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1巻
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しおりを挟む第一章 突然の異世界転移
私――鈴原優衣は本当に不運だ。
身寄りはなく、両親の顔も知らない。
預けられていた施設では、里親になってくれる人も現れなかった。
いい感じで話が進んでも、どういうわけか必ず直前になって別の子が候補に上がり、引き取られていくのだ。
そんなことを何度か繰り返しながら施設で過ごし、私は中学三年生になった。「将来のことを考えて、なにか資格が取れるほうがいいだろう」と先生にすすめられた進路は、商業高校。
「商業高校では簿記の資格が取れるし、就職にも有利になる」
そう言われて、私は商業高校に入った。
まあ、頭がいいわけじゃなかったから、高校での成績はよくて中の下といったところ。
それでも、いくつかの資格をなんとか取って卒業できたし、ない頭で試験と面接対策を頑張った結果、就職することもできた。
入った会社には独身寮もあって、住むところにも困らない。
会社ではいじめられもしたし意地悪もされたけど、そんなのは些細なことだと考えていた。不運な私の人生も少しだけ上向き始めたのかな、と思ったから。
だけど、そこで働き始めて丸七年が経とうとしていた先日、不況の煽りを受けて会社が倒産した。
いや、正しくは会社を継ぐ予定だった社長子息がいくつかポカをやらかし、倒産してしまったのだ。
さらに会社からは、給料が払えないと言われるはめに。だけどこっちも生活がかかっている。
先輩たちが中心になって社長や社長子息を相手どって訴えるとか、労働基準監督署だかに話すとかなんとか言っていたので、私も手伝うことにした。
多少の貯金があるとはいえ、今の世の中なにがあるかわからないから、お金はあったほうがいいし。
こういうとき、彼氏とか恋人がいれば心強かったんだろうけど、そんな人はいなかった。
憧れていた人はいたけど、遠い存在だったし、たぶん私は認識すらされていなかったと思う……一方的に見ていただけだから。
そんな中、引っ越しの準備もしなきゃと、不動産屋にも出かけた。
けれどちょうど引っ越しシーズンでいい物件はすでに埋まっていて、これというものが見つからない。
その日は部屋探しを諦めて帰ってからネットで探すことにし、仕事も見つけなきゃとハローワークに行って求職情報の利用申請をした。
――その帰り道、異変が起こった。
寮へ向かう道を歩いていたら、なにかに蹴躓いて転んでしまった。
「いったぁ! って…………はい!?」
手をついた地面の柔らかい感触に驚いて声を上げる。
私が歩いていたのは、アスファルトの歩道だったはずだ。
こんな、草や土が剥き出しの道路ではなかった。
いきなりのことで頭が混乱する。
「なんで……?」
ポツリと呟いたところで、誰かが答えてくれるわけでもない。
なにか情報はないかと周囲を見渡せば、だだっ広い草原と、その向こうに木々があって、頭上には大小ふたつの太陽があった。
太陽がふたつあるからなのか、顔や手に当たる日差しが痛い。
なんというか、五月くらいの、初夏の日差しに近いまぶしさだ。
ひとまず日陰に移動しようと、立ち上がって手と膝の汚れを払い、木々があるほうへと歩き始める。
少し歩くと木が何本か立ち並ぶ場所に着いたので、背負っていたリュックから水筒を出し、麦茶を飲んでひと息ついた。
ここはいったいどこなんだろう……?
どうして私はこんなところにいるんだろう?
そう思っても、人影がないから聞くこともできない。
溜息をついてふと傍らに目をやると、見たことのある植物が視界に入った。
それはミントの中でも香りが強い、ペパーミントだった。
混乱している頭をスッキリさせたくて、ひとつ摘もうと手を伸ばす。するといきなりピロリン♪ と音が鳴って、目の前にパソコンのような、スマホのような、半透明の画面が出てきた!
なにこれ!?
その画面には、次のようなことが表示されていた。
【ミント】
薬草
ポーションの材料のひとつ
そのまま、または乾燥させて粉にしたものを、他の薬草と混ぜ合わせるとポーションになる
生の葉っぱをお茶に浮かべて飲むこともできる
「……マジか!」
なんだこれは。どうしてこんなものが目の前に浮かんでるの?
そもそも、どんな原理でこんなのが出るの?
まるでゲームや小説みたいだ。
そこで、一旦冷静になって考える。
小説とかだと、こういうときはいきなり魔物に襲われたりするのがセオリー。
まさか、そんなことはないよね?
移動したほうがいいのかな?
