江戸から来た花婿

三矢由巳

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第三章 雷土颪は見た! 知り過ぎた女奉公人とカステイラ の謎は湯煙の彼方に

17 鳩首凝議

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 とまりを管理するのは町奉行である。高岡又三郎は丑寅町の足軽長屋からすぐに町奉行所に引き返した。
 山迫嘉兵衛は高岡から山井忠兵衛の話を聞くと驚きを隠さなかった。

「兄がさようなことを。話してくれたら、すぐに調べられたものを」

 何故、実の弟に大事な事を話さなかったのか。酔っ払いの気まぐれか、あるいは話自体が幻想だったのか。高岡は大まじめに忠兵衛の話を嘉兵衛にしたのを後悔した。
 が、嘉兵衛の言葉が高岡の背中を押した。

「兄は少しばかりだらしがないが、偽りを言うようなことはない」
「では、まことの」
「恐らくそうであろう。酒の飲み過ぎで幻を見るようになるというが、舟の櫓の音を聞くというのは聞いたことがない。大体、舟のことを調べていなかったのは、手落ちではないか。死骸を運ぶのに、舟ほど便利なものはなかろう」

 確かにそうである。たとえ女の死体をむしろをかぶせて荷車に乗せて運んだとしても、人一人を道らしい道のない川原まで運ぶのは難しい。途中で誰かに見られる恐れもある。舟ならあまり人に見られず川原にすぐに運べる。
 
「それはそうと、山井様は御目が悪いのですか。近頃目が悪くなったと仰せでした」
「近頃どころか、昔から遠くの物が見えにくいのだ。ここ数年は近くのものも見えにくくなったと言うて、文の字も大きくなった」
「書き物仕事に難儀しておいでだったのですね」
「それもあったのであろうな、あの失態は」

 山井忠兵衛の失態、すなわち訴えの放置は目が悪かったのも一因だったのかと、高岡は改めて物事は別な面から見る必要もあるのだと思った。だからといって、書類を放置していいはずはない。何か別の方法があったのではないか。
 二人はすぐに倉島重兵衛の元へ向かった。
 重兵衛もまた驚き、さっそく泊の日誌の写しを書庫から持って来るように、宿直とのいの者に命じた。
 日誌の写しが持って来られるのを待つ間、重兵衛は言った。

「いやはや舟とは考えつかなんだ。夜は舟は通らぬもの、昼間は目立つゆえ舟は使うまいという思い込みが我らにあったのだな。思い込みほど恐ろしいものはない」
「確かに。それがしも兄が舟の音を聞いていたとは思ってもおりませんでした」

 同席していた平兵衛もまた驚いていた。

「舟を使って上流からということは城下から離れた場所で殺められたということですか」
「そうなるな。城下の外にまで調べの範囲を広げねばなるまい」
「そのことで、私も少しばかり気になることが」
「何だ」
「見つかった時、おかつは襦袢姿。上に着ていた物はどうなったのでしょうか」

 言われてみればそうである。着物の行方を追えば、おかつを殺めた者に行き着くかもしれぬのだ。

「おかつは京屋の仕事を終えた後、仕事で着ていた木綿の袷のまま出て行ったそうです。色は薄縹うすはなだ。締めていた黒い綸子りんずの帯も未だ見つかっておりません」

 高岡は調べていたことを述べた。
 柳町にある茶屋では以前は店に勤める女達は仲居であっても絹物を着ていたが、殿様から倹約のお達しがあり、この数年麻や木綿を着るようになっている。さすがに遊女に木綿を着せるのはあまりに風情がないと柳町の町役人から奉行所に訴えがあったので、絹物の新調は禁じられたが、絹物を着ること自体は許された。要するに遊女に限ってお達し以前に作られた絹物を着るのはお構いなしということである。それならと廓の遊女たちは古着を手に入れた。古着といってもいい品ならほとんど汚れはないから買い得だった。
 仲居のおかつは遊女ではないから木綿である。色も薄い藍色の薄縹と地味な色である。

「質屋や古着屋を調べましたが、同じようなものを売りに来た者はおりません」
「ということは、物盗りの仕業ではないな。まだ持っているか、隠したか、捨てたか、だな」

 平兵衛の言葉に嘉兵衛はうなずいた。

「そうでしょうな。捨てるとしたら、元の形がわからぬほど裁ち切ってからでしょう。あるいは燃やすか」
「燃やす」

 重兵衛が呟いた時、宿直の同心が日誌の写しを持ってきた。
 泊の役人は同じ日誌を二通書く。一つは泊の役所で保管、もう一つは翌日朝に町奉行所に提出し保管する。そちらは冊子ではなく半紙に記録し、町奉行所で冊子にまとめている。今月の分はまだ薄い。
 重兵衛は「泊役日録 享保戊戌年 拾月」と書かれた題簽だいせんの貼られた表紙の冊子をめくった。皆に見えるように、おかつの死骸が発見された十日の日誌を開き畳の上に置いた。
 皆、身体を伸ばし日記を覗き込む。重兵衛は離れている高岡にもっと近づくように言った。高岡は畏れながらと前にいざった。

