よあけ

紙仲てとら

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本編

第244話

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 都内にある高級ホテルの一室。
 静まり返るそのなかで……セナは緊張に青褪めた顔を俯け、ソファにひとり座っている。部屋の扉の前には、ブラックスーツに身を包んだ屈強な男が厳めしい顔つきで立っていた。このただならぬ雰囲気にすっかり萎縮したセナは、出された飲み物に口を付けてもいない。
 背中を丸めて小さくなり、何度目かわからない溜息をついたときだった。施錠を解いたままのドアが開いて誰かが入ってくる気配がする。セナはびくりと身を震わせ、視線だけをドアの方に向ける。
 現れたのは、華奢な体つきの小柄な男だ。その姿を見るなり、セナは悲鳴に近い声をあげてソファから飛び上がった。
 優雅な足取りで室内中央まで歩んできたのは――伝説と呼ばれたアイドル「MAJESTIC」のリーダー、サシャ。
 黄金色のウェービーヘアを両肩に長く垂らし、襟元と袖がシースルーになっている黒のロングワンピースを身につけている。骨格は男そのもの……しかし顔だけを見れば、紅唇かがやく流麗な女だ。優雅に波打って輝く金糸の巻き髪や、夜のはじまりの空を映したようなブルーグレーの瞳は、いまも色褪せることなく輝いている。
 この中性的な姿は、アイドルとして一世を風靡していた頃と変わらない。デビュー当時の写真と今の写真を比べてもほとんど差異はないだろう。まるで、彼の周りだけ時が止まっているかのようだ。
 サシャは細い指に下げていた紙袋をドレッサーに置き、薔薇色の唇を引き結んだままセナを一瞥した。凛とした佇まいはどこか威圧的で、畏怖すら感じさせる。天使がいるとしたらまさしくこの姿だろう――セナはそういった存在をいっさい信じてはいなかったが、そんな彼にすらそう思わせる崇高さがサシャにはある。
「そこに立って」
 窓辺に歩んだサシャは居丈高な物言いで命ずる。アイドル時代に見た太陽のような明るさはどこにもない。外からの光を背中から受け暗く陰るその顔は、冷たく凍りついている。
 セナは恐る恐る彼の前に立つと、今にも泣き出しそうに顔を歪めた。なにか言わなければと思うも、緊張と興奮のあまり蚊の鳴くような声しか出ない。
 サシャはそんな彼の頭の先から爪先まで舐めるように見ると、
「いいね」
 ひとこと口にしてようやく笑った。唇のあいだから覗くかわいらしい八重歯に人間味を感じ、セナはわずかに緊張をとく。
「キミ、テレビだと小柄に見えるけど……実際に会うとすいぶん印象が違うな。どのくらい身長あるの?」
「あ、……えと……、……176センチです」
「正直でいい子」
 微笑を浮かべた彼は、肩に流れる金糸の髪を掻き上げつつ小首を傾げる。
「公式の身長は167センチになってるよね。ふつう身長は高めにサバ読むのに。おもしろい売り方するんだな」
 セナは頬から額まで赤く染めて目を伏せ、よごれた眼鏡を押し上げる。
「――サシャさんみたいに、かわいく見られたかったから……」
「俺をロールモデルにしてくれてんのって本当だったんだ?」
「ずっとファンだったんです。いつか憧れのサシャさんにアイドルとしての僕を見てもらいたいと思ってたけど……まさかこんなふうにお話できる日がくるなんて」
「キミみたいな子にそう言ってもらえて嬉しいな」
 ――“MAJESTICのサシャが、君と会って話したいと言っている”……ストルムミュージックの関係者を名乗る人物からのメッセージがスマホに入ってきたのは、先週のことだ。
 当初セナは、オフィスウイルドの誰かが仕組んだ嘘だと思い込んでいた。話し合いのテーブルに引きずり出すために一芝居打っているのだろうと。サシャの名を餌にされたことは気に食わなかったが、これはまたとないチャンスだ――意地を張るのにも疲れてウル・ラドに戻るタイミングを窺っていた彼は黙って騙されることにした。
