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第三章 雷土颪は見た! 知り過ぎた女奉公人とカステイラ の謎は湯煙の彼方に
55 目付の母
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夜の森家の茶室で、奈加子はむめの立てた茶を喫していた。
むめは奈加子を子ども扱いせずに御分家の使いとして丁重にもてなしたのである。
「結構なお手前で」
奈加子も一人前の顔でそう言うと、残りの茶を三口半で飲み切った。飲み口を拭き茶碗を置く。きちんと出来たと奈加子は安堵した。
目付の母だという女性はいかにも貞女の鑑という雰囲気があった。そのような女性の前で見苦しい姿をさらすわけにはいかないと奈加子は精一杯の背伸びをしていたのである。
穏やかな微笑を浮かべたむめはそんな奈加子の正体をとっくに見抜いていた。なんといっても己が取り上げた赤子なのだから。性格はともかく声や顔の形は母親にそっくりだった。
「御奉公とはいえ、かような時分までお使いとは恐れ入ります」
むめの丁寧な物言いは、茶の苦みと相まって奈加子の高ぶっていた気持ちを落ち着かせた。
「お心遣い、こちらこそ痛み入ります」
目付の森左源太がなぜ父を訪ねて来たのか、父の嘘と城下の女の殺しが何か関わりがあるらしいのだが、一体どういうことなのか、奈加子は知りたかった。部屋を飛び出し塀の穴から外に出て森家までやって来たのは、真実を知りたいという強い気持ちに促されてのことだった。
だが、目付は不在だった。高ぶっていた気持ちのやり場のない奈加子であった。
そんな奈加子の心を見抜いたかのように、むめは茶でもてなしたのである。
「それにつけても、御分家様が夜更けてお使いをよこされるとは、よほどお急ぎのこととお見受けいたします」
「はっ、はい」
「明日は何が起きるかわかりませぬ。今日できることは今日というのは、よき御心がけ」
「はい。思い立ったが吉日と申しますから」
「まことに」
むめは精一杯背伸びする奈加子を好ましく思った。ただし、親に黙って家を出て来たらしいのはよろしくないが。御分家がこんな夜分に娘を使いにやるはずがないのである。
それにしても一体、息子に何用があるのであろうか。奈加子と息子に接点はまったくないはずである。
何用があるかわからぬが、息子の帰りが遅くなるようなら、奈加子を御分家に帰さねばなるまい。
奈加子もまた目付の帰りが遅いのは困ると思っていた。まだ自分の不在に気付かれていないと思っている奈加子は、家族に気付かれぬうちに屋敷に戻るつもりでいた。
「お目付様はまだお帰りにならぬのでしょうか」
「間もなくと言えればよいのですけれど、お役目柄いつ帰宅するか、私にも知らせてくださらないのです」
「そうですね。お役目がございますものね」
笑ってみせた奈加子だが、少々焦る気持ちも出てきた。
「差支えなければ、御分家様の書き付けをお預かりいたしますが」
「いえ、じかにお返事をもらうように命じられておりますので」
奈加子は慌てて答えた。もとより書き付けなどないのである。
「大奥様。御目付様がお帰りになりました」
茶室の外から下女の声が聞こえた。
「わかりました。こちらへ来るように」
「かしこまりました」
奈加子は安堵した。目付から話さえ聞けば家族に気付かれぬうちに屋敷の自室に戻れると。
「母上、何かございましたか」
小さな躙り口からようやっと身体を入れた目付の姿を見た奈加子は笑いそうになった。
だが、当の本人は奈加子の姿を見て、目を丸くした。
「やっ、これは」
「左源太殿、御分家様からのお使いに失礼ですよ」
むめは息子の慌てようをたしなめた。
茶室に全身を入れた左源太は姿勢を正した。
「お使いとは、異なことを」
森は奈加子をギロリと睨んだ。
「御目付様に直接伺いたいことがございます。お人払いを」
母の件はむめに聞かれていい話だと奈加子には思えなかった。
むめは息子に向かって言った。
