江戸から来た花婿

三矢由巳

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第三章 雷土颪は見た! 知り過ぎた女奉公人とカステイラ の謎は湯煙の彼方に

64 カステイラの謎

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 中間ちゅうげんがいなくなった。
 もしそれが江戸の屋敷で起きたことなら、紹介した口入れ屋に文句の一つも言ってまた新しい者を雇い入れるだけである。取るに足りない身の上の者に関わっているほど皆暇ではない。
 香田角でも武家に雇われた中間がいなくなることはままある。大概は柳町で遊び過ぎて翌朝起き上がれなかったとかで、行方はすぐに判明する。何しろ狭い土地である。やっこ頭の中間を探すのはさほど難しいことではない。
 だが、中間長屋に風呂敷に包んだ替えの下帯と銭の入った巾着を置いていなくなった千蔵の行方は三日たっても杳として知れなかった。
 中間達に尋ねたが皆心当たりがないと言う。何か諍いがあって口裏を合わせているのかもしれないと思ったが、亥吉の調べでもそれはなかった。
 亥吉はおかつの元夫だった栄蔵のところにも行った。義父の配慮で山置へ行く前日の慌ただしさの中であったが、栄蔵は心当たりはないが、もし山置で噂を聞くことがあれば知らせると言ってくれた。だが、一向に栄蔵からの便りはなかった。
 柳町の会所にも問い合わせたが、遊女屋にそのような者は泊まっていないと回答があった。
 大久間の郡奉行所に戻っていないかと使いを送ったが、そちらにも戻っていなかった。
 壱子は大久間から連れて来た責任を感じていた。源三郎は気にする必要はない、中間というのは元々町人だから忠誠心はさほど強くないのだと言ったが、彼自身もまた千蔵が無責任な者だとは内心思えなかった。
 よもや身をやつし、関所を出て姉の死に関わった者達に復讐するのではないかとも思ったが、関所を通るには手形が必要だった。手形を持っていない千蔵が通過できるはずがない。関所にも問い合わせたが、千蔵らしい者は通っていない。領内に留まっていると考えるべきであろう。
 とすると、千蔵はどこへ行ったのか。
 何かの事件に巻き込まれたのではと思ったが、領内に不審な死骸は見つかっていない。 
 まるで神隠しにでもあったようだった。それこそ烏天狗にでも連れ去られたように。

「まったくどこに行ってしまったんでしょうね。親兄弟や女房子どもはいないし、親戚とは縁が切れてれば探しようもねえ」

 亥吉はため息をついた。源三郎は奔走してくれた亥吉の労をねぎらい、これ以上は無理して調べなくともよいと告げた。





「先だっての本覚寺の叡倫の件でございますが」

 殿に呼ばれて登城した折、たまたま廊下で出くわした寺社奉行の戸川金兵衛に挨拶すると、彼は周囲をさっと見回し誰もいないことを確かめて切り出した。

「探りを入れましたが、そういう噂はありませなんだ。寺に長く勤める寺男に訊いても、般若湯も肉も見ることさえ厭い、稚児を近づけることもない、ましてや女犯の罪など。恐れながら何かの間違いではありませんか」

 それでは千蔵は偽りを言ったということなのか。源三郎は釈然としないものを感じた。よもや寺社奉行の配下が寺男に言いくるめられたのではないかとも思ったが、己がそんな指摘ができる立場ではないことは源三郎にもわかっていた。彼は無役なのだ。元来寺社奉行は無役の源三郎の頼みをきく必要はない。それなのに、それとなくとはいえ頼み込み、結果が納得いかなかったからといって文句を言うわけにはいかない。探りを入れてくれただけでも有難いと思わねばならぬ。

「お手数をお掛けした。かたじけない」
「こちらこそ。実は探りを入れていたら、別の寺の僧の妻帯が判明しましてな」
「え?!」
「今後も何かありましたらよろしくお願い申し上げます」

 寺社奉行は慇懃に頭を下げ、その場を去った。
 呆気に取られて突っ立っていると、岡部惣左衛門が近づいて来た。

「玄蕃様、こちらでしたか。殿がお待ちです」
「わかった。直ちに参る」 

 御座の間に行くと、飛騨守は書面から顔を上げた。挨拶をする間も惜しむかのように口を開いた。

「中間がいなくなったそうだな」

 千蔵の失踪を知っている。何故と源三郎は思う。分家の奉公人の話など、城の中にいる殿に伝えるような話ではあるまい。ただでさえ国許に戻ってからは、視察や様々な行事で忙しいのである。しかも今も家老から送られてきた書類に目を通し裁可したり、指示したりと、山のような仕事を抱えている。そんな殿に親戚の家の奉公人の話など耳に入れる家臣がいるとは。殿にとっては迷惑千万であろう。一体誰がと思った。側用人の岡部ではあるまい。では、誰が?
 だが、そんなことを考えても口にするわけにはいかない。まことのことだから肯定するしかない。

「はっ」
「おかつの弟であろう」
「はっ」
「まだ見つからぬのだろう」
「はっ」

 殿は正座していた足を崩し、胡坐をかいた。
 江戸にいた頃、源三郎や加納新之助らと寄り集まった時は足を崩したものだが、国許に戻ってからは源三郎の前でも足は崩さなかった。無論、家臣である源三郎は足を崩すわけにはいかない。