 数度メッセージをやり取りすると、電話が掛かってきた。オフィスウイルドのスタッフが一生懸命芝居しているのだろうと思いながら、話に相槌をうつ。カウンターに乗っていた飲みかけのペットボトルや弁当の容器を腕でなぎ払い、その下にあったシミだらけのチラシをメモ代わりにして相手の言う電話番号を記した。聞けば、サシャの側近の番号だという。そこまで嘘の設定を盛り込むことないのにとすこし笑いそうになった。
 詳しい日程や場所は後日連絡すると言われ、その日は電話を切った。それから数日後の今日ようやく連絡があり、指定されたホテルの一室にこうして赴いたのである。
 彼はメンバーとホズミが来ると予想していたが、やって来たのはストルムミュージックの人間だった。黒服の男たちのひとりがセナに名刺を渡し、今からサシャを連れてくるとだけ言い残してすぐに出ていった。
 ――そうして本当に彼が……MAJESTICのサシャが、目の前に現れたのだ。
「そうだ。これ、お近づきのしるしに」
 窓辺から離れたサシャが、ドレッサーに置いておいた紙袋をセナに渡す。受け取った彼は感激のあまり、礼を言うのだけで精一杯だった。開けてみるよう促され、丁寧に黒い紙袋の封を切る。オレンジのリボンがかかった小さな箱のなかには、ローズレッドの口紅が収められていた。
 ドレッサーチェアにセナを座らせると、サシャは自分の唇を指差す。
「お揃いだよ。俺たちそっくりでしょ?キミも似合うだろうと思って」
 鏡の中で目を合わせたまま、セナは高揚する胸を手で押さえる。そんな彼の指のあいだからリップを抜き取ったサシャは、キャップを外して中身をくり出し薬指に色をのせた。ローズレッドに染められた彼の指先が、石像のように硬直しているセナの唇に触れる。感触を楽しむようにぽんぽんと色を広げていくと、鏡越しに満足げに微笑みかけた。
「ほら、ますますかわいくなった」
 その言葉に頬を赤らめながら、セナは輝いている唇をうっとりと見つめる。
「夢みたい……」
 そうつぶやいたセナの肩を抱いて、サシャはゆっくりと話し始める。
「第一線を退いてから養成所で若い子を育ててるんだけど……スターの輝きが足りない子ばかりでつまらなくてね。歌、ダンス、演技、なんでもそつなくこなすけど卓越した能力はないっていうか……才能も気概も、なにもかもが中途半端なんだ。今のアイドル業界はそういう連中ばかりでうんざりするよ」
 肩に置かれた手の氷のような冷たさが、Tシャツ越しに伝わってくる。この世のものとは思えぬ美貌を鏡の中に見て、セナは細かく体を震わせた。
「アーティストとしてオーディションを受けて惨敗して、アイドル界隈に来たって子もいる。アイドル“なのに”作詞作曲できてすごい!ってたくさんのファンが大絶賛してくれるから、さぞかし気分がいいだろうね」
 それを聞いたセナの頭に、ウル・ラドのメンバーの顔がちらつく。
 サシャは心の底を探るように彼をじっと見つめ、やわらかな声音で言葉を紡いだ。
「そういう子は決まってアーティスト扱いされたがるんだ……その世界で食っていけなかった負け犬のくせに、変なの。未練があるならアーティストになる夢を追いかけ続ければよかったのにね。『本物のアイドル』になりたい人間のチャンスを奪わないでほしいよね……」
「……本物の、アイドル……」
 うわごとのように繰り返したセナの耳朶に、サシャの唇が触れた。
「ひたむきに“本物”を目指すキミは俺の理想そのもの……真のアイドルになるために生まれた運命の子だ」
 吐息まじりにそう囁き、セナの小さな頤を手で優しく掬いあげる。鏡から逸らされた視線を絡め取ると、困惑に揺れる両の瞳をじっくりと覗き込んだ。
「キミにふさわしい場所を用意してあげる」
「――サシャさ、……」
「こわがらないで……心配いらない。俺の言う通りにしてくれたら全部うまくいく」
 冷たく乾いた指が、色づいたセナの唇をそっとなぞる。そうして彼は、ちいさな牙のような八重歯をのぞかせ愛らしく笑った。
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