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最終章 種まくモノ、植えるヒト

種まくモノ、植えるヒト(01)◆

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 はるか昔、古代よりタネは存在していたとされる。
 発生の条件、物質としての成分は、現代科学を以ってしても未だ明らかになっていない。

 そして何故か、そのタネを生まれたときから宿す者たちがいた。
 彼らは自分たちを『植人』と呼び、タネの管理や『種人』の始末を行ってきた。彼らがいつから存在し、その役割を果たしているのかも明らかになっていない。

 そして、およそ300年前――
 彼は、植人の中でも比較的役職の高い――タネの管轄を任された家の子として生を受けた。


 ――久埜くのいつき


 それが、彼の名前である。

「樹! 庭の掃除はまだなの?!」

「は、はい。今すぐ――」

 樹は、母の3人目の子供だった。
 ただし、兄2人とは父親が違う。樹の父は、有力な植人であるらしいが、結局最後・・まで正体は分からなかった。

「樹!」

 樹は、本当・・の子ではないから、兄よりも働かないといけない。

「なんでしょうか、お母様」

 それに、両親ともに植人のはずなのに、樹は植人としての素質がなかった。父にとっても、樹は初子では無いということだろう。

「このタネを管理庫に運んでちょうだい」

「これは……兄様が?」

「質問は許可していません」

 樹の仕事はいくつもあったが、管理庫の掃除と調査用に残すタネの運搬が、植人としての主な仕事であった。
 そして、樹は植人としての力を持たない代わりに、唯一無二の『特殊』な力を備えていた。

「――うん、いい香りだ……」

 樹は、タネの位置を察するチカラを有していた。正確には、タネが放つ独特な匂いを嗅ぎ分けることができた。
 ある程度距離が離れていても漂う匂いを嗅ぎ分けて、タネが複数あれば、それぞれのおおよその位置を把握できる。
 さらには――

「上等なタネだ。兄様も仕事がお上手で……」

 タネには、品質があった。粗悪なタネは臭いにも表れる。反対に、品質の高いタネはそれだけ上品で芳しい香りがした。
 胸を躍らせ、気分を高揚させるような、芥子や阿片とはまた違う香りである。

「しかし、今回も違っていた……」

 確かに上等なタネではあるが、樹が追い求めていたモノではない。
 それは、幼い頃に本殿を訪れたときのこと――
 山奥に迷い込んで、妙な入口の近くを通り過ぎたときに、地面に空いた小さな穴から香ってきた。
 脳みそが蕩けてしまうほど強くて、全身の皮膚の内側に匂いが染み付いている。
 結局そのときは、匂いを浴びた直後に発見されてタネを探すこともできなかった。あのとき嗅いだタネの匂いを忘れられず、今も密かに追い求めているが、一向に叶わなかった。
 樹は、残念そうにケースに仕舞われたタネを保管庫の棚に置いた。




 今の待遇に大きな不満は抱いていなかった。能力を持たざる者として受け入れていた、という表現が正しいかもしれない。
 自分が種人と戦う姿は想像できなかったし、「タネの管理」という名目で様々なタネの匂いを嗅げるので好都合だった。
 ただ、改善はして欲しい。例えば――




「――あ、いつきー!」

 畑を耕していたときに、通りすがりの女性から声が掛かった。

 彼女は、村部むらべかおる――
 明るく活発な女性で、樹が密かに思いを馳せている人物でもある。

「薫さん、どうしたんですか」

医師せんせいのとこの帰りよ。今日も暑いわねー」

 太陽の下で手を仰ぐ彼女のお腹は、前に見たときよりも膨れていた。
 樹は、ホッと胸を撫で下ろす。

「薫さん、くれぐれも気をつけて」

「ん? なにを?」

 樹は、太陽を指差した。
 薫に満面の笑みを送る。

「油断していると、刺されますよ?」

「ふふ、おかしなこと言わないの」

 薫も笑顔で返してくれる。
 樹は、薫の笑顔が大好きだった。

 村部家は、一時は四家に選出されていたほど優れた血筋だった。しかしながら、植人としての能力が徐々に後退していき、それに合わせて村部家への待遇も冷たくなっていった。
 今では畑仕事を主とする平凡な一家で、兄は植人として細々と活動しているようだ。樹の兄と同じチームらしく、自然と情報が入ってくる。

