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第三章 雷土颪は見た! 知り過ぎた女奉公人とカステイラ の謎は湯煙の彼方に
15 おかつの歌
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倉島重兵衛が屋敷に戻ったのは五つ(午後8時頃)過ぎであった。
「父上、お帰りなさいませ」
出迎えたのは婿の平兵衛であった。
「水無月のおかげで明るいうちに戻れました」
「飯は食ったか」
「はい、お先に」
「では、しばし待て」
重兵衛は着替え夕餉を掻きこむように食べると、平兵衛を自室に呼んだ。
早速話を聞こうと思っていると平兵衛から火事のことを聞かれた。
重兵衛は焼けたのは稲邑家の離れだけであること、火元の離れにいたおたかがよろけて行灯を倒した失火であると考えられるが、行灯のそばに燃えやすい衣服や紙の燃え残りがあったので、失火以外の原因も考えられるかもしれぬと目付の森と話したことを手短に伝えた。
「して、そなたの収獲はどうであった」
重兵衛は今朝城に出仕した後、稲邑家の現場を見ていたので、まだ平兵衛から話は聞いていなかったのだ。
平兵衛は御分家の壱姫とお里久、台所方の和助と下女のおあんから聞いた話をまず伝えた。おかつが御分家を辞めたのは厨で不平を言ったのを聞いた白川に暇をとらされたからというのは、御分家の中にいる者しか知り得ぬ話であった。またおとなしい文助が後から来た和助に従っていても、実は気に入らないと思っており、料理の味付けを学ぶために柳町の茶屋に出入りしていたというのも生々しい内情であった。だが、和助はまったく文助の気持ちに気付いておらず、むしろ自分に学ぼうとする熱心な姿勢に感心しているというのもまた意外であった。
「その後、千蔵の旦那寺の川湯村の本覚寺に赴きました。住職は実によく語ってくれました。寺社奉行を通せと言われるかと覚悟しておりましたが、おかつと千蔵の姉弟は寺の手習いに来ていた子らの中でも優れており、住職にとって忘れられなかったようです。住職はおかつが殺されたというのが許せぬようでした」
寺は寺社奉行の管轄であり、取調をする際は寺社奉行に断りを入れることになっている。だが、城下以外の寺社はその点は少し緩いところがある。ましてや出来のいい教え子のことであるから、住職もさすがに黙ってはいられなかったのであろう。
おかつ・千蔵姉弟の苦労や元夫の栄蔵のことはすでに千蔵の話からわかっていた。が、おかつの歌については初耳だった。
平兵衛はその後、おかつの従兄弟の家を訪ねた。伯父夫妻はすでに亡く従兄弟の代になっていたのである。従兄弟はおかつの死を知ると驚いたものの、もうここを出た者だから関わりはないと言った。
村役人も代替わりしており、ここ数年おかつと千蔵は戻って来ていないので、詳しいことはわからないと言った。
その日は郡奉行所に泊まり、千蔵のことを他の奉公人らに聞いた。彼らは一様に博打もしない真面目な男、姉から送られた菓子を皆に分ける気前のいい者だと言っていた。
翌日は郡奉行所を出た後、おかつが働いていた旅籠等をまわった。旅籠の女将の話ではおかつは真面目に働いていたが、あまり他の女の奉公人とは親しくしていなかったと言う。一緒に働いていた奉公人はすでに辞めていたり嫁に行ったりで、話は聞けなかった。
その後、城下に戻り、同心の高岡又三郎とともに肥後屋松兵衛のところで大黒屋の番頭の栄蔵と会ったという。前日の火事騒ぎで栄蔵から話を聞く事ができなかったため、今日の午後になったのである。
「そなたも高岡も立ち会ったのか」
二人も武家に立ち会われては、栄蔵はかなり緊張したのではあるまいかと重兵衛は想像した。ただでさえ町人にとって同心の調べというのは緊張するものなのだ。
「いえ、それがしは襖一枚隔てた隣の部屋で聞いておりました。義父上を見習いました」
平兵衛の思慮に重兵衛は安堵した。
栄蔵は腰の低い、いかにも商人らしい男だった。おかつの元夫であったことを素直に認めた。別れたのは子どもを失った後、口争いが増え、このまま一緒に暮らすのは無理だと二人で話し合ってのことだった。
