切り札の男

古野ジョン

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第二部 大砲と魔術師

第十九話 雪辱

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 リョウは投球練習を終え、落ち着いた表情でマウンド上に立っていた。二番の右打者が打席に入り、審判が試合を再開すると、彼はじっと芦田のサインを見つめた。状況は一点差でワンアウト一三塁。スクイズにダブルスチール等、様々な作戦が考えられる場面となった。芦田は木島工業の様子を伺いつつ、何を投げさせるか考えていた。

(さっきスクイズを失敗してるし、仕掛けにくいはず。初球、しっかりカウントを取る)

 芦田は直球のサインを出し、外角低めに構えた。リョウはセットポジションに入り、一塁に牽制球を投じた。返球を受け取り、ふうと息をついてから、小さく足を上げて初球を投じた。ボールが芦田の構えたミットに吸い込まれていく。打者は手を出さず、見逃した。

「ストライク!!」

「ナイスボール!!」

「いいぞリョウー!!」

 芦田はリョウに球を返しつつ、次のことを考えていた。彼はスクイズを警戒し、ウエストするようにサインを出した。リョウはその通りに第二球を投じたが、木島工業に動きはなくボールとなった。

(打たせてくる気配だな。インハイの直球で内野フライを狙うか)

 スクイズの可能性が低いと判断した芦田は、内角高めのストレートを要求した。リョウの制球力でしっかりと投げ込めば外野フライになる可能性は低い、そういった判断だった。

「打たせてこいよー!!」

「リョウ、頑張れー!!」

 内野陣からも、リョウを励ます声援が飛んでいた。リョウ本人はというと、このピンチでも動揺することなく冷静にマウンドに立っていた。やはり一年生ながら、ずば抜けた精神力を持ち合わせていたのだ。

 彼はセットポジションから小さく足を上げ、第三球を投げた。白球が芦田の要求通りに内角高めへと進んでいく。バッターも手を出していったがバットを振り切れず、中途半端なスイングとなった。打球が左方向へと舞い上がり、浅い外野フライとなった。

「レフト!!」

 芦田が大きな声で指示を出した。久保は打球を見ながら落ち着いて前進してきた。

「浅いし、タッチアップ出来ないはずです!」

「うん、リョウくんよく投げ切ったね!!」

 マネージャーの二人は、打球の飛距離から犠牲フライにはならないと踏んでいた。しかし、三塁ランナーは帰塁してスタートの構えをとっている。三塁コーチャーは久保の方をじっと見つめ、捕球のタイミングを見計らっていた。やがて打球が落ちてきて、久保のグラブに収まった。

「ゴー!!」

「えっ!?」

「嘘!?」

 その瞬間、コーチャーが大声で叫んだ。ベンチの二人も驚き、目を見開いている。球場中がどよめいて、本塁に向かうランナーに視線を送っていた。

「またかよ!!」

 久保は捕球体勢から一気に送球しようとする。六回に続き、またもレフトフライでの無茶なタッチアップ。今度こそ阻止しようと、久保も気合いを入れて左腕を振るった。しかし、一塁側に送球が逸れてしまった。芦田はなんとか送球を捕り、本塁突入を試みるランナーへとタッチした。タイミングは際どく、球場中の視線が本塁へと集まった。

「セーフ!!」

 次の瞬間、審判が両手を横に広げた。その瞬間、大林高校の目前まで迫っていた勝利がするりとこぼれていった。一方で木島工業の応援席は最高潮に達し、同点のホームインを喜んでいた。

「ナイスラン!!」

「よっしゃー!!」

 これで二対二の同点だ。しかも一塁ランナーの北山もしっかりとタッチアップしており、依然としてツーアウト二塁のピンチだ。リョウも思わずひざに手をついてうなだれていた。

