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2章、取り戻すために

19話、黒いオーガ

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 何度も何度も洗う。

 見たもの全てが羨むに違いない、真っ白で透き通るような美しい肌が悲鳴をあげていた。まるでシルクのようですらあるその肌が、見るも無残に真っ赤に染まっていても擦るのを辞めないアンリエッタがそこにいた。
 
『あの男に触れられた』
『気持ち悪い』
 
 アンリエッタと同じ立場の、決して奴隷では無いが売られていく女性達。未だ借り手がつかず残っていた女性が数人、浴室で必死にアンリエッタをいさめている。
「やめなさい、血が出てしまうわよ?」
「もう綺麗になったから、お願い、やめて?」
 
 ◆◆

 はぁはぁ。
 懸命に走るが痛みで息が上手く出来ない。
 出血の多さからか、視野が歪み狭窄も始まった。これはまずいぞ。
 何もかもマリーさんの言う通りだった。

 ◇◇ 
 
 あのことがあってから、リヨンへは戻らずひたすら大森林で狩り続けている。
 それでもな? 最初の3日目までは順調だったんだよ。
 ゴブリンやコボルト、バグベアを狩ってた辺りまでは良かったんだ。
 殲滅し回収が終われば休み、全滅させては回収ののち休む。
 そんな事を繰り返していると当然魔物は枯渇し始める。当然だろ? 冒険者は俺だけじゃないんだ、日が開ければ一般の冒険者も狩りに出て来る訳だからな。

 自然と足は大森林の奥へと向かってしまう。
 表層では取り繕っていたが、枯渇し始めた狩場に苛立ってたのかもしれない。
 
 この辺りまで進むと現れる魔物は先ほどとは随分代わり、オークにダイアウルフ、ジャイアントスパイダーや、稀にオーガやキラービーなども現れ、意外と種類が多いことに驚かされる。
 ところで魔物が多いからなのか? 獣が少ないのだが奴らは一体何を食べてるのだろう。奴らが食うから獣が少ないのか? あるいは元々少ない地なのか? これはちょっとした俺の疑問だった。
 
 表層とは違い、多種多様な魔物が現れる大森林中層域だけれど。
 こんな所では負けやしない。
 父さんやアンリエッタさんに鍛えてもらった日々、ー治療ーインターヴェンション をかけ続け強化された俺は、この辺りの魔物ですら何ら問題なく倒していく、倒して行けた。

 問題はこの奥だったのだ。
 先日マリーさんが、冒険者を初めて間もない俺へと贈ってくれた金言の数々。
『一人では無茶をしないで』
『準備は入念になさい』
『よくわからない時は退がるのが鉄則よ』
 俺は何を聞いていたんだろう……。

 ◇◇

 木々に深く覆われた大森林の闇の深さがわかるか?
 濃すぎる木々は星空をも隠す。

 光りが存在しない漆黒の闇、世界の全てが墨で塗りつぶされたかのような黒。
 あまりの暗さに恐れをなした俺は、魔法 ートーチ灯火ー を唱え灯りをつけてしまう。

 これが地獄の幕開けだったのだ。
 漆黒が支配する闇のなかへ、ポツンとともるただ一つのあかり。
 深く考えずに行った、ただ一度の浅はかな行動が地獄へ道標を作ってしまったかのように、灯りを目指して魔物は狂ったように進む。
 斬っても斬っても途切れず、迫りくる魔物の数々。
 父の形見の刀身が魔物の血で真っ赤に染まっても、その身が無数の返り血でドス黒く変色しようとも、無心に突き、薙ぎ、そして払う。決して斬る事を辞めない。
『俺にとっても、お前ら魔物達にとってもここは地獄だ』
『なぁ、そうだろ?』
  
 暗闇の中 ートーチ灯火ー を使ったのが原因なのだろう?
 くくく、ならもう遠慮する必要はないな。
 次々に迫りくる魔物に遠慮なく ーフレイムバード蒼い炎鳥ー をぶち込んで行く。
  フレイムバード蒼い炎鳥 が魔物を業火で包み、その余りある熱は森の木々さえも燃やしていた。その炎の灯りが魔物を更に呼び寄せる。
 この場所はまさに百鬼夜行ならぬ、百鬼夜攻のただ中だった。

 漆黒の闇の中をバチバチと爆ぜる火の粉に燃える木々。
 暗すぎた闇を払うかのように赤く激しく燃え、もう灯りに苦心する事は無い。
 どれだけの時間狩り続けのだろうか。
 地には数えきれない程の、無数の魔物の死骸が横たわっていた。
 付近一帯の魔物を狩りつくしたか?