「たぶん、見つからぬな」

 どこかで聞いたような言葉だった。あれは確か、貞蓮院失踪の件で竹野村の安兵衛のところを出た後に立ち寄った茶店の老人であったか。

『たぶん見つからぬかと』
『この御領内ではそういうわけのわからぬことが起きることがあります。あまり深入りされぬがよいかと』
『深入りして命を失った者もおります』

 あの老人はいつの間にか姿を消していた。守倉衆ではないかと源三郎は睨んでいる。
 もしや殿は千蔵の失踪が守倉衆に関わっていると言いたいのであろうか。 
 だとすると千蔵は……。
 守倉平太郎が天井か床下か、あるいは庭に潜んでいるかもしれぬ。だが、源三郎は問わずにはいられなかった。

「守倉衆とやらの仕業ですか」

 殿は首を傾げた。

「守倉? 仕業とはずいぶん物騒な」

 何をとぼけているのだと源三郎は思った。

「千蔵が消えたのは、守倉衆の仕業なのでしょう」
「守倉衆は関係ない。千蔵は己の考えで消えたのではないか」
「己の考えとは」
「それは余にもわからぬ」

  とぼけているにしては、真面目な顔だった。

「だが、本気で姿を消そうと思う者は何もかも捨てて誰にも言わずに消えるものだ」

 そうかもしれない。見つけて欲しければ手がかりを残すだろう。手がかりを残さなかった千蔵は見つけて欲しくないのかもしれない。何故か。
 領外に追放になった者達は宗門人別改帳から消されてしまった。それまで所属していた社会から切り離され、無宿人となった。失踪したら、彼ら同様に社会から切り離されてしまう。千蔵も無宿人となるのだ。
 一体、自分から進んで無宿人になろうと思う者がいるものであろうか。これまで所属していた社会との縁が切れてしまうのだ。まともな職を得ることも縁組もできぬのだ。縁を切るのを望む者などいるのであろうか。千蔵にとって今いる場所は縁を切りたくなるような場所であったのだろうか。
 源三郎にはわからなかった。先ほどの寺社奉行戸川金兵衛が叡倫に破戒の話はなかったと言っていたことも。わけのわからぬ話ばかりである。おかつの一件は落着したのに、今度は弟とは。

「何故、姿を消すのでしょうか。それほどまでに大久間の郡奉行所の中間であることが嫌だったのでしょうか」

 わからないなりに源三郎は問いかけた。

「余も今の自分の立場が嫌になることがある、たまにだが」

 そんなことを口にしていいのかと源三郎は殿を見つめた。

「だが、辞めるわけにはいかない。辞めたらこれまでしてきたことが無になる。それに満津に叱られる」

 冗談ともつかぬ口ぶりであったが、源三郎にもわかるような気がした。
 壱子がいなければ、たぶん己は何もかも捨てて江戸に戻っていただろう。

「姫の先々もある。まこと、ほだしとはよく言ったもの」

 ほだしとは妻子だけではあるまい。殿というのは、家臣や領民を背負っているようなもの。だからこそ投げ捨てることはできない。

「千蔵にはほだしがないと」

 両親は亡く、親族との縁は薄く、姉を失った千蔵には確かにほだしはない。ほだしのない千蔵を束縛する者はない。
 だが、中間を辞めてまでもと源三郎は思う。

「であろうな。中間の仕事も千蔵を縛るものではなかったということ……ひょっとしたら、中間とは仮の姿で千蔵には他に本業があったのかもしれぬな」
「本業……」

 中間が仮の姿で本業が別にある。そういうことがあるものだろうか。だとしたら、千蔵の本業とは何であろうか。が、源三郎の思考は殿の唐突な声で中断された。

「時に、玄蕃、町奉行の話では、千蔵は盆暮れに姉からカステイラ等の菓子等を送られていたそうだな」 
「はい、さように聞いております」

 それがどうしたと言うのだろう。仲のよい姉と弟であれば盆暮れのやり取りはあるものだろう。

「カステイラというものは鶏が卵を産んでくれなければ食べられぬ。特に夏は鶏も暑さで精が減退するのか、毎日は産んでくれぬ。故に、夏はカステイラはあまり作れぬ。盆の頃になってもカステイラは多くは作れぬのだ。大久間の島原屋に卸せぬこともある。それなのに、カステイラを茶屋の仲居が弟に送れるものであろうか。そもそも分家に贈るのも一箱。厨の下働きに配れるほどの量はない」

 では、千蔵に姉から送られていたカステイラは……。
 源三郎は考える。カステイラの出どころはどこなのか。そもそも姉のおかつから送られたものであったのか。
 カステイラは高価な菓子である。卵と砂糖という高価な材料を使う上、作れる者も多くない。長崎の菓子屋や千代田の城、西国の限られた大名家でしか作られていなかった。近頃は製法が知られてきたのか、江戸の菓子屋で贈答用に作られているようだが、気軽に誰でも購入できるものではない。ましてやこの地では。
 おかつでないとすれば、一体何者が千蔵にカステイラを送ったのか。
 足音が近づき、障子に跪く陰が映った。

「おそれながら申し上げます。間もなく道中奉行が参ります」

 側用人の岡部の声であった。

「あいわかった」

 殿は声を掛けると、源三郎に告げた。

「本日はここまでだ。来年の参勤の計画が出来上がったらしい」

 もうそんな時期かと源三郎は、ちらと昨年のことを思い出した。
 御座の間を出た源三郎は庭に目をやった。裁付袴の守倉平太郎はいなかった。

「玄蕃様」

 岡部惣左衛門の声に振り返った。ぐずぐずしていないでさっさと帰れということかと思っていると、思わぬ言葉が彼の口から出た。

「よろしければ茶でも」

 断る理由はなかった。
 



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