「左源太殿、このお使いの方はまだ鉄漿もつけておらぬよう。そのような方とそなたを二人きりで茶室にというわけには参りません」
それは困ると奈加子は口を開こうとした。だが左源太のほうが早かった。
「母上、何を心配なさっているのですか」
左源太は奈加子のお転婆ぶりを見ているので、母の心配するような事態にはならぬと自信を持っていた。
「そなた、李下に冠を正さずという言葉を知っておろう」
「どこにすももがあると。そこにおいでの使いとやらはすももどころか渋柿です。誰が食べましょうか」
「たとえそなたには渋柿に見えても、他の者にはすももに見えているかもしれぬのです。間違いがあったと思われたらいかがします」
「間違いなぞありえません」
左源太は半ば笑いながら言った。奈加子はなんだか無性に腹が立ってきた。人のことを渋柿と言うなんて。それに間違いとは何であろうか。意味はわからぬが、まるで馬鹿にしたようにありえぬと言うとは。
「私は渋柿ではない」
思わず口走っていた。
「左源太殿、そなた少し口が過ぎますよ」
むめは息子を窘めた。その声の調子で、目付は母がこのお使いの正体に気付いているらしいと察した。
「母上、お気付きでしたか」
「気付かぬはずがなかろう。御分家様の二の姫、奈加姫様でありましょう」
この人はわかっていて自分をもてなしたのかと気付き、奈加子は恥ずかしくてうつむいた。
「お姫様、お久しうございます」
むめは奈加子に向かって頭を下げた、
「御存知ないとは思いますが、お姫様がお生まれになる時、お手伝いさせていただきました」
「手伝ったって……」
「あの日は望月で御城下の産婆が出払っておりましたので、取り上げさせていただきました」
奈加子の知らない話だった。姉からもお菊からも、ましてや父からも聞かされていない。
「母上に会ったの」
「はい。奥方様はそれはそれはお姫様がお生まれになったのを喜んでおいででした」
奈加子は母の顔をよく覚えていない。抱き締められたぬくもりはなんとなく思い出せるが、話をした記憶はない。記憶の中の母はいつも床に就いていた。寂しくても我慢するしかなかった。それ故に、情の深いお菊を母のように思い懐いたのである。
けれど、実の母が己の生まれたことを喜んでいたと知れば嬉しい。
奈加子は母のことをもっと聞きたいと思った。だが、むめは奈加子を甘やかすつもりはなかった。
「御分家様のお使いというのは偽りだったのですね」
奈加子ははいと小さな声で答えた。
「お姫様、何故、嘘を仰せになって当家へお越しになったのですか。御分家様はまことの心を重んじる方、嘘偽りは許されぬはず」
「それは……まことのことを申したら、入れてもらえぬと思ったからです。すぐに屋敷に戻されると思っておりました。黙って出て参りましたので」
奈加子は正直に答えた。この人は筋を通せばわかってくれる人のように思われた。
むめはうなずいた。
「だからか。御分家の奉公人をいつもより見かけるので、一体どうしたのかと」
左源太の言葉で、奈加子はすでに自分が屋敷を出たことに気付かれたのだと悟った。
「では、すぐに御分家に使いをやりましょう」
むめはすっと立ち上がると躙り口を開け、控えていた下女に小声で命じた。下女はすぐにその場を離れた。
その間、奈加子は森の不躾にも思える視線を受け睨み返した。左源太は生意気な渋柿娘だと思い、一言言わねばと思った。
「父上を困らせてはなりませぬぞ。屋敷の方々も心配されて方々を探し回っているというのに」
「父上を困らせるつもりはありません。私はただ、知りたいだけです。どうして、目付様が父上を訪ねて来たのか、父上の嘘と城下の殺された女とはいかなる関わりがあるのか。思い立ったが吉日と思ったから来たのです」
躙り口から戻って来たむめはこれは件のおかつの歌の一件と気付いた。
「左源太殿、この話、あの歌と関わりがあることではありませんか」
「母上、これはお勤めに関わることゆえ」
左源太としては、母にこれ以上職務に深入りして欲しくはなかった。母の助けで歌の意味がわかったとはいえ、それ以上関わってもらいたくはなかった。当然のことながら職務に関わりのない奈加子にも話すべきではないと思っていた。所詮は女子供なのだ。
