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最終話 輪廻
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無限に続く暗黒の中を雪兎だった意識が虚無へ溶けていく。
役目を終えて帰るべき肉体を失った今、それは避けられない運命だった。
辛く長い時間をかけて積み重ねてきた経験や知識、そして何気ない記憶さえも朧気になっていく。
だが、最期のブレスを発射すると共に現実から隔絶された事実は、雪兎にあらぬ懸念を抱かせていた。
「僕は……本当にやりきれたのか……?」
己が消滅しつつあることも理解しているが、無に還る恐怖よりも万が一サンドマンを殺せていなかったらという憶測が雪兎の思念に強く作用し、意識の消失を遅らせる。
勝ったと信じたい。
しかし今となってはそれを突き止める手段も無く気を揉むばかり。 最早それが自分とは関係なくなったとしても、結末だけはなんとしてでも知りたいのが雪兎の本音だった。
「もし本当に神とやらがいるのなら、気を利かせて欲しかったな……」
名ばかりは大層な傍観者へイヤミを零しつつも、雪兎は次第に眠気に誘われていく。
決して目覚めることのない眠りの先へ。
そこに一旦呑み込まれたが最後、ただ虚無に還るのみ。
だがその矢先、決して聞こえるはずのない男の声が無遠慮に響いた。
「よお坊主、良くやったじゃないか」
「はっ……、ええ?」
消えゆく雪兎の目の前に現れたのは、先に死に逝ったはずのアルフレド。
蠱毒の参加者の中でも一際特異な能力を獲得するに至っていた男は、困惑する雪兎を一人置いてベラベラと喋り倒す。
「他の連中と違って、俺だけは死んで初めて誰よりも自由になった。 これが恐らく俺が授かった力の真髄だったんだろう。 オカルトだのアルミホイルだの罵られても無理はなかったわけだ。 だが、こんな力を得たからこそ出来ることだってある」
崩れていく雪兎の精神体に手を触れつつ不敵に笑ってみせるアルフレド。
彼は何を思ったのか雪兎の左腕をノックするかのように軽く小突いてみせると、その振動に呼応して巨大な爬虫類の怪物に似た何かがぬるりと滑るように抜け出し、アルフレドの導きのままに微かな輝きへ姿を変えて手の中に収まっていく。
「まだ僕の中に居たのか……この期に及んで……」
視界の中を泳ぐ白銀の輝きを忌々しげに眺めながら、雪兎は力無く毒を吐く。
とっくの昔に吸収していたと思い込んでいた疫病神の害獣擬きを再び目にした苛立ちのあまりか、容赦なく進行していた雪兎の存在消滅が一時停止し、思わぬ形でアルフレドとの問答の暇を与えた。
「そう無碍に扱ってくれるなよ。 こいつは最期の瞬間までお前の中でずっと生き続けていたんだぜ。 お前を護るためにな」
「僕を護るため? 冗談言わないで下さい! そいつは僕の腕を喰った上に乗っ取ろうとしていたんですよ!?」
「だったら何故、こいつは最期までお前の自由意志を奪わなかった? 好機はいくらでもあったハズなのにな」
「……ッ」
反論するにも身に覚えがありすぎるのか雪兎が悔しげに牙を噛み締めて押し黙ると、アルフレドは一層イヤミに満ちた笑みを浮かべて嘯す。
「まっ、当然だろうな。 まともな神経を持ち合わせる限り、自分の兄弟になるはずだった相手を殺すことなんて出来やしないさ」
「何だと兄弟だって? ふざけるな! あのクソジジイは最後の瞬間までそんなこと白状しなかったぞ!!!」
本当かどうかも知れないことをいい加減に吹かしてみせるアルフレドに業を煮やし、雪兎は憤りを露わにして食ってかかっていく。
闇の中に溶けて消えた己の精神体の一部を無意識の内に気合いで再生させながら。
もっとも、それこそが意固地の悪い神父最大の狙いだったようで、アルフレドは虚無に向かう暗黒の中で一際激しく発光する雪兎の精神体を意地悪く眺めると、当人が気付かぬうちに暗示を仕込む。
「おーおーよく怒る怒る。 納得いかないのならまだ生きてる例のクソジジイを“さっさと探しに行け” 身に降り掛かった全ての理不尽を叩き潰し、自分が納得出来るまで“生き続けろ”」
「!!!」
クソジジイへの憎しみのあまり再び生きる意志の塊となった雪兎の精神体を一旦制御下に置き、現実世界の何者かに思念を送るアルフレド。
程なく相手から色よい返事が来たことを把握すると、以前もそうしたように目覚めの暗示を雪兎に掛けてやる。
「今から三つ数えた後、お前は再び光ある世界で目覚める。 お前の身体に宿っていたこの命と、お前が重ねてきた記憶と引き換えにな」
「え……?」
暗示を掛けられた矢先、身体中に漲っていた力と感覚が曖昧になっていくのを自覚する暇も無く、雪兎の意識はかつて半身だった輝きに導かれ、光の中へと連れられていった。