「リョウ、仕方ない。ツーアウトだぞ、切り替えていけ」

「ハイ!」

 芦田の声かけには元気に返答したものの、あっさり同点にされたことのダメージは大きかった。続いて三番打者が打席に入ると、リョウは初球を打たれてライト前ヒットを許した。外野が前進守備を敷いていたため得点こそ許さなかったが、これでツーアウト一三塁となった。球場中が、木島工業の勝ち越しを期待する雰囲気で満たされていた。

(ここで中野か。一三塁だし、歩かせてもいいかもな)

 四番の中野を前に、芦田は満塁策を考えていた。今日の中野は四打数三安打と大当たり。ましてやこの負け越しのピンチで、クラッチヒッターの彼と勝負する意味は薄かった。

「タイム!!」

 するとここで、まなが伝令として梅宮をマウンドに送った。内野陣が集まり、彼の指示に耳を傾ける。それを聞き、芦田とリョウは驚きを隠せなかった。

「じゃあ滝川は勝負しろって言ってるんですか?」

「ああ。『リョウくん、四番を抑えて帰ってきなさい』だそうだ」

「でも、歩かせた方がいいんじゃ」

「お前なら大丈夫だ、リョウ。それに――

 梅宮はそう言うと、木島工業のベンチを見た。木島工業には徹底的に久保との勝負を避けられている。それに対してこちらは逃げず、四番との勝負を受けてやる――という、まなの強気の采配が現れていたのだ。

「……そうですね! 頑張ります!!」

 リョウは元気を取り戻し、大声で梅宮に返事をした。敬遠せず、勝負してこいという監督からの指示。投手ならば燃えないはずのないシチュエーションだったのだ。九回表、同点ながら負け越しのピンチ。それでも気負わず、堂々と振舞っている。リョウの強みが遺憾なく発揮されていた。

 やがてタイムが終わり、内野陣が各ポジションへと散って行った。中野が右打席に入り、構える。そして、審判がプレイ再開を宣告した。

「プレイ!!」

「打てよ中野ー!!」

「かっとばせー!!」

 中野には大きな声援が送られている。未だに球場の雰囲気は木島工業側に傾いたままだ。このまま勝ち越しを許すか、それとも抑えてサヨナラのチャンスを作るか。まさに最大の山場だった。

(リョウ、攻めていくぞ)

 芦田は、初球から内角いっぱいのストレートを要求した。少しでも甘くなれば痛打されかねない。それでも彼はリョウを信頼し、サインを出していたのだ。リョウもそれに頷き、第一球を投げた。

「……ッ!?」

 芦田の要求通り、投球が内角いっぱいのコースに決まった。中野はいきなり胸元を抉られてしまい、驚いて声を上げた。

「ストライク!!」

「ナイスボール!!」

「いいぞリョウー!!」

 左腕のリョウが織りなす、右打者へのクロスファイヤー。技術に長けた中野といえども、簡単に打ち返せるボールではなかった。

(いいぞリョウ、次はアウトローだ)

 続いて、リョウは第二球を投じた。今度は外角低めいっぱいの直球だったが、中野は手が出ずに見逃した。

「ストライク!!」

「オッケーオッケー!!」

「追い込んでるぞー!!」

 あっさりノーボールツーストライクと追い込んだことで、再び潮目が変わってきた。大林高校の応援席からもリョウに声援が飛び、少しずつ球場の空気が引き戻されつつあった。

(これで勝負だ、リョウ)

 リョウは芦田のサインに頷き、セットポジションに入った。二対二の同点とされ、なおも負け越しのピンチ。しかし、リョウはその状況をものともしていなかった。彼は小さく足を上げ、第三球を投げた。

「くッ……!」

 中野のバットが出かかったが、彼はなんとかスイングを止めた。しかし、リョウの投球はしっかりアウトローのゾーンギリギリに決まっていた。審判の右手が上がり、大林高校の応援席から歓声が上がった。