 そして妹の薫は、度々本殿に呼ばれていた。
 理由は、誰しもが暗黙の了解として知っていた。

 有り体に言えば、有力な植人のなぐさみモノにされていた。誰にでも愛想が良くて明るい性格が裏目に出てしまったのだろう。複数の植人に気に入られてしまった。
 それが家族のためになると、薫は抵抗せずに受け入れていた。誰しもがおかしいと思いながら、誰も改善しようとはしなかった。樹もその1人である。

 だが、そんな生活も終わってくれるはずだ。
 薫は、ある植人の子供を妊娠したのだ。相手方としても正式に薫を迎え入れるそうだ。樹にとっても、薫への負担が減るのであれば、それ以上に嬉しいことはない。

「じゃあ、またね」

「うん。また――」

 薫の背中は、すっかり母の背中に見えた。
 そんな暖かい光景が、ずっと続いてくれることを切に願って――








 事件が起きたのは、薫と最初にあった数日後だった。
 樹の兄と、薫の兄――他数名が種人に殺され殉職した。その中には、薫の夫となるはずだった植人もいた。

 久埜と村部、両家の人間が本殿の大広間に集められ、薫はずっと涙を流していた。

「いつまで泣いておろうか」

「だれか早うつまみ出さぬか」

 広間の奥で、すだれで全身を隠した有力者・・・たちが冷たい言葉を浴びせる。誰も彼らの言葉に逆らおうとはしない。
 村部の父が慌てながら薫を外に連れ出そうとしたとき、1人の男が「待った」を掛けた。

「まあ待て、いいじゃないか」

 四家の1人、葉柴家の植人だ。
 素行が悪く、傍若無人に振る舞うせいで本殿からも睨まれているが、今回の兄たちを殺した種人も彼が始末している。葉柴家の功績が、誰も葉柴家に文句を言わせない。

「誰に口を利いておる葉柴よ」

「おい、村部の女――」

 葉柴は、強気に有力者の言葉を無視して薫を呼んだ。

「は、はい……」

「……妊娠してるのか?」

「は、い……」

「ほお、そうか……」

 葉柴は、薫を値定めるように眺め、自信の顎を撫でながら舌で唇を舐め回した。

「……話は聞いていたがな、なるほどこれは男が虜になるわけだ」

「あの、なにを……」

「お前は葉柴の人間になれ、村部が生き残る道はそれしか無い」

「そんな、あの……あっ――」

 いつの間にか後ろに立っていた葉柴家の従者が、薫の体を掴んで葉柴の下へ運ぶ。薫の両親は一歩も動くことができず震えていた。

「い、いや! なにを」

 葉柴は、薫の胸を掴み、そのまま出口へと向かう。去り際に樹の顔を見て笑った。

「久埜の処遇は任せたぞ、構わんな?」

 本殿の有力者たちは無視した。
 葉柴は、再び笑って泣き叫ぶ薫を抱えながら外に出ていく。
 樹は、いつまでもその後ろ姿を目で追っていた。

「……さて、久埜家ではあるが、植人を失った今――なにか考えはあるか」

「考えと申されましても……」

 母は、つい本音が漏れてしまった。
 有力者から怒号が飛ぶ。

「なにを腑抜けているかっ! 植人のおらぬ家などに価値は無いぞ! 分からぬかっ?!」

「は、ははぁ……」

 母は、すぐに土下座をした。
 樹も、形だけ頭を下げる。

「……まあよい。提案があってなあ」

 母は顔を上げる。有力者の前にいる本殿の当主は、気まずそうな顔をしていた。

「提案ですか?」

「ああ、そこにおる樹――種違い・・・の子であるそうだな?」

「……すみません、父親は分かりませんが、植人としての能力は――」

「実は我々の中で樹に才能を見出しておる者がおってのお」

「ぜひとも本殿で預からせてもらおうと思うのじゃ」

 母は、たちまち笑顔になった。
 本殿の直属ともなれば、その家は永劫安泰である。例えば植人としての能力が薄くとも、代々名家として子を繋ぐことも出来る。選択肢はないほど願ってもない機会だった。