深い闇の中にアルフレドをただ一人残して。
「何がどうなって……」
「さっさと行け、まだお前が居るべき場所へ」
何をされたのも分からぬまま、雪兎の精神体はアルフレドの暗示が導くままに虚無の淵から流れ流され、その果てに何やら妙な液体の中で目が覚めた。
勿論そんな場所で呼吸など出来るはずもなく、起き抜け早々雪兎はパニックに陥ると、必死に逃げ場を求めて泳ぎ出す。
「んぅううううおおおお!」
悔いしか残らない死に方は御免だと言わんばかりに雪兎は気合い一本で壁際まで到達すると、全力で手足を振り回して自分を封じ込めていた物を易々と粉砕した。
透明なよく分からないものによって形成されていた謎の立方体から解放された瞬間、雪兎の身体は激流に呑まれた木の葉よろしく流れに翻弄され、数秒後には陸に打ち上げられた魚のように無様に地を舐める。
だが当然大人しく寝続けるつもりはないとばかりに跳ね起きると、明らかに異常な空間であるここが何処であるのかを知るべく動き出す。
「何なんだよここは……、誰だよこんなところに連れてきやがったのは……」
『さぁ本当に誰なんでしょうね。 まぁそもそもの話、貴方こそ誰なのかという疑問の方が私は強かったのですが』
「……!?」
誰も居ないと思っていた場所で愚痴を吐く雪兎を見とがめたのは、素顔が見えないほど深いフードを被って佇んでいた金髪の少女。
彼女は雪兎に向かって他人行儀に礼をすると社交辞令のように言葉を紡ぐ。
『おはよう御座います、気分は如何ですか?』
「最悪だよ! 目が覚めたと思ったらこんな訳の分からない水槽にぶち込まれてるし!」
口に入り込んだネバネバした何かを吐き出しつつ雪兎は分かりやすく不満を露わにしてみせると、黙って渡されたタオルで身体を拭い、部屋の隅にこれ見よがしに置かれていた見覚えのある服に袖を通す。
「それに僕が誰だなんて妙なことを言うじゃないか。 自分の名前が言えないほど僕は……」
少女が無愛想に言い放った言葉が引っかかりを感じたのか、雪兎は咄嗟に己の名前と過去の経歴を答えようと軽く思案を巡らせる。
……が、その瞬間に愕然として己の両手に視線を落とした。
「えーと……僕は……僕は……誰だ?」
思い出せない。 自分の名だけでなく、自分の生い立ちも、つい最近何をやっていたのかも思い出せない。
雪兎……否、かつて雪兎だった若者は顔面を表情を歪めて必死に何かを思い出そうとするも、激しい頭痛が起こるばかりで一切過去に思いを巡らせることが出来なかった。
そんな若者の苦心など露知らず、金髪の少女は若者が着替え終わったのを確認すると一歩先に部屋の外へ出る。
『準備が出来たらこちらへ、我らの慈母“世界樹”が貴方との対面を所望しています』
「……その慈母とやらは僕のことを知っているのか?」
『はい、多少は』
「だったらいいえなんて言う訳がないさ」
深く被ったフードの中から澱んだ蒼い輝きを垣間見せる少女の求めに従い、若者はゆっくりと部屋の外へ出るとそのまま少女の先導に合わせてついて行く。
人工物と自然物が幾多に絡み合った不思議な空間の中を。
数多の鳥の囀りや虫の鳴く声に包まれて行く道中、若者はふと自らを導いてくれる少女に興味を抱いた。
聞きたいことは山のようにあって尽きないが、それ以上の引っかかりが若者の口を開かせる。
「あの、どこかであったことはあるのかな? もし知ってるなら僕の名前を教えてくれると助かるんだけど」
『いいえ存じません。“今の貴方”と私は初対面ですから』
「……そうか、確かにどこかで会ったような気がしたんだけどな」
深くベールを被った少女の素っ気ない返答に、若者は胸がざわつく感覚を抱きながらも頷いて返す。
自分の名前だけではなく、もっと大切なものを失ってしまったように感じるもそれを証明するものは何一つない。
このまま問答を続けても無駄だと悟ったのもあるが、それ以上に若者を驚かせるものがその口を噤ませた。
案内された先で若者を待ち受けていたのは、巨大な蛇と蛸と天使を侍らせ、自らは淡い輝きを放つ木と人間が融合したような何か。
それは若者を視界に捉えた一瞬、痛ましいものを見るような表情を浮かべるもすぐさま優しい表情へと造り替える。
『こうやって人間と向かい合って話すのも久しいものです。 初めまして私は世界樹と申します、気分は如何ですか?』
「別に悪くないです。 そんなことよりこっちには聞きたいことは山ほどあって……」
『そう急かさずともよろしい。 貴方と同じ立場に立たされた者がもう一人がこちらを訪れますから』
「もう一人?」
