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翌日、目が覚めて、最初に感じたのは「身動きが取れない」ということだ。



「あれ?」



横を見て思わず悲鳴を上げてしまいそうになった。

目の前いっぱいに端正な顔。北村が横で眠っている。しかも俺を抱きしめた状態で。



(め、珍しい)



朝起きて北村がいたのは初めてのことだった。



(昨日明け方までヤッてたもんな)



昨日は回数を決めることもなく、数えきれないほどしてしまった。

傷心を紛らわせるようなセックスを求めてしまって後ろめたいが、北村はいつになく興奮した様子だった。



いつもは舐めないような場所まで舐められたし、とんでもない恰好もさせられたし、色々と思い出して恥ずかしくなり顔を覆った。



起こさないようにそっとベッドを抜け出すと、服を着替えて重い体を引きずるようにしてバスルームまで行ってシャワーを浴びた。



バスルームから出てきても、北村はまだ眠っている。

どうしようかと思いながらも、とりあえず二人分の朝食を用意することにした。

パンを二枚焼き、ハムエッグを二つ。それからサラダを作っているとようやく目を覚ましたらしい北村が珍しく慌てた様子でこちらにキッチンに近づいてきた。



「すみません、眠ってしまったみたいで」



寝ぐせの残る髪を掻きながらバツの悪そうな顔をしていると、いつもと全然違って少し幼く見える。



「……別に、まだ寝てていいぞ。今日何にも予定ないし。あ。メシ一応作ったけど、いる?」

「いいんですか!?」

「ああ。一人分作るのも二人分作るのも変わらないし。昨日の礼とお詫び……にしてはしょぼいけど」



今度何かちゃんとお詫びの品を用意しようと思った。



「篠崎さんの手料理が食べられるなんて、今日は人生最良の日です」

「からかってるのか? いいからほら、座れ」



椅子を引きながら促すと、北村は座らずに言った。



「じゃあ俺、その前にコーヒー淹れます」

「ありがと。その棚にインスタントの粉入ってるから」



すると、北村は頷いて、慣れた手つきでコーヒーを入れ始めた。良い喫茶店のバリスタのようで半裸でも様になるが、視線を下にずらすと黒いジーンズに縫い付けられた刺繍の派手な龍と目が合う。

貧乏大家族の末っ子とは意外だった。きっと会社の人々も誰も信じないだろう。



「……身体大丈夫ですか? すみません。優しくするって約束したのに5回もして無理させてしまって」



そんなにしたっけと、頬が熱を持つ。

だが確かに、2、3回ではなかったのは覚えている。

空っぽになった性器を尚も舐められて、もう無理だと泣いて音を上げていたような気がする。



「だ、大丈夫。ほら、冷めないうちに食べよう」



コーヒーの匂いと朝食の匂いが混ざる食卓で、向かい合って無言で食べ始める。



「美味いです」

「焼いただけだけどな」



美味いも何もないだろうと思うが、口に合ったようで良かった。



「北村は目玉焼きって醤油派? ソース派?」

「塩派です」

「だよなー。俺もシンプルisベスト派。前に松倉がケチャップとマヨネーズ両方ぶっかけてたから驚いちゃってさ。一口貰ったらそれはそれで美味かったからどうこういうつもりはないんだけど、やっぱり目玉焼きは塩がいいよな」

「……え?」

「え?」



突然不穏な雰囲気になり、たじろいだ。



「食ったんですか? 松倉と? 朝食を一緒に?」

「いや、松倉が終電逃して家に泊めてやった時、朝メシ出してやっただけ」

「……」



ますます立ち込めた不穏な気配に思わず謝る。



「ごめん」

「なんで謝るんですか」

「いや、ほら……俺達セフレだし、目玉焼きは塩派とか、そういう余計な話はしない方がいいよなって。俺話つまんないし。……この間ソシャゲの話したときも、なんか怒ってただろ」



