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バレンタイン特別企画④ラインハルト

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~別の休み時間~




くそー。フェリクスめ。傷心を装って、こっちを騙すなんて、卑怯千万なり。
少し冷静に考えれば、食べさせてあげるまでがワンセットなんて、おかしいに決まってるじゃない。
周りを探れば、カップル同士は普通に受け取るだけで終わってる。

「レコ君も何も言わなかったし。まんまとやられたわね。うー、今日こそは私のほうがドキドキさせてやりたかったのに。悔しい」

それだけ敵は海千山千をくぐり抜けた、強者ということね。ふっ、所詮、恋愛経験ゼロの干物女は勝てませんよ。
やさぐれて遠い目をした私は、ぽつりと呟く。

「……そうだわ、癒されにいこう」

そうして私が足を向けた場所は、『数学準備室』と書かれた扉の前。

――コンコン。

「はい」
 
扉の向こうからの穏やかなトーンの声。 

「先生、カレンです」

「カレンさん?」

ガララと扉が音をたてて、開かれる。
生徒が開けるのが普通なんだけど、私の時は違うから、こういうときは特別扱いだなって思うんだよね。そういう些細な気遣いが、なんだか気恥ずかしくて、嬉しいような――。

「入って」

ラインハルトが言うと、どの言葉も優しさが詰まってるように聞こえるから不思議。

「お邪魔します」

「そこのソファにどうぞ」

指し示された部屋の片隅のソファに腰に下ろす。茶色い革張りの落ち着いた色のソファ。きっとラインハルトが普段くつろぐときに座っているソファ。ほかの生徒が座ることもないソファ。
数学準備室は、ラインハルトの柔らかな雰囲気が溶け込んでいる。
ああ、やっぱりここに来て正解だったわ。
心臓に悪い人間を相手にしたあとには、大人の包容力を持つラインハルトが一番よ。
癒やされるわ~。
見てよ、あの窓からの光を浴びて、尚際立つ長身を。春の芽吹きを思わせる新緑のような瞳の色を。あの柔らかそうな光り輝く髪の色を。ん~、眼福だわ。

「はい、コーヒー」

「あっ、すみません」

いつの間にか二人分のコーヒーを用意したラインハルトが近寄ってきて、ソファの前の小さなテーブルにコップを置くと、隣に座った。

「カレンさんがこうして訪ねてくるなんてあまりないから嬉しいな」

「――あ、あの、今日は渡したいものがあって」

「なに?」

「あの、これ、クッキーなんですけど……」

婚約したといっても、ラインハルトとは生徒と教師の関係以上のことはこれまでになかった。ラインハルトは軽々しく手を出してくる人間ではないし、その上、教師と教え子という立ち場がそうしているのだと思う。

「もしかしてショコラブデーの?」

だから、もしかしたら受け取ってもらえないかも……。

「嬉しい」

「え?」

空耳かと顔を上げた私の目に、ラインハルトの笑顔が飛び込んだ瞬間、そんな不安は霧散した。

「……受け取ってくれるんですか?」

「もちろん。生徒からのチョコは毎年断ってるんだけど、カレンさんは僕の婚約者だからね」

嬉しそうに微笑む緑の目。

「開けていい?」

「あ、はい。もちろんです」

緑のリボンがしゅるりと解かれると、チョコチップ入りクッキーの甘い香りが漂う。

「美味しそう」

「お口に合うといいんですが……」

「もしかして、これはカレンさんの手作り?」

「はいっ」

「カレンさんはもう食べたのかな」

「……味見に一口だけ」

ラインハルトが口元を緩める。

「じゃあ一緒に食べよう」

「えっ? 先生にあげたんですから、先生が全部食べてください」

気を使わせちゃったわ。物欲しげに見えたのかしら。もっと言葉を選んで言えば良かったな。
ラインハルトとは婚約者らしいことをしていないから、こういう機会だからこそちゃんと婚約者らしく完璧に振る舞ってあげたかったのに。逆に気をつかわせちゃうなんて。
焦って首と手を振る私に、ラインハルトが柔らかく微笑んだ。

「美味しいものは、大切な人と一緒に食べたほうがより美味しく感じられると思うんだ。もちろんクッキーを貰えただけで充分満足なんだけど、ただ、この日がもっと僕の中で思い出に残ったら嬉しい」