落ち着きなく身体を動かす若者を宥めるように世界樹が言葉を紡ぐと、若者が立ち入ってきた方向とちょうど向こう側からハキハキとした高い声が届き、小麦色に日焼けした少年が一つの人影を導いてくる。
『母ちゃん、こっちも客人を連れてきたよ』
『ご苦労様でした我が子達よ』
若者を導いてきた少女とはあらゆる要素が相対する少年。
彼は若者を連れてきた少女と合流して母と呼んだ世界樹の足下へ寄ると、部屋の外で佇む人影に手招きをした。
「そう急かさなくとも逃げたりしないわ坊や」
「……!?」
少年に案内されたらしき人影が言葉を発しながら入室してきた瞬間、若者は五感の全てを“彼女”に釘付けにされた。
理由は一切分からないが、彼女を構成する全てから安心感と共に寂寥感が掻き立てられ胸が一杯になる。
そんな若者の気持ちを知ってか知らずか、現れた乙女は若者の姿を視認すると、落ち着いた足取りで側に歩み寄って行った。
「貴方が、私と同じ立場の人間なのですね」
「あ……はい! 貴女が昨日のことも思い出せないのなら多分そうです!!!」
長い濡れ羽色の髪を靡かせ、宵闇の空色の瞳を輝かせる、厳かな雰囲気を持ちながらも艶やかな体つきをした乙女。
彼女に話しかけられた途端に若者の鼓動が無意識のうちに早まり、顔がたちまち上気して挙動不審になる。
しかしそれは先方も同じのようで、麗しき乙女は微かに赤らんだ顔を隠しつつ若者にさらに近づくと、おずおずと口を開いた。
「あの、何処かでお会いしたことがありますか? どこかで貴方の顔を見たような、そんな気がするんです」
「申し訳ないですけど僕にも分からない。 でも、初めて会った気がしないのは何故か僕も同じです」
互いに全く知らない間柄であるはずが、何を思ったのか二人はそのまま自然と寄り添うと、揃って世界樹に質問を重ねる。
「これで問題はないでしょう? 知っているのなら教えて頂けませんか? 僕達が何者であり、一体何が起こったのかを」
『不完全な情報だけでよろしいなら教えて差し上げましょう。 ただその場合、永遠に貴方達の中に疑問が残ることになりますがよろしいでしょうか?』
「……どういうことです?」
曖昧な回答に疑問を抱いて乙女が首を傾げて見せると、疑問を向けられた世界樹はゆっくりと頷きながら二人の顔を眺める。
『確かに私は貴方達がどのような人生を把握してきたのかを“大まか”には知っています。 しかしそれはあくまで第三者から見た身勝手な憶測によって造られたもの。 実際に体験してきた貴方達の真なる記憶と比較しては余りにお粗末なものに過ぎません。 ……ただ、ある一人の哀れな老人だけが、貴方達自身の本当の記憶を取り戻す手段を持っています。 彼と会えばきっと貴方達の失われた記憶も戻るでしょう。 もっとも、今の彼は死に場所を求めてあらゆる次元を彷徨っているため、ただ会うだけであっても多大な危険が伴うでしょうが』
安寧か真実か、それらを二人のまえに吊り下げながら世界樹は問い続ける。
『だからこそ私は先に貴方達へ問いたかったのです。 過去を捨てて生涯を平凡な一市民として幸せに過ごすのか、それとも命を投げ出す覚悟をしてまで本当の記憶を望むのかを。 全ては貴方達の選択次第です』
侍らせた部下に次元亀裂を開かせる準備をさせつつも、世界樹当人はただうら若き男女の返答を黙って待ち続ける。
しかし彼ら二人の元となった人物のパーソナリティを考慮すれば、返答は最初から決まっていたようなものだった。
「行きます、それでこの胸のざわつきが晴れるのなら」
「私も同意見です。 この違和感の原因が分からないまま生きていくことなんて出来ない」
『……分かりました、それが貴方達の選択なら止めません。 けれども貴方達をこんな無防備な状態で送り出すのは不義理以外の何物でもない。 だから、私からちょっとした餞別を差し上げましょう』
そう言いつつ世界樹が二人の体内にそれぞれ少しずつ注いだのは、記憶を失う前まで各々が自在に行使していたピュアグロウチウムと世界樹細胞。
それらは二人の体内こそあるべき場所だったと主張するように拡大、成長し、順応していく。
「分かる、分かるぞ。 何でかは知らないけどコイツの動かし方がハッキリと理解出来る!」
「でもこれは一体……」
『これらは、かつて人が技術の粋を集めてさせて生み出した叡智の結晶。 道中危険に晒されることもあるかも知れませんが、この力があればどんな困難にも必ず立ち向かえる。 そして最後には会うべき相手の場所へ導いてくれるハズです』
若者と乙女の姿が生前の二人に限りなく似通った存在へと変わっていったことを確認し、世界樹は満足げに頷くと、鰐淵翁の痕跡が残ったどこかに繋がる次元亀裂を展開する。
『さぁ新たな旅立ちの時です。 貴方達の長い旅路に幸多くあらんことを祈っています』
