銀河の鬼皇帝は純愛を乙女に捧げる

三矢由巳

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第五章 混迷の星

11 片頬の微笑

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 アマンダは庭園の案内にはまだ自信がなかった。広すぎるし全部を歩いたことがないのだ。そう言うと父は広いからといって迷子になるほどじゃない、経路案内もある、再開園した時に仕事の役に立つのだからと言って、アマンダとサカリアスを屋敷の外へと送り出した。



 庭園は何事もなかったように静かだった。頭上に広がるのは雲一つない青空。クライフ中心部のこの地方は今初夏だった。一か月もすると夏が来る。湿度が上がらないので比較的しのぎやすい夏が終わると秋、そして雪深い冬となり鳥の鳴く春となる。四季がはっきりとしている地域の特徴を生かした庭園は様々な種類の樹木が植えられ緑の濃さも様々だった。
 こんな広い庭園を目的もなく歩き回ると際限がないとアマンダは思った。

「どこか行きたい場所はありますか」
「馬場へ行きたい」

 サカリアスは昨日のホースショーの馬のことが気にかかっていた。屋敷まわりで暴徒が騒ぎ、馬も怯えたのではないか。ショーを見る人間たちの声や拍手には驚かない彼らも深夜の怒声や罵声には慣れていないはずである。

「ホースショーを御覧になったのですか」
「ああ。いい馬たちだ。厩舎の者達がふだんからよく手入れをしている」
「カルロスさんに頼めば厩舎も見せてもらえるかもしれません」

 アマンダは先に立って歩きだした。すぐにサカリアスが追い付き二人並んだ形になった。

「カルロスとはここの使用人か?」
「調教や馬の世話をしてる方です」

 調教をしているならそれなりの年齢だろうとサカリアスは思った。アマンダの化粧をした顔に心動かされることはあるまい。
 それにしても何故アマンダの化粧は今日は濃いのか。
 
「今日なぜ念入りに化粧を?」
「部屋に置いてあった化粧品を自由に使っていいって言われて。少し気分を変えたかったんです。でも、使ったことのないブランドがたくさんあってどれを使っていいか迷いました」
「化粧をすると気分が変わるのか」
「ええ。気分が上がるんです。落ち込んだ時にルージュの色を変えるとか」
「気分は上がったのか」
「はい。仕事に行く時とは違う化粧をしてみるのもいいものですね。ロメロ商会で凄く仕事のできるカルメンていう人がいたんですけど、真似してアイメイクしてみたんです」

 カルメン。ロメロ商会にいた目つきのきつい女を思い出した。あの女の真似とは意外だった。気の強い女の真似をして強くなろうとしているのか。ことによると昨夜の恐怖で落ち込んだ気持ちを上げようとしているのかもしれないとサカリアスは考えた。
 女の化粧は男に媚びたものと思っていたが、そうではないこともあるらしい。
 そういえばサカリアスの知る母はいつも完璧な化粧をした顔であった。彼を産んだのは30を過ぎていたはずだから物心ついた頃には皺もそれなりにあったはずだが、皺を見たことがなかった。子どもの前であっても素顔を見せない母は一体どんな気持ちで子に相対していたのか。

「あ、あれ見てください。ツバメ」

 アマンダが指さした場所を見上げると、ツバメが木々の間をスーッと飛んでいた。

「ツバメの巣が近くにあるんですね」
「そうだな」

 かつて移民船には人間以外の家畜や動物も乗せられていた。その中にツバメもいたのだ。彼らも過酷な宇宙の旅をともにしてきた仲間だった。

「我々もツバメも仲間だ、同じ船で旅をしてきた」
「そうですね。ということは、アナコンダも仲間なのでしょうか」

 アマンダはサカリアスの顔を見てそう言った。
 サカリアスは思わず微笑んでいた。厳つい顔の片頬だけをピクリと動かして。
 アマンダはその異変に気付いた。

「どうされましたか。今、お顔がピクリと動きました」

 微笑んだつもりだったのに、顔がピクリと動いただけ。その事実にサカリアスは衝撃を受けた。姉は笑えと言っていたが、笑っても片頬だけがピクリとしか動かぬとは。

「微笑んだのだが」

 アマンダはその一言に絶句した。アマンダの知る微笑という表情とは全く違っていた。
 
「笑っているように見えぬのだな」
「おそれながら、その通りです」

 アマンダに嘘は言えなかった。
 サカリアスはため息をついた。
 
「きっと殿下は軍隊で毎日緊張した生活をなさっているから、笑顔がお得意ではないのです」

 アマンダとしては精一杯の慰めだった。
 思えば子どもの頃から笑うことは多くなかった。それでも軍隊では声を張り上げて笑っていた。そういう笑いが軍人として求められていると思ったからだ。だが、声を出さずに微笑むということは少なかった。特に女性に対しては。筋肉というのは使わねば衰える。微笑に必要な筋肉が衰えてしまったのかもしれない。