『おかつも手前も人の親になれるような一人前ではなかったんです。半端な者同士だったから、子どもは死んじまったし、喧嘩も増えちまった』
栄蔵はそう言ってしばらく黙ってしまったと言う。いつもは陽気な栄蔵の沈んだありさまに松兵衛も驚いていた。
『けど、おかつのおかげで手前はずいぶんと助かりました。それがわかったのは別れてから、大黒屋で奉公を始めてからで』
大黒屋の奉公人になった栄蔵は真面目に働き、主人の善兵衛に目を懸けられるようになった。善兵衛は米屋仲間の集まりに栄蔵を連れて行くようになった。米屋の旦那衆は金儲けも皆上手だが、そこそこの教養があり、連歌の会なども催すことがあった。栄蔵もその末席に並ばされたことがあった。その時に五七五を即興で詠まねばならなくなった。ちょうど春の頃で、咄嗟にひねり出した「うぐいすや」の句が善兵衛や他の旦那衆に気に入られ、以来、栄蔵は他の米屋からも一目置かれるようになった。
『おかつは事あるごとに、五七五七七の歌とかいうのを口ずさんでおりまして。手前の耳も少しは覚えておりました。春といったらうぐいす、梅、桜と覚えておりました。おかげで発句というのも、他の者よりもなんとか早く作れまして。おかつと所帯を持つことがなかったら、発句など作れなかったでしょう』
善兵衛は栄蔵の商才だけではない才知を認め番頭にし、娘のおたつの婿に迎えた。四つの息子と去年生まれた娘がいる。
『手前が今の幸せを手にできたのは、おかつのおかげです。とてもおかつには足を向けては寝られません』
そんな栄蔵におかつに別れてから会ったことがあるか尋ねた。
『へい。千蔵が大久間の郡奉行所の中間になった後に、御礼を持って大黒屋に来ました。驚きました。御分家様の厨の下働きになったっていうんですから。さすがに御分家様ともなれば厨の者にも歌詠みを雇うのかと、驚きました。女房には前のかみさんだとは言ってません』
その後はどうかと訊くと口ごもっている。言わぬかと高岡に一喝され、実はと語り始めた。
『今年の三月、柳町の京屋で米屋仲間の集まりがあった時に、仲居になったおかつに会いました。御分家様のところを辞めたと言っていました。何か深い事情があったのではないかと思いましたが、詳しいことを尋ねようにも忙しいようで。その後も二回ほど京屋で見かけましたが、話はしておりません』
高岡がおかつが死んだことを告げると、栄蔵は驚き、まさか、坂瀬川で上がったとかいう死骸かと言う。
高岡はそうだと言い、実は専英寺での弔いに立ち会って来た後だと告げると、栄蔵はぼろぼろと涙をこぼした。
『いくら知らねえことだったとはいえ、あんまりだ……。一体どうして、どうしておかつはそんなことに。高岡の旦那様、どうして……』
泣いていた栄蔵はやがて、はっとして顔を上げた。
『まさか、手前が何かしたとお疑いなんですか』
松兵衛も高岡もそうではないと言った。
『おかつが京屋を出てから見つかるまで、どこにいたのか皆目わからぬのだ。元夫のそちなら何か知っておるのではないかと思ったのだ』
『栄蔵さん、おかみさんに言えないことがあるかもしれねえが、知ってること一切合切話してくれねえか。おかつの供養だと思って。おまえさんの知ってる些細なことが、おかつを殺めた者を見つける手掛かりになるかもしれないんだ。人一人殺めた者がこの城下を大手を振って歩いているとあっちゃ、皆枕を高くして眠れねえ』
松兵衛の説得に栄蔵はやっと実はと口を開いた。
それによると栄蔵はおかつと月に一度ほど逢引をしていたという。場所は柳町の外れの宿白玉屋。大黒屋と取引のある問屋の主の妾がやっている宿だった。
『下の子が生まれてから女房とはあっちのほうが御無沙汰で。どうも女房の奴、下の子を産んでから、億劫になったみたいで』
夫婦の事情はともかく、不貞は不貞である。栄蔵がなかなか口に出せなかったのは致し方あるまい。
最後に会ったのは、城の紅葉の宴の翌々日だから十月の二日のことだった。その日は夕方まで休みということで昼飯を蕎麦屋で一緒に食べた後、白玉屋にしけこんだ。