「……行きましょうか」
「ええ」
新たな力と目標を与えられた男女は互いの手を握ると、世界樹の導きに従い臆することなく次元亀裂の向こう側へ足を踏み入れ、そのままこの地上から姿を消した。
『これが本当に彼らにとっての幸せだったのか?』
二人を送った次元亀裂が消滅し周囲が沈黙に包まれる中、いち早く口を開いた小麦色の肌の少年は深くベールを被っていた少女と向かい合うと、納得できないような表情を浮かべながら問う。
『なぁカルマ、本当にこれで良かったのかよ』
『いいんですよグレイス、彼らはもう“真継雪兎”でも“木乃花哀華”でもない。 限りなく近い別人に過ぎないのですから。 どこでどうなろうと関係ないことです』
名を呼ばれ、ようやくベールを脱いで素顔を晒したカルマはグレイスよりも自らに言い聞かせるよう理屈っぽく言葉を紡ぐ。
『そう、あの方は醜悪な人間共の呪縛から解放された。 だから私の会いたかったあの人はもう二度と帰らない』
雪兎が死ぬ遠因を作っておいて恥一つ知らない衆愚への憎悪を強く滾らせながら、カルマは一人悲しげに巨大な木の枝の隙間から時折覗く青空を見上げる。
文字通り命すら捧げて平和を取り戻した雪兎が見られなくなったものを目に焼き付けるように。
そうして暫しの間感傷に浸った後、カルマは無理して笑顔を作るとグレイスの手を取って世界樹の方へ向き直る。
『わざわざ踏ん切りを付けさせてくれてありがとう御座いました。 これで私達も世界崩壊以前に担っていた役割に就くことが出来ます』
だから私達に新たな任務を下さい、役割を与えて下さいとカルマは縋るように頭を下げた。
それだけが雪兎のことを忘れられる唯一のことなのだと言わんばかりに。
だが、それに対する返答はない。
『何故……何も答えてくれないのです……?』
人間の陣営に付いて戦い続けたことを不満に思われているのかとカルマは不安に駆られるも、すぐさま別の何かが原因であることに気が付いた。
先程まで普通に喋っていた世界樹が、穏やかな表情をして虚空を見上げたまま動かない。
否、それだけでなく鉄獄蛇も星海魔も蝕甚天も何故か空を見上げたまま動かない。
何か異常なことが起こっている。
カルマがそう思った瞬間、世界樹の視線の先で突如巨大な次元亀裂が展開された。
サンドマンが撒き散らした超兵器の残党や、星海魔麾下の生体戦艦が開いたものでもないアクセス元不明の亀裂。 それは瞬く間に巨大化すると二つの巨影を地上に招き入れる。
鋼鉄の龍と樹木の聖女。 この地上から完全に消滅した二機の機動兵器の面影を宿すものを。
『!?!?!?!??!?!?!?!??!?!???!?!??!???!?!?!??!?!?!?!?!?!?!?』
「存在同位体の旅立ちを確認。 どうやら大昔の私達が出て行ったすぐ後に戻ってこられたようね」
「危うくニアミスしたらどうなるもんかと思ったけど、結果オーライで良かった。 きっと僕らの普段の行いが良かったんだろう」
機体から立ち昇る圧倒的な威圧感とは裏腹に、フランクに声を掛け合う二機。
互いの死角を補うように背を向け合っていたそれらは、聞き覚えのある声を機外に放ちながらゆっくりと降りてきた。
かつてそれらに似通った機体を構成していたカルマとグレイスのすぐそばに。
『ドラグリヲ!? そんなはずがない! だって……』
「最も重要なパーツが永遠に失われた以上、同じものが生まれるはずがない。 ……だろう?」
カルマの紡ごうとした言葉を先んじて発して笑う何者か。
それは鋼の龍のコックピットを開放し、ゆっくりと降りてくる。
カルマが誰より焦がれた姿を為して。
『嘘……あの時貴方の身体は……』
「そうだ、お前の認識通り僕のオリジナルの身体は永遠に失われてしまった。 だから今の僕は肉体的には紛い物に過ぎない。 でも、この身体に宿る意志は絶対に“僕自身のもの”だと確信している。 でなければ、数え切れない程の世界線と時間を超えてまでこんな残酷な世界に帰ってきたりはしなかった」
たった今旅立った男女と入れ替わるように現れた鋼色の髪の青年は、グレイスと再会を果たした濡れ羽色の髪の乙女がそうするように膝をつくと、カルマの目線に合わせて微笑みかけ彼女の手を取った。
初めて出会ったときと同じように。
「なにせ今の僕は覚えているからな。 お前と初めて会った時から別れるまでのことを全て。……あの時、最後に名前を呼んでくれて嬉しかったぞ。 だからもう一度、お前自身の口から僕の名前を聞かせてくれ“カルマ”」
『……!』
サンドマンに報いを受けさせたあの日、半狂乱になって泣き叫んだことを知られていた事実にカルマは思わず顔を赤らめるも、手から伝わる生体電流によって誰より焦がれた相手との再会を確信すると、目を潤ませつつ本当の子供のようにはにかんで笑った。