だけど、見知らぬ土地で下手に動いて、余計に危険な場所に迷い込みでもしたら目も当てられない。
さっきから人影もまったくないし、不安ばかりが募ってくる。
本当にどうしよう……と途方に暮れていたら、スマホの着信音が鳴った。
それはメールの着信音だったので、それだけで少し安心して息をついた。
メールが届くのだから、ここは日本のどこかで、これはなにかのアトラクションに違いない、と現実逃避をしつつ、コートのポケットからスマホを出して画面を見る。
すると画面右上のアイコンは圏外であることを示していて驚いた。
圏外になっていたらメールは受信しないはずなのに……
そんなことを考えながら、恐る恐るそのメールを開く。
鈴原優衣様
はじめまして
貴女にお話があります
下記の手順で移動してください
前へ十歩歩く
右を向いて五歩歩く
左を向いて三歩歩く
うしろを向いて二十歩歩く
左を向いて二歩歩く
以上です
神様より
「……は?」
はっきり言って意味不明だった。特に最後。
大事なことだからもう一度言うが、特に最後が意味不明だった。
神様ってなにさ!
だけど、圏外になっているスマホには実際にメールが届いている。
このメールに返信してみてもいいけど、エラーが出て戻ってきても困るので、内心ブツブツと文句を言いながらメールにある通りに歩いた。
そして最後の二歩目を踏み出したとき、なにか膜のようなものを通り抜けた感じがして、景色が一変した。
そこはとても綺麗な場所で、思わず見惚れる。
さっきまでは草原だったのに、目の前には池とお花畑があり、それらを囲むように緑豊かな木々が生い茂っていた。
お花畑にはチョウやハチが舞い、上空には見たことのない綺麗な鳥が飛んでいて、木々の上ではリスのような小動物が走り回っている。
そしてそのお花畑の真ん中には、丸テーブルがひとつと椅子が三脚置いてあった。テーブルの上に並んでいたのは、ティーポットとカップ、それからお菓子。
驚いたことに、そこには椅子に腰掛けて腕を組み、眉間に皺を寄せている黒髪の人と、その前で私に向かって土下座をしている銀髪の人がいる。
ええっと……なんでそんな姿勢なのかな!?
「あ、あの……?」
「大変申し訳ない! 僕のうっかりミスで、貴女をこの世界に落っことしてしまいました!」
土下座をしている人が、その姿勢のまま叫ぶように言う。
「へ……?」
「地球や日本の神様、果ては貴女の守護者やご先祖にも謝罪いたしますし、今から事情を説明いたしますので、この席に座っていただけませんか!?」
土下座されたうえそんなことを言われて混乱し、固まってしまう。
神様? 守護者? ご先祖様?
なにを言っているんだ、コイツ――と思ったのは仕方ない。
椅子に座っている人を見ると、こめかみや額に青筋を浮かべている。
固まって動かないでいる私に痺れを切らしたのか、土下座していた人が立ち上がって私の腕を引き、椅子に座らせてくれた。
ありがとうございます、でいいのかな、この場合は。
……なんか違う気もする。
そのあと、すすめられるがままに紅茶を飲んで落ち着いた頃、さっきまで土下座をしていた男性が話しかけてきた。
「私はこの世界――ゼーバルシュを管理している神で、アントスと言います。そしてこちらが、地球を管理している神様の一人、ツクヨミ様でいらっしゃいます。担当地域は日本です」
「………………はあ!?」
そんな言葉から始まった説明は、荒唐無稽としか言いようがないものだった。
私がこの世界に来るはめになったのは、銀色の長い髪の神様――アントス様の言った通り、彼のうっかりミスのせいだった。
この世界ゼーバルシュの北にある大陸に、なにか困ったことがあるとすぐに異世界人を召喚してしまう人族の国があるという。
ほんの些細なことでも呼ぶものだから、さすがに他の世界の神様たちも怒り心頭。
これ以上召喚できないよう、神様たちは協力して魔法陣の模様や文字をこの世界の人たちが読めないものに変えたり、膨大な魔力がなければ召喚魔法が発動しないようにしたりしたそうだ。
――それこそ、複数の神様が手助けしなければならないほどに。
その後神様たちは、彼らのせいであちこちに空いてしまった次元の穴を塞いでいったという。
だけど最後のひとつはとても大きな穴で、それを一生懸命塞いでいるときにアントス様の髪留めが地球に落ちてしまった。
それを拾おうとアントス様が手を伸ばしたところ、私が彼の腕に蹴躓いて次元の穴に落っこち、この世界に来てしまったということらしい。
「……」
「誠に申し訳ありません! いつもなら髪留めが落ちることはないんですが……」
ぺこぺことコメツキバッタのように謝るアントス様を横目で見ながら、ツクヨミ様は青筋を立てて溜息をついている。
実は他の神様――特に日本の神様の一人であるアマテラス様が激怒していて、速攻でアントス様を連れて私のところへ来ると仰ったそうなんだけど、他の神様たちが押しとどめ、結局くじ引きで選ばれたツクヨミ様がいらしたという。
……なんでくじ引き?