営業トークは結構うまい方なんだけどなぁと苦笑いをしていると、北村はコーヒーを飲みながら少し目を逸らして言った。



「別に怒っては……いや、怒ってましたね。俺の身勝手な怒りです。篠崎さんの話がつまんなくて怒ってたとかじゃ全くないですよ。むしろ永遠に話していて欲しいです。篠崎さんの声が好きすぎて目覚ましのボイスに設定してるぐらいなんで」

「は、はぁ!?」



何を言われたのか全く理解が出来ず、素っ頓狂な声を上げた。



「……ただ、ベッドの中で、他の男の名前出されるの嫌だったんです」

「え? 他の男??」



何の話だと言わんばかりに首を傾げると、北村がまどろっこしそうに言った。



「松倉の名前、連発しましたよね」

「ああ。そういえば……松倉がどうかしたのか?」

「よく松倉とメシ行ってますよね?」

「うん。俺一応あいつの指導係だし、担当エリアも近いから時間が合う時はよくご飯とか飲みとか行くんだ。あいつ色んな店知ってるから」

「……会社で一番仲良さそうですよね」

「まー、仕事以外でも仲良いって言ったらあいつぐらいかもな」

「だから嫌なんですよ。篠崎さんの口から松倉の名前が出てくるの。端的に言えば松倉への嫉妬です。篠崎さんが指導係とかずるすぎませんか?」

「な、なにが?」



どういうことだ。全く訳が分からないまま、フリーズしてしまった。



「引きましたか?」

「引いたっていうか……信じられないというか……色々。なんか、いつも落ち着いてるお前がそんな風に嫉妬とか信じられないっていうか……」



そもそも、なぜ松倉に嫉妬するのかもわからない。ただのセフレなのに。

嫉妬するということはつまり、そういうことなのだろうか。

まるで期待のように膨らみかけた感情を押し込んだ。

嫉妬するのが恋愛だけとは限らない。



「俺ってそんなに落ち着いて見えますか?」



北村はいつも落ち着いている。落ち着いて、俺のことをよく見て、考えてくれている。職場でもそう評価されている。

頷くと、彼は溜息を吐いた。



「俺結構余裕ないですよ。いつも。……あの時も」

「あの時?」

「新入社員の時。周りに勝手に期待されて、いきなり重い案件いくつも振られていっぱいいっぱいで。それでも新人だから雑用もこなさないとで、でかい会議の準備ほぼ一人でやって。資料の原稿上がってくるのはいつもギリギリだし、あんまり顔に出ないタイプだけどかなりテンパってました。いつも俺を持ち上げてる女子達も〝頑張って〟って応援してくれたりお菓子とかくれたりするけど手伝ってはくれないんですよ。みんな朝は自分の仕事で忙しいし、手突っ込んだら大変なことに巻き込まれるのが分かってるんでしょうね。だからあの時……篠崎さんが自分も忙しそうな中、迷いなく手伝ってくれるのが本当にありがたかったんです。……篠崎さんはすっかり忘れていたみたいですが」



チクリとしたトゲのような物を感じて顔を逸らす。



「いや、俺も新人の頃営業会議の準備結構きつかったからさ。俺の場合は同じ課に配属の同期がいたから分担できたけど、経営企画の新人はお前一人だったもんな。意外と大変なんだよな。あれ」

「はい。本当にあの時は感謝しかありませんでした。……しかも顔もドタイプで」

「え?」

「二人きりでコピー機かけてるとき、いつもドキドキしてたんです。覚えてませんか? 21階のコピー室」

「あー……」



『下の階のコピー機の方が印刷速度早いからあっち行こう。目立たないせいかみんなあんまり使ってないけど実はあそこのコピー機が一番最新型なんだ。広まると混んじゃうから、内緒だぞ』



そう言って、まだ初々しい新人の北村を連れて21階に走って急いで印刷をかけたことをふと思い出した。
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