「ええ、それはわかっております。でも、お姫様はお勤めに関わること以外のことを本当は知りたいのではありませんか」
「どういう意味ですか」
左源太には母の言っていることの意味がわからなかった。
「母上様のことを知りたかったのではありませんか。その母上のことも」
「それはすでに」
左源太は御分家の座敷でのことを思い出す。奈加子の祖母が遊女であったこと、母がまことは公家の娘ではなかったこと、すべて語ったではないか。何をいまさらとしか思えない。
むめは息子が事実を奈加子に語っているらしいと察した。けれど奈加子が知りたいのは無味乾燥な事実の羅列だけではなかろう。奈加子にとって、いや、それは恐らくすべての娘たち(過去に娘であった者たちも含めて)が知りたいのは、母の真実なのではあるまいか。
まことの母はいかにして生き、いかにして父たる人と出会い、いかなる思いで子を産み育んだか。
左源太の言葉でそれが伝わるとは思えなかった。
「左源太殿、お姫様が知りたいことに答えて差し上げなさい。私も知っていることはお伝えしたいのです。それこそ、明日、目覚めた時には語れなくなっているかもしれないのですから」
「母上、しかしながら」
「十六夜の月の明かりだけを頼りに家を出て来たのですよ。そなたは勤めで知りえたことが広まるのを恐れているのでしょうけれど、このお姫様が誰彼構わず話すような方に見えますか」
奈加子は母と息子のやり取りを見ながら、不思議な思いに駆られていた。
家族や屋敷の者以外にも、こうやって自分のことを思ってくれる人がこの世にいたとは。目付は嫌な感じだが、母親は怖いけれど情のある人のように思える。
「わかりました、母上の仰せならば致し方ありますまい」
「致し方ないとは、そなたはもう少し言葉を選びなさい」
「不調法者ゆえ。では、早速。十日の朝、坂瀬川の川原で死んでいる女子が見つかった。その名はおかるといい、柳町の茶屋京屋の仲居であった」
目付は前置きもなく話を始めた。
奈加子が驚愕するのに、さほど時はかからなかった。
むめは奈加子を子ども扱いせずに御分家の使いとして丁重にもてなしたのである。
「結構なお手前で」
奈加子も一人前の顔でそう言うと、残りの茶を三口半で飲み切った。飲み口を拭き茶碗を置く。きちんと出来たと奈加子は安堵した。
目付の母だという女性はいかにも貞女の鑑という雰囲気があった。そのような女性の前で見苦しい姿をさらすわけにはいかないと奈加子は精一杯の背伸びをしていたのである。
穏やかな微笑を浮かべたむめはそんな奈加子の正体をとっくに見抜いていた。なんといっても己が取り上げた赤子なのだから。性格はともかく声や顔の形は母親にそっくりだった。
「御奉公とはいえ、かような時分までお使いとは恐れ入ります」
むめの丁寧な物言いは、茶の苦みと相まって奈加子の高ぶっていた気持ちを落ち着かせた。
「お心遣い、こちらこそ痛み入ります」
目付の森左源太がなぜ父を訪ねて来たのか、父の嘘と城下の女の殺しが何か関わりがあるらしいのだが、一体どういうことなのか、奈加子は知りたかった。部屋を飛び出し塀の穴から外に出て森家までやって来たのは、真実を知りたいという強い気持ちに促されてのことだった。
だが、目付は不在だった。高ぶっていた気持ちのやり場のない奈加子であった。
そんな奈加子の心を見抜いたかのように、むめは茶でもてなしたのである。
「それにつけても、御分家様が夜更けてお使いをよこされるとは、よほどお急ぎのこととお見受けいたします」
「はっ、はい」
「明日は何が起きるかわかりませぬ。今日できることは今日というのは、よき御心がけ」
「はい。思い立ったが吉日と申しますから」
「まことに」
むめは精一杯背伸びする奈加子を好ましく思った。ただし、親に黙って家を出て来たらしいのはよろしくないが。御分家がこんな夜分に娘を使いにやるはずがないのである。
