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第十章 動乱

03 モラル伯爵邸

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 ルシエンテス子爵令嬢のおかげで小遣い稼ぎができたとアルマは思った。
 伯爵令嬢が小遣い稼ぎというのは庶民的に表現するとしみったれた話である。だが、報道関係の取材で得た収入は働いたことのないアルマにとっては、初めて得た労働の対価と言っていい。その金額が子どもの小遣い程度だから小遣い稼ぎという表現になったのだ。意外と伯爵令嬢が自由に使えるお金は少ない。伯爵家の予算から出されるので収入に見合った金額になっている。だから小遣い程度でも有難みがあった。これでルシエンテの新しい化粧水が買える。
 今夜の舞踏会で会ったら御礼の一つでも言ってあげよう。上機嫌のアルマはそう思った。
 だが、実際にアマンダに会ったアルマは驚愕した。
 左右非対称の化粧、髪型、緑に半分だけ染めた髪、ファッション雑誌のモデルでも見たことがなかった。
 しかも化粧品は新製品ルシエンテ20を使っていた。メイクはニエベ、ヘアメイクはイザークというファッション界の花形。ドレスにはアドリアナガラスのビーズ。
 なんだかむかついてアルマは「愛人」と言ってしまった。アマンダはビダル公爵にねだってはいない、メールのやり取りもろくにないと言った。アルマには信じられない話だった。普通メールにはきちんと返事をするものではないかと。
 そこへアマンダに助け船が現れた。軍務大臣だった。アルマとて貴族の端くれである。軍務大臣夫妻は社交界でも重きを置かれている。大臣はアマンダのエスコートを買って出て一緒に踊った。そうなるとアルマが口出しなどできない。
 その後、アマンダは幾人もの男と踊った。なんだかアルマは腹が立ってきてダイエットの事も忘れて軽食をプレート二皿ほど食べた。食べた後で冷静に考えるとこれを元に戻すのに幾日かかかると気付いたが、後悔先に立たずである。
 アマンダはその後も舞踏会の注目の的だった。ウルバノ子爵夫人アドラをやり込めたのには驚いた。さすが元使用人だとアルマは感心してしまった。アルマもアドラが大嫌いだった。アドリアナガラスが欲しいのはアルマも同じだが、アマンダにねだるなんて死んでも御免だった。欲しかったら男に貢がせる。自分はアマンダから化粧水を借りると言って奪っているのだが、他人が似たようなことを言うのは許せないのだった。
 そしてとうとうあの瞬間が来た。さすが下賤の身分の者は違う。皇帝陛下の話に異を唱えるとは。サカリアスまでもが結婚の約束をしていると言う。
 二人は引き離された。まるでメロドラマだった。

「茶番よ。あの女、ああやって自分の価値を吊り上げようとしてる」

 アルマはピアやテクラに訴えた。

「殿下も殿下だわ。私と婚約していればこんなことにはならなかったのに」
「え? 何それ?」
「テクラ、私、サカリアス殿下と婚約するはずだったのよ」
「どうして駄目になったのかしら」
「あのモニカが邪魔をしたのよ。殿下にあることないこと吹き込んで」

 そんな話、テクラもピアも信じてはいないのだが、アルマは鼻息荒くこれまでのことを語り始めた。

「それであの女にティーカップを投げてやったわ」

 テクラはすでにモニカからティーカップのくだりを聞いていたが、投げた本人から聞くとは思わなかった。

「そうなんだ」
「そういえば、アマンダっていうあの令嬢の名前だけど、あれ、殿下が初恋の女の名前を付けたのよ。彼女本当はバネサ・オリバっていうの」

 話が飛んだが、テクラとピアは面白そうな話だと耳を傾けた。

「覚えてるでしょ。初等科の時にアマンダっていう子がいたじゃない。ピアのお兄さんが殿下から脅されたことがあったじゃない?」
「そ、そうね」

 ピアの兄エリアスは今もそのせいで周囲に忖度され軍の中で冷遇されていた。

「なんと殿下はそのアマンダに御執心だったのよ。でも一家そろって追放されちゃったでしょ」
「そういえばそんなことがあったわね」
「それで子爵令嬢にもアマンダって名をつけて愛人にして挙句に結婚の約束なんて。殿下も大概よね」

 テクラは幸薄そうな少女を思い出した。もし婚約者のコンラドが正しければ彼女と父親は海賊に攫われ討伐に巻き込まれて死んだはずだった。アマンダが亡くなったのを知ったサカリアスは別の女性にアマンダと名付けて結婚を約束ししたということなのか。

「でもね、アマンダは辺境で元気でいるのよね。ここだけの話、私調査会社を使って探し出して、相応の男を近づけたわ。今頃何にも知らないでよろしくやってるわよ。ほら私達あの子に少し冷たかったじゃない? だから罪滅ぼし」
「本当?」

 テクラは驚きのあまり声を上げていた。

「ええ、カタリーナ星系よ。弟と妹の名前と年齢も同じ。絶対本人よ」

 テクラはこの後すぐにコンラドに知らせなければとカタリーナ星系の名を頭に刻み込んだ。
 アルマは言いたいことを言えて満足だった。突然現れて田舎者のくせに注目の的になったルシエンテス子爵令嬢、自分との婚約を断ったサカリアス、二人とも不幸になればいいのだ。

