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13 大晦日の脱出
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「決行は今夜です」
翌日の午後、館の敷地の中にある礼拝堂でエルンストの告げた言葉にグスタフはそうかとうなずいた。
昨日のことがある。急がねばならないとノーラもエルンストも考えた上での予定変更だろう。
「年越しの集いのために、村人が館の前に集まります。その騒ぎに紛れて村を出ましょう」
年の終わりに領主への感謝を込めて周辺の村人が館の前に集まって、代表が挨拶に来るというしきたりがレームブルックにはある。無論、領主は館にいないので、開け放たれた門の前で代表が礼を言うだけであるが、これは領民たちのうっぷん晴らしの場でもあった。どさくさに紛れて領主の悪口を言っても一切お構い無しだった。そんなわけで、酷い統治をする領主に対して武器を手に苦情の声をあげた時代もあったという。幸いにもこの数十年は感謝の声の方が大きい。
エルンストは村の若者数人にすでに話をつけていた。彼らが門から勢い余って乱入した後、一緒に出るという手筈になっているという。
「ところで、ノーラはどこに出かけたんだ」
朝からノーラの姿は屋敷にない。乳母は友達の家にと言っていたが、大晦日はどこの家も忙しい。長居はできないはずだが。
「御心配なく。夜までには戻ってきます」
恐らく決行が早まったので連絡しなければならぬ場所もあるのだろう。
グスタフは先ほど祈りを捧げた兄と執事の柩を振り返った。
もしここに戻ってこれたとしたら、自分もまた彼ら同様柩の中だろう。その時はエルンストもまた。
「もうここには戻れないんだな」
エルンストはそれがグスタフの決意だと理解した。グスタフは王になる道を選んだのだ。
夕刻、ノーラは大きな木箱を持って女中の姿でグスタフの部屋に現れた。
「これを手に入れてきました」
ふたを開くと、出て来たのは粗末だがよく手入れされた庶民の女物の服だった。グスタフはそういうことかと察した。たぶん自分が村を出たことがわかれば、アデリナは赤毛の男を探せと命令するだろう。赤毛の女であれば探索の手もゆるむ。
「エルンストには村人の服を用意しています。二人は都に奉公に行く夫婦ということで」
「夫婦……」
ノーラはどこから手に入れたのか通行手形も用意していた。庶民は領主のサインの入った通行手形がなければ領外に行くことはできない。
ゲマイン村のエルマーの妻グレーテルという名をグスタフは頭に叩き込んだ。
「妻は文字が書けないということにしておいたほうがいいな」
「そうですね」
グスタフの筆跡は父に書いた手紙に残っている。宿帳などを書くのは危険だった。
「夫婦ですので、宿は同じ部屋をとっています」
「え?」
「そのほうが安全です」
「ノーラは別の部屋か」
「私はここでまだやることがございます。委細はエルンストに話しております。すべてお任せください」
ノーラが去った後、グスタフは服を見つめた。
エルンストと二人だけで旅をする。都までは乗り合い馬車で二日余りかかる。恐らく宿に二泊することになる。夫婦として同じ部屋に泊まる。初めての旅でエルンストと同じ部屋に休む。想像するだけで胸が騒いだ。
自分は女でもないのに。ましてや、エルンストを思い自らを慰めるような男なのだ。エルンストが知ったらきっと軽蔑する。こんな男を王にしようとしているのかと、エルンストは失望するに違いない。だからエルンストには邪念を決して知られてはならない。
どうか、邪な思いを抱かずに同じ部屋で過ごせるようにと祈るグスタフだった。
日が暮れた頃、門前には大勢の領民が集まっていた。屋敷の中にいても彼らの話し声が聞こえてくる。
グスタフは着替えを済ませ、乳母の住まいで待機していた。二人分のパンと牛乳を用意した乳母はどうして若様がこんななりで館から出て行かねばならぬのかと嘆いていた。いくら都の公爵様にコルネリウスの死を知らせるためといっても。
乳母をはじめ、使用人たちはまだ都の出来事を知らない。ましてや王の後継者争いなど想像もしていない。急なコルネリウスと執事の死には何やら深い事情がありそうだとは思っていても口に出すわけにはいかない。
当然、乳母はグスタフの女装が気に入らなかった。
「女の姿をしていたら、物盗りに狙われるかもしれないのに」
「エルンストがいるから大丈夫だ」
そこへノーラがやって来た。
「いい感じね」
グスタフはノーラから化粧道具を借りて紅を塗っていた。短い髪がわからぬように付け毛をしてボンネットを深めにかぶっていた。
「くれぐれも喉を見せないように」
グスタフはマフラーをしっかりと首に巻いた。冬だから不自然ではない。
「領主さまに申し上げまする」
村長の声が聞こえた。エルンストが門を開けたのだろう。
例年通りの感謝の言葉が大声で述べられると、すぐに、わあああというどよめきとともに、開いた門から駆けこむ足音が聞こえてきた。乳母は何事かと顔を青ざめさせた。
「大丈夫よ、母さん。皆酔ってふざけてるのよ。さあ、グスタフ様」
グスタフにパンと牛乳の入ったバスケットを持たせてノーラはドアを開けた。そこに立っていたのはエルンストだった。
差し伸べられた右手に左手を重ねた。少し汗ばんでいるようだった。緊張しているのだろう。
「行きましょう」
大勢の村人の人波に二人は紛れ込んだ。外へ出ろという下男の声とともに、潮が引くように村人たちは門へと走った。グスタフもエルンストとともに走った。
