鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

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第96話 雪兎

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 星の胎内で二つの意志が猛烈な圧力に晒される。 

 サンドマンがいい加減に振り回した理不尽な力などでは比較にならない星自身が持つ正当なる圧倒的な力。 

 それはフォース・メンブレンとアイトゥング・アイゼンでなんとか機体の形を保っているドラグリヲに道理に合ったダメージをもたらす。

「くっ……」
「随分無様な姿だな、まるで炭になりかけの焼死体みたいじゃないか! それに比べて今の俺の勇姿を見てみろ! 世界樹のコアを介して星と一体化しつつある偉大な俺の姿を!」

 機体崩壊の危機を告げるアラームを押し退けるように聞こえてくるサンドマンの戯れ言。 

 それを振り払うように首を振りながら雪兎は必死に前を見る。 

 つい先程まで身体を縛り付けていた激烈な痛みはもう雪兎の体内に存在しない。 しかしそれは痛みの源が完治した訳では無く、痛みを伝える神経すらも機能不全に陥った証であることを雪兎はきちんと理解していた。 

 そして、残された時間もごく僅かであることも。

「撃てば終わる……! 一発撃てればそれで全部終わるんだ……!」

 地球と一体化を試みる過程で肉体を再生させつつあるサンドマンに口腔内主砲を向け、微かに震える人差し指で必死にトリガーを引き絞ろうと試みる雪兎。 

 だが、肉体の崩壊に従って身体機能も大きく低下し、最早狙いを付けることさえも困難となっていた。

「うっ……畜生……!」
「どうした撃てよ、撃ってみろよ。 それとも引き金すら引けないほど急速に弱っちまったのか? だったら俺に迷惑をかける前に一人寂しくさっさと死んでろ!」

 星の胎内を巡るマントルによる自然分解を待たず、サンドマンは一気にケリを付けようと再び制御を奪いつつある世界樹のコアより膨大な量のエネルギー波を放射させた。 

 世界樹自身が持つ千里眼を通して既に雪兎の状態を把握しているのか、その態度は地上で戦っていた間とは打って変わってただ尊大の一言に尽きる。 

 もう勝利は確定しているのだと主張するかのように。

「まだだ……僕はまだ死ねないんだ……!!!」

 少しでも気を抜けばフォース・メンブレンを押し流されそうなほどの圧力を受け、雪兎は攻勢を受け流しながらも何とかブレスの体勢を維持させ続けた。 

 そして同時に、どうすればこの状況を打破できるかと必死に考えを巡らせる。

 何かある。 数多の力を引き継いできたこの機体ならまだ手段はあるはずだと。

 そうして無意識のうちに極度の集中状態に陥った瞬間、雪兎の中に残ったアルフレドの力の残滓とドラグリヲが今まで吸収してきた蠱毒の参加者達のDNAが共鳴し、記憶と意識を結び付けた。

 勿論、本人の与り知らず間に。

「全く、最後の最後まで本当に頼りない坊やだな。 そんなんで本当に一人でやりきれるのか?」
「心配性だな総理。 彼がこういう危機を幾度となく乗り越えてきたのは知っているだろうに」
「なっ……誰だ……!?」

 自分とクズ野郎以外には誰もいないはずの空間に突如響いた声に驚愕し、雪兎は声が聞こえた方向へ反射的に意識を向けるとさらなる混乱に陥る。

「まさか貴方達は……」

 雪兎の視界の中に漂っていたのは、旧世紀の内に蠱毒の中へ身を投げた名も知らぬ二人の男。 

 それぞれ雀蜂と芋貝を思わせる獣の肉に侵蝕された彼らは、驚きのあまり身を強張らせた雪兎を眺めて苦笑して見せると、逃走を続けるサンドマンを一瞥した後に言葉を紡ぐ。

「安心しろ、俺達は他の連中の記憶を引き出す過程で先に呼び起こされただけに過ぎん。 決して祟りに来た訳じゃあないさ」
「君と同じ時代を生きた者の記憶が、きっと君の背中と決意を支えてくれるだろう」

