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第二三章 灯りの火ダネ

灯りの火ダネ(02)

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 本殿では、混乱が混乱を招いていた。
 納屋に設置された冷蔵室、その中で発見された種人たねびと――
 それは分厚い氷に覆われていて、いわば冷凍保存の状態にあった。

「何が起きてるんだ……」

「天音様への報告はまだか!」

 突然の事態で監視役の人間も動揺を隠せない。既に上層部への報告と植人の手配を進めているが、それ以上はその場にいる人間だけでは何もできなかった。
 納屋の外でも、巫女が慌てて走り回っていた。そのうちの半分が何をすればいいか分からず右往左往しているだけだ。
 そこから少し離れた場所で、帽子を深く被って全体を見渡す人物がいた。配送業者の制服を纏い、帽子からは紫色・・の髪がはみ出している。

「……そろそろですね、イツキ様」

 帽子の人物がゆっくりと手を構えて、指を「パチン」と鳴らした。それを合図に、納屋の様子が一変する。

「――んなっ?!」

「お、おい、見ろ……」

「どうなってるんだ……」

 今まで作り物のように溶けなかった氷が一気に氷解する。種人を覆っていた分厚い氷が、みるみる水に変わって、徐々に「中身」が浮かび上がってくる。

『――うぼ……ごっ…………』

 氷が溶け、同時に、一斉に活動を再開する種人たち――
 近くにいる本殿の関係者たちは、震えが止まらなくなる。

「は、はやく……だれかっ……」

 もはや、助けは期待できなかった……




 ***




『――きゃーっ!』

 外から微かに聞こえてくる悲鳴に、天音はどうすることもできなかった。
 すぐ傍には、本殿の異常事態を知らせに来た巫女が、首元を植物で貫かれて血を垂れ流して倒れている。
 そして、目の前には別の巫女が、白目を剥いて何かに操られているかのように笑っている。

「……あなた、先月は倉庫の担当でしたね」

『もう彼女は彼女・・ではないよ。話しかけるだけムダさ』

 そう言って彼女――だったはずの種人が人間の言葉を話している。それも、一連の事件の黒幕とされる「イツキ」という男が発しているらしい。

『実は植物を介してコミュニケーションを取ることが出来るんだ。授かった能力のオマケみたいなものさ。それに、単純な言動であればその植物を操ることもできる。これはイノチ・・・を消耗する行為だから、あまり使いたくはないんだけどね』

 天音の額からは、冷や汗が止まらない。それでも冷静に頭を働かせて、返事を考えつつ、ここから生き延びる方法を探る。

『キミとは一度会話してみたかったんだ。新時代の当主として、今の植人の在り方についてね』

 少なくとも脱出できる隙は見当たらなかった。となれば出来ることは時間稼ぎであり、向こうから仕掛けてきた会話を如何に長く続けられるかが重要である。
 
「……まずは、自分を名乗るべきじゃありませんか?」

 種人イツキは、またも微笑んだ。天音の狙いなど、簡単にお見通しのようだ。

『これは失礼、ワタシの名は――ご存知の通り、イツキと申し上げます』

「あなたは人間ですか? それとも――」

 天音は、間髪を入れずに質問を差し込んだ。
 このイツキという男だけ、本殿がどれだけ調査しても情報を得られなかった。少なくとも、現代社会を生きている人間とは考えにくい。

『ではここで問いましょう。種人と植人の違いはなんですか、当主様?』

 今度はイツキが間髪を入れずに質問をしてきた。

「どのような答えをお望みで?」

『好きに答えてもらって構いません』

 天音は、深いため息をついた。到底、天音のペースに持っていけそうにはない。
 再び頭を巡らせて返答を考える。

「同じタネを宿すモノ同士――根本は同じ生物に分類されるかもしれません。ですが、我々は自我を保っています」

「種人に自我が無いとなぜ言えますか」

「種人を解剖しても、体内はまるで人間の肉体とはかけ離れて、遺伝子情報も元の肉体とはかけ離れたモノに変化しています。ですが、我々の肉体は違い、遺伝子レベルでも人間の肉体それと非常に近しい存在です」

『ほう……』

「我々は、タネに肉体や脳みそ、心を侵食させずに定着させた、種人よりも高次元で、人間と生を共にするに値する存在と言えます」

『では、植人よりも、また人間よりも優れている存在だと?』

「いいえ、そうは言っておりません。我々はタネを宿すだけの、あくまで人間と考えるべきです。タネが及ぼす影響で超常の力を有しますが、人間とは同じ次元の生物です」

「その超常の力こそ、植人が上位者たる力では?」

「断じて違います。この力は種人を滅するためだけに存在します。権力や暴力とは切り離されるべきで、その力に奢るべきでもありません」

『すばらしい、さすが現当主様だ……』

 イツキは、今度は感心したように拍手を繰り返した。まるで、「昔」と比べているような話しぶりで天音はスッキリしなかった。

『でも、現実はどうでしょう』

 天音は、返答に困る。
 自分でも現実を理解しているから――

『当主様のような立派・・な考えを持つものが居ても、腐りきった植人は戻ることもなく、変わらず腐り続けて周囲にまで影響を及ぼします。果たして、まとも・・・な植人の数が腐敗の軍勢を上回るトキがやってきましょうか?』