それにしても一体、息子に何用があるのであろうか。奈加子と息子に接点はまったくないはずである。
何用があるかわからぬが、息子の帰りが遅くなるようなら、奈加子を御分家に帰さねばなるまい。
奈加子もまた目付の帰りが遅いのは困ると思っていた。まだ自分の不在に気付かれていないと思っている奈加子は、家族に気付かれぬうちに屋敷に戻るつもりでいた。
「お目付様はまだお帰りにならぬのでしょうか」
「間もなくと言えればよいのですけれど、お役目柄いつ帰宅するか、私にも知らせてくださらないのです」
「そうですね。お役目がございますものね」
笑ってみせた奈加子だが、少々焦る気持ちも出てきた。
「差支えなければ、御分家様の書き付けをお預かりいたしますが」
「いえ、じかにお返事をもらうように命じられておりますので」
奈加子は慌てて答えた。もとより書き付けなどないのである。
「大奥様。御目付様がお帰りになりました」
茶室の外から下女の声が聞こえた。
「わかりました。こちらへ来るように」
「かしこまりました」
奈加子は安堵した。目付から話さえ聞けば家族に気付かれぬうちに屋敷の自室に戻れると。
「母上、何かございましたか」
小さな躙り口からようやっと身体を入れた目付の姿を見た奈加子は笑いそうになった。
だが、当の本人は奈加子の姿を見て、目を丸くした。
「やっ、これは」
「左源太殿、御分家様からのお使いに失礼ですよ」
むめは息子の慌てようをたしなめた。
茶室に全身を入れた左源太は姿勢を正した。
「お使いとは、異なことを」
森は奈加子をギロリと睨んだ。
「御目付様に直接伺いたいことがございます。お人払いを」
母の件はむめに聞かれていい話だと奈加子には思えなかった。
むめは息子に向かって言った。
「左源太殿、このお使いの方はまだ鉄漿もつけておらぬよう。そのような方とそなたを二人きりで茶室にというわけには参りません」
それは困ると奈加子は口を開こうとした。だが左源太のほうが早かった。
「母上、何を心配なさっているのですか」
左源太は奈加子のお転婆ぶりを見ているので、母の心配するような事態にはならぬと自信を持っていた。
「そなた、李下に冠を正さずという言葉を知っておろう」
「どこにすももがあると。そこにおいでの使いとやらはすももどころか渋柿です。誰が食べましょうか」
「たとえそなたには渋柿に見えても、他の者にはすももに見えているかもしれぬのです。間違いがあったと思われたらいかがします」
「間違いなぞありえません」
左源太は半ば笑いながら言った。奈加子はなんだか無性に腹が立ってきた。人のことを渋柿と言うなんて。それに間違いとは何であろうか。意味はわからぬが、まるで馬鹿にしたようにありえぬと言うとは。
「私は渋柿ではない」
思わず口走っていた。
「左源太殿、そなた少し口が過ぎますよ」
むめは息子を窘めた。その声の調子で、目付は母がこのお使いの正体に気付いているらしいと察した。
「母上、お気付きでしたか」
「気付かぬはずがなかろう。御分家様の二の姫、奈加姫様でありましょう」
この人はわかっていて自分をもてなしたのかと気付き、奈加子は恥ずかしくてうつむいた。
「お姫様、お久しうございます」
むめは奈加子に向かって頭を下げた、
「御存知ないとは思いますが、お姫様がお生まれになる時、お手伝いさせていただきました」
「手伝ったって……」
「あの日は望月で御城下の産婆が出払っておりましたので、取り上げさせていただきました」
奈加子の知らない話だった。姉からもお菊からも、ましてや父からも聞かされていない。
「母上に会ったの」
「はい。奥方様はそれはそれはお姫様がお生まれになったのを喜んでおいででした」
奈加子は母の顔をよく覚えていない。抱き締められたぬくもりはなんとなく思い出せるが、話をした記憶はない。記憶の中の母はいつも床に就いていた。寂しくても我慢するしかなかった。それ故に、情の深いお菊を母のように思い懐いたのである。
けれど、実の母が己の生まれたことを喜んでいたと知れば嬉しい。
奈加子は母のことをもっと聞きたいと思った。だが、むめは奈加子を甘やかすつもりはなかった。