『お帰りなさい、雪兎お兄ちゃん』
役目を終えて帰るべき肉体を失った今、それは避けられない運命だった。
辛く長い時間をかけて積み重ねてきた経験や知識、そして何気ない記憶さえも朧気になっていく。
だが、最期のブレスを発射すると共に現実から隔絶された事実は、雪兎にあらぬ懸念を抱かせていた。
「僕は……本当にやりきれたのか……?」
己が消滅しつつあることも理解しているが、無に還る恐怖よりも万が一サンドマンを殺せていなかったらという憶測が雪兎の思念に強く作用し、意識の消失を遅らせる。
勝ったと信じたい。
しかし今となってはそれを突き止める手段も無く気を揉むばかり。 最早それが自分とは関係なくなったとしても、結末だけはなんとしてでも知りたいのが雪兎の本音だった。
「もし本当に神とやらがいるのなら、気を利かせて欲しかったな……」
名ばかりは大層な傍観者へイヤミを零しつつも、雪兎は次第に眠気に誘われていく。
決して目覚めることのない眠りの先へ。
そこに一旦呑み込まれたが最後、ただ虚無に還るのみ。
だがその矢先、決して聞こえるはずのない男の声が無遠慮に響いた。
「よお坊主、良くやったじゃないか」
「はっ……、ええ?」
消えゆく雪兎の目の前に現れたのは、先に死に逝ったはずのアルフレド。
蠱毒の参加者の中でも一際特異な能力を獲得するに至っていた男は、困惑する雪兎を一人置いてベラベラと喋り倒す。
「他の連中と違って、俺だけは死んで初めて誰よりも自由になった。 これが恐らく俺が授かった力の真髄だったんだろう。 オカルトだのアルミホイルだの罵られても無理はなかったわけだ。 だが、こんな力を得たからこそ出来ることだってある」
崩れていく雪兎の精神体に手を触れつつ不敵に笑ってみせるアルフレド。
彼は何を思ったのか雪兎の左腕をノックするかのように軽く小突いてみせると、その振動に呼応して巨大な爬虫類の怪物に似た何かがぬるりと滑るように抜け出し、アルフレドの導きのままに微かな輝きへ姿を変えて手の中に収まっていく。
「まだ僕の中に居たのか……この期に及んで……」
視界の中を泳ぐ白銀の輝きを忌々しげに眺めながら、雪兎は力無く毒を吐く。
とっくの昔に吸収していたと思い込んでいた疫病神の害獣擬きを再び目にした苛立ちのあまりか、容赦なく進行していた雪兎の存在消滅が一時停止し、思わぬ形でアルフレドとの問答の暇を与えた。
「そう無碍に扱ってくれるなよ。 こいつは最期の瞬間までお前の中でずっと生き続けていたんだぜ。 お前を護るためにな」
「僕を護るため? 冗談言わないで下さい! そいつは僕の腕を喰った上に乗っ取ろうとしていたんですよ!?」
「だったら何故、こいつは最期までお前の自由意志を奪わなかった? 好機はいくらでもあったハズなのにな」
「……ッ」
反論するにも身に覚えがありすぎるのか雪兎が悔しげに牙を噛み締めて押し黙ると、アルフレドは一層イヤミに満ちた笑みを浮かべて嘯す。
「まっ、当然だろうな。 まともな神経を持ち合わせる限り、自分の兄弟になるはずだった相手を殺すことなんて出来やしないさ」
「何だと兄弟だって? ふざけるな! あのクソジジイは最後の瞬間までそんなこと白状しなかったぞ!!!」
本当かどうかも知れないことをいい加減に吹かしてみせるアルフレドに業を煮やし、雪兎は憤りを露わにして食ってかかっていく。
闇の中に溶けて消えた己の精神体の一部を無意識の内に気合いで再生させながら。
もっとも、それこそが意固地の悪い神父最大の狙いだったようで、アルフレドは虚無に向かう暗黒の中で一際激しく発光する雪兎の精神体を意地悪く眺めると、当人が気付かぬうちに暗示を仕込む。
「おーおーよく怒る怒る。 納得いかないのならまだ生きてる例のクソジジイを“さっさと探しに行け” 身に降り掛かった全ての理不尽を叩き潰し、自分が納得出来るまで“生き続けろ”」
「!!!」
クソジジイへの憎しみのあまり再び生きる意志の塊となった雪兎の精神体を一旦制御下に置き、現実世界の何者かに思念を送るアルフレド。
程なく相手から色よい返事が来たことを把握すると、以前もそうしたように目覚めの暗示を雪兎に掛けてやる。
「今から三つ数えた後、お前は再び光ある世界で目覚める。 お前の身体に宿っていたこの命と、お前が重ねてきた記憶と引き換えにな」
「え……?」
暗示を掛けられた矢先、身体中に漲っていた力と感覚が曖昧になっていくのを自覚する暇も無く、雪兎の意識はかつて半身だった輝きに導かれ、光の中へと連れられていった。
深い闇の中にアルフレドをただ一人残して。
「何がどうなって……」
「さっさと行け、まだお前が居るべき場所へ」