「……これからです。これから私たちが変えて――」

『変えていくつもりがおありで?』

「もちろんです。これから、未来ある社会を築くために、私たちは変わらなくてはなりません」

『そういう若者を長いこと、何人も見てきました。みな大層な目標を掲げますが、結局は腐敗に毒されて志半ばでリタイアしてしまう』

「それでも、私たちは、私は――」

『本当に変われますか? 当主様?』

 天音は、またも返答に窮した。かくいう天音も、今の植人の体制に楯突いたことはない。もしかしたら、既に諦めかけている自分もいるかもしれない。

『少々イジワルが過ぎましたね。希望を摘み取る行為は良くない。せめて、有益な提案をしていかないと』

「提案……?」

 イツキは、またも怪しく笑った。
 操っている巫女の顔で――

『ここでもう1つ質問――植人と種人の違いはわかりました。では、人間と・・・種人の違いはなんでしょうか』

「……質問の意味が分かりません」

 このときのイツキの笑みが、天音にはとてつもなく不愉快だった。

『先程は自我や遺伝子の話をされていたようですが、さあどうでしょう? 種人は必ずしも自我を持たないのでしょうか?』

「何をおっしゃりたいのか、まったく――」

『分かるでしょう。レヲルを解剖しましたよね?』

 天音は、動揺を隠せなかった。この男にどこまで情報が抜けているのか不安で仕方が無かった。

『どうでした? 彼は種人でしたか? それとも人間でしたか?』

「……肉体は、種人に近しい構造に変異していました」

『でも彼は人間だった!』

 高らかに声を張るイツキ――
 その気迫に圧され、天音は反論ができない。

『彼は人間と同じように考え、人間と同じように行動していた! 当主様が言う自我・・を持っていました』

「そ、それは、植人と原種という特異な組合せによって引き起こされた存在で――」

『彼を例外扱いですか、残念です』

 天音自身も、自身の発言に矛盾を感じた。
 これでは――

『今までと何も変わらない。今日初めてお目にかかった際も、当主様はワタシが人間か・・・・・・・を問いましたね?
 自分たちとは異質の存在を例外と見無し、純粋な植人こそ、純粋な人間こそ至高――そんな排他的な言動が無意識に表れるアナタも、結局は今までの思想から脱却できていないのです』

 イツキの寂しい顔が、天音にさらなる罪悪感を植え付ける。

『原種を初めて手にしたとき、抗いようのない欲望が体に入り込んできました』

「あなたも、原種を……」

『人間は感情の生き物です。そして、タネとは感情のカタマリ――つまりは感情そのものです。ならばワタシは、種人とは感情を爆発させたあくまで人間・・と考えるのです』 

 イツキは、両手を広げた。
 いもしない大勢の観客に届くよう声を張り上げる。

『感情を爆発させた人間は、科学的な人間らしさを失う代わりに、植器を壊せるほどの超常の力を得る。人間誰しもが種人に成りうる中で、そして、タネを口にしても感情が爆発しない――まさしく特異・・な存在が表れた。それが植人であり、自分たちが優位な存在であると信じてやまない彼らは、独自なコミュニティを築き、正義という建前を掲げ、種人を異分子扱いして勝手に排除を始めた』

「勝手ではありません! 人間社会を安定に保つために――」

『では、種人を抹殺以外の方法で止めたことはありますか?』

「それは……」

『別の手段を選べば、感情が戻ることは本当に無かったのでしょうか? 本当に殺すしか無かったのでしょうか?』

 天音は、完全に言葉に詰まる。歴史に倣って生きてきて、深く考えたことはなかった。

『彼らは、本当に人間じゃないんでしょうか?』

「……」

『彼らが人間じゃないなら、アナタ方も人間では無くなってしまうのではないでしょうか』

 そしてイツキは、天音を諭すように語りかける。

『どうでしょう? 種人を狩るのをやめてみては?』

 話が飛躍しすぎている。
 だが、反論が即座に出来ないのも悔しい。

「……仮に、あなたの仮定が正しいとして、それは簡単なことではありません」

『簡単ですよ』


 ――きゃあああああっ!


 外からは、また別の女性の悲鳴が鳴り響く。状況は分からないが、それを伝えに来る者が表れないこと自体が異常だった。

「あなた、いったい何を……」

 イツキは、三度笑った。
 今回の笑みは、背中に悪寒を感じて震え上がった。

『当主様、いなくなればいいんです。狩る側が……』

「それは、あまりにも暴論で――」

 イツキは、呆れたように首を横に振った。これ以上の時間稼ぎは許してくれないそうだ。

『手始めに、当主様には亡くなってもらいましょうか』

 ――アキくん……っ

 助けは期待できない。抵抗の術もない――
 目の前の種人の腕が、鋭い触手に変形し、容赦なく天音に襲い掛かる。
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