「御分家様のお使いというのは偽りだったのですね」
奈加子ははいと小さな声で答えた。
「お姫様、何故、嘘を仰せになって当家へお越しになったのですか。御分家様はまことの心を重んじる方、嘘偽りは許されぬはず」
「それは……まことのことを申したら、入れてもらえぬと思ったからです。すぐに屋敷に戻されると思っておりました。黙って出て参りましたので」
奈加子は正直に答えた。この人は筋を通せばわかってくれる人のように思われた。
むめはうなずいた。
「だからか。御分家の奉公人をいつもより見かけるので、一体どうしたのかと」
左源太の言葉で、奈加子はすでに自分が屋敷を出たことに気付かれたのだと悟った。
「では、すぐに御分家に使いをやりましょう」
むめはすっと立ち上がると躙り口を開け、控えていた下女に小声で命じた。下女はすぐにその場を離れた。
その間、奈加子は森の不躾にも思える視線を受け睨み返した。左源太は生意気な渋柿娘だと思い、一言言わねばと思った。
「父上を困らせてはなりませぬぞ。屋敷の方々も心配されて方々を探し回っているというのに」
「父上を困らせるつもりはありません。私はただ、知りたいだけです。どうして、目付様が父上を訪ねて来たのか、父上の嘘と城下の殺された女とはいかなる関わりがあるのか。思い立ったが吉日と思ったから来たのです」
躙り口から戻って来たむめはこれは件のおかつの歌の一件と気付いた。
「左源太殿、この話、あの歌と関わりがあることではありませんか」
「母上、これはお勤めに関わることゆえ」
左源太としては、母にこれ以上職務に深入りして欲しくはなかった。母の助けで歌の意味がわかったとはいえ、それ以上関わってもらいたくはなかった。当然のことながら職務に関わりのない奈加子にも話すべきではないと思っていた。所詮は女子供なのだ。
「ええ、それはわかっております。でも、お姫様はお勤めに関わること以外のことを本当は知りたいのではありませんか」
「どういう意味ですか」
左源太には母の言っていることの意味がわからなかった。
「母上様のことを知りたかったのではありませんか。その母上のことも」
「それはすでに」
左源太は御分家の座敷でのことを思い出す。奈加子の祖母が遊女であったこと、母がまことは公家の娘ではなかったこと、すべて語ったではないか。何をいまさらとしか思えない。
むめは息子が事実を奈加子に語っているらしいと察した。けれど奈加子が知りたいのは無味乾燥な事実の羅列だけではなかろう。奈加子にとって、いや、それは恐らくすべての娘たち(過去に娘であった者たちも含めて)が知りたいのは、母の真実なのではあるまいか。
まことの母はいかにして生き、いかにして父たる人と出会い、いかなる思いで子を産み育んだか。
左源太の言葉でそれが伝わるとは思えなかった。
「左源太殿、お姫様が知りたいことに答えて差し上げなさい。私も知っていることはお伝えしたいのです。それこそ、明日、目覚めた時には語れなくなっているかもしれないのですから」
「母上、しかしながら」
「十六夜の月の明かりだけを頼りに家を出て来たのですよ。そなたは勤めで知りえたことが広まるのを恐れているのでしょうけれど、このお姫様が誰彼構わず話すような方に見えますか」
奈加子は母と息子のやり取りを見ながら、不思議な思いに駆られていた。
家族や屋敷の者以外にも、こうやって自分のことを思ってくれる人がこの世にいたとは。目付は嫌な感じだが、母親は怖いけれど情のある人のように思える。
「わかりました、母上の仰せならば致し方ありますまい」
「致し方ないとは、そなたはもう少し言葉を選びなさい」
「不調法者ゆえ。では、早速。十日の朝、坂瀬川の川原で死んでいる女子が見つかった。その名はおかるといい、柳町の茶屋京屋の仲居であった」
目付は前置きもなく話を始めた。
奈加子が驚愕するのに、さほど時はかからなかった。
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