『十一月に米屋仲間の集まりで連歌の会があるんで、いい発句はないかと相談しました。実は逢うだけじゃなく手前の作った発句を見てもらってました。おかつは季節外れのものや風流じゃない言葉を教えてくれました。おかげでこの半年ばかり、手前の発句は旦那様方に評判がよくて』
おかつは栄蔵に有名な歌を教え、これを踏まえた表現を使えば風雅なものになると教えていたのだった。
十月二日といえば、おかつが文助に会った後のことである。何か変わったことはなかったかと高岡は尋ねた。
『珍しくおかつは自分の作った歌を懐紙に書いたものをくれました。女房に見られちゃまずいんで、柳行李の奥にしまってます』
高岡だけでなく襖の向こうにいた平兵衛も懐紙が気にかかった。
栄蔵にその懐紙を持って来てくれと言うと、栄蔵はでは今すぐと言って、肥後屋のはす向かいの店に走った。
息を切らして戻って来た栄蔵は懐から懐紙を出した。
『女房に気付かれぬように探すのが大変でした』
懐紙はごく普通の質のものだった。
そこには三首の歌が散らし書きされていた。
その後、この数日の栄蔵の行動を尋ねて調べは終わった。
平兵衛は懐紙を重兵衛に見せた。
重兵衛は一目見て、これはある程度歌を学んでいなければ書けぬ文字だと思った。
いかにせん
いかづちおろし
吹く里に
花かとまがふ
白雪の散る
いかづちの山に
散る花
ひそやかに
めでたしと思ふ
いつはりなければ
垂乳根の
母の思ひの
たかければ
吾を許さじ
いつはりなけれど
特にこれといって大きな特徴のない歌だった。ただ歌枕ではなく雷土山を詠んでいるのはいかにも鄙びた風であった。
重兵衛は思う。おかつにとって御分家勤めは決して楽しいものではなかったのではないかと。歌を詠めるのに厨の下働きに過ぎなかったおかつには不満があったのではないか。厨で不平を言ったのもそのためではなかろうか。御分家を出て栄蔵と再会後に逢引したのも、歌の話ができたからではないか。
もはや亡くなってしまったからまことのことはわからぬが、もしそうだとしたら哀れなことだった。
「義父上、それがしは思うのですが」
平兵衛の声で重兵衛は現実に戻った。
「他に何かあるのか」
「この歌には何か深い意味があるのでは」
「意味とな」
「言葉の使い方がどうも釈然とせぬのです」
平兵衛は懐紙のある部分を指さした。
「父上、お帰りなさいませ」
出迎えたのは婿の平兵衛であった。
「水無月のおかげで明るいうちに戻れました」
「飯は食ったか」
「はい、お先に」
「では、しばし待て」
重兵衛は着替え夕餉を掻きこむように食べると、平兵衛を自室に呼んだ。
早速話を聞こうと思っていると平兵衛から火事のことを聞かれた。
重兵衛は焼けたのは稲邑家の離れだけであること、火元の離れにいたおたかがよろけて行灯を倒した失火であると考えられるが、行灯のそばに燃えやすい衣服や紙の燃え残りがあったので、失火以外の原因も考えられるかもしれぬと目付の森と話したことを手短に伝えた。
「して、そなたの収獲はどうであった」
重兵衛は今朝城に出仕した後、稲邑家の現場を見ていたので、まだ平兵衛から話は聞いていなかったのだ。
平兵衛は御分家の壱姫とお里久、台所方の和助と下女のおあんから聞いた話をまず伝えた。おかつが御分家を辞めたのは厨で不平を言ったのを聞いた白川に暇をとらされたからというのは、御分家の中にいる者しか知り得ぬ話であった。またおとなしい文助が後から来た和助に従っていても、実は気に入らないと思っており、料理の味付けを学ぶために柳町の茶屋に出入りしていたというのも生々しい内情であった。だが、和助はまったく文助の気持ちに気付いておらず、むしろ自分に学ぼうとする熱心な姿勢に感心しているというのもまた意外であった。
「その後、千蔵の旦那寺の川湯村の本覚寺に赴きました。住職は実によく語ってくれました。寺社奉行を通せと言われるかと覚悟しておりましたが、おかつと千蔵の姉弟は寺の手習いに来ていた子らの中でも優れており、住職にとって忘れられなかったようです。住職はおかつが殺されたというのが許せぬようでした」
寺は寺社奉行の管轄であり、取調をする際は寺社奉行に断りを入れることになっている。だが、城下以外の寺社はその点は少し緩いところがある。ましてや出来のいい教え子のことであるから、住職もさすがに黙ってはいられなかったのであろう。