日本の神様たちを敬愛しているだけに微妙に残念感を持った。口には出さなかったけど、どうもツクヨミ様には私の思考が伝わってるというか駄々漏れっぽくて、苦笑される。
「事情はわかりました。それで……日本に帰ることは……」
「申し訳ないんですが、できないんです……」
うなだれるアントス様に代わり、ツクヨミ様が口を開く。
「上から下に落ちるのは容易いけれど、下から上に上がるのは大変でしょう? それと同じで、この世界に限らず、他の世界から元の世界に戻るのは難しい。なので、貴女を帰すこともできないのです」
「神々にもルールがあって、勝手に人を転移させるわけにはいかないんです。方法がないわけではないのですが、そもそも僕のうっかりミスで落ちて来てしまった貴女は、僕の世界の住人に転生したという扱いになるので、元の世界にはもう戻れる器がなくなっていて……」
「そんな!」
まさかの状況に泣きたくなる。神様のせいなんだから、当然帰れるものと思っていたのだ。
ああ、だからアマテラス様が激怒したり、ツクヨミ様や他の神様たちも怒っていらっしゃったのか……。目の前が真っ暗になるのを感じながら、どこか遠くの出来事のように思う。
そんな私の肩を、ツクヨミ様が支えてくださった。
それだけではなく、私が落ち着けるよう背中を撫でてくださる。
日本の超有名な神様にそうされたら、凄く嬉しいよね。
その気持ちが伝わったんだろう……ツクヨミ様は嬉しそうに破顔した。
「ご家族には申し訳なく思いますが……」
アントス様はなおも申し訳なさそうにうなだれながら言う。
「私は孤児で、家族と呼べる人が一人もいないので、そこは大丈夫です。だけど、なにも知らない世界で一人で生きていけるかどうか……」
「そうでしたか……すみません。では、この世界についてはこれから説明します。そして、そこで貴女が不自由なく生きていけるよう、技能を授けましょう」
それからアントス様は、まずはこの世界のことを教えてくれた。
この世界はゼーバルシュといい、魔物が跋扈する剣と魔法の世界だという。
太陽と月がふたつずつあり、四週で一ヶ月、十三ヶ月で一年になる。
魔力や身体能力は、一部の貴族や王族を除いて、人族、エルフ族とドワーフ族、獣人族とドラゴン族という順で高くなり、もっとも高い魔力を持つ魔神族は神様の眷属扱いになっているそうだ。
ゼーバルシュには大陸が五つあり、それぞれの大陸の人々はあちこち移動して、交流しているんだって。
基本的にどの大陸の人々も穏やかで平和に暮らしているが、異世界人を召喚しまくっていた人間族の国がある北の大陸だけは、盗賊が多いという。
なので、ドラゴン族や魔神族が多くいる、治安のいい大陸に移動したほうがいいと言われてしまった。
「そんなことを言われても、お金や旅に適した道具や服などもないですし……。それに、治安のいい所に行ったからといって生活できる自信は……」
「それは僕がなんとかするよ。またあとで話し合うとして……ここに来てから、なにか変わったことはあった?」
話しているうちに、口調がくだけてきたアントス様。きっとこっちが素なのだろう。
「えっと……あ、そういえば、ミントを見ていたら目の前に説明が浮かんだんですけど、どういう原理なんですか?」
さっき起こったことを説明すると、二人の神様に驚かれた。
これは、この世界にあるスキルという能力の一種だそうで、【アナライズ】というらしい。いわゆる鑑定系のスキルなのだとか。
どうやら私がこの世界に来た時点で勝手に与えられたようだが、本来スキルが自動的に付与されることはないそうだ。
それからツクヨミ様とアントス様は、他にもなにか変化がないか調べると言って、私の頭からつま先までまじまじと見つめる。
「……」
「あー……なるほど。魔力が桁違いのようだね、君は。魔力の上限が魔神族の上位貴族や王族並みにある。しかも僕の影響なのか、種族が魔神族と人間族のハーフになってしまっているよ」
「は……?」
「やっぱり、魔神族かドラゴン族が多くいる大陸に行ったほうがいいよ、早急にね」
その大陸まで送ってあげると言ったアントス様に、私は混乱しつつも頷いた。
だけどその前に、これは……怒っていいかな? いいよね?