何をされたのも分からぬまま、雪兎の精神体はアルフレドの暗示が導くままに虚無の淵から流れ流され、その果てに何やら妙な液体の中で目が覚めた。
勿論そんな場所で呼吸など出来るはずもなく、起き抜け早々雪兎はパニックに陥ると、必死に逃げ場を求めて泳ぎ出す。
「んぅううううおおおお!」
悔いしか残らない死に方は御免だと言わんばかりに雪兎は気合い一本で壁際まで到達すると、全力で手足を振り回して自分を封じ込めていた物を易々と粉砕した。
透明なよく分からないものによって形成されていた謎の立方体から解放された瞬間、雪兎の身体は激流に呑まれた木の葉よろしく流れに翻弄され、数秒後には陸に打ち上げられた魚のように無様に地を舐める。
だが当然大人しく寝続けるつもりはないとばかりに跳ね起きると、明らかに異常な空間であるここが何処であるのかを知るべく動き出す。
「何なんだよここは……、誰だよこんなところに連れてきやがったのは……」
『さぁ本当に誰なんでしょうね。 まぁそもそもの話、貴方こそ誰なのかという疑問の方が私は強かったのですが』
「……!?」
誰も居ないと思っていた場所で愚痴を吐く雪兎を見とがめたのは、素顔が見えないほど深いフードを被って佇んでいた金髪の少女。
彼女は雪兎に向かって他人行儀に礼をすると社交辞令のように言葉を紡ぐ。
『おはよう御座います、気分は如何ですか?』
「最悪だよ! 目が覚めたと思ったらこんな訳の分からない水槽にぶち込まれてるし!」
口に入り込んだネバネバした何かを吐き出しつつ雪兎は分かりやすく不満を露わにしてみせると、黙って渡されたタオルで身体を拭い、部屋の隅にこれ見よがしに置かれていた見覚えのある服に袖を通す。
「それに僕が誰だなんて妙なことを言うじゃないか。 自分の名前が言えないほど僕は……」
少女が無愛想に言い放った言葉が引っかかりを感じたのか、雪兎は咄嗟に己の名前と過去の経歴を答えようと軽く思案を巡らせる。
……が、その瞬間に愕然として己の両手に視線を落とした。
「えーと……僕は……僕は……誰だ?」
思い出せない。 自分の名だけでなく、自分の生い立ちも、つい最近何をやっていたのかも思い出せない。
雪兎……否、かつて雪兎だった若者は顔面を表情を歪めて必死に何かを思い出そうとするも、激しい頭痛が起こるばかりで一切過去に思いを巡らせることが出来なかった。
そんな若者の苦心など露知らず、金髪の少女は若者が着替え終わったのを確認すると一歩先に部屋の外へ出る。
『準備が出来たらこちらへ、我らの慈母“世界樹”が貴方との対面を所望しています』
「……その慈母とやらは僕のことを知っているのか?」
『はい、多少は』
「だったらいいえなんて言う訳がないさ」
深く被ったフードの中から澱んだ蒼い輝きを垣間見せる少女の求めに従い、若者はゆっくりと部屋の外へ出るとそのまま少女の先導に合わせてついて行く。
人工物と自然物が幾多に絡み合った不思議な空間の中を。
数多の鳥の囀りや虫の鳴く声に包まれて行く道中、若者はふと自らを導いてくれる少女に興味を抱いた。
聞きたいことは山のようにあって尽きないが、それ以上の引っかかりが若者の口を開かせる。
「あの、どこかであったことはあるのかな? もし知ってるなら僕の名前を教えてくれると助かるんだけど」
『いいえ存じません。“今の貴方”と私は初対面ですから』
「……そうか、確かにどこかで会ったような気がしたんだけどな」
深くベールを被った少女の素っ気ない返答に、若者は胸がざわつく感覚を抱きながらも頷いて返す。
自分の名前だけではなく、もっと大切なものを失ってしまったように感じるもそれを証明するものは何一つない。
このまま問答を続けても無駄だと悟ったのもあるが、それ以上に若者を驚かせるものがその口を噤ませた。
案内された先で若者を待ち受けていたのは、巨大な蛇と蛸と天使を侍らせ、自らは淡い輝きを放つ木と人間が融合したような何か。
それは若者を視界に捉えた一瞬、痛ましいものを見るような表情を浮かべるもすぐさま優しい表情へと造り替える。
『こうやって人間と向かい合って話すのも久しいものです。 初めまして私は世界樹と申します、気分は如何ですか?』
「別に悪くないです。 そんなことよりこっちには聞きたいことは山ほどあって……」
『そう急かさずともよろしい。 貴方と同じ立場に立たされた者がもう一人がこちらを訪れますから』
「もう一人?」
落ち着きなく身体を動かす若者を宥めるように世界樹が言葉を紡ぐと、若者が立ち入ってきた方向とちょうど向こう側からハキハキとした高い声が届き、小麦色に日焼けした少年が一つの人影を導いてくる。
『母ちゃん、こっちも客人を連れてきたよ』
『ご苦労様でした我が子達よ』