子どもの頃、一緒に野原を駆け回ったように。
翌日の午後、館の敷地の中にある礼拝堂でエルンストの告げた言葉にグスタフはそうかとうなずいた。
昨日のことがある。急がねばならないとノーラもエルンストも考えた上での予定変更だろう。
「年越しの集いのために、村人が館の前に集まります。その騒ぎに紛れて村を出ましょう」
年の終わりに領主への感謝を込めて周辺の村人が館の前に集まって、代表が挨拶に来るというしきたりがレームブルックにはある。無論、領主は館にいないので、開け放たれた門の前で代表が礼を言うだけであるが、これは領民たちのうっぷん晴らしの場でもあった。どさくさに紛れて領主の悪口を言っても一切お構い無しだった。そんなわけで、酷い統治をする領主に対して武器を手に苦情の声をあげた時代もあったという。幸いにもこの数十年は感謝の声の方が大きい。
エルンストは村の若者数人にすでに話をつけていた。彼らが門から勢い余って乱入した後、一緒に出るという手筈になっているという。
「ところで、ノーラはどこに出かけたんだ」
朝からノーラの姿は屋敷にない。乳母は友達の家にと言っていたが、大晦日はどこの家も忙しい。長居はできないはずだが。
「御心配なく。夜までには戻ってきます」
恐らく決行が早まったので連絡しなければならぬ場所もあるのだろう。
グスタフは先ほど祈りを捧げた兄と執事の柩を振り返った。
もしここに戻ってこれたとしたら、自分もまた彼ら同様柩の中だろう。その時はエルンストもまた。
「もうここには戻れないんだな」
エルンストはそれがグスタフの決意だと理解した。グスタフは王になる道を選んだのだ。
夕刻、ノーラは大きな木箱を持って女中の姿でグスタフの部屋に現れた。
「これを手に入れてきました」
ふたを開くと、出て来たのは粗末だがよく手入れされた庶民の女物の服だった。グスタフはそういうことかと察した。たぶん自分が村を出たことがわかれば、アデリナは赤毛の男を探せと命令するだろう。赤毛の女であれば探索の手もゆるむ。
「エルンストには村人の服を用意しています。二人は都に奉公に行く夫婦ということで」
「夫婦……」
ノーラはどこから手に入れたのか通行手形も用意していた。庶民は領主のサインの入った通行手形がなければ領外に行くことはできない。
ゲマイン村のエルマーの妻グレーテルという名をグスタフは頭に叩き込んだ。
「妻は文字が書けないということにしておいたほうがいいな」
「そうですね」
グスタフの筆跡は父に書いた手紙に残っている。宿帳などを書くのは危険だった。
「夫婦ですので、宿は同じ部屋をとっています」
「え?」
「そのほうが安全です」
「ノーラは別の部屋か」
「私はここでまだやることがございます。委細はエルンストに話しております。すべてお任せください」
ノーラが去った後、グスタフは服を見つめた。
エルンストと二人だけで旅をする。都までは乗り合い馬車で二日余りかかる。恐らく宿に二泊することになる。夫婦として同じ部屋に泊まる。初めての旅でエルンストと同じ部屋に休む。想像するだけで胸が騒いだ。
自分は女でもないのに。ましてや、エルンストを思い自らを慰めるような男なのだ。エルンストが知ったらきっと軽蔑する。こんな男を王にしようとしているのかと、エルンストは失望するに違いない。だからエルンストには邪念を決して知られてはならない。
どうか、邪な思いを抱かずに同じ部屋で過ごせるようにと祈るグスタフだった。
日が暮れた頃、門前には大勢の領民が集まっていた。屋敷の中にいても彼らの話し声が聞こえてくる。
グスタフは着替えを済ませ、乳母の住まいで待機していた。二人分のパンと牛乳を用意した乳母はどうして若様がこんななりで館から出て行かねばならぬのかと嘆いていた。いくら都の公爵様にコルネリウスの死を知らせるためといっても。
乳母をはじめ、使用人たちはまだ都の出来事を知らない。ましてや王の後継者争いなど想像もしていない。急なコルネリウスと執事の死には何やら深い事情がありそうだとは思っていても口に出すわけにはいかない。
当然、乳母はグスタフの女装が気に入らなかった。
「女の姿をしていたら、物盗りに狙われるかもしれないのに」
「エルンストがいるから大丈夫だ」
そこへノーラがやって来た。
「いい感じね」
グスタフはノーラから化粧道具を借りて紅を塗っていた。短い髪がわからぬように付け毛をしてボンネットを深めにかぶっていた。
「くれぐれも喉を見せないように」
グスタフはマフラーをしっかりと首に巻いた。冬だから不自然ではない。
「領主さまに申し上げまする」
村長の声が聞こえた。エルンストが門を開けたのだろう。
例年通りの感謝の言葉が大声で述べられると、すぐに、わあああというどよめきとともに、開いた門から駆けこむ足音が聞こえてきた。乳母は何事かと顔を青ざめさせた。
「大丈夫よ、母さん。皆酔ってふざけてるのよ。さあ、グスタフ様」
グスタフにパンと牛乳の入ったバスケットを持たせてノーラはドアを開けた。そこに立っていたのはエルンストだった。
差し伸べられた右手に左手を重ねた。少し汗ばんでいるようだった。緊張しているのだろう。
「行きましょう」
大勢の村人の人波に二人は紛れ込んだ。外へ出ろという下男の声とともに、潮が引くように村人たちは門へと走った。グスタフもエルンストとともに走った。
子どもの頃、一緒に野原を駆け回ったように。
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