 政治家風の壮年が安い煙草を吹かしながら戯けると、目深帽子の隻腕隻眼の軍人はおもむろに帽子を被り直しながらニヤリと笑みを浮かべる。 

 その直後、二人の姿は光の粒子となって雪兎の体内へ還元され始めた。

「精々頑張れよ。 俺達のように無惨に死んでいった者達の為にも、そしてお前自身の為にもな」
「今まで名も無き衆愚に散々踏みにじられてきただろうが、それと同時に君は大勢の魂達にも見守られてきた。 忘れるな、君は決して孤独などではないのだ」
「……孤独ではない? 僕が?」

 軍人風の男が最期に遺した言葉が受け入れられず、ほんの僅かな間だけ雪兎は表情を陰らせる。

  だが新たに実体化した魂が真正面から思い切りぶつかってくると、その陰りは一瞬にして霧散した。

「雪兎お兄ちゃん!」
「ああ……ヴィマ……!」

 先方の二人の影が消えると共に雪兎の胸に顔を埋めたのは、雪兎の眼前でグズグズになって死んだはずのヴィマラ。 

 彼女の元通りになっている顔を目に入れるやいなや、雪兎の目から大粒の涙が溢れ出す。

「ふふ、泣いちゃ駄目だよお兄ちゃん。 だって私はずっとお兄ちゃんのそばにいたんだもん」
「ヴィマ……僕は……!」

 君を殺してしまったと嗚咽を漏らして大泣きする雪兎。 

 そんな情けない年上の男を前に、ヴィマラは優しく微笑むと小さな手を雪兎の頭に伸ばして抱き締める。

「大丈夫だよ。 私はずっと近くでお兄ちゃんのことを応援しているから」
「ううう……」

 何も言うことも出来ずただ泣きじゃくる雪兎を一人、慈愛に満ちた表情で見つめるヴィマラ。 

 彼女は最期に一言「頑張って」と告げると、言葉通り最も近い場所である雪兎の身体の中へ溶けていった。

 ヴィマラが消えた後、暫しの間コックピット内は静寂に包まれ、雪兎が啜り泣く声だけが満ちる。 

 しかしそれも新たな気配の発生を感じ取るまで。 

 自分の情けない姿を次現れるであろう相手に見せない為にも、気を持ち直した雪兎は乱暴ながらもしっかりと涙を拭って顔を上げると、続いて現れた魂の影に向かって愛想笑いをする。

 ツキが良ければ、難無くサンドマンを手玉にとって殺していたであろう二つの幻影に向かって。

「アルフレドさん……、首領……」
「おいおい泣くほどのことでもないだろう、嫌な上司にツラ合わせるのがそんなに嫌だったのか?」
「お前の為なんかじゃ違ぇよ馬鹿、こんな時にボケてるんじゃない。 なぁそうだろ坊主?」
「何を……言ってるんですか……僕は泣いてなんて……」

 何度も瞬きして泣き腫らした目を誤魔化しながら強がって見せる雪兎に暖かな視線を向け、ゆっくりと姿を現したのは雪兎に決して替えの聞かない力を授けた二人。 

 彼らはもう雪兎の為に自分達がしてやれることがないことを悟っているのか、各々が好き勝手に動いて雪兎を勇気づける。

「ノゾミを救ってくれてありがとうよ。 お前のおかげであの子も俺という鳥籠の中から飛び立てた。 だからと言っちゃ難だが、お前が心底会いたがってた連中に会わせてやる」
「最期の大舞台だからな、降ろせるモンはキッチリ降ろしてから引導を渡してやりな。 じゃないと折角の喜びも半減するだろ?」

