江戸から来た花婿

三矢由巳

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第二章 天狗騒動

21 歩く瓦版との遭遇

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 やや雲が出てきたせいか日差しは午前ほど強くなかったが、蒸し暑かった。
 竹野村へ向かう途中、涼し気な川沿いにおあつらえ向きの木陰を見つけた源三郎はここで握り飯を食うことに決めた。
 数日前に降った雨のせいか、川は水量が増し、周辺の田には満々と水がたたえられていた。そんな景色を眺めながら握り飯を徳兵衛、亥吉と食べていると、川沿いを歩いてこちらへ近づいてきた男に話しかけられた。

「つかぬことを伺いますが、お武家様、まだ烏天狗にさらわれた方は見つからないのですか」

 不安げな顔の中年の商人と思しき男は源三郎と徳兵衛を探索の役人と思ったらしい。

「まだ見つからぬ。だが、天狗が子どもを攫うなどということはありえぬ」
「まことでございますか」
「これまで、子どもが天狗に攫われたことがあったのか」
「ありません」
「ならば、あるはずがない。天狗とてそれほど暇ではあるまい」
「はあ」

 商人は納得していないようだった。仕方あるまいと源三郎は思う。天狗の仕業ではないと為政者からはっきり言われなければ、領民は不安に違いない。
 握り飯を食べた後、さらに歩いていると、今度は行商人に聞かれた。源三郎は同じように答えた。
 半刻ほど歩くと竹野村に着いた。仙覚寺の場所はすぐにわかった。村の家々の藁ぶき屋根の向こうに本堂の瓦屋根が高くそびえていた。
 山門近くに来ると子どもが本を読む声が聞こえた。寺で子どもに読み書きを教えているらしい。
 仙覚寺の住職は徳兵衛が来たのに気付くと、本堂での授業を中断して出て来た。

「かような鄙まで足を御運びいただくとは勿体ないことにございます」
「住職様、こちらはそれがしの主で、御分家の婿の玄蕃様です」

 徳兵衛が源三郎を紹介すると、住職は慌てた。

「これはこれは、きちんとしたお迎えもせずに」
「子どもらの邪魔をしてしまったようで申し訳ない」
「おそれおおくも御分家様の婿様がおいでくださるとは、恐悦至極に存じます」

 縮み上がらんばかりの住職に徳兵衛は先日の件で伺ったと耳打ちした。住職ははい、それではと三人を庫裏くりへ案内した。若い僧侶が住職に代わり、本堂に行き授業を始めた。
 


 住職の話では、りつには両親と弟が二人いた。父親の安兵衛は二ケ月前に田植えを終えた後に卒中で倒れたとのことだった。山置の田植えが終わった後、りつは実家に看病のため戻って来た。幸いにも不自由ながら身体は動かせるようになり、そばにつきっきりでいる必要もなくなったので、六日ほど前に嫁ぎ先に帰ったということだった。
 住職からりつの実家の場所を教えられ、三人は山門を出た。が、その前に本堂にいた子らが十人ばかりずらりと並んで三人を見送った。

「玄蕃様、本日はありがとうございました」

 一番年かさの少年がはきはきとした声で言った。源三郎は妙な気分がした。子らに何もしていないのだが。が、ここは分家の婿らしくしなければならぬ場面だった。

「皆、励むように」

 声を掛けると、子らは一斉に頭を下げた。
 何やら面映ゆい気分で山門を出た時だった。
 前方に武家の婦人がお供の女中を連れているのが見えた。女中は大きな風呂敷包を背負っていた。

「あれは」

 徳兵衛の声は緊張をはらんでいた。亥吉もまずいとつぶやいていた。

「いかがした」

 源三郎は婦人を見た。と、婦人はこちらを見て、にこりと笑い会釈した。

「作田の細君です」

 徳兵衛がささやいた。作田という名は聞いた覚えがある。千崎弥右衛門の妻八重の父が文庫方の作田市兵衛である。
 婦人は寺の前から街道へ向かう道へと歩き始めた。
 三人は反対方向にあるりつの実家へ向かった。振り返って彼女らの姿が見えなくなったのを確認し徳兵衛に尋ねた。

「弥右衛門の姑か」
「いいえ、評定所の作田文左衛門の細君です。市兵衛殿は分家に当たります」

 評定所の役人なら弾正の部下ということになる。 

「あれは歩く瓦版と言われております」
「歩く瓦版とは何だ」
「要するに、しゃべくり女ってことです」

 亥吉が言った。

「奉公人の間じゃ有名です。あの方の耳に朝入った話は夕方には城下に、翌日には領内に広まっているというもっぱらの噂です」
「愚妻も気を付けるようにと、嫁ぐ時に母親に言われたそうです」