若者を導いてきた少女とはあらゆる要素が相対する少年。
彼は若者を連れてきた少女と合流して母と呼んだ世界樹の足下へ寄ると、部屋の外で佇む人影に手招きをした。
「そう急かさなくとも逃げたりしないわ坊や」
「……!?」
少年に案内されたらしき人影が言葉を発しながら入室してきた瞬間、若者は五感の全てを“彼女”に釘付けにされた。
理由は一切分からないが、彼女を構成する全てから安心感と共に寂寥感が掻き立てられ胸が一杯になる。
そんな若者の気持ちを知ってか知らずか、現れた乙女は若者の姿を視認すると、落ち着いた足取りで側に歩み寄って行った。
「貴方が、私と同じ立場の人間なのですね」
「あ……はい! 貴女が昨日のことも思い出せないのなら多分そうです!!!」
長い濡れ羽色の髪を靡かせ、宵闇の空色の瞳を輝かせる、厳かな雰囲気を持ちながらも艶やかな体つきをした乙女。
彼女に話しかけられた途端に若者の鼓動が無意識のうちに早まり、顔がたちまち上気して挙動不審になる。
しかしそれは先方も同じのようで、麗しき乙女は微かに赤らんだ顔を隠しつつ若者にさらに近づくと、おずおずと口を開いた。
「あの、何処かでお会いしたことがありますか? どこかで貴方の顔を見たような、そんな気がするんです」
「申し訳ないですけど僕にも分からない。 でも、初めて会った気がしないのは何故か僕も同じです」
互いに全く知らない間柄であるはずが、何を思ったのか二人はそのまま自然と寄り添うと、揃って世界樹に質問を重ねる。
「これで問題はないでしょう? 知っているのなら教えて頂けませんか? 僕達が何者であり、一体何が起こったのかを」
『不完全な情報だけでよろしいなら教えて差し上げましょう。 ただその場合、永遠に貴方達の中に疑問が残ることになりますがよろしいでしょうか?』
「……どういうことです?」
曖昧な回答に疑問を抱いて乙女が首を傾げて見せると、疑問を向けられた世界樹はゆっくりと頷きながら二人の顔を眺める。
『確かに私は貴方達がどのような人生を把握してきたのかを“大まか”には知っています。 しかしそれはあくまで第三者から見た身勝手な憶測によって造られたもの。 実際に体験してきた貴方達の真なる記憶と比較しては余りにお粗末なものに過ぎません。 ……ただ、ある一人の哀れな老人だけが、貴方達自身の本当の記憶を取り戻す手段を持っています。 彼と会えばきっと貴方達の失われた記憶も戻るでしょう。 もっとも、今の彼は死に場所を求めてあらゆる次元を彷徨っているため、ただ会うだけであっても多大な危険が伴うでしょうが』
安寧か真実か、それらを二人のまえに吊り下げながら世界樹は問い続ける。
『だからこそ私は先に貴方達へ問いたかったのです。 過去を捨てて生涯を平凡な一市民として幸せに過ごすのか、それとも命を投げ出す覚悟をしてまで本当の記憶を望むのかを。 全ては貴方達の選択次第です』
侍らせた部下に次元亀裂を開かせる準備をさせつつも、世界樹当人はただうら若き男女の返答を黙って待ち続ける。
しかし彼ら二人の元となった人物のパーソナリティを考慮すれば、返答は最初から決まっていたようなものだった。
「行きます、それでこの胸のざわつきが晴れるのなら」
「私も同意見です。 この違和感の原因が分からないまま生きていくことなんて出来ない」
『……分かりました、それが貴方達の選択なら止めません。 けれども貴方達をこんな無防備な状態で送り出すのは不義理以外の何物でもない。 だから、私からちょっとした餞別を差し上げましょう』
そう言いつつ世界樹が二人の体内にそれぞれ少しずつ注いだのは、記憶を失う前まで各々が自在に行使していたピュアグロウチウムと世界樹細胞。
それらは二人の体内こそあるべき場所だったと主張するように拡大、成長し、順応していく。
「分かる、分かるぞ。 何でかは知らないけどコイツの動かし方がハッキリと理解出来る!」
「でもこれは一体……」
『これらは、かつて人が技術の粋を集めてさせて生み出した叡智の結晶。 道中危険に晒されることもあるかも知れませんが、この力があればどんな困難にも必ず立ち向かえる。 そして最後には会うべき相手の場所へ導いてくれるハズです』
若者と乙女の姿が生前の二人に限りなく似通った存在へと変わっていったことを確認し、世界樹は満足げに頷くと、鰐淵翁の痕跡が残ったどこかに繋がる次元亀裂を展開する。
『さぁ新たな旅立ちの時です。 貴方達の長い旅路に幸多くあらんことを祈っています』
「……行きましょうか」
「ええ」
新たな力と目標を与えられた男女は互いの手を握ると、世界樹の導きに従い臆することなく次元亀裂の向こう側へ足を踏み入れ、そのままこの地上から姿を消した。
