江戸から来た花婿

三矢由巳

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第一章 三男坊、南へ

13 草枕 参

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 瀬戸内の穏やかな海を船団は進んでいく。
 四国伊予三机みつくえでは、潮流が速く暗礁もある難所の速吸はやすいの瀬戸(豊予海峡)を越え九州豊後佐賀関さがのせきへと渡る「御はな渡り」が無事に終えられるように須賀八幡に祈願した。祈願の甲斐あってか、船団は無事に九州に渡り、浦伝いにさらに南へと向かった。
 この頃になると、明らかに江戸とは違う暖かい風が船の上でも感じられた。
 源三郎は寄港先の山々の緑に驚嘆した。濃淡様々な緑の木々が山を覆うありさまは、これまで通って来た地域の景色とは違っていた。
 雨上がりともなれば山から白く水蒸気が立ち上がり、あたかも山が息をしているように見え、神秘的な雰囲気を感じさせた。
 暖かく湿った空気のせいか、夜寝付けぬこともあった。そんな時、源三郎は天井を見上げながら、この先に待つ暮らしを想像する。
 あの絵姿の少女の夫となり、小さな町で暮らす。言葉がなかなか通じぬこともあるかもしれない。舅と一体何を語ればよいのか、悩むかもしれない。
 何も起きぬうちからあれこれ考えるのも馬鹿馬鹿しい話なのだが。
 まあ、自分の縁組話も降って湧いたようなものだから、案外、国に行ったら破談になるということもあり得ない話ではなかった。年齢を誤魔化したと舅が怒ったりすれば簡単に破談になるかもしれない。そうなったら隆礼の参勤について行って江戸に戻ればいいのだ。一年近く、江戸以外の場所で暮らすのも悪くはあるまい。
 そんなことを思ううちに気が付けば朝が来るという旅の日々が続いた。
 太島の港で船旅を終え、いよいよ、一行は国許へと徒歩の旅となった。途中いくつかの川を越え、海岸沿いの街道を波の音を聞きながらの旅も明日で最後、明後日は山越えという日に到着した本陣に、国許からの使者が待っていた。
 脇本陣に到着した源三郎は隆礼から本陣に来るようにと伝えられ、参上した。
 座敷に行くと、国からの使者が隆礼の前に控えていた。

「源三郎殿、こちらは使いの白川常右衛門つねえもんだ」

 自分とさほど年の変わらぬように見える使者は深々と頭を下げた。

「山道の崖崩れ、なんとか修復が終わったそうだ」

 隆礼は嬉し気だった。

「それは重畳」

 源三郎は心から安堵していた。けもの道を通らずに済んだのだから。

「領民が普請作事の者に合力してくれたおかげだ」

 隆礼の言葉に白川常右衛門は付け加えた。

「御分家が知行地の者を差し向けてくださいましたので、はかどりました」
「なんと」
「三日ずつ交代で三十名ずつ壮年の者を出し、くさびで割った岩や流れてきた土を運び出しました」
「岩の大きさはどれほどだ」
「百こくはあったかと。それが各所に二つ、三つとあり」

 崖が崩れて百石(約18立方メートル)の岩が落ちて来るとは、想像するだけで源三郎は鳥肌が立ってきた。
 だが、それ以上に驚いたのは分家が岩や土砂を運ぶために知行地の者を差し向けたことだった。婿に対する期待の重さは百石どころではないように思われた。
 さらに、隆礼の次の言葉で源三郎は両肩にずしりと重いものがのしかかったように思われた。

「田植えで忙しい頃であろうに、御分家の心遣いはかたじけないことだ」

 田植え。そうだった。九州に上陸して以降、街道沿いではすでに田植えが始まっていた。中には終えている場所もあった。田植えというのが農家にとってどれほど大変な作業かは江戸暮らしの部屋住みでも知っている。天候や山の残雪を見て霜が降りなくなる頃合いを見て苗を植えないと、台無しになることもある。そうなれば、家中も年貢が集まらず窮乏することとなる。
 そんな農家にとって大事な時期に崖崩れの修繕に人を出すとは、尋常ではない。分家がいかに自分を丁重に扱おうとしているかと想像するだけで、肩や背中に重いものがのしかかってくる。

