銀河の鬼皇帝は純愛を乙女に捧げる

三矢由巳

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第九章 鬼起つ

38 丸顔のゾーイ

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 皇帝陛下がルシエンテス子爵令嬢と後宮で食事をした。そこへバカ男爵ガスパルが乱入し令嬢のドレスに紅茶のしみをつけて逮捕された。
 この話は次の日の朝には宮殿中に広がっていた。
 後宮内部のことは口外してはならないはずなのに、なぜか宮殿中に広がるのだ。宮殿に広がれば宮殿外に広がるのは時間の問題だった。
 貴族たちはガスパル逮捕よりもルシエンテス子爵令嬢の話で持ち切りだった。ガスパルの逮捕は貴族らにとって想定の範囲内にあり話す価値はさほどなかった。
 裏でやっている高利貸し稼業は公然の秘密だった。いつかひどい目に遭うに違いないと良識ある貴族たちは思っていた。金を借りている貴族たちはざまあみろとひそかに舌を出していた。
 だがルシエンテス子爵令嬢の存在は誰も把握していない話だった。一体どこから湧いて来た令嬢なのだと社交界の人々は色めき立った。
 首都にいるごく少数の人間は知っていたが、彼らは決して口に出さなかった。口にしたら最後、社交界はハチの巣をつついたような騒ぎになるに違いなかった。その渦中に巻き込まれる面倒を想像し口にしなかった者もいれば、ルシエンテス子爵令嬢本人にかかる迷惑を考えて沈黙を守る者もいた。
 前者はモラル伯爵、ファン・エッセン査察局長、コンラド・マドリガル、テクラ・コルティナ、後者は宮内省の役人、ゴンサレス公爵カルロス・グラシア、帝國グランドホテルの人々である。



 だがただ一人子爵令嬢の情報を垂れ流す人物がいた。モラル伯爵令嬢アルマ・アントニア・アテンシオである。
 今日も屋敷に遊びに来た貴族女学校時代の同級生ゾーイ・デ・ブールを相手に得意顔で話していた。

「ルシエンテス子爵令嬢はゲバラ侯爵夫人の屋敷の使用人よ。本当はバネサ・オリバというの。侯爵夫人も物好きよね」

 学生時代と変わらぬ丸顔のゾーイは尋ねた。

「年はいくつくらいなの?」
「私達と同い年くらいじゃないかしら。でも貴族じゃないから教養がないの。付け焼刃で歴代皇后の伝記を歴史の先生から教わってたくらいだもの」
「歴史の先生?」
「クライフ大学の名誉教授とかいうおばあさん。クラウスなんとかっていう白髪のね。他にも法律だの礼儀作法だの。貴族女学校にいたらそんな先生につかなくてもいいのに。礼儀作法の先生は訛りを矯正してたみたい」

 アルマの嘲笑にゾーイは付き合わず、目の前のケーキを口にした。

「これ、おいしいわね」
「でしょ。うちの料理人の仕事よ。そうだ、あなたにだけ教えたげる。その料理人がバネサの父親マリオ・オリバ」
「子爵令嬢が侯爵夫人の屋敷の使用人の娘だったってこと?」
「そう。侯爵夫人が査問会にかけられるでしょ。もし爵位を剥奪されたら屋敷を辞めさせられるでしょ。だからうちで雇ってあげることにしたの。私の体重、おかげで減ったわ」
「これ食べたら痩せるってこと?」
「そうよ。これ、カロリーが同じ大きさのケーキに比べて半分なんですって」
「ルシエンテス子爵令嬢の父親って普通の料理人じゃないわね」
「そう。とってもハンサムだしね」
「ねえ、会いたいわ」
「駄目よ。この時間だと夕食の仕込みだもの」
「残念ね」

 本当は誰にも会わせたくないアルマだった。

「ケーキ以外もおいしいんでしょ」
「ええ。なんだって作れるのよ。庶民的な料理も。お父様、ワインが進むってピンチョスを褒めてたわ」
「まあ、なんだか居酒屋みたいね」
「居酒屋に行くの?」
「勤め先の皆さんとの付き合いがあるから」
「働かなきゃいけないって大変ね」

 ゾーイは学生時代と変わらないアルマの特権意識に虫唾が走ったが堪えた。

「でもそれなりに楽しいこともあるしね。舞踏会には行けないけれど。そうそう、舞踏会には行くんでしょ?」
「招待状が来たからには行かないわけにはいかないわ」
「うちは準騎士だから来ないの。羨ましいわ」
「騎士の殿方と結婚すればいいのよ」
「そう簡単にはいかないわ。テクラはいいわよね。財務大臣の息子と結婚て本当に幸運ね」
「だけど、ここだけの話、テクラの彼と私昔付き合ってたのよね」
「そうだったんだ」
「素敵な彼だったんだけどね」
「素敵な人ほど早く結婚するものね。ああ、私もモニカみたいに女官になればよかった。結婚しなくてもたくさんお給料もらえるんだもの」

 アルマはフフンと笑った。

「あらモニカも大変みたいよ。六等女官なんて一番下っ端なんだもの。私、一度女官の宿舎に行ったの。まあ古いことといったら。古い建物でも立派だったら文化財だけど、歩いたら床がギシギシ音を立てるんだもの。ひどいったらありゃしないわ」

