銀河の鬼皇帝は純愛を乙女に捧げる

三矢由巳

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第十章 動乱

02 リップクリームと湖

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 アマンダのお供として宮殿に来ていたミランダ・ナロスとホテルのバトラー、アルバ・イチジョウもまた生涯に二つとない経験をしていた。
 あの夜、控室にいた二人は、舞踏会の行われている大広間を映す大型モニターの中で起きているとんでもない事態に絶句した。

「出ましょう」

 モニターの前に集まって来た人々の群れの中でアルバはミランダの腕を強く引き控室を出た。

「お嬢様がまだ」
「あなたにまで面倒が及びますよ」
「え?」
「私はこういうことを何度も見てます。お嬢様は北の宮殿にいる限りは大丈夫です。でもあなた方はそうじゃない」

 二人は舞踏会終了を見越して早めに来た迎えの車に乗り込んだ。
 車の中でアルバはマルセリノに電話した後、ミランダに話した。

「ホテルの部屋は宮殿の意向でアップグレードしたんです。お嬢様がいなくなった今、その意味はありません。それにもしお嬢様が陛下に逆らい続けたら、あなた方を利用して言うことを聞かせる恐れがあります。だから、逃げてください。一番近いシャトルの空港には公安の関係者がいる恐れがあります。だからその次に近いところまで送ります。トルレス夫人はホテルで拾います」

 30分もたたずに部屋直通のエレベーター前に着いた。ちょうどそのタイミングに合わせるかのように、ロサリオ・トルレスがマルセリノ・カセロとともにエレベーターで下りて来た。彼女は自分のトランク、マルセリノはミランダのトランクを持っていた。

「とりあえずクローゼットの中の服や荷物を突っ込んだから、ないものがあったらごめんなさい。お嬢様のものはそのままにしてるわ」

 再び走り出した車の中でロサリオはそう言ったが、後で確認すると必要なものはすべて入っていた。
 アルバに見送られ、二時間後、ミランダとロサリオは月行きのシャトルに乗っていた。

「お嬢様大丈夫でしょうか」
「大丈夫よ。陛下と話ができるような度胸の持ち主なんだから」

 ロサリオは心配していなかった。庶民からルシエンテス子爵令嬢になり、皇帝に気に入られてゴンサレス公爵の妻にと言われるような強運の持ち主などめったにいない。その上ビダル公爵と結婚の約束ときている。どちらに転んでもアマンダは強く生きることができるに違いなかった。
 二人は翌朝の首都星の空港のシステムの混乱に巻き込まれることなく一番出港の早いクライフ行きの定期便に乗った。アマンダに関する報道に二人は仰天したものの、これは検閲されたもので何か事情があるかもしれないと思った。
 閉ざされた宇宙船の中でも情報は絶えず入って来た。
 乗客たちは寄るとさわるとこれから帝國はどうなってしまうのかという話題でもちきりだった。行きに乗ったドン・ペドロは高速旅客船で乗客は比較的裕福な人々が多かったので、政治的な話題を食事の場で口にするというマナー違反をする者はいなかったが、定期便は様々な身の上の人がいるせいか、食事中も色々な話が耳に入ってくる。

「ああ、恐ろしいこと。侯爵夫人は査問会だし、ルシエンテスの新しい領主は皇子をたぶらかして駆け落ちとは」
「え? たぶらかしたんですか。私は皇子が強引にと聞きましたよ」
「クライフはもうおしまいだわ。帝國直轄地になったらどうしましょう」
「直轄地ならいいけれど、ガルベス公爵やバンデラス伯爵の領地になったらと思うと。税率が高いんですって」
「ああ、それね。私の甥がバンデラス伯爵領で働いているんだけれど、早く異動したいって」

