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第二三章 灯りの火ダネ

灯りの火ダネ(04)

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(――アキくん……っ)

 種人の攻撃が目の前に迫り、天音は反射的に目を閉じた。代々、植人の長である本殿の当主は、植人としての強大な力を有しているものに、戦闘能力は皆無に等しい。
 抵抗の術は無かった――

「――天音様!」

 その窮地を救ったのは、葉柴家の婦人――明人の母である葉柴桐子きりこであった。
 桐子は、天音の体を抱えて種人の攻撃を躱し、カウンターで先の尖ったかんざしを種人の目元に突き刺した。

「葉柴の『毒』をたっぷり塗っておいたよ。せいぜい藻掻き苦しみな」

 その効果は絶大で、早速目の周りが腐食し始め、全身を巡る痺れで種人はのた打ち回る。天音と桐子は、なるべく体を低く構えて種人の最後の抵抗を避ける。
 やがて、種人はピクピクと震えたまま倒れ込み、活動を停止した。

「タネは破壊できませんが、しばらくは動けないはずです。今のうちに逃げましょう」

 植器を持ち合わせていない桐子は、タネの破壊まではどうしてもできない。天音も当然分かっていることで、2人は急いでその場を後にした――

「――ちっ……」

 だが、配送業者の制服を着た人物が行く手を阻む。ゆっくりと帽子を取り、紫色の長い髪をなびかせる。

「あんた…………」

「久しぶりです、お母さん」

依子よりこさん!」

 依子は、先程まで対峙していたイツキと同じ笑みを浮かべていた。対する桐子は、久しぶりの母娘の再開で動揺を隠せないでいた。

「天音ちゃんも顔を合わせるのは久しぶりね」

「依子さん! あなたが今回の仕業を?」

「なんのこと?」

「外で聞こえる悲鳴は種人によるものですね? 種人を凍らせて本殿に保管していたのですか?」

「さすが、昔から天音ちゃんは察しが良かったわね」

「種人の数はどのくらいですか?! いったいどのような目的が――」

 依子は、話半分で手の平を合わせ、ゆっくりと離して細長い氷柱つららを出現させた。

「聞いたところであまり意味はないわ」

「どうして……」

「2人には死んでもらう。作戦に変更はない」

 ――もう引き下がれない。
 一瞬だが、依子は寂しい顔を見せた。まるで、自分に言い聞かせているみたいに……




 ***




 本殿に続くエレベータの中では、既に2体の種人が朽ち果てていた。一方は上半身が吹き飛んでおり、一方はペシャンコに潰されている。

「なあ葉柴よ」

 頂上までの短い間だが、明人と雁慈の間でしっかりと作戦が練られていた。

「今回ばかりは、手遅れやもしれぬな」

「珍しく弱気だな」

 明人なりに軽く煽ったつもりだが、雁慈の反応は至って真面目だった。

「前に廃校で遭遇した種人の集合体を覚えているか?」

「ああ……」

 難波なんば怜央琉れをると戦闘を繰り広げた場所――同時に下の階では真由乃たちが種人と戦っていた。その種人は、複数体の種人が集まって1つの体を成していたと聞いている。

「種人が複数集まると、密集して1つになるんだったな」

「そうだ、そして今回も相当数の種人を用意してきたんだろう。向こうも最後の戦いと思って全力で本殿を潰しに来るだろう」

 雁慈の言う通りだった。
 完璧なタイミング、用意周到な種人――相手の本気度合いが伺える。

「集合体も1体、2体なら何ら問題ないが、それが複数で、さらに原種まで現れたら太刀打ち出来んかもしれん」

「……天音を助けたら合流しよう」

「はっ、その余裕があればな……」

 エレベータが頂上についた。
 扉の向こうからは、最悪の空気が十分臭ってくる。

「とっとと当主を救出してこい。状況次第では撤退も視野に入れるぞ」

「分かった、雁慈も外を頼む」

「はっ、言われなくとも――」

 扉がゆっくりと開き、外には予想通り――
 最悪の光景が広がっていた。




 ***




「くっ、気の強い娘……」

 桐子はきびすを返し、天音を引っ張りながら、依子とは反対方向へと一目散に逃げた。

「誰に似たのかしら」

「お母さんに決まっています」

 依子が指を鳴らすと、先の尖った氷柱が床から突き出して天音たちを襲う。辛うじて直撃は避けられたが、体勢を崩して天音だけ転んでしまう。

「ちっ……」

 天音にトドメを刺そうと、依子が一気に距離を詰める。桐子は和服の袖からキセルを取り出して即座に火を付けた。
 煙を大きく吸って、息を大きく吐く――
 紫色に濁った煙が辺りに充満して依子の視界を塞いだ。

「――こほっ、こほっ」

 天音は、葉柴の毒は通じないものの、慣れない煙を吸ってむせてしまう。

「悪いことしましたね」

「いえ、今のうちに早く逃げましょう」

「私には謝ってくれないの?」

 常人なら決して目を開けられない状態だが、当然ながら同じ葉柴の血を引く依子には、その毒は効かない。
 逃げようとした桐子たちに向かって、煙の中から依子の手が伸びる。その手は、桐子の首根っこを掴み、力強く締めながら浮かす。

「ふんっ、しつこさは父親に似たようね」

「お父さんが?」

「そうよ……っ、学生のとき、何遍断っても告白してきたんね」

「……そう。もっとたくさん聞きたかったわ、そういう話――」

 依子は、さらに握力を強めて母の首を締める。抵抗していた桐子だが、徐々に体全体の力が抜けて意識が遠のいていく。

「やめてください! お母様ですよ! あなたと、それに明人さんの――」

「もう、今さらなのよ」

 天音は、依子の足首を掴んで喰い下がるも、その手はすぐに凍り始めて感覚を失っていく。
 依子は、その様子を悲しい顔で冷たく見下ろしながら、母の首を締め続けた。

「あうっ……やめてっ、よりこさんっ……」

「がっ……よりっ、ごっ…………」

 母の口元からだらしなく涎が溢れ、完全に白目を剥きかけた、その瞬間――
 本殿全体を揺るがす大きな地響きが鳴り、その原因はすぐ近くで起きていた。

「アキ、くんっ……!」

 天音は、凍えきった手を抑えながらつぶやいた。依子は、興味なさそうに母の首から手を離して後ろを振り返った――と同時に、振り返った先の扉が吹き飛ばされる形で開かれた。

「はぁ、はぁ……間に合ったか」

「明人……」

 相当な力を込めて本殿の扉や壁を壊し、外から一直線で助けに来たらしい。体力的には、既に疲労が垣間見える。
 それでも重い足を引っ張り、明人はゆっくりと歩みを進めて依子に近づく。それに呼応して依子も数歩前に出た。

「姉さん……」

「アキ……」

 明人、姉、そして母の3人が揃うのは何年ぶりだろうか――
 明人と依子は睨み合ったまま、しばらくは静かな時間が過ぎていった。
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