「ストライク!! バッターアウト!!」

「ナイスボール!!」

「いいぞ平塚ー!!」

「ナイスピッチー!!」

 内角の球で胸元を抉られてから、外角低めいっぱいに二球連続のストレート。中野といえど、ヒットにするのは至難の業だった。これでスリーアウトとなり、チェンジだ。

「ナイスピッチ、リョウ!!」

「ありがとうございます!」

 ベンチでは、梅宮がリョウを出迎えた。同点にはされたものの、木島工業の勝ち越しは許さなかった。一年生とは思えぬ活躍に、選手たちは皆リョウを褒め称えていた。もちろん、レフトから戻った久保も例外ではなかった。

「リョウ、お疲れ!!」

「久保先輩、ありがとうございます!」

「あとは俺たちが点取ってサヨナラだ、任せとけよ!!」

「ハイ!! 頑張ってください!!」

 そう言って、久保は打席に入る準備を始めた。九回表、大林高校の攻撃は二番の近藤からだ。なんとか出塁して、ランナーありで久保に回したいところだった。

「二番、ショート、近藤くん」

「打てよ近藤ー!!」

「頼むぞー!!」

 今度は大林高校の応援席が一気に盛り上がり始めた。マウンドには依然として北山が立っているが、今日の近藤は四打数三安打。彼の出塁に対する期待は大きかった。

「プレイ!!」

 審判の号令で、九回表が始まった。北山は捕手のサインを見て、初球に外角へのストレートを投じた。近藤は見逃したが、審判は右手を突き上げた。

「ストライク!!」

「いいぞ北山、落ち着いてな」

 木島工業の捕手が、声を掛けながら返球した。続いて北山は第二球を投げた。これも直球だったが、少し甘くなった。近藤はそれを見逃さず、右方向へと打ち返した。

「よっしゃー!!」

 久保が思わず声を上げたが、またも二塁手の中野に阻まれた。彼は真上に飛びあがり、しっかりと打球を掴んでいた。これでセカンドライナーとなり、ワンアウトとなった。

「いいぞ中野ー!!」

「ナイスプレー!!」

 盛り上がる木島工業のベンチとは対照的に、近藤は思わず天を仰いだ。ノーアウトの出塁かと思われたが、守備に防がれてしまったのだ。そのダメージは大きかった。

「三番、サード、岩沢くん」

「岩沢先輩、頼みますよー!!」

「キャプテン打てよー!!」

 次に、岩沢が打席に向かった。彼も今日は四打数二安打と当たっている。四番の久保の前にランナーを出せるかどうか、彼の打席にかかっているのだ。

「岩沢先輩、お願いします!!」

 久保もネクストバッターズサークルから大きな声を張り上げた。北山は足を上げ、初球を投げた。外へのストレートだったが、岩沢は踏み込んで逆方向に打ち返した。快音とともに、大きな飛球が左方向に舞い上がる。

「レフト!!」

 捕手が大声で指示を出した。岩沢は一塁方向へと懸命にダッシュしている。しかし左翼手の足が止まり、しっかりと捕球した。これでツーアウトとなった。

「いいぞ北山ー!!」

「ナイスピ―!!」

 木島工業の応援席から、木島を励ます声援が飛んでいた。しかし、それを大林高校の歓声がかき消してしまった。というのも、次の打者は――

「四番、レフト、久保くん」

「久保ー!! 一発頼むぞー!!」

「サヨナラホームラン打てー!!」

 四番の久保だったからだ。ツーアウトランナーなし、しかし一発が出ればサヨナラ勝ち。この大会で既に三本の本塁打を放っている彼に対して、期待がかかるのも当然だった。久保は小走りで打席へと向かった。

