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第一章 影が薄い騎士団長

女神な姫君と目覚めし変人

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 仕事へ戻ると言うヘリオスと別れ、二人は医務室へとやって来ていた。
 ヘリオスの仕事は無論、セリニの尾行である。医務室の奥へと二人が移動したため、窓側へと回り込むべく彼は外に出ていた。

 セリニたちがここへやって来たのは、エルツが言った魔物の件に端を発する。
 多くの魔物が王都まで襲ったのなら、今も怪我人がいるのではないかとセリニは考えた。

 そして、エルツが渋々語ったのが、ヘリオスが助けたという女性だった。もう数ヶ月間、眠ったままなのだという。

 簡易的な仕切りと白いベッドが並ぶ部屋の一番奥。黒緑色の長髪の女性が、仰向けの状態で眠っていた。目を閉じていてもわかるほど、整った美しい顔をしている。

 セリニが彼女の首もとに手をそっと当てた。脈もあり、体温が低いわけでもない。呼吸もしている。

「団長のご報告によると、頭を強く打っている可能性があるそうです。その他外傷は治療を終えています」

 シュタールにもラソワの血を引く者がおり、魔法での治療が行われている。しかし彼女は、治療を終えたにも拘らず、目覚めることがなかった。

「どちらで見つかったのですか?」

 セリニが問うと、エルツが言いづらそうに口をモゴモゴと動かした。

「いやーそれがですね。我が国の北、つまりアルマース帝国付近の、廃屋でして……」
「魔王が倒されたのも、その辺りでしたよね?」
「団長が追っていたのも人型の魔物で、目撃情報にある魔王の特徴の一つと酷似しているんですよね」

 倒された魔王は、いくつかの姿を使いわけていた。実際、人間に紛れた魔王の手引きにより、いくつかの国が魔物によって滅ぼされた悲しい現実がある。

 予想外の言葉にセリニは瞬きを繰り返す。

「その魔王かもしれない魔物に襲われていた一人が、彼女ということですか」
「そうです。ですので、彼女から話を聞ければ、正体がハッキリするんですよ。団長が廃屋の壁ごと吹き飛ばした魔物の」
「壁、ごと? お母様と同じ……」

 セリニは両親の喧嘩を思い出していた。一度、烈火の如く怒った母が、城の壁を破壊したことがある。あれにはさすがのラソワの民たちも怒っていた。

――セリニ様のお母様、何者……。
 エルツもエルツで、彼女の母親の正体を考えていた。

 医務室の壁の向こうに立つヘリオスは、彼女たちの会話を聞きながらなぜか落ち込んでいる。

――キューナ様のお噂はかねがね伺っていたが、もしや姫も、壁を吹き飛ばすほどの力が?
 セリニが細腕で壁を吹き飛ばす姿を想像しては、ヘリオスは首を横に振っていた。

 そんな想像をされているとは思いもしないセリニが、話を本筋へと戻す。

「魔王だった場合、アルマースの方々は嘘を吐いていることになるのですか?」
「いえ。一撃をくらわせた後、廃屋にいた怪我人たちに気を取られている間に逃げられてしまったそうです」
「では、嘘を仰っているわけではないのですね」
「団長の一撃で弱ってた魔王を倒して威張っているのなら、少々腹が立ちますけどね。まぁ、問題は魔王でなかった場合です。人の姿をとる魔物は面倒だと相場が決まっています」
「なるほど……では、治療してみます」

 エルツが用意した座面の丸い木製の椅子に座り、セリニは両手を女性の額辺りにかざす。時間にして五分ほど、彼女の瞼がピクリと動き――

「エルツさん」
「あ、起きますかね?」
 することもなく医務室を往復していたエルツが駆け寄る。

「はっ、ここは天国!」
 女性が目を覚ました。キリリとした青緑色の目が天井を見る。

――このお顔、どこかで?
 セリニは記憶をたどりながら
「貴方は生きていますよ。ご自身のお名前はわかりますか?」
 上半身を前に倒し、彼女に問いかけた。

「貴方様が――私の女神?」
 セリニと目が合うや否や、女性が美しい顔を恍惚こうこつとさせた。

「え? 女神ですか?」
――まだ天国だと思っていらっしゃるのでしょうか。

 セリニが考えていると、後ろから腕を引かれ、剣を構えたエルツが庇うように前に出た。

「そう、あそこには確かに誰もいなかった。魔王に殺されそうになった刹那! 魔王は壁を突き破って吹き飛び、粉塵立ち込めるなかに人影が! もしや貴方様が? その細腕で? いや、気を失う前に聞いた声はとても低かった気がします」