『これが本当に彼らにとっての幸せだったのか?』
二人を送った次元亀裂が消滅し周囲が沈黙に包まれる中、いち早く口を開いた小麦色の肌の少年は深くベールを被っていた少女と向かい合うと、納得できないような表情を浮かべながら問う。
『なぁカルマ、本当にこれで良かったのかよ』
『いいんですよグレイス、彼らはもう“真継雪兎”でも“木乃花哀華”でもない。 限りなく近い別人に過ぎないのですから。 どこでどうなろうと関係ないことです』
名を呼ばれ、ようやくベールを脱いで素顔を晒したカルマはグレイスよりも自らに言い聞かせるよう理屈っぽく言葉を紡ぐ。
『そう、あの方は醜悪な人間共の呪縛から解放された。 だから私の会いたかったあの人はもう二度と帰らない』
雪兎が死ぬ遠因を作っておいて恥一つ知らない衆愚への憎悪を強く滾らせながら、カルマは一人悲しげに巨大な木の枝の隙間から時折覗く青空を見上げる。
文字通り命すら捧げて平和を取り戻した雪兎が見られなくなったものを目に焼き付けるように。
そうして暫しの間感傷に浸った後、カルマは無理して笑顔を作るとグレイスの手を取って世界樹の方へ向き直る。
『わざわざ踏ん切りを付けさせてくれてありがとう御座いました。 これで私達も世界崩壊以前に担っていた役割に就くことが出来ます』
だから私達に新たな任務を下さい、役割を与えて下さいとカルマは縋るように頭を下げた。
それだけが雪兎のことを忘れられる唯一のことなのだと言わんばかりに。
だが、それに対する返答はない。
『何故……何も答えてくれないのです……?』
人間の陣営に付いて戦い続けたことを不満に思われているのかとカルマは不安に駆られるも、すぐさま別の何かが原因であることに気が付いた。
先程まで普通に喋っていた世界樹が、穏やかな表情をして虚空を見上げたまま動かない。
否、それだけでなく鉄獄蛇も星海魔も蝕甚天も何故か空を見上げたまま動かない。
何か異常なことが起こっている。
カルマがそう思った瞬間、世界樹の視線の先で突如巨大な次元亀裂が展開された。
サンドマンが撒き散らした超兵器の残党や、星海魔麾下の生体戦艦が開いたものでもないアクセス元不明の亀裂。 それは瞬く間に巨大化すると二つの巨影を地上に招き入れる。
鋼鉄の龍と樹木の聖女。 この地上から完全に消滅した二機の機動兵器の面影を宿すものを。
『!?!?!?!??!?!?!?!??!?!???!?!??!???!?!?!??!?!?!?!?!?!?!?』
「存在同位体の旅立ちを確認。 どうやら大昔の私達が出て行ったすぐ後に戻ってこられたようね」
「危うくニアミスしたらどうなるもんかと思ったけど、結果オーライで良かった。 きっと僕らの普段の行いが良かったんだろう」
機体から立ち昇る圧倒的な威圧感とは裏腹に、フランクに声を掛け合う二機。
互いの死角を補うように背を向け合っていたそれらは、聞き覚えのある声を機外に放ちながらゆっくりと降りてきた。
かつてそれらに似通った機体を構成していたカルマとグレイスのすぐそばに。
『ドラグリヲ!? そんなはずがない! だって……』
「最も重要なパーツが永遠に失われた以上、同じものが生まれるはずがない。 ……だろう?」
カルマの紡ごうとした言葉を先んじて発して笑う何者か。
それは鋼の龍のコックピットを開放し、ゆっくりと降りてくる。
カルマが誰より焦がれた姿を為して。
『嘘……あの時貴方の身体は……』
「そうだ、お前の認識通り僕のオリジナルの身体は永遠に失われてしまった。 だから今の僕は肉体的には紛い物に過ぎない。 でも、この身体に宿る意志は絶対に“僕自身のもの”だと確信している。 でなければ、数え切れない程の世界線と時間を超えてまでこんな残酷な世界に帰ってきたりはしなかった」
たった今旅立った男女と入れ替わるように現れた鋼色の髪の青年は、グレイスと再会を果たした濡れ羽色の髪の乙女がそうするように膝をつくと、カルマの目線に合わせて微笑みかけ彼女の手を取った。
初めて出会ったときと同じように。
「なにせ今の僕は覚えているからな。 お前と初めて会った時から別れるまでのことを全て。……あの時、最後に名前を呼んでくれて嬉しかったぞ。 だからもう一度、お前自身の口から僕の名前を聞かせてくれ“カルマ”」
『……!』
サンドマンに報いを受けさせたあの日、半狂乱になって泣き叫んだことを知られていた事実にカルマは思わず顔を赤らめるも、手から伝わる生体電流によって誰より焦がれた相手との再会を確信すると、目を潤ませつつ本当の子供のようにはにかんで笑った。
『お帰りなさい、雪兎お兄ちゃん』
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