 どうやら、香田角の噂話の元凶のような人物らしい。だが、今寺から出て来たところをどう噂すると言うのだろうか。
 亥吉はそんな源三郎の疑問を察したようだった。

「たぶん明日には、御分家の婿が祈祷のために寺に行ったとかいう話になるんじゃないですかね」
「何の祈祷だ」
「子宝とか」
「祈祷なぞしていないのに。大体おかしいぞ。どうして評定所の役人の妻がこんな村にいるのだ。そちらが怪しい」
「細君の実家は竹の山を持っているとか。大方竹の皮でも取りに来たのではありませんか」

 作田の妻が立っていた背後には竹藪が広がっていた。そう言えば先ほどの握り飯も竹の皮で包まれていた。竹の皮を必要とする者はそれなりにいるのだろう。作田の妻はそれで小遣い稼ぎでもしているのだろうか。

「評定所の役人の妻がおしゃべりというのはまずいのではないか」

 源三郎の疑問に徳兵衛はうなずいた。

「まことに」

 すると、亥吉が言った。

「それが作田様という方は、口の重い方なのだそうです。評定所でも仕事で必要なこと以外は何もおっしゃらないそうです。家に戻っても、ほとんど口を開かないと奉公人が言っておりました。だから、夫婦で家にいても奥様の声しか聞こえないんだそうで。二人を足して三で割ればちょうどいい塩梅だって話です」

 作田家は奉公人もおしゃべりらしい。主一家のことを他の家の奉公人に語るとは。

「三で割ればって、二で割ればじゃないのか」
「はい。奥様が普通の三倍はしゃべるそうで」

 なんとも不思議な夫婦であった。

「しかし、仕事に障りはないのか」
「それがないそうですよ」

 訳知り顔に亥吉は言う。彼はすっかり他の屋敷の奉公人らとなじんでいるようだった。

「作田様は評定所の仕事の話は家では一切しないそうで。逆に、奥様のほうに、いろんな噂話が入って来るとかで、町奉行様なぞ助かっておいでとか」
「助かるとはどういうわけだ」
「こんな小さな町でも盗みや喧嘩はままあるそうですが、逃げても作田の奥様のところに噂が入ってくるそうで。町奉行様のところの奉公人は時々、作田の台所に顔を出して、噂話を仕入れて奉行様に知らせているとか。それで捕まった者もいるそうで」

 それが本当だとしたら、ずいぶんとうまくできた話である。作田家の奉公人に亥吉はからかわれているのではあるまいか。だが、亥吉が根も葉もない話を主にするはずはないことは源三郎にはわかっていた。
 そんな話をしながら歩いていると、住職に教えられたりつの実家らしい家が見えてきた。周辺の家とさほど変わらぬこじんまりとした作りで周囲に風よけのためか、イヌマキの生垣があった。
 生垣に沿って進み、生垣の切れたところから覗くと家の戸口が見えた。生垣もきちんと刈り込まれ、家もこぎれいだった。それなりに田畑を持っている農家なのだろう。

「あんた、いいから、おれがやるから」

 女の声が聞こえた。続けて老いた男の声が耳に入った。

「すまねえ、こげなみでなければ」

 どうにか聞き取れる声であった。これがりつの父であろうか。どちらの声も早口で聞き取りにくかった。
 と思っていると、戸口の横から女が姿を見せた。頭に手ぬぐいをかぶった野良着の中年の女は源三郎達を見ると、驚いて頭を下げた。

「ここは安兵衛の家か」

 徳兵衛の問いに女は顔を上げ、へえと答えた。顔には怯えの色が見えた。無理もない。一介の農夫の家に二本差しの武士が二人も現れたのだから。

「少し話を聞かせて欲しくて参った。寺の和尚から家を聞いてきたのだ」

 徳兵衛の口から和尚という言葉が出て来て、少しだけ女の顔から怯えが消えた。それでも鎌を持つ手には力が入っていた。

「ないを話せばよかと」

 女の言葉は早口でよく聞き取れなかったが、源三郎は警戒を緩めない女の顔がりつに似ていると思った。

「何と言っているんだ」
「よくわかりません」

 問われた徳兵衛もわからぬようだった。

「何を話せばよいのかと言ってるみたいです」

 亥吉には聞き取れるらしい。やはり、奉公人達と交流があるから、地元の言葉が聞き取れるのだろう。
 というわけで、亥吉に女の言葉を訳してもらうことになった。

「先日、所用で山置に参った折、りつという女子とたまたま同道し道を教えてもらったので、礼を言おうと思ったのだ」

 道を教えてもらった礼を言うというのは嘘だが、これくらい言わないと女から話は聞けぬと源三郎は思った。
 女は目を丸くした。
 またも聞きとれぬ言葉が口から出た。亥吉が訳した。