「まことにかたじけないことにございます」

 恐縮するばかりの源三郎だった。白川もまた恐縮していた。

「常右衛門、今宵はゆっくり休め。朝早く城下を出て来て疲れただろう」

 白川は隆礼の言葉に礼を言い、下がった。
 だが、源三郎はまたも驚愕していた。明日から二日かけて行く道を一日でやって来たとは。

「あの者は歩いて来たのですか」
「峠を越えて麓からは馬だ」

 歩いて山を越えるのも難儀だが、馬に長時間乗るのも疲れるものである。使いは相当な体力がなければできぬらしい。

「明日早朝出立して、宵には城に明後日の到着を伝える手筈になっている」

 なんとも慌ただしい使いであった。
 その慌ただしいはずの使いが源三郎の泊まる脇本陣にもやって来た。
 彼は御分家様からの文を源三郎に直接渡した。源三郎は一体何が書いているのやら、歌が書いてあったら返しは面倒だなと思いながら封を開けた。
 一読して、安堵した。歌はなかった。ただ、長旅の苦労を思いやり、お会いするのが待ち遠しいという内容だった。冒頭に「我が庭のとこなつも花咲きぬべき時なり」と書かれており、とこなつとは何の花であろうか、九州独特のものであろうと源三郎は気にしなかった。
 源三郎は返事を書くからと待ってもらい、千崎弥右衛門に墨と紙を用意させた。その間、源三郎は使いの緊張をほぐそうと軽い調子で言った。

「白川殿は江戸詰めになったことは」
「江戸詰めはございません」
「江戸に行ったら、四つ目屋に行くといい。見てるだけで面白い」
「はあ」

 使いは江戸に行った経験のある同僚から話を聞いたことがないらしい。

「そうそう、江戸じゃこんなのがはやってるんだ」

 源三郎は根付を見せた。象牙製で白い鼠をかたどったものだった。

「こんなふうに帯に引っ掛けて煙草入れや印籠の紐を結んでおけば、印籠が落ちないんだ」
「便利なものがあるのですね。これは何ですか、鼠のように見えますが。象牙細工ですか」
「その通り。干支の鼠だ。よくできてるだろ」

 返事の文を書き終わると、源三郎は働き者の使者の労をねぎらってやろうと、予備に持って来た柘植つげでできた鼠の根付を渡した。

「これはいただけません」

 白川は驚いて後ろに飛びのかんばかりだった。

「いいから、とっとけ。そんなに高価なもんじゃない」

 そう言って根付と皆様にお会いするのを楽しみにしている旨を書いた文を渡すと、白川は早速明日お届けしますと言い退出した。
 柘植とはいえ根付を渡すとは、部屋住みだった頃にはできなかった大盤振る舞いだった。源三郎は、気が大きくなっていることに気付いた。まだ分家の婿になったわけでもないのに。結納をしているから結婚しているのも同然なのだが、あちらが気に入らぬと言えば離縁されても文句は言えぬのに。
 だが、あの白川という朴訥な武士の佇まいを見れば、その勤勉さを讃えるくらいはしてもいいことだと思う。歩いて山を越え馬で宿場まではせ参じるその意気は、たとえ義務でやっていることとはいえ、好感を覚えずにはいられなかった。
 ふと江戸からずっとついて来ている亥吉のことを思った。いつもいるのが当たり前に思っていたが、見知らぬ土地について来る心意気もまた、白川同様に尊いものに思われた。
 分家の屋敷でも下働きをすることになろうが、それなりに報いてやらねばと源三郎は思った。



 翌日午前は海岸沿いを進んだが、午後、街道から山の方向へと行列は進んだ。いよいよ山越えである。峠の麓の村に一行は宿をとった。そこまでの道も上りが続いており、皆疲れていた。だが、明日山を越え峠を越えれば国はすぐそこである。国で待っている家族の顔を思い浮かべれば、疲れも少しは癒えてくる。
 その夜は早めに寝て、翌日の峠越えに備えた。



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