よあけ

紙仲てとら

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本編

第155話

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「別に……」
 言葉を濁すタビトの肩を拳で小突く。
「なにしたんだよ。このあいだ会ったけど、あんたとのことですっげー落ち込んでたぞ」
 答えないタビトを見つめて顔をしかめると、2本目の煙草に火をつけた。ゆらゆらと昇る煙をしばらく見つめていたが、やがて再び口を開く。
「みんなが噂してたけどさ。あんたとユリアってほんとに付き合ってたの?」
「そんなわけないじゃん」
 伏せていた目を上げてきっぱりと否定する。
「ただの友達。……って、俺は思ってた」
「なるほどね」
「なにが……」
「つまり勘違いさせちゃったってことでしょ。ユリアはあんたに優しくされて舞い上がっちゃったわけだ。ま、勘違いするのもわかるよ。あんたいつでもアイドルモードだから」
「アイドルモード?」
「誰に対しても仮面を外さないっていうか、完璧を演じてるからみんな騙されちゃうんでしょ。相手の望むこととか欲しい言葉がわかってるからタチが悪いよねー。ユリアに対してだって無意識に彼氏ムーブかましてたんじゃないの」
 捲し立てられ、返す言葉もなく声を詰まらせるタビト。そんな彼を据わった目で見つめ、彼女は更に言った。
「それで、例の年上の彼女とは友達になれたの?まだ距離を詰めてる最中ならユリアと同じ思いさせないように気をつけなよ。あんたは人たらしなんだから」
「そんな心配いらないよ……勘違いどころか見向きもされてないから」
「は?」
「うまくいかないな」天井を振り仰いで、「みんなには人たらしとか女たらしとかさんざん言われてるけど、あのひとには通じないみたい。アプローチしてもぜんぜんダメ。子ども扱いされてるし」
 アコは紫煙と共に笑い声を上げる。
「なんだ。あんときは認めてなかったけど、やっぱり好きなんじゃん」
 タビトはそれには答えず、ダイニングの椅子に座ってテーブルに頬杖をつく。換気扇の下で、アコはまだ笑いに肩を揺らしている。
「17歳差だっけ?ならしょうがないんじゃない。だってあんたが生まれたとき、相手はもう高校生だもん」
「今はどっちも大人じゃん」不満そうに唇を尖らせて、「年齢なんて関係ないよ」
「そういう考えが子どもだって思われる理由なんじゃないの?」
 まだ長い煙草を揉み消して、携帯灰皿をポケットに捻じ込む。
「さて……そろそろ帰るわ。夕飯時に悪かったね。ポトフうまかったよ、ごちそうさま」
 ふたり揃って玄関に面した廊下に出ると、洗面脱衣室の対面にある扉に目を止めたアコが尋ねた。
「この部屋は?」
「コレクションルーム。……開けないでよ」
 ふうん、とつまらなそうな声を出し、今度はその隣のドアを指差す。
「じゃあこっちは?寝室?」
「物置部屋にしてる」
 それを聞くなり断りもなくドアを開けて中を覗き込んだ。
「うわ。広いじゃん」
 物置と言うが、いくつかのダンボール箱と服が掛かったハンガーラックが置いてあるだけだ。広さは12畳ほどある。
「もしランと別れることになったら間借りさせてよ」
「なに言ってんの……やだよ」
「いいじゃん」
「やだ。チカルさんに誤解されちゃうもん」
 さらりと言ってしまってから、はっとして思わず唇を押さえる。アコはマスカラに縁取られた大きな瞳を細めて、
「へえー。“チカル”って名前なんだあ」
「いまのは忘れて……」
 失言だ。目元を覆って悔やむもすでに遅い。
「今度紹介してよ。ユリアよりも魅力的な女なんでしょ?めっちゃ気になる」
「あきらめて。会わせるつもりないから」
 タビトはにっこりと笑ってドアを閉め、アコの背中をぐいぐい押して靴を履かせる。
 騒がしく見送り扉が閉まると、いつもの静かな時間が室内に戻ってくる。ほっと息をつき肩の力を抜いた。
 急に間借りさせろと言うだなんてまったく、アコの傍若無人さには辟易する……悪態をつきながらスリッパを片付けていると、ポケットの中でスマホが鳴った。
 チカルかと期待したがホズミからで、明日のスケジュールの詳細が書かれていた。午前中に終わるはずの予定が午後にずれ込んでいる。これではチカルが来る時間までに帰ってくるのは難しそうだ。一分一秒でも長く一緒にいたいのに。
 彼はおもむろに首を回らせ、物置部屋の方を見る。
 帰らないでほしいとチカルに懇願した夜を、彼は思い出していた。もしあのとき頷いてくれていたら、この部屋を彼女のものとしていただろう。
 チカルから間借りの申し出があれば断るわけもないのに。あの夜に感じたせつなさが胸に迫り、苦しく眉根を寄せ俯く。ひとりきりの空間を支配する孤独と静寂が、かなしみに満たされた彼の体を冷たく包んでいた。
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