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第一章 影が薄い騎士団長

見返る姫君と忍び寄る騎士

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 応接室を出たセリニとエルツは、食堂で軽食を済ませて廊下を歩いていた。
 
「いやー私がこのような大役を仰せつかるとは。まずはどちらにご案内いたしましょうか?」
 エルツが照れたように焦げ茶色の頭を片手で掻く。隣を歩くセリニの顔は、応接室から出た後も浮かないままだった。

「セリニ様? 大丈夫ですか」
「あっ、すみません。中庭を見てみたいです」
「……中庭ですね」

 エルツの後に続き、重そうな足取りで中庭に向かう。

 様々な形に整えられた低木が綺麗に並び、一区画には色取り取りの花々が咲き並ぶ。

「綺麗ですね」
 彼女の顔をエルツはそっと覗き見た。今朝の治療を施していた明るい顔は見る影を潜めている。

「そうですねー。私の傷ついた心も癒されてしまうほど美しい」

 セリニは困った顔で少し上にある青い目を見た。
「王妃様がフラれたと……」

 エルツは彼女の顔にすぐさま話題の選択を間違ったことに気が付いたが、止めることも出来ずに続ける。

「いやー姫様がいらっしゃる前日まで、この王都にまで魔物が攻め入って来ていましてね。破談はもっと前から決まっていたことですが、正式にはそのー……ね。こういう仕事ですから、言い訳する暇もなく、そのまま」
「そんな……」
「我々にはよくあることです。いつ死ぬかわからぬ身でもありますし、その上、傍にもいてくれないとなれば、愛想を尽かされても仕方ありません」

「その、多くの方の待ち人を騎士団の方々は護ってくださっているのに? 商売に出かけた方が当たり前のように自宅へと帰ってくることも、家で帰りを待つ方が当たり前のように家族の食事を用意するのも――、戦えぬ者のために努力をしている方がいるからです」

 先ほどまでの憂いなど感じさせぬ真っ直ぐな天色の目に、エルツは思わず息を呑んだ。

「寂しいのはエルツさんも同じです。いずれは訪れる死への恐怖だって同じ。だから共に、わかち合うのではないのですか。その寂しさも恐怖も、ようやく会える喜びも。そんな相手と、一生を添い遂げると誓うのではないのですか? お父様は、結婚とはそういうものだと仰っていました」

 心臓を鷲掴みにされたような心地がした。同時にエルツは自身の母が言っていたことを思い出す「ラソワの民のようにありなさい」と。

 王族平民関係なく、皆で戦い、皆で直し、皆で祝い、皆で泣き。たった一人の馬鹿げた夢のために、笑いながら駆け回る。エルツの読んだラソワについて書かれた書物にも、そのような記述があった。

「お恥ずかしいかぎりです。慰めるつもりが……はははっ。セリニ様の仰る通りですね。いやー、セリニ様のような方が私にも見つかるでしょうかね」
「私のような、ですか?」

 再び彼女の顔が曇る。

「事情は、王妃様のお話で大方理解いたしました。全てご自分のせいだとお思いなのでしょう?」

 正解だと言わんばかりにセリニは俯いた。
 母が自身のために世界を飛び回っていることもあり、彼女は周りを気遣うあまり、自身を追い詰めるきらいがある。王妃の話で、魔物の襲撃も自分がいなければ起きなかったのではないかと気に病み続けていた。

「ラソワの方々もきっと、辛かったと思いますよ。特にザイデ様は這ってでもついて行きたかったでしょうね。ですから、『私がいなければ』はお止めください。セリニ様がいらっしゃったからこそ、我々も団長の可笑しな顔を見ることが出来ました」

「……可笑しな顔、ですか?」
「えぇ、セリニ様が寝ていらした時のあの虚をかれたような顔が、ふふっ。羨ましいが大半を占めていましたが」
「羨ましい? 一体私は、何を――」
 背後で砂利を擦る音が聞こえ、セリニが振り返る。しかし、そこには使用人と騎士が数名歩く姿があるだけで、足音に該当する者は見当たらない。

「何か後ろに?」
「確かに足を擦るような音が」
「足を擦る? 少々お待ちください」

 エルツが中庭に来る際に通った通路へと走る。やはり使用人と騎士が数名歩いているだけであった。

「特に不審な者は見当たりません」
「そうですか」

 その言葉に安堵する男が一名。柱の陰に身を潜めていた。

――俺の足音も、姫様には聞こえるのか。今まで隠れる必要性がなかったゆえに、勝手がわからん。王妃様の言う練習は存外適当だったのやもしれん。
 ヘリオスは、姫に今朝の件を伝えられるのではと動揺し、飛び出してしまいそうになっていた。