「先生……」

そこまで言われたら、断れるわけなんかない。というか、そこまで言われたら、婚約者冥利に尽きる。
なんだか、クッキーだけじゃなくて、ラインハルトからも甘い空気が漂っている気がする。

「じゃあ、お言葉に甘えていただきます」

箱のクッキーに手を伸ばして、ラインハルトと一緒に口へ運ぶ。
さっくりとした食感のなかにチョコの甘さが絶妙に広がっていく。

「すごく美味しい」

「良かったです。嬉しい」

ラインハルトの言葉に私は笑顔になる。 
コーヒーの湯気が漂う中、たまに目が合うと微笑みながらクッキーをお互い口にして――。
そうしてまったりと時間が進んだ頃――

「そういえば、先生、クッキーが私の手作りだってよくわかりましたね」

一見したところ、お店のものと変わらないくらい丁寧に包んだのに。

「ああ、だって、カレンさん、入学式の自己紹介のときにお菓子作りが趣味だって言ってたよね。それで、もしかしたらって」

ああ、そういえば、そんなことも言ってた気がする。遠い記憶をなんとか脳の表層へと引っ張り出す。
当の本人がほぼ忘れたものを覚えているなんて――

「先生はやっぱり生徒想いですね」

感心して呟けば、ラインハルトが首を捻った。

「生徒のことはできるだけ気にかけてやりたいと思ってるのは本心だけど。んー、カレンさんに関してはちょっと違うかも」

「どう違うんですか?」

「好きな相手の言葉は忘れないよ」

「……」

今、唐突に爆弾が落とされたような……?

『好きな相手』

『好き』って言葉、初めて言われたかも。
確かに婚約は申し込まれたし、大切にされてることも学園生活の合間合間でなんとなく、周りに悟られない程度に伝わってきていた。
直接的な愛情表現をもらったことはないだけで。 
これからも、彼が教師である以上、『好き』なんて言葉、出てこないだろうなと思っていた。

だけど、今――。

じわじわと熱くなってくる頬。
ラインハルトが私に対して使う『好き』って言葉、きっとすごく重みがある。

――こんな素敵な人が私のこと――。

思わず感じ入って、ぼうっと見つめていると、ラインハルトが私の視線に気づいて、くすりと笑った。

「そんな可愛い顔で見つめられたら、クッキーだけじゃ物足りなくなってしまうよ。いけない子だ」

「へっ?」

日の光に照らされた新緑のようなペリドットの瞳が近づいてきたと思ったら――
   
「チュッ」と軽やかな音が私の頬から鳴った。

「ふふ、ごちそうさま」

そう言って笑う顔は少年めいているのに、大人の色気が漂っていて。
一瞬何が起きたか、思考が追いつかなくて、石のように固まってしまう。
徐々に何が起きたか理解するにつれ、みるみる自分の頬に朱が立ち昇っていくのがわかった。

「へ? あ、あ、ああの――」

キスされた頬を手で包む。

「ごめん、カレンさんが可愛くてつい」

ちょっと悪びれて笑うラインハルト。
そういうラインハルトの表情のほうがよっぽど可愛くて、なんだか今起こったこと全て許してしまいそう……。
魔性だわ。邪気のない顔して、この人が一番魔性な気がする!

「うん、美味しい」

再びサクリとクッキーを口にするラインハルト。
甘い香りとコーヒーのほろ苦い香りが漂う、心地よい空間にまた舞い戻る。
今、起こったことは白昼夢だったのかしら。
そう思うくらい、ラインハルトが醸し出す空気は優しくて。
そんな穏やかな横顔を間近で見ることができた私は、なんだかんだ癒やされるひと時を最後まで楽しんだのだった。





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本編ではなかったキスシーンがついに……!!(ほっぺですが(^_^;))
今日は年に一回しかないショコラブデーということで、特別に、ラインハルトの教師という立場も緩んだようです。

少しまえのカレンだったら、恥ずかしさで逃げ出してるか、意識が飛んでると思いますが、ここ半年間の彼らとのやり取りで免疫がついて、少しは成長しているようです。偉いぞ、カレン!

明日はユーリウスとエーリックです。


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