 クライフの人々にとってこの事件は今後の暮らしに直結していた。
 ミランダもさすがに不安を感じてきた。ロサリオも不安だったが、その一方でそう簡単にクライフは他の貴族の領地にはならないと考えていた。クライフは若者の人口比率が高い。特に大学の学生自治会の活動は盛んだった。彼らが団結し他の若者や労働組合も巻き込めば一方的に他の貴族の物にされるとは思えない。何より侯爵夫人が築いてきたクライフの社会、経済がある。それを強引に変えようとすれば関係する経済団体が黙ってはいない。
 さらに現在はフットボールの皇帝杯の予選が各惑星で行われている。クライフへの派兵という事態になれば、戒厳令が敷かれ試合はよくて延期、最悪中止になる。フットボールくじに賭けている大勢の市民の不満は皇帝への不満につながりかねない。皇帝とてそれは理解しているはずである。その上フットボールくじは各惑星や帝國にとって無視できない財源になっている。
 皇帝杯の予選が終わる来年まで帝國政府が大きな軍事行動をとりにくい時期なのだ。それを狙ってサカリアスが宣言をしたとしたら恐ろしいとロサリオは考えていた。
 クライフの宇宙港を無事に出られたのは奇跡だった。彼女達の乗っていたシャトルが到着した後、バンデラス伯爵の代理人の乗ったシャトルが到着し空港の封鎖を命じたのだ。以後、月からのシャトルの乗り入れが制限させることとなる。
 ミランダとロサリオは政庁に赴きビクトルに仔細を説明している最中にそれを知った。
 ビクトルは彼女達にご苦労だったと手当を渡した。

「ミランダ・ナロス、あなたはしばらく出勤しなくていい。休職扱いにするから御家族とこの地を離れたほうがいい。ルシエンテスの代理管理人アドリアン・コルテスとも話をしてある」

 すでにミランダは家族とのやりとりで夫の両親の出身地に身を隠す予定であったので休職扱いはありがたかった。
 ロサリオは今回の事態を見届けたいのでしばらく政庁周辺に身を置くことに決めていた。

「こういうことはなかなか生きている間に起きるものではありません。どのような決着が出るにせよ、法学者としては興味ある研究対象ですから」

 こうして二人は別れた。
 ナロス家ではミランダが無事に帰って来たことを喜んだ。その数時間後にはこの先の事を考えミランダと夫と子どもは夫の両親の出身地ブランコへ出発していた。ブランコには夫の祖父母が住んでおり曾孫が来ることを喜んでいた。そこで夫は画家の仕事を続けることを決めていた。付き合いのある画商にこれまで描いた絵をすべて買ってもらい当座の生活費は作っていた。

「お気に入りの湖の絵も売ってしまうなんて」

 ミランダは二人でよくデートした湖の絵が好きだった。

「僕も売りたくはなかった。でも、新しい絵を描くためには古い絵を一回忘れなければならないんだ。湖の絵はまた描くよ。もっといい絵にする」
「うん。期待してる」

 ブランコへ向かう航空機の窓からミランダは思い出の湖を探していた。だが雲に隠れて見えなかった。再びあの湖を訪れる日が来ることを願い、ミランダは目を閉じて夫の描いた絵の中の湖を思い出していた。




 リップクリームは空港近くの町の小さなドラッグストアにあると降伏した兵士から教えられた。車から降りて店に入って来たサカリアスの姿を見た店主は顔を引きつらせた。やはり他の商店のように早く店を閉めるべきだった。こういう時だからこそ深夜も開けておいて住民を安心させたいと思ったのは甘い考えだったのではないかと店主は後悔した。

「い、い、い、いらっしゃいませ」
 
 サカリアスは狭い店を見回したが、リップクリームがどこの棚にあるかわからなかったので店主に尋ねた。

「リップクリームを売ってくれないか」
「え?」

 厳つい顔の軍人の口から出る言葉とは思えなかった。

「今、何とおっしゃいましたか」
「リップクリームだ。唇を乾燥から保護するものだ」
「かしこまりました」

 店主は棚まで案内した。

「これが全部そうなのか」
「はい。薬用はこちら。それ以外はそちらに」

 サカリアスは他の女性兵士たちのことをふと思った。彼女達も乾燥で困っているのではないか。

「では、全部もらおう」
「ぜ、ぜ、全部?」
「もし住民のために残しておかねば困るなら売れる分でだけでよい」
「はい、では少々お待ちください」

 店主はよく買いに来る数名のお得意さんの顔を思い出した。お得意さん用以外は売ってもよかろう。
 結局箱二つ分サカリアスは買うことになった。
 店主は緊張しながらレジを打った。請求額を伝えると、サカリアスは現金で払った。

「こういう時だ。現金がよかろう。何があるかわからないから、早く避難したほうがいい。もし金がすぐに必要なら、基地に医薬品を売ってくれ。そちらの言い値で買わせる」

 主人は驚いた。買わせる? ということはこの男はお偉いさんらしい。
 サカリアスは車にリップクリームの入った箱を乗せ基地へと戻った。
 店主は皇帝の顔の描かれた紙幣を見た。なんとなく男の顔と似ているように思われた。



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