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第一八章 ゼロの世界
ゼロの世界(08)
しおりを挟む「南剛! 俺を隼さんのところまで!」
「しょーちぃっ!」
明人が空中に跳ね上がると、それに合わせて雁慈は剛槌を構えて明人の足元に差し出した。剛槌に明人を乗せたまま雁慈は体を1回転させ、明人は遠心力も味方にして天高く跳ね上がった。
空中に浮かぶ隼に向かって一気に距離を詰める。その間、上空からは幾多の矢が襲い掛かる。
「くっ、届かないか」
矢の処理に追われていると、上への推進力が失われてしまう。明人の拳は、隼までは到底届かなかった。
「はっ、世話が焼ける男だ」
地面でも矢を処理していた雁慈だったが、上空で止まる明人に気づき、すぐさま剛槌を振り上げた。
そして地面に勢いよく振り落とし、その途中でに剛槌自体を巨大化させる。
南剛家の植器――剛槌は使用者の意志によってサイズや重量が変幻自在である。それを駆使し、地面を叩いた直後には剛槌を小さくして、地面からの反発のほとんどを雁慈自身に乗せて跳ね上がる。
「ダラしがないぞ葉柴ぁ!」
明人の前に迫る矢を、自慢の剛槌で薙ぎ払い、再び身体を回転させて、剛槌の上には明人を乗せる。
「今度はさっきよりも強く――はっ゛!」
先程よりも速度を増して明人は隼にまで迫る。
「ぐっ――隼さん!」
上空から降る矢が掠り、肩からは血が流れるが、明人は気にせず隼の前にまで昇った。
『明人、なぜ生に拘る?』
「みんな、幸せを望んでますっ」
明人の全力の右拳が隼にぶつかる。
周囲には衝撃波が広がったが、隼はほとんど押されなかった。
隼が持つ弓で完全に拳を受け止められ、対する明人は自身の拳の反動で真後ろに吹き飛ばされていた。
『だとしたらやはり、幸福を見い出せない者に生は必要ない』
種人は植器でしか倒せない。
逆に、植器は種人によってしか壊されない。
だが、明人は隼が持つ弓が既に植器で無くなってると予想した。タネの力によって具現化されたただの道具で、証拠に明人の拳によってヒビを入れるところまでは壊せていた。
「くそっ……」
もう少し――
もう少しで「この世界」に風穴を空けられたのに……
「――種人は人間ではない。だが、人間だった」
「はい」
足りない
「――俺たちが相手をするのは元人間だ」
「はい」
あと少し、届かなかった。
「――明人、俺が人間でなくなったらどうする?」
俺は、あの時、質問に答えられなかった。
でも、今だったら言い切れる。
「人間でなく」なんてさせない。
ギリギリまで、這いつくばってでも隼の足を掴んで止めていた。
だが、届かなかった。
心の底から悔しさが込み上げる――
「――起きろ葉柴!」
「――っ、南剛?!」
悔しくて目を閉じて落ちていた明人だが、途中で雁慈に抱えられて目を覚ました。
「我を蜂起させたのは他でもない、お主だぞ? 男として責任を取りおれ」
「南剛……」
「我は何度でも跳ねてやる。タイミングを合わせよ!」
「ふっ、愛が重いな」
「その減らず口ごと、もう一度ぶつけてやれええ!」
三度、雁慈の剛槌に乗って明人は跳ね上がる。
今度もより速く――隼が矢を放つよりも先に、隼の前に迫った。
「自分が空っぽ、なんて言うな゛!」
改めて明人の拳と弓がぶつかり合い、大きな衝撃波が隼の世界を揺らす。今度は、明人も飛ばされずにいた。
「俺が、俺がいます!」
そして、そのまま弓を半分にへし折って拳を進める。隼は高速で地面にまで吹き飛ばされ、同時に真っ暗闇だった周囲の景色が、ぼんやりとだが元の霊園の景色に戻ってきていた。
「はっ、そろそろだな」
明人も雁慈のサポートで無事に地面に降り立ち、あやふやな景色を背に立ち上がる隼を見据える。
雁慈は、次の攻撃に備え、目を閉じて深呼吸し、一心不乱に集中する。
「隼さんにとって、他人がいる日常は退屈でしたか?」
隼は、最初よりも明らかに動揺してる。何かを気づいた様子でもあって、それが世界の歪みに直結している。
それを誤魔化そうと、隼は瞬間移動の如く明人の目の前に迫った。そして、いつの間にか元通りになっていた弓で明人に攻撃を仕掛ける。
明人は素早く反応して弓を受け流し、弓自体に拳を入れる。
「俺を指導していた日常は楽しくなかったですか?」