「エルツさん。中庭に大きな木はないのですか?」
「木、ですか?」
「私も変わった色の鳥さんを見つけたいです」

 姫の言葉に再びヘリオスが足音を立てる。
 彼女はくるりと見返った。

「セリニ様?」
「いえ、気のせい……ですかね」

 文字通り頭を抱えて、柱の陰に隠れてうずくまる大男がいると二人が気付くことはない。

「鳥ですか、変わった色の。中庭では難しいでしょうね。明日、外出許可を得て探しに行きますか」
「はい!」

 すっかり元気を取り戻した彼女に、エルツは満足気に笑う。そして

「ところで、どうして鳥なのでしょう?」

 誰もが思う疑問を口にした。

――エルツ、貴様!
 ヘリオスは心中で叫ぶが届くはずもない。

「それはですね――」

 セリニがヘリオスと出会った時のことを話した。

「団長が、鳥を……くくっ。鳥っ、鎧着たまま鳥って」
 タルクやオリヴィニスとは別の部分で笑い始めた。

 腹を抱えて笑うエルツを見下ろし、セリニは首を傾げる。
 柱の陰の大男は拳で柱を粉砕しそうなほど、恥ずかしさと怒りに震えていた。

「ふふっ、セリニ様は団長が見ていらした鳥が気になっているのですね」
「はい。出来ることならヘリオスさんと一緒に探したいのですが」
「団長と……。団長は何かとお忙しいですからね。昨日の半休も何日ぶりだったか……あ、」
 また言葉の選択を誤ったと彼が気付いた頃には、隣の彼女が落ち込んでいた。

「やっぱり、私のせいでせっかくのお休みを――」
「いや、そのっ、団長もっ「エルツ、何をしている」
 耐えられなくなって陰から現れたヘリオスが、頭一つ小さな彼を険しい顔で見下ろす。

「えっ、団長? 王妃様とのお話は――」
「先ほど終わった。で、何をしていた」
「そのーこれはですね」
 焦りのあまり口が回らないエルツ。
 代わりに隣で俯くセリニが答える。

「昨日、ヘリオスさんは本当に久しぶりのお休みだったと伺って」
「姫。そのことでしたらお気遣いなくと申し上げたはずですが」
「ですが……」
 セリニの頭に、骨張った大きな手が乗った。ゆるりと手袋のない温かい手が髪を滑る。

 彼女がエルツに送った言葉を思い出しながら、ヘリオスは口の端を緩やかに上げた。

「貴方様の他者へのお心遣いは素晴らしい。そのくせ、突飛な行動でこちらを困らせるのが何ともいじらしい。あのタルク様が振り回されるのも頷けます」
 
 余りにも見慣れぬ穏やかな表情に、エルツの焦りは霧散した。そして、不思議そうに上目で見上げる姫君と、姫君の頭を撫でている騎士を交互に見遣る。

「団長……? 相手、姫君ですよ。親戚の子供相手じゃないんですから」
 馬に蹴られるのを承知で冷静さを取り戻したエルツが言った。

「しっ、失礼いたしました」
 我に返ったヘリオスが、謝辞を述べながら手をどけようとすると、セリニの両手が彼の左手を掴む。

「とっても心がぽかぽかしています。私には弟しかいませんが、兄がいたらこうやって撫でてもらえたでしょうか」
「兄、ですか。そうか、だから私にいとも容易く触れて……」
 最後の方は小さく、セリニには聞き取ることが出来なかった。

――団長、絶対変な勘違いしたな。にしても、まさかあの団長が。
 他人事ゆえの面白さを見出すと同時に、不安が顔を覗かせて次々と彼の中の面白さを侵食していく。


 二人にはどう足掻いても身分という壁が立ちはだかる。ラソワの民はきっと快くヘリオスを迎えてくれるだろう。しかし、シュタールではまかり通らない。アダマスとアメトリはきっと自身の息子のことのように喜ぶ。ただ、民はそれを許すはずがなかった。

 王族の役目は、他国との関係を築くべくその身を差し出すこと。恋愛結婚など滅多にない。それが大半の国々での現在まで続く常識である。国防の要で、英雄の息子であろうとも一介の騎士。彼が王族を娶ることなど有り得ない。

 エルツは、尊敬する上司のこれからを考えるだけで胸が掻き毟られるようだった。

――ままならないなぁ、ほんと。よりにもよって、ラソワの姫様に一目惚れしちゃってるとか。破談になった僕より大馬鹿者ですよ、団長。

 心配を音にすることなく、どことなく困った様子でもぞもぞしている大男を見上げる。彼の目が今捉えているのは、きっと自分よりも更に小さな姫君だけなのだろうと僅かな羨望をのせて。

「……あの、姫。大変申し上げ難いのですが、手を離していただいてもよろしいでしょうか? その、このままではあらぬ誤解を――」

 ヘリオスの言葉にハッとしたセリニが慌てて手を放した。

「申し訳ありません! その、本当に、休暇の件は」
「お気遣いなく。休暇の話が出ていたということは、私に何か用がおありで?」
「それは、その――なんでもあり「明日、団長と変わった色の鳥をお探しになりたいそうですよ」
「エルツさん!」

 盗み聞き、全てを知っていたヘリオスの脳裏に、王妃の言葉が浮かぶ。

――ここで断る方がきっと不自然だろう。
 彼は自身が言い訳していることにも気付かずに、

「明後日でよろしいのでしたら」


「本当ですか! ですが、またお休みを」
「セリニ様。団長は相手が貴族だろうが嫌なら断る方です。良いと仰っているんですから、ね?」
「そう、なのですか。……ふふっ、とても嬉しいです。滞在中の楽しみが増えました」

 ヘリオスは課された任務も忘れて、幸せそうに微笑むセリニを見つめていた。
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