 誰よりも長くサンドマン相手に戦い続けた経験から既に雪兎の勝利を確信し、二人の英雄の表情は雪兎が見たこと無いほど朗らかで明るい。 

「カーテンコールは近い。 君にも、そして奴にとってもな」
「決して気負うなよ。 いつものようにやればアンタは必ず勝てるんだからね!」

 全てを雪兎に託し、粒子となって消えていく二人。 

 そんな彼らに向かって雪兎が深々と頷いて見せると、アルフレドが消え際に遺した力の残滓がより一層強く作用し、一対の魂を雪兎の奥底より呼び起こした。

 一度は散らばった光の粒子が人としての大まかな姿を形取り、雪兎の血に流れる遺伝子を媒体として二人の生前の姿を描き出す。 

 その果てに現れたのは互いに正反対な印象を持った一組の夫婦。 

 彼らは自らの姿が龍の怪物から元通り人の姿に戻っていることを理解し微笑みながら口を開くと、雪兎が幼い頃より焦がれた声が、長い別離を乗り越えて届いた。

「雪兎!/雪兎……!」
「親父……母さん……」

 蠱毒の勝利者の役目として人とは別の存在になり果ててしまった日、ふと思い出した両親と全く同じ姿をした魂の影。 

 そのうちの赤い目をした大柄の男は、立派に成長した我が子の顔をしげしげと眺めた後安心したようにほっと息を吐く。

「そうか、お前は藍さんに似たんだな。 あまりにも俺に似てないもんだから不安になったりもしたんだぜ」
「馬鹿言っちゃいけないわ、こんな無茶ばかりするお人好しが紅一さんの子じゃない訳がないじゃない」

 ようやく言葉を交わせたというのにいきなり余計なことを言う夫を窘める藍。 

 彼女は一度呆れたように頭を振るも、すぐに最愛の息子と正面から向き合い、雪兎の心の奥底で溶けて固まってしまった負の感情をなんとか溶し切ろうと言い聞かせる。

 奪われた十数年分の思い出を取り返そうとでもするかのように。

「忘れないで、貴方は私達の掛け替えのない自慢の子。 誰がなんと蔑もうと決して忌み子なんかじゃないからね」
「母さん……」

 雪兎が被った迫害の記憶を少しでも拭い去ろうと、藍は愛息子の傷だらけの両手を握って言い聞かせると、蒼い瞳を潤ませてにこやかに微笑みながら光の粒子となって消えていった。

 一方、一人残された紅一は気恥ずかしげに頭を掻くと、苦笑いしながら詫びを入れ始める。

「お前ばかりに苦労を掛けた。 何もしてやれない不甲斐ない父親で悪かったな。 ……許してくれ」
「いいや、親父がくれた力が一番長く僕を護ってくれたよ」

 力無く肩を落とした父を励ますように、雪兎は親指で機体の外を指し示す。 

 その先にあったのは、サンドマンの攻撃を一切通さないほど分厚く展開され始めたフォース・メンブレン。 

 幾度となく雪兎の身を守った紅蓮の龍の力の模倣。

「そうか……、俺はちゃんとお前のためになれたんだな……」

 雪兎の言葉がお世辞で無いことを確信して紅一はひどく安心すると、思い残したことは無いと言うかのように目を閉じ、先に消えた藍の後を追って静かに消えた。

 来訪者が全員いなくなり、静寂と薄闇に包まれるコックピット。 

 本来なら警報と機体外の異常な環境の影響で危機感を感じる程の圧力が五感を通して伝わるはずだが、それらが一切ないということは即ち、雪兎の細かい感覚すら失われつつあることの証明に他ならない。

 しかしそれでも、雪兎の心を満たしていたのは恐怖ではなく使命感。 

 数え切れないほど多くの無念と願いを背負っているという確信は死の恐怖を極限まで薄め、覚束なかった両手に最期の力を齎す。

「そうだ、僕は一人じゃ無い。 僕はいつだって……」

 誰かと共に戦ってきた。 

 そしてそれは今だってそうだと。 

 ぐっと両手を握り締め、皆と、自身と一体化した哀華の魂が自分の共にあることを感じ取ると、しっかりとトリガーに指を掛ける。

 最早、迷いは無かった。

「ドラグリヲ! 今こそ僕の全てを持って行け! 皆が託してくれたこの命の全てを!!!」

 光を失いつつある瞳を見開いて雪兎が叫んだ瞬間、雪兎の限界を超えたエネルギーが身体の底から溢れ出し、肉体と機体を内側から燃やしながらドラグリヲの主砲に注ぎ込まれていく。 