 床がギシギシ鳴るのはあなたの体重のせい、それにモニカはもう六等ではないと言いたいのをぐっとこらえてゾーイは頷いた。

「ねえ、それよりさっきの子爵令嬢だけど、舞踏会に出るんじゃないの? 皇帝陛下とお食事をするくらいだもの」
「そりゃ一応子爵令嬢だもの。でも皇帝陛下と何の話をしたのかしら。貴族女学校も出ずにろくに教養もない人を相手にした陛下は御立派な方だわ。訛りもあったでしょうに」
「そんなに訛ってたの?」
「私の前では精一杯頑張って首都風に話してたわよ。それでもところどころおかしかった」
「たとえば?」
「うーん、ちょっとした語尾なんか私達と逆だった」
「そうなんだ。陛下に失礼がなかったらいいけど」
「食事のマナーだってどうだか怪しいものよ」
「ダンスは?」
「さあ。どっちにしろ田舎娘には無理よ。ほんと、あんな無教養な人を貴族の仲間に入れるなんて侯爵夫人もどうかしてる。査問会、どうなることやら」
「本当にね。あ、このケーキ、もう一ついい?」
「どうぞ、どうぞ」

 気前のいい時のアルマは上機嫌だとゾーイは知っていた。

「ねえ、ルシエンテス子爵令嬢の髪って何色?」
「地味な栗色。しかも短いのよ。平民の女って感じ。まあ、舞踏会はウィッグで誤魔化すでしょうけどね」
「そういえば彼女の家族は父親だけなの?」
「そうみたいね。子爵の養女だから、大方本当は子爵の庶子でしょ。父親と言っても血の繋がりはないだろうし。天涯孤独の孤児ってこと」
「じゃ、父親と似てないんだ」
「似てないなんてもんじゃないわ。赤の他人だって一目見ればわかるわ」
「ますます父親を見てみたくなったわ。マリオさんだっけ。こんなおいしいケーキを作る人、レストランにいたら席に呼んでチップをはずむところよ。ああ、きっと素敵な方よね。アルマが羨ましいわ。私も最近体重が増えて困ってたの。アルマみたいに痩せられたらどんなにかいいかしら。マリオさんきっとアルマのために一生懸命なのね。アルマの人徳ね」

 実際は高等科卒業後、ゾーイは痩せている。勤め先は厳しい職場だったのだ。
 ここまで褒められるとアルマはますますいい気分になってくる。とうとう重い腰を上げた。

「見るだけならね」

 アルマはゾーイを伯爵家の厨房の前まで案内した。

「ドアから覗き見するだけよ」
「なんだかワクワクするわ」

 ドアを細めに開けると肉やソースの香りが漂ってきた。
 ゾーイには一目でわかった。大きなボールを持ってコックコートを着ていても鼻筋の通った顔は他の料理人とは違っていた。

「マリオ、ビダルの290年を出せ」

 料理長の声が響く。

「はい。ビダルの290年」

 ビダルとはビダル公爵領のワイナリーで作られたものである。ビダル産のワインは貴族の間では人気の銘柄である。
 
「以上」

 アルマはドアを閉めた。およそ10秒足らずのことである。

「もっと見たかったあ! 恰好いいわ。声も素敵ね」
「でしょ」

 アルマは自慢げに微笑んだ。

「いいわね、アルマは。羨ましい!」

 本音を言えば別に羨ましくはない。マリオ・オリバは自分たちの父親ほどの年齢に見えた。ゾーイの射程圏内ではない。

「ワインの貯蔵庫を開けられるなんて、ワインにも詳しいのね」
「そうなのよ。マリオはお酒にも詳しいの。クライフみたいな田舎に置いておくような人じゃないわ。ワインだけじゃないのよ。日本の酒にも詳しいの。ショウチュウなんて初めて聞いたわ。父に悪酔いしないからって勧めてくれて。父は大喜びで飲んでるわ」

 焼酎は日本の酒の中では比較的庶民的な酒である。貴族はほとんど飲まない。日本の特定の地域(主にキュウシュウ南部地方やハチジョウジマ)の出身者が多く住む惑星で製造され他の惑星での流通は少ない。ゾーイはマリオ・オリバの身元の大きな手掛かりになると内心ほくそ笑んだ。

「まあ、凄いのね。アルマは本当に幸運ね」

 こんな調子でアルマをいい気分にさせてゾーイはモラル伯爵家を後にした。



 一時間後、ゾーイ・デ・ブールは職場に赴き上司に録画データの入った小型記憶媒体を渡した。

「ご苦労だった。マリオ・オリバをよく撮影できたな」
「ありがとうございます」

 滅多に部下を労わらない上司の言葉にゾーイは内心驚いていた。実際はこれまでの仕事の中では一番楽だった。ケーキを食べながらアルマの機嫌をとっていればよいのだから。

「報告書は明日までに頼む」
「はい」

 やはり今日も残業だ。ゾーイは自分の机に戻って仕事にとりかかった。

「これ食べるか」

 30分ほどたった頃、職場の向かい側にあるコーヒーショップの紙袋がキーボードの横にそっと置かれた。

「ありがとうございます、リートフェルト課長」
「私も残業なんだ」

 そう言うと上司は自分の机の前に座り、気難しい顔で紙袋を開けダブルバーガーに食らいついた。
 ゾーイもまた紙袋を開けた。好物の大豆肉のハンバーガーとトールサイズのコーヒーが入っていた。
 
「いただきまーす」

 ハンバーガーはカロリー半分のケーキよりもずっとおいしいとゾーイは思った。 




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