「異論は無いな?」

「も、もちろんですとも! お願い申し上げます!」

 母の2つ返事に、樹は反論できなかった。
 それよりも、薫のことが気になる――いや、それよりも再び本殿に入れる。
 今度こそ、あのタネを見つけられるかもしれないと、樹は場違いに興奮していた。








 そして訪れた本殿初日――
 樹は、本殿のさらに奥にある山の上に通された。

「ここがどういう場所か分かるか」

 目の前に座る男が、樹を気にかけてくれた有力者の1人らしい。その男と、薄暗い部屋で2人きりにされた。

「……皆様は、ここに住まわれているのですか?」

 男は、大きなため息をついた

「なにか勘違いしているなあ」

「……申し訳ありません」

「まあ仕方なかろう。徐々に慣れれば良い」

 男は立ち上がって樹を見下ろした。
 不気味な笑みで不愉快極まりない。

「ここは一介の植人が立ち寄れる場所ではない。ましては能力を持たない一般人などが足を踏み入れることができない場所だ。何を意味しているか分かるか?」

「……申し訳ありません」

「お主がここにおるとはどういうことか――それは、お主がここから出ることは無いということだ」

「……それは――」

「ここで一生を飼われる。手始めに尺八でもしてもらおうか」

「――っ」

 男は、下半身を剥き出しにして樹に突き出してきた。樹が黙っていると、頬を掴み上げて口元に陰茎を当ててくる。

「安心せい、家族は担保してやろうに……」

 男の脂ぎった手が樹の肌を動き回る。
 全身の鳥肌が立ち、頭痛で頭が真っ白になってくる。
 何も発せない。
 何も考えられない。




 ――なるほど、薫さんはこんな気持ちで毎日を過ごしていたのか……

 いや、他人の気持ちを分かった風に語るなど、それこそ他人を貶めている。
 今は、黙っていればいい。
 流れに身を任せて、この男を受け入れれば――




「――ぐあ゛っ」

 男の舌が樹の唇の中に入り込んだとき、樹はその舌を反射的に噛んでしまった。
 樹の底に眠っていた抵抗心が、最悪のタイミングで目を覚ます。

「こいづめ゛っ!」

 男は血を垂らしながら、樹の体をひっくり返して後ろを向かせた。
 そして手際よく樹の臀部を剥き出しにして、躊躇なく肛門に陰茎を差し込む。

「ふんっ、ふん゛っ!」

 事前にヤニを塗っていたのだろうが、男が腰を動かす度に、樹にとっては激痛が続く。
 だが、もう抵抗はやめていた。

 黙っていればいい。
 流れに身を任せて…………








「――ふんっ、無駄な抵抗をしおって」

 男は、鏡で唇の傷を眺めながら心底苛ついていた。樹は横たわったまま、何も考えないようにしていた。
 肛門からは、自身の血液と一緒に男の精液が溢れ出してくる。
 腹部にまで達する疼痛、吐き気を催すほどの頭痛――
 樹は、何も考えないようにしていた。

「――お呼びでしょうか」

 男は、従者を1人呼んでいた。
 この場に入ることを許された数少ない本殿関係者である。

「ここにいる男をとっとと始末しておけ」

「あ、え……よ、よろしいのでしょう?」

「はようせい、興が冷めたわ。せっかく気に入っておったこの顔も気分が悪い」

 男は、樹を見下ろして今度は睨んできた。
 樹は、何も考えないようにしていた。

「まあ久埜の処分は考えてやる。安心して堕ちろ」

「しかし、どこで処分すれば……」

回廊窟かいろうぐつにでも突っ込んでおけ。ふんっ、もったいのおことを……」

 男は部屋を出ていき、それ以来会うことはなかった。その後は、複数人の男に掴まれて、どこか地下深くの部屋に連れて行かれた。

「安心しろ、くたばるところは見届けてやる」

 守衛も気分が悪そうに唾を吐き捨てて出ていった。




 ――地下深くの牢の中
 ここが回廊窟というのか……




 樹は1人になった。
 周囲は真っ暗で何も見えない。牢には鍵を閉められていて自力での脱出も不可能だ。

「……ははっ」

 樹は笑った。
 笑わざるを得なかった。

「はははははっ!」

 こんなに大笑いしたのは人生で初めてかもしれない。それも仕方ない。




 ――なぜなら、辿り着いたのだから!