「うちのりつのことでございますか」(亥吉訳)
「ああ。西畑村の重兵衛の妻だと聞いている」
「へえ。いかにもりつは重兵衛さんに嫁いでおります」(亥吉訳)

 緊張が緩んだのか、女の顔に笑みのようなものが浮かんだ。

「ここじゃなんです。汚いところですが、こちらへ」(亥吉訳)
「すまぬ。失礼いたす」

 女は三人を家に案内した。戸口の横の縁側に腰を下ろしている老人がりつの父親の安兵衛らしい。母親とは年が離れているらしく、髪が真っ白だった。

「こいはまた」
「りつが、山置に戻っ時に道を教えてもらったち礼ば言いたいって」
「なんとまあ」

 安兵衛は驚きに目を潤ませた。

「安兵衛殿は病後と住職から伺った。お話はここで」

 そう言うと、源三郎は老人の横に腰を下ろした。老人はまたも驚いた。武士が百姓と腰を並べるなどありえない話だった。
 徳兵衛もこれはまずいと思った。
 だが、源三郎としては、あまり長い時間ここにいれば周囲の住人に不審を抱かせることになるので、話は早く済ませたかった。目で徳兵衛を制した。

「茶もいらぬ。白湯でもあれば十分」

 台所に向かう女の背に声をかけ、源三郎は老人に顔を向けた。
 老人は緊張した表情でうつむいた。

「おりつはこちらへ安兵衛殿の看病のために嫁ぎ先から戻って来たと伺っている」

 源三郎はゆっくりとした口調で述べた。だが、返事がはっきり聞こえない。
 そこへ湯呑を持って女が戻って来た。源三郎は女に話を聞いた方がよいと思った。安兵衛は病のせいか、長い話は難しいようだった。湯呑をもらって白湯を飲んだ後に女に尋ねた。

「おりつがここにいたのはどのくらいの間か」
「山置の田植えが終わった後すぐに来てくれて、容態が落ち着いてから一度重兵衛さんとこに戻って、また五日くらいして来てくれて。おかげで助かりました」(亥吉訳)
「孝行な娘だ」
「へえ。うちは下の二人が男なもので、気のつかないこともあるんで、りつがいてずいぶん助かりました。でも、重兵衛さんに申しわけないし、うちの人もだいぶ良くなりましたんで、そろそろ帰ったらと言ったら、それじゃ帰るからと」(亥吉訳)
「それはいつのことか」
「田の草取りが終わった後だったから六日前です」(亥吉訳)

 日付は合っている。やはり、りつはこの家の娘らしい。

「それでは私がお世話になったのは、やはりお宅の娘御だ。おかげで助かった」
「まあ、もったいない」(亥吉訳)

 女だけでなく、隣の安兵衛も驚いて口をあんぐり開けていた。
 源三郎は質問を続けた。

「おりつは一人で西畑村に帰ったのか」
「いえ。重兵衛さんのところの奉公人がうちに迎えに来て一緒に帰りました」(亥吉訳)
「おたつという女子だな」

 女は奇妙な顔をした。

「いえ、源蔵さんという方でした。女じゃありません」(亥吉訳)
「どのような体つき、年頃か」
「うちの人より小柄で、年は私と同じか、少し上くらい」(亥吉訳)

 山置に着いた時、西畑村から迎えに来たのも源蔵という名だった。小柄な中年男だった。特徴が一致する。だが、りつを迎えに来た男が目的地である山置でりつを出迎えることなどできるはずがなかった。では、同じ名前で同じ年頃、似た背格好の奉公人が重兵衛の家に二人いるということなのか。
 何より不思議なのは、たつがここに迎えに来なかったということだった。

「赤子などは連れていなかったか」
「へえ? 赤子でごぜえますか」

 これは亥吉に訳してもらわなくても意味がわかった。安兵衛も女もまったく心当たりがないという表情だった。

「りつは嫁いで五年になりますが、子ができないので一度は離縁の話もでましたが、重兵衛さんが別れたくない、子が産まれなければ弟に後を継がせると言ってくれて」(亥吉訳)

 思いもかけない話だった。
 子のないりつが抱いていた赤子とおたつは何者なのか。やはり貞蓮院と赤子なのか。もしそうだとしたら、なぜりつは二人と一緒に山置へ行ったのか。源蔵は二人いるのか。
 謎は深まるばかりだった。




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