「子爵令嬢はお可哀そうね。すでに愛人のいるゴンサレス公爵の妻になるなんて」

 ピアの言葉には少しだけ子爵令嬢への同情が感じられた。

「ほんとにね。教養もない田舎者のくせに。恥をかくがいいわ」

 アルマの鼻息は荒かった。



 翌朝、自室で目覚めたアルマは小間使いを呼んだ。だがいつものようにはいという返事がない。

「コリー! 何してるの」

 アルマは寝間着にガウンを羽織って廊下に出た。

「コリー!」
「申し訳ありません」

 家政婦長のエスメが走って来た。いつもは走ったりしないのに。

「コリーは何してるの!」
「お嬢様、大変です!」
「何が大変なの。H・F・Mでも落ちてきたの」
「そのH・F・Mが大暴れして宮殿を壊してビダル公爵様の屋敷に押し入って公爵とルシエンテス子爵令嬢が逃げたそうです。そのニュースで旦那様も使用人たちも仕事どころではなくて」

 サカリアスとアマンダが逃げたのだとアルマにはわかった。

「そんな話で仕事どころじゃないって、馬鹿馬鹿しい。ただの駆け落ちじゃない。コリーを呼んできて」
「コリーは近衛隊に兄がいるのです。もしかしたら死亡者の中にいるのではないかと」
「近衛隊が殺されたの?」
「ええ。あの恐ろしい顔の子爵令嬢をお嬢様も昨夜御覧になったのでしょ。あれは悪魔の化粧です。可哀そうなコリー」
「可哀そうなのは、朝の支度をしてもらえない私よ」
「エステルを呼んできます」

 家政婦は別の小間使いを呼んだ。
 すぐにやって来たエステルは映像端末のニュースで見たことを支度をしながらしゃべった。
 なんだかアルマは馬鹿馬鹿しくなってきた。皆何を興奮しているのだろう。
 支度が終わると、エステルに告げた。

「もう二度と私の前ではた迷惑な駆け落ちの話はしないで。要するに欲望を満たすためにそれを邪魔する近衛兵をマシンで殺したってことじゃないの」
「民間人も殺したんですよ」
「朝の5時、6時に公爵邸の近くをうろついてる民間人て何? なんだかおかしくない?」

 アルマの指摘は実は正しかった。民間人と報道されているのは白竜会の下部組織のチンピラたちだった。彼らは事前に組織から破門されていたが、もしサカリアスのたまを取ったら死刑にならないようにいい弁護士をつけて家族の生活も保障すると言われていた。

「お嬢様もいつかおわかりになりますよ。恋というのは試練を乗り越えるものなんです」
「ドラマの見過ぎよ」



 幸いにも朝食はきちんと用意されていた。マリオ・オリバは映像端末も見ずに支度をしていた。

「さすがね。他の使用人とは違うわ」
「おそれいります」

 アルマは彼がルシエンテス子爵令嬢の養父であることを思い出した。

「ねえ、娘だったアマンダがやらかしたこと、どう思う?」

 アルマは意地悪な質問をしているという自覚はあった。それでもせずにはいられなかった。

「成人した娘です。娘には考えがあってのことでしょう。成人までは親の責任ですが、成人したら娘が自分で責任をとるのです。法に反すれば相応の罰を受けなければならないのです。それはお嬢様も同じではありませんか」
「……そうね」

 アルマはそれ以上のことは言えなかった。

「そういえばお父様の姿が見えないけれど」
「伯爵様は宮殿へいらっしゃいました」

 貴族としては当然の行動だった。非常事態なのだ。

「まったく、迷惑な話よね」

 オリバは何も言わず、皿を片付けた。



 マリオ・オリバは何の情報収集もしなかったわけではない。むしろ人一倍アマンダの情報を収集していた。アルマの知らないところで携帯端末で検索し、アマンダが一人でH・F・Mに乗ったわけではないことやサカリアスの味方が首都星の極地付近の空港に降り立ったことを調べていた。
 ゲバラ侯爵夫人アビガイルの朝食を運ぶついでに今朝の事件の概略を伝えると、彼女はサカリアスの動きが早過ぎないかと言った。

「私もそう思います。昨夜の陛下の言葉がきっかけになったかと」
「そうね。もう少し力を蓄えてからならよかったのだけど」
「今日からのフラートの査問会は延期になるようです」
「彼の査問会を二日で切り上げてっていうこともありうる」
「そうですね」

 警備兵がドアを叩く音がしたので、マリオ・オリバはではまたと別棟から出て行った。
 アビガイルは朝食のスープを口にした。いつもよりやや塩の味が強かった。恋愛中のシェフのスープは飲むなということわざを思い出した。
 が、たぶんオリバは恋はしていない。恐らく娘のことを案じてそのストレスで味覚に変化が生じたのだろう。別の職人が焼くパン以外はオムレツもサラダも微妙に味が違った。
 彼はストレスからいつ解放されるのだろうか。アビガイルは自身もストレスを抱えているのに、他人の心配をするなんてとおかしかった。けれど心配する対象がいることは幸せなことも彼女は知っていた。




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