おかつ・千蔵姉弟の苦労や元夫の栄蔵のことはすでに千蔵の話からわかっていた。が、おかつの歌については初耳だった。
平兵衛はその後、おかつの従兄弟の家を訪ねた。伯父夫妻はすでに亡く従兄弟の代になっていたのである。従兄弟はおかつの死を知ると驚いたものの、もうここを出た者だから関わりはないと言った。
村役人も代替わりしており、ここ数年おかつと千蔵は戻って来ていないので、詳しいことはわからないと言った。
その日は郡奉行所に泊まり、千蔵のことを他の奉公人らに聞いた。彼らは一様に博打もしない真面目な男、姉から送られた菓子を皆に分ける気前のいい者だと言っていた。
翌日は郡奉行所を出た後、おかつが働いていた旅籠等をまわった。旅籠の女将の話ではおかつは真面目に働いていたが、あまり他の女の奉公人とは親しくしていなかったと言う。一緒に働いていた奉公人はすでに辞めていたり嫁に行ったりで、話は聞けなかった。
その後、城下に戻り、同心の高岡又三郎とともに肥後屋松兵衛のところで大黒屋の番頭の栄蔵と会ったという。前日の火事騒ぎで栄蔵から話を聞く事ができなかったため、今日の午後になったのである。
「そなたも高岡も立ち会ったのか」
二人も武家に立ち会われては、栄蔵はかなり緊張したのではあるまいかと重兵衛は想像した。ただでさえ町人にとって同心の調べというのは緊張するものなのだ。
「いえ、それがしは襖一枚隔てた隣の部屋で聞いておりました。義父上を見習いました」
平兵衛の思慮に重兵衛は安堵した。
栄蔵は腰の低い、いかにも商人らしい男だった。おかつの元夫であったことを素直に認めた。別れたのは子どもを失った後、口争いが増え、このまま一緒に暮らすのは無理だと二人で話し合ってのことだった。
『おかつも手前も人の親になれるような一人前ではなかったんです。半端な者同士だったから、子どもは死んじまったし、喧嘩も増えちまった』
栄蔵はそう言ってしばらく黙ってしまったと言う。いつもは陽気な栄蔵の沈んだありさまに松兵衛も驚いていた。
『けど、おかつのおかげで手前はずいぶんと助かりました。それがわかったのは別れてから、大黒屋で奉公を始めてからで』
大黒屋の奉公人になった栄蔵は真面目に働き、主人の善兵衛に目を懸けられるようになった。善兵衛は米屋仲間の集まりに栄蔵を連れて行くようになった。米屋の旦那衆は金儲けも皆上手だが、そこそこの教養があり、連歌の会なども催すことがあった。栄蔵もその末席に並ばされたことがあった。その時に五七五を即興で詠まねばならなくなった。ちょうど春の頃で、咄嗟にひねり出した「うぐいすや」の句が善兵衛や他の旦那衆に気に入られ、以来、栄蔵は他の米屋からも一目置かれるようになった。
『おかつは事あるごとに、五七五七七の歌とかいうのを口ずさんでおりまして。手前の耳も少しは覚えておりました。春といったらうぐいす、梅、桜と覚えておりました。おかげで発句というのも、他の者よりもなんとか早く作れまして。おかつと所帯を持つことがなかったら、発句など作れなかったでしょう』
善兵衛は栄蔵の商才だけではない才知を認め番頭にし、娘のおたつの婿に迎えた。四つの息子と去年生まれた娘がいる。
『手前が今の幸せを手にできたのは、おかつのおかげです。とてもおかつには足を向けては寝られません』
そんな栄蔵におかつに別れてから会ったことがあるか尋ねた。
『へい。千蔵が大久間の郡奉行所の中間になった後に、御礼を持って大黒屋に来ました。驚きました。御分家様の厨の下働きになったっていうんですから。さすがに御分家様ともなれば厨の者にも歌詠みを雇うのかと、驚きました。女房には前のかみさんだとは言ってません』
その後はどうかと訊くと口ごもっている。言わぬかと高岡に一喝され、実はと語り始めた。
『今年の三月、柳町の京屋で米屋仲間の集まりがあった時に、仲居になったおかつに会いました。御分家様のところを辞めたと言っていました。何か深い事情があったのではないかと思いましたが、詳しいことを尋ねようにも忙しいようで。その後も二回ほど京屋で見かけましたが、話はしておりません』