「鍛えねばならぬな」
「え?」
「表情筋だ。筋肉は使わねば衰える。衰えた筋肉が己の肉体に存在するというのは、許し難いことだ。怠惰だ」
「どのようにして鍛えるのですか?」

 アマンダは尋ねながら、時々映像端末で放映されるボディビルダー達を思い出していた。あの人たちはポーズをとりながら白い歯を出して笑っている。顔の筋肉も鍛えているのかもしれない。サカリアスもあんな笑い方をするつもりだろうか。想像しようとしたができなかった。

「鍛え方か。難しいな。ジムにはそういうマシンはない」
「あの、無理して鍛える必要はないかと」
「鍛えるというのは無理をすることだ。無理をしなければ筋肉は増えない」

 そんなことを言いながら歩いているうちに、厩舎が見えて来た。

「先に行ってカルロスさんにお願いしてきます」

 アマンダは長いスカートの裾を翻して走り出した。
 サカリアスははっとした。同じだ。あの夏の庭で見た軽やかな小鹿のような後ろ姿を思い出した。あの時は眺めるのは淑女に対して失礼だと思って回れ右をした。だが、今は見ていたかった。失礼だとわかっていても。
 サカリアスは速足で彼女を追った。厩舎は男が多い。彼女に近づけてはならない。



「サカリアス殿下が?! ああ、構わない。凄いな」

 厩舎の前にいたカルロスはアマンダの頼みを二つ返事で引き受けた。
 
「うちの親父がよく話してたんだ。殿下が遊びに来た時のことを」

 すぐにサカリアスは厩舎にやって来た。アマンダはカルロスを紹介した。
 サカリアスはカルロスが意外に若いので驚いた。

「若いのに調教をしているのか」
「はい。陸軍で騎馬隊にいて厩舎の仕事をしていました。父のフェリペが三年前に怪我をしたので除隊して後を継ぎました」
「フェリペ? ああ、あのフェリペの息子か」
「はい。父がよく殿下がおいでになった時のことを話しております。よくロッホに乗っておいでだったと」
「ああ。ロッホは元気にしているか」
「去年怪我をして亡くなりました」
「そうか。いい馬だった」

 そんなことをひとしきり話した後、サカリアスは昨夜の騒ぎが馬に影響しなかったか尋ねた。
 カルロスは音は聞こえなかったが、気配を察したのか一晩中馬たちが落ち着かなかったと語った。

「そうか。では馬たちを刺激しないほうがいいな」
「中を覗くくらいなら構いませんよ」
「では少しだけ」

 サカリアスは本当に少しだけ厩舎の入り口から馬たちを覗いた。

「ありがとう、これだけ綺麗にしてある厩舎は陸軍にもそう多くない。馬たちは幸せだ」
「ありがとうございます、殿下。この次は乗りに来てください」
「わかった」

 サカリアスはとにかくアマンダをカルロスに近づけないため、ずっとカルロスと話していた。
 アマンダはそんなサカリアスを馬がお好きなのだと思った。



 厩舎を出た後、馬場に出ている馬たちを見た。どの馬も毛並みがよかった。

「馬はいい」

 サカリアスは呟いた。その片頬がピクリと動いたのにアマンダは気付いた。
 微笑んでいる。

「今、お笑いになりましたね」
「わかるのか」
「はい。頬が動きました」

 そうかとアマンダは気付いた。厩舎の人々は馬の機嫌の良し悪しがわかるという。馬は人間のように笑わない。それでも機嫌がわかるのはいつも馬をよく見ているからだと。
 サカリアスもよくよく見れば笑ったり怒ったり、表情があるのだ。ただ動きが小さいからわからないだけで。でも見ていればわかるようになるのだと。

「そうか。よし、鍛えねばな」
「それなら馬のようにお好きなものを見れば自然と笑えるのではありませんか。ジムに鍛えるマシンがないのですから」
「好きなものを、見る」

 サカリアスは心拍数が上がっていると思った。アマンダは突然こんなことを言う。無意識かもしれないが、言われたほうは平常心ではいられなくなる。

「ならば、私は、アマンダをずっと見ていたい」

 そう言おうとした時だった。
 遠くから声が聞こえた。女の声だ。

「でんかあ、サカリアスでんかあああ!」

 サカリアスは背筋に冷水を浴びせられたような気がした。



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