 ガバリと上半身を起こした彼女が、目を見開いて息継ぎなく語った。

「いえ、その……。貴方を救ってくださったのはこの国の騎士の方で、私は数ヶ月間、目覚めなかった貴方の治療を――」
「では、女神には変わりありませんね‼ そして、私を救ってくださった神がもう御一方!」
 言って彼女は立ち上がり、くるりと回ってみせた。

――ヤバい女性だった……。セリニ様が平気で話しかけていい相手ではない。
 エルツは剣を構えたまま、立ち上がって窓の方へ歩く彼女の様子を窺う。

「ここかなッ!」
 少しだけ開いていた窓を思いっきり開け放ち、上半身を外へと出す彼女。

 思わずヘリオスの体がビクリと跳ねた。

「うーん。いる気がしたのですがねぇ」
 窓の外を見回して、再びベッドに腰掛ける。

「あの、貴方のお名前は?」
 彼女の奇行を見ていなかったかのようにセリニは笑顔で話しかけた。

「女神に名乗るような名などありません……。ゴミとでもお呼びください」
「それはできません。私はセリニと申します」
「なんと! 女神に名乗らせてしまうなど、一生の不覚! 私はトリポテと申します。女神よ」
 涙ながらに言って、トリポテは両手を組んで天井を見上げる。

 エルツは彼女の奇行に触れることなく進んでいく会話に、どういう顔で剣を構え続ければいいのかわからなくなっていた。

「では、トリポテさん。どこか痛くはありませんか? お腹が空いていらっしゃるのでしたら、まずは消化の良いものを」
「お気遣い痛み入ります女神よ! して、そこの御仁は私が女神を手に掛けるとお思いで?」

――話しかけられたぁぁ! 返事しなきゃダメ?
 青緑の美しい目に捉えられ、エルツはそう声に出して叫びたかった。

「貴方が女神だと仰るこの方は、高貴な御方ですので」
「ほう。しからば護るのは当然。さすが我が女神。高貴な女神なのですね。ならば私のような何処の馬の骨か知れない奴は、救われただけで感謝せねば」

 トリポテは再び祈りを捧げた。

――めんどくせぇ! 高貴な女神って何だよ。とにかく早く、セリニ様をこの変人から離さねば。
 変人だとは思いながら、敵意はないと判断し、エルツは剣を収めて言う。

「トリポテさん、これから貴方には色々と伺いたいことがあります。ご協力願えますか」
「お安い御用です。私が襲われた際の状況を詳しくお話すれば良いのでしょう?」
 エルツに向けた微笑みは、彼女の言動を知らなければとても美しいものだった。どこかわざとらしくも、自身の魅せ方理解している笑み。

「お、お話が早くて助かります。担当の者を呼びますので、我々は失礼します」
 その笑みに自身をフった彼女が脳裏にチラつき、振り払うようにエルツは一礼する。

「え、エルツさん? 私たちがお話を、それにきっちり治ったかどうか――」
「ここからは第二の領分ですから、ね。出ましょう。体調のチェックも担当の者が行いますので」

 エルツはこの場から逃げるように彼女の背をそっと押した。

「と、トリポテさん。お大事にー」
 押されながら言うセリニを

「女神セリニ、この御恩は一生忘れません!」

 トリポテは大きく手を振って見送った。

 二人の足音も遠ざかっていき、医務室が静まり返る。
 外に居たヘリオスも移動してしまった頃。トリポテは一人静かに騎士たちを待っていた。座っていても一向に来ない彼らに嫌気が差し、ごろりとベッドに寝転ぶ。そして、大きく伸びをして、息を吐くと

――やはり彼女は、皇子に相応しい女性でしたよ。あの日のままでございます。それにしても、身元不明の人間に対し見張りもなしとは。幸せな国ですね。反吐が出そうなほどに。

 天井を見つめながら、嫣然えんぜんと一笑した。
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