うっかりミスでいきなり異世界に連れて来られて、帰れないからここで暮らせって……
いくらなんでも理不尽すぎる。
一旦鎮まった怒りがふたたび湧き上がってくるのがわかった。
そんな私の気持ちが読み取れるのか、ツクヨミ様はとても楽しそうな顔をしている。
「アントス様、一回殴らせてくれませんか?」
「え゛!? いやいや、それは……!!」
「いいじゃないですか、貴方のせいなんですから!」
逃げようとするアントス様ににじり寄ると、ツクヨミ様がにこりと笑った。
「手伝いますよ」
「ありがとうございます、ツクヨミ様! では!」
「ツクヨミ様、酷いです! って、いたっ!」
ツクヨミ様がなにかしたのか、アントス様の動きがぴたりと止まる。
これ幸いと、私はアントス様の頬を思いっきりバチーン! と一発、叩かせていただきました!
一応気は済んだので、もう一度椅子に座りなおし、お茶とお菓子をいただきながら生活するのに必要なものや技能について話し合った。
最初にアントス様が、私の適性職業を調べてくれる。
「へぇ……君には薬師の適性があるんだね。だったら、薬師として生きていくといいんじゃないかな」
「薬師……ですか? どんなことをするんですか?」
「怪我や魔法による状態異常を治すポーションを作る職業だよ。ポーションは冒険者や騎士が使うことが多いんだ。他にも君には商人の適性があるね。でも、この世界には薬師がほとんどいないから、薬師になってくれるとありがたいんだけど……どうかな」
二人の神様によると、私に薬師の適性があるのは、植物やスパイスなどの知識があったからではないかということだ。
そして商人の適性があったのは、簿記の資格を持っているからだろう。
まあ今のところ、薬師をやるのに簿記の知識が役に立つかどうかはわからないけど、まったくないよりはいいに違いない。
頭がよくない私が商人になる自信はないけど、薬師ならできそうだ。作ったポーションは自分のお店で売る以外にギルドに売ってもいいみたいだし、なにより面白そう! とちょっと興奮する。
だけど、私にできるのかな?
そこが不安でしょうがない。
「覚えが悪い私でも作れますか? あと、レシピは存在しますか?」
「大丈夫。レシピもあるよ。あとでその機械――スマホだっけ? それに入れておくから。なんでも検索できるようにしておくね」
薬師の知識は体に染み込ませるような感じで授けてくれるらしい。
それだけでなく、スマホにも同じ知識を入れて、ポーションのレシピ以外にも、料理やこの世界のことも検索できるようにしてくれるという。
おお、それは凄いしありがたい!
「私でも、薬師としてやっていけますか?」
「大丈夫だよ。それに僕としても、薬師がいてくれると本当に助かるんだ」
私でも大丈夫だと、アントス様とツクヨミ様も、笑顔で頷いてくれる。
それだったらやってみようかな……
自活するためにも、なにかの職業に就いていたほうがいいだろうし。
…………よし、決めた!
私、薬師になる!
「わかりました! 薬師になります!」
「ありがとう! じゃあ、さっそくで悪いけど、練習でポーションを作ってみようか」
「はい!?」
練習とはいえ、いきなりポーション作りって、どういうことかな!?
突然のことに驚くものの、必要なことだからと言われてしまうと頷くしかない。
それに、実はどうやってポーションを作るのか、興味もあったんだよね。
まずは私の体に知識を染み込ませるアントス様。
なんだかムズムズしたけど、そこは我慢した。
それが終わると、不思議なことに、ポーションをどうやって作るのかわかった。
そのあとアントス様が必要な薬草や材料をたくさん用意してくれて、もっとも基本的なポーションを作ることに。材料を乳鉢で潰したり、薬草から液体を抽出したり、魔力で混ぜ合わせるなどの作業をさせられた。
私に指示を出しながら、アントス様は簡単そうにポーションを作っていく。だけどやってみたらとっても大変なのがわかった。
これ、本当に私でも大丈夫なのかなあ……って不安になってくる。
砂から薬瓶を作る方法も学び、この世界に出回っている一般的なポーションを一通り作ったあとで、簡単な作り方も教わった。
なんと、材料をひとまとめにし、魔力を注ぐだけで作れるという。
「これは本来、十年以上修業した人でなければできない方法だけど、魔力をたくさん使えばできるんだ」
「この方法でポーションが作れるのは、魔神族だけですか?」
「高い魔力さえあれば全種族ができるよ……たぶん」
「たぶん!? いい加減ですね……でも、高い魔力があるだけでいいなら、どうして魔神族は薬師にならないんですか?」
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