 永遠に続くのでは? と思わせる程に続いた魔物の襲来がピタリと止む。
 ふぅ、ようやく小休止を挟むことが出来るな。
『魔石も集めなきゃ』
 あまりの数にげんなりするも、これが収入の肝である以上頑張るしかない。
 少しの水を飲み、少しの休憩を挟んだあと、無残に横たわる死骸から魔石を取り出して行く。

 バキ、ミシッ
 そこへ現れた1体の魔物。
 漆黒の闇が具現化したかのような真っ黒な魔物が、燃えるような赤い目で俺を見ていた。

「まさか……」
 縄張りを犯した敵を排除するためか、深夜に見つけた獲物への歓喜の声かはわからないが、黒い魔物は突如空へ向けて咆哮を放つ。
「黒いオーガだと!? お前まさか……」
 ダマスカスソードを握る手に自然と力が入る。

「お前が父さんをやったのかーっ」
「うおおおお」
 疲弊した体をものともせず、全身の筋肉をばねのようにしならせ猛スピードで黒いオーガへと向かう。
 
 瞬動一閃しゅんどういっせん
 黒オーガに瞬きする暇さえ与えない、必殺の高速の一撃はあまりにも歪で、巨大すぎる斧に堰き止められてしまう。
「おいおい、まるで大盾じゃねえか……」
 そのまるで大盾のような大戦斧が、横に少し向きを変えると同時に、空気を切り裂く轟音と共に俺を襲う。
 くそっ。
 間合いに慣れない俺は、奴の怒号のような一撃を躱すのが精一杯だった。
 それにしてもデカすぎる。
 中央に大きく大戦斧を構えられると、攻撃できるポイントが減ってしまう。
 そして俺は奴の間合いにまだ慣れていない。
 慣れてないから、思い切って踏み込めない。
 高速の太刀筋を次々にお見舞いしていくが、腰が入らない一撃は軽い。
 奴の硬い皮を薄く切っていくだけだった。

 これでは埒が明かないな。
 後ろへ大きく飛び意識を集中する。
 奴もまた見慣れぬ戦いをする俺を、警戒しているのだろう。
 俺の様子を伺っていた。
 
「行け! ーフレイムバード蒼い炎鳥ー 敵を燃やし尽くせ!」
 紡錘状になった蒼い業火が、まるで蒼い炎の鳥のように姿を変え奴に襲いかかる。
 勝ったか?
 いまだかつて、これで燃えなかった相手はいない。
 ゴオォォ
「嘘だろぉ!?」
 その大きすぎる大戦斧を怪力で振るい、『蒼い炎鳥』を面で捉えて打ち消しやがった。そうまるで巨大な団扇うちわのようにだ……。

「どれだけ怪力なんだよ」
「──斬るしかないってことか」
 間合いに慣れ始めた俺は、先ほどより半歩、今より一歩と、奴が放つ死の領域へ恐れる事無く歩を前へ刻んでいく。
 当初は軽く浅い一撃だった俺の攻撃が、今ではしっかりと奴を捉え斬り刻んでいる。斬られる度に赤い鮮血をまき散らし、醜い形相を痛みでさらに醜く歪ませている黒いオーガ。

 ガアアァァァ。
 空へ向け、再び怒号の様な咆哮を放った。
 僧帽筋や三角筋に上腕筋、所謂いわゆる肩回りや腕周りと言われる筋肉がボコボコっと異様に膨れ、眼は真っ赤に血走り奥歯を軋ませている。

 闇が具現化したような漆黒の魔物。
 黒すぎるその体色、体毛により傷の深さがいまいち把握しづらいが、膨れ上がった筋肉は傷を塞ぎ出血も止めてしまったように見える。
 
 その様相から、間もなく奴の全てを乗せたような一撃が放たれるのだろう。

 これは勝機だ、死地の中にこそチャンスがある。
 必殺の一撃なればこそ、躱せばそこに大きな隙が生まれるはずだ。
  
 神経を研ぎ澄ませ集中しろ、奴の一挙手一投足を見逃すな。
 踏み込んだ右足が大地を軋ませ、握りしめた両手はミシミシと不穏な音を立てながら、俺の体を両断するが如く奴の渾身の一撃が振り下ろされる。
 いつものような最小の動きでは駄目だ。
 全てを乗せた奴の一撃は地を大きく揺らし、空を切った大戦斧の衝撃波で体制を崩してしまうかもしれんッ! とっさの機転により後ろへ大きくジャンプして奴の渾身の一撃を回避する。斬る対象を見失い、空を切った奴の大戦斧は地へとめり込み、この戦いで最大の隙を見せた。

「ここだっ!」
 全身の筋肉に鞭を入れ、奴の元へ神速の速度で向かおうとする刹那。
「何ッ?」
 突然の横からの豪打を反射的に刀身で受ける。
 メキメキィ
 ドゴォォン

 飛ばされた勢いで木を数本なぎ倒し、一際大きな巨木の幹に身を打ち付けていたのは奴では無くて、俺だった……。
「くそ、一体何が起きた?」
 背を中心にあちこちを強打して動けない、呼吸が出来ない。
 ガアアァァァ。
『俺を殺すのは今だ』と言わんばかりに雄たけびをあげ追撃に迫る黒いオーガ。
 まずい。呼吸が出来ず体も動かない。
 死を予感した俺の脳裏へ一瞬浮かんだのは、アンリエッタさんの笑顔だった。
『俺はこんな所では死ねないんだぁぁぁ』

 必死に体を動かし、すんでの所で受け流す。
 ただ相手は巨体で剛力の黒オーガだ、受け流しは衝撃も大きい。
 先ほどのダメージと、受け流しの反動で体が泳いでしまう。
 そして、よろめいたその先にはもう1体の黒オーガがいた。

 絶好のタイミングに、俺へ、死角からの一撃をくれやがった奴だ。
 ドォン! と奴の大戦斧が地へと降ろされた瞬間、俺の肩口から胸はパクリと割れ血飛沫が空に舞う。
「し、しまった……」
 俺はここで死ぬのか……。
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