「はははははっ、ははっ! ついに、ついに見つけたぞ!」

 階段を降りている途中で確信した。念願だったあのタネ、忘れることもできない最上級のタネ――その匂いに間違いなかった。

 大きく息を吸って立ち上がる。
 匂いは、空間の奥から香る。強烈な腐敗臭も香ってくるが、それを打ち消すほどの香りが樹の脳ミソを刺激する。

「これだ、これだっ!」

 奥には、人間の死骸があった。
 樹のように罰せられた人間、あるいは植人かもしれない。骨と化した手の中に、大事そうに握られていた――




 『不老』のタネ――
 後に知る原種――樹が初めて見つけた原種である。




 見た瞬間に目を離せなかった。
 手に取った後も見つめ続け、涎が垂れていることにすら気づかなかった。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 我慢できるはずがなかった。それだけの魅力に包まれている。
 樹は、ヒト思いにタネを口に放り込んだ。

 ――もう何も考えられない……








「――ん? まだ立っていられるのか」

 守衛は3日後にやってきた。
 ランタンで部屋を灯し、元気そうに立っているイツキを不思議そうに眺めていた。

「……タネを見たことはあるかい?」

「ん? 何を言ってるんだ?」

「簡単な質問だよ。暇なんだ。今日くらい付き合ってくれないかい?」

「……まあいいだろ」

 守衛は、近くにあった机にランタンを置いて座った。小馬鹿にするようにイツキを見る。

「見たこと無いよ。俺は植人じゃない。お前がなぜここに入れられているのかも知らない」

「興味は?」

「無いね。黙って逆らわずに仕事していれば金を貰えて家族も生きていける」

「まあ見てみなよ」

 イツキは、牢から手を伸ばして広げてみせた。
 不老のタネ以外にも、その周りに別のタネを見つけていた。

 男の視線は、すぐに釘付けになった。

「タネは感情そのものだ。強い感情は他者の感情を揺れ動かす」

「あ、あ……」

「どうだい? 震えているか?」

 抱えている不満や希望、喜怒哀楽の感情が大きいほど、他の感情に感化されやすい。
 感情の実が詰まったタネは、人間にとっての大好物であり、誰しもが欲する。
 その強欲を抑える機能を、人間は有していない……

「い、いいのか……?」

「どうぞ、召し上がれ」

 本殿の閉塞的な環境に居る人間は、特にその傾向にある。守衛の男も、例に漏れずタネを頬張り、そして種人と化した。

 不老のタネの力により、イツキは植物を介して会話できたり、植物を操ることも出来る。体力の消耗は大きいが、イツキはその男を使って回廊窟を脱出した。

 本殿では、突然の種人の発生で大騒ぎになり、回廊窟の存在も明るみに出てしまう。
 種人は難なく処理されたが、拷問などの私用で使われていた回廊窟は問題視され、以来完全封鎖となたった。
 そして、久埜樹は行方不明となる。

 イツキは生まれ変わり、若さを保ったまま全国を旅した。
 原種を始めとした、魅力的なタネを追い求めて……

 だが、イツキの体は不老というだけで、イノチには限界がある。
 300年以上行きた現在いま――
 その限界は近かった。
 限界が近いことを知り、イツキは再び本殿に舞い戻った。




『さあ喰らえ! この不死の欠片とともに、我が肉体を、我が願望をっ――』




 そして、イツキの肉体はカイジンに喰われ、完全に『暴食』のタネに取り込まれてしまった。
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