「明け六つ過ぎに、大黒屋の舟が泊で荷を下ろしておる」

 重兵衛の重々しい声が部屋に低く響いた。
 大黒屋の名に皆色めき立った。娘婿で番頭、そしてかつてのおかつの夫であり、やけぼっくいに火が付いて逢瀬をしていた栄蔵のことが浮かぶのは当然のことである。

「栄蔵をすぐに引き立てましょう」
「待て、落ち着け」

 重兵衛は高岡のはやる気持ちを少しでも抑えねばならなかった。

「栄蔵は婿養子。それが店の舟を使い、さようなことができるものであろうか」
「おかつと密会をしていたような男です」

 婿の平兵衛の言葉に重兵衛はそれだけでは栄蔵が関与した根拠にはならぬと思う。

「大黒屋で舟の差配をしている者が栄蔵とは限らぬ。また荷についても調べねばならぬことはある。また他の舟についても調べねばならぬ。これだけで栄蔵を捕縛はできぬ」
「確かに」

 嘉兵衛はうなずく。だが、高岡はそれだけでは納得できないようだった。

「なれど」
「慌ててしくじっては何にもならぬぞ」

 嘉兵衛は続けた。

「わしも栄蔵は怪しいと思うが、確かな証がなければ捕まえるわけにはゆかぬ。確かな証があってのことなら、大黒屋が責めを負うのは致し方あるまいが、もし栄蔵が何の関わりもなければ、奉行所に引き立てられただけで大黒屋の商い、ひいては家中の者にも差し支える」

 米屋大黒屋は香田角城下でも五本の指に入る大店である。しかも単なる米屋ではない。先代の殿様の頃から家臣に支給される俸禄米を家臣の代わりに受け取り、食糧とする米以外を換金し、家臣に米と金を渡す、いわば江戸の札差ふださしのような仕事もしていたのである。家臣の数は少ないが手数料はそれなりに入ってくる。また俸禄米を担保にして金貸しもしており、大黒屋は金融機関の役割も果たしている。米の商いよりもそちらのほうが儲かっているらしいという噂もある。
 当然、善兵衛一家は贅沢な暮らしをしていてもおかしくはない。が、善兵衛は贅沢を嫌い勤勉を好む男であった。若い頃から柳町で浮名を流したことはなかった。また妻や娘も華美な衣装を着て人々の目を驚かすような真似はしなかった。そうやって貯めた銀は、寺社に寄進したり、殿様に御用金として献上したりしており、善兵衛は城下の人々に尊敬されていた。栄蔵はそんな善兵衛に気に入られ、番頭に出世し娘の婿となった。
 従って大黒屋の婿が奉行所に引き立てられたら、大黒屋ぜ善兵衛もまたその責めを負うことになる。栄蔵がおかつ殺しに関わりがあると噂が立つだけで、大黒屋の商いに大きな障りが生じることは容易に想像できた。
 高岡もまた大黒屋で米と金を受け取る身である。もし不祥事を理由に大黒屋が俸禄米の扱いを止められたら、米を担保にして借りている金をすぐにでも返済しなければならなくなるかもしれない。そんなことになったら、母と祖母との暮しはたちまち窮することになる。

「かしこまりました」

 高岡が山迫嘉兵衛の言葉でようやく落ち着いたのを見計らい、町奉行倉島重兵衛は一同に告げた。

「よいか。くれぐれもこの一件については軽挙妄動を慎め。小者らにも念を押すように」

 高岡は肥後屋松兵衛が大黒屋のはす向かいであることを思い出した。彼にも慎重に調べるように念を押さねばなるまい。





 平兵衛、嘉兵衛、高岡が部屋を出た後、重兵衛はしばし目をつむり腕を胸の前で組んだ。
 忠兵衛の聞いた舟の音、早朝の大黒屋の舟、番頭栄蔵、これだけで栄蔵がおかつ殺しに関わっているとは断言できない。大体、栄蔵におかつを殺す理由があるのか。もしあるとすれば、おかつとの別れ話のもつれということになろうが、おかつが栄蔵に渡した歌を見れば二人の間にそのような諍いがあるようには思えない。
 婿の平兵衛が歌について指摘したことも気にかかる。
 何よりおかつの着ていた薄縹の袷の行方について胸に引っかかるものがある。
 重兵衛は立ち上がった。




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