弓はボロボロに崩れたが、隼はすぐに渦巻状の異空間を出現させて、そこから全く同じ弓を取り出して明人に攻撃する
『明人の考える幸福とは?』
次から次に飛び出してくる弓に明人の体力は着実に消耗させられる。そして、明人の力が追い付かずに弓を壊せなかったタイミングで、隼は反対側の手からも弓を取り出して攻撃を仕掛ける。
「心が、満たされることです!」
明人は反対の手で弓を受け止めた。
植器を装備していない素手で、握力いっぱいに弓を受け止め、受け止めきれなかった分だけ肉に入り込んで血が噴き出してくる。
『……それが幸せなら、俺は幸せだったときがあるのかもしれない。だが、それは持続しなかった』
「そしたら、次の幸せを探すしかないっ」
隼の腹部に空いた拳を入れようとして、それを察した隼は素早く後ろに飛んで引き下がった。
「それに、知ってたら、俺は隼さんが満足するまでるび傍にいました。一緒に探すことだってできました。何も無いなんて、1人で抱え込む悩みじゃないんですよ」
『……ふっ』
隼は、笑った。
その後ろには渦が浮かび、矢の頭が飛び出している。
『すべてはもう遅い。この男の魂は元には戻らない』
隼が言うように、隼は完全に空っぽになったように目が虚ろだった。
「……分かってる。だが、お前は誰だ?」
「葉柴、準備が良いぞ」
雁慈の合図で明人も後ろに下がり、お互いの距離を近づける。
雁慈は、剛槌の持ち手の先を地面に突き刺し、地面と垂直になるように剛槌を立てて支える。
『ニンゲンのイシ、このセカイもイシによってできている』
「そうか、ところで人間の言葉を聞くのは初めてだな。目的を持っているのか? 白髪の男との関係は?」
『…………』
隼は――隼らしき何かは、これ以上喋らなかった。渦の数を増やして一気に明人たちを仕留めるつもりだ。
「いつでも良いぞ」
「ああ、頼む」
明人は、悔しさを噛み締めて雁慈に振り返った。雁慈は、大きく息を吸って吐いていく。その吐息に呼応して、雁慈が支える剛槌がみるみる大きさを増していった。
「邪魔はさせない」
それを止めようと、明人たちに雨の如く矢が襲い掛かる。明人は強力な一撃で多くの矢を跳ね返すが、その後も矢の雨は降り続ける。
「葉柴! 我の後ろに回れ!」
さすがに防ぎきれる量の矢ではない。だが、剛槌の持ち手がちょうど巨大な支柱となり、その後ろに身を隠すことができた。
「持ちそうか」
「はっ! 持たせてみせるっ」
どんどん大きさを増す剛槌だが、相手の矢の数もどんどん増していく。明人たちを庇う支柱部分にも絶え間なく矢がぶつかり、ミシミシと音を鳴らす。
「俺も支えるぞ」
「たのむ……っ」
明人も、雁慈の後ろから体を重ねて一緒に剛槌を支えた。
激しさを増す矢の応酬に耐え、剛槌は既に目で覆えないほどに大きくなる。
この世界はどこまでも続き、出口はどこにもない。現実でありながら、物理法則に従わない。
「ならば、我が剛槌でこの世界ごと壊すまでっ!」
雁慈の剛槌は雁慈の意志によって大きさを増す。雁慈の意志が保つ限り、どこまでも大きくなる。
『あ゛、あ゛あ゛、あ゛』
隼の姿が黒い影に覆われていく――正確には、タネの本体が姿を表していく。
そして、ひと際大きい矢の一撃が剛槌に刺さり、ついに剛槌の持ち手部分にヒビが入る。
雁慈の体にもダメージが届くが、明人が後ろから体を支えてギリギリ持ち堪える。
「今はまだ、終われないだろ? 俺も、南剛も――」
「当然っ……!」
2人は、この世界でお互いの過去を垣間見えていた。
お互いの事情を理解し、お互いの気持ちがちょうど重なって一段と大きくなる。
持ち手のヒビをもろともせず、まだまだ大きさを増す剛槌――
そして、ついに隼の形をした黒い影にもヒビが入る。
『あ゛――』
「我が剛槌の真価、とくと味わえまがいモノがああ゛っ!」
黒い影のヒビは世界全体にも拡がり、大きな割れ目となってさらに音を鳴らす。
『あ゛、あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ――』
人間の叫びがいくつも重なったような不快な音で、世界はガラスのように割れて崩壊していく。
ガラスが割れ落ちた外には、元の現実世界の景色が広がっていた。
その傍らで、ぼんやりと浮かぶ『虚無』のタネも粉々に割れて風に飛ばされていく。
『……明人、ありがとう』
