんなことは情報軍の方でなんとかするだろう、とは思っている。いや、時間がないと言うのであれば、して貰わなければ困る。
「そこはこちらでなんとかするわ。明日の行動開始までに適当な紹介状を用意しておく。王室にすでに納品のある有名どころの商社の紹介状なら邪険にはされないでしょう。それを持って王宮の総務庁に行ってくれればいいわ。そうね・・・あなたの名前をとって『キリタニ運送』という会社名で良いかしらね。」
ミリが破滅的に陳腐な会社名を提案する。思わずため息が出る。
「・・・おまえ、そういうセンス無いのな。」
「うるさいわね。本当に会社を興すわけじゃないからどうでも良いじゃない。」
そう言ってミリは少し拗ねた様な表情をする。感情豊かな大きな丸い目が、まっすぐにこちらを見ている。
それが作り物の感情と表情だと分かっていても思わずドキリとする。
今変装している顔がどういう特徴を持っていて、どういう表情が相手にどのような印象を与えるか、多分全て計算し尽くされているのだろう。
「とりあえず次のブラソンの役割に移りましょう。私のも含めていったん全てあらましを説明してから、今度はそれぞれ詳細の説明をもう一度するわ。その方が理解しやすいと思うから。さて、ブラソンだけれど・・・・」
どうやらこの3人でチームとなっているらしい。
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