「タイム!!」

 するとここで、木島工業が守備のタイムを取った。伝令が送られ、内野陣と何かを話し合っていた。

「何を話しているんでしょうか?」

「次は久保くんだし、どう配球するか指示してるんじゃないかな」

 マネージャーの二人は、伝令の意図を推測していた。ここまで、木島工業は三打席連続で久保を敬遠している。どうやって彼を抑えるのか、話し合っているように思われたのだ。

 間もなく、内野陣が散って行った。このまま試合再開――かと思われたが、伝令がベンチに帰らず球審のもとへと向かった。

「えっ?」

 球審は伝令の発言に困惑し、聞き返していた。スタンドも何が起こったのか不思議に思っていると、場内アナウンスが流れた。

「ただいま、申告故意四球がありましたので、久保くんは一塁に出塁します」

「「ええ~~!!」」

 大林高校の選手たちは声を揃えて驚いていた。ツーアウトランナーなしでの敬遠、しかも九回裏。わざわざサヨナラのランナーを出してまで、木島工業は久保との勝負を避けたのだ。球場中がどよめき、騒がしくなっていた。

 久保は一塁へと歩き出した。そしてネクストバッターズサークルの方を向き、大声で叫んだ。

「芦田、お前が決めろよー!!」

 それを聞いた芦田は黙って頷き、バッターボックスへと向かった。観客席からも、彼を励ます声が多く聞こえてきていた。

「芦田ー、頑張れー!!」

「打てよー!!」

「サヨナラしちまえー!!」

 四打席連続で、前の打者が敬遠された。それが打者としてどれほど悔しいことであるか、計り知れなかった。一方で、北山は澄ました顔でマウンドに立っていた。

「ここまで勝負を避けられるとは思いませんでしたね」

「二回戦のホームラン、他の学校に相当インパクトがあったみたいね」

 北山はもともと久保を警戒していたが、第一打席でタイムリーを打たれたことで彼の打力の高さをさらに強く認識させられた。打力の優れない木島工業が勝つには、久保に打席を回してはならないと決意していたのだ。

「プレイ!!」

 審判の合図で、試合が再開された。北山は捕手のサインを見て、セットポジションに入った。

(近藤先輩と岩沢先輩には初球から真っすぐだった、そろそろ変化球か)

 芦田は狙いを絞り、バットを強く握った。七回の打席ではゲッツーに倒れたものの、スクリューをしっかり弾き返すことが出来ていた。今度こそはと、強く決意した。

「芦田先輩……」

「芦田くん、お願い……」

 マネージャーの二人は両手を結び、芦田にエールを送っていた。北山はセットポジションから一塁に牽制球を送った。久保は頭から帰塁し、ユニフォームを土だらけにしていた。

 一塁手から返球を受け取り、北山は再び捕手のサインを見た。そしてセットポジションに入り、小さく足を上げた。

「ランナー!!」

「「ええっ!?」」

 次の瞬間、一塁手が叫んだ。なんと、久保がスタートを切っていたのだ。大林高校の選手たちも驚き、一斉に目を見開いた。北山はそのまま投球したが、球種がスクリューだったためワンバウンドの投球となった。捕手は二塁に送球することが出来ず、これでツーアウト二塁となった。

「ナイスラン久保ー!!」

「いいぞー!!」

 久保は塁上から親指を突き立て、芦田を勇気づけた。

「俺を帰せよ、芦田ー!!」

 それを見て芦田も二ッと笑い、久保に向かって親指を突き立てた。久保は初球にスクリューの可能性が高いと踏んで、独断で盗塁を仕掛けたのだ。敬遠されるなら、されるなりに抗ってやる――という意思の表れだった。

「かっとばせー、芦田ー!!」

 チャンスとなり、応援席からもさらに大きな声援が飛ぶ。悔しさで満たされていた芦田の心は、今や久保の盗塁によって晴れ渡っていた。

 球場の雰囲気は、完全に大林高校へと傾いていた。こうなれば、もはや勝ったも同然である。北山は場内の空気に気圧され、制球を乱してしまった。彼は二球目にスクリューを投じたが、高めに浮いた。芦田はそれを見逃さず、右中間へと弾き返した。二塁から久保が帰り、大林高校は劇的なサヨナラ勝利を収めた――
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