 標的は唯一つ、数多の命を玩び続けた外道の命だけ。

 再び展開された多次元ライフリングが回転を開始し殺意と熱量が収束していく最中、サンドマンの一際悪辣な表情を視界に入れた瞬間、雪兎の肉体からあらゆる感覚が失われるが止まらない。

「僕も……お前も……これで最期だああああああああああああ!!!」

 何も見えず聞こえない暗黒の中に放り出されながらも、雪兎は己を奮わすべく有りっ丈の咆哮を上げて自分の体内で荒れ狂う全てをドラグリヲに注ぎ込むと、全力でトリガーを引き絞った。

 ――刹那、放ったドラグリヲ自身すらも耐えられないほどの膨大な熱量を秘めたブレスが迸り、発射した当事者の何もかもを破壊し尽くしつつ、世界樹のコア奥深くに潜むサンドマンに襲いかかった。 

 しかし世界樹のコアが反射的に展開した概念障壁に阻まれると、螺旋を描くように光迅がねじ曲がっていく。

「だああはははは! 馬鹿め! さっきも見たはずだ! この世界樹の核には傷一つ…………」

 ドラグリヲの自壊を見届けて勝利を確信し、馬鹿笑いして見せるサンドマンだったが口上を述べる途中にその言葉は苦しげに止められる。

「ば……馬鹿な……何故こんな棒切れが……」

 ブレスのコアとして世界樹の絶対的な結界を貫通しサンドマンの土手っ腹を貫いたのは、鋼の殻の中で鍛え上げられた龍の牙。 

 雪兎が最期に遺した堅い決意は、偉大なる生命の核から邪悪なる肉片を摘出すると、自ら理不尽を焼き尽くす極光の中へ身を投げた。 

 世界樹の加護から引き剥がされたサンドマンの意識も伴って。

「いやだああああああああ!!! 死にたくない! 俺は神になったんだ! 誰よりも偉いんだ! 俺ばああああああああああああああああああああああ!!!?」

 残機も無く、子孫もおらず、遺志を継ぐ者もいない。 

 あらゆる意味で消滅が決定的となったサンドマンは手足の無くなった身体を見苦しく悶えさせながら泣き叫び続けるが、それに今さら手を差し伸べる者はいない。

 数多の命を惑わせ殺し合わせた邪悪なる意志は、理不尽を焼き尽くす光の中に呑み込まれ今度こそ完全に消滅した。

 サンドマンの意識を宿していた肉塊が余さず焼け落ち、続いて溶融を開始した龍の牙。 

 その中心から芯材となった一本の刀が姿を現す。

 それは在り日の首領が最期に雪兎に託した刀“幸魂”

『任務完了……帰投する……』

 一振りの武器であると同時に“人在らざる知性”の一つだったそれは役目を終えたことを悟ると、耐えられる熱量だったにも関わらず自らマントルと一体となり、本来の主人に殉じて逝った。

 争い続けた者達全てがいなくなり、たった一つ残された影。 

 世界樹のコアは自身の制御を完全に取り戻すと最期まで戦い続けたドラグリヲの残骸を受け止め、語りかける。

「こんな結末で本当に良かったのですか? 私が夢見た真の人の子よ」

 かつて世界樹自身が何も知らなかった時、創造主としての役割を担った人間達が散々に騙って来た人間の姿。 

 結果的に敵対しながらも、世界樹の無意識下に理想の形として在り続けた人間像を体現する者が本当に現れ、目の前で散っていったことを世界樹は外分こそ平静を保ちつつも内面では大いに嘆く。

 そして一頻り思考した後、役目を終えた龍の死骸を大切に抱きかかえると、自分があるべき地上を目指して浮上を始めた。 

 死骸の中に遺された雪兎と、肉体ごと一体化していた哀華のメモリーを黙って辿りながら。
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