高岡がおかつが死んだことを告げると、栄蔵は驚き、まさか、坂瀬川で上がったとかいう死骸かと言う。
高岡はそうだと言い、実は専英寺での弔いに立ち会って来た後だと告げると、栄蔵はぼろぼろと涙をこぼした。
『いくら知らねえことだったとはいえ、あんまりだ……。一体どうして、どうしておかつはそんなことに。高岡の旦那様、どうして……』
泣いていた栄蔵はやがて、はっとして顔を上げた。
『まさか、手前が何かしたとお疑いなんですか』
松兵衛も高岡もそうではないと言った。
『おかつが京屋を出てから見つかるまで、どこにいたのか皆目わからぬのだ。元夫のそちなら何か知っておるのではないかと思ったのだ』
『栄蔵さん、おかみさんに言えないことがあるかもしれねえが、知ってること一切合切話してくれねえか。おかつの供養だと思って。おまえさんの知ってる些細なことが、おかつを殺めた者を見つける手掛かりになるかもしれないんだ。人一人殺めた者がこの城下を大手を振って歩いているとあっちゃ、皆枕を高くして眠れねえ』
松兵衛の説得に栄蔵はやっと実はと口を開いた。
それによると栄蔵はおかつと月に一度ほど逢引をしていたという。場所は柳町の外れの宿白玉屋。大黒屋と取引のある問屋の主の妾がやっている宿だった。
『下の子が生まれてから女房とはあっちのほうが御無沙汰で。どうも女房の奴、下の子を産んでから、億劫になったみたいで』
夫婦の事情はともかく、不貞は不貞である。栄蔵がなかなか口に出せなかったのは致し方あるまい。
最後に会ったのは、城の紅葉の宴の翌々日だから十月の二日のことだった。その日は夕方まで休みということで昼飯を蕎麦屋で一緒に食べた後、白玉屋にしけこんだ。
『十一月に米屋仲間の集まりで連歌の会があるんで、いい発句はないかと相談しました。実は逢うだけじゃなく手前の作った発句を見てもらってました。おかつは季節外れのものや風流じゃない言葉を教えてくれました。おかげでこの半年ばかり、手前の発句は旦那様方に評判がよくて』
おかつは栄蔵に有名な歌を教え、これを踏まえた表現を使えば風雅なものになると教えていたのだった。
十月二日といえば、おかつが文助に会った後のことである。何か変わったことはなかったかと高岡は尋ねた。
『珍しくおかつは自分の作った歌を懐紙に書いたものをくれました。女房に見られちゃまずいんで、柳行李の奥にしまってます』
高岡だけでなく襖の向こうにいた平兵衛も懐紙が気にかかった。
栄蔵にその懐紙を持って来てくれと言うと、栄蔵はでは今すぐと言って、肥後屋のはす向かいの店に走った。
息を切らして戻って来た栄蔵は懐から懐紙を出した。
『女房に気付かれぬように探すのが大変でした』
懐紙はごく普通の質のものだった。
そこには三首の歌が散らし書きされていた。
その後、この数日の栄蔵の行動を尋ねて調べは終わった。
平兵衛は懐紙を重兵衛に見せた。
重兵衛は一目見て、これはある程度歌を学んでいなければ書けぬ文字だと思った。
いかにせん
いかづちおろし
吹く里に
花かとまがふ
白雪の散る
いかづちの山に
散る花
ひそやかに
めでたしと思ふ
いつはりなければ
垂乳根の
母の思ひの
たかければ
吾を許さじ
いつはりなけれど
特にこれといって大きな特徴のない歌だった。ただ歌枕ではなく雷土山を詠んでいるのはいかにも鄙びた風であった。
重兵衛は思う。おかつにとって御分家勤めは決して楽しいものではなかったのではないかと。歌を詠めるのに厨の下働きに過ぎなかったおかつには不満があったのではないか。厨で不平を言ったのもそのためではなかろうか。御分家を出て栄蔵と再会後に逢引したのも、歌の話ができたからではないか。
もはや亡くなってしまったからまことのことはわからぬが、もしそうだとしたら哀れなことだった。
「義父上、それがしは思うのですが」
平兵衛の声で重兵衛は現実に戻った。
「他に何かあるのか」
「この歌には何か深い意味があるのでは」
「意味とな」
「言葉の使い方がどうも釈然とせぬのです」
平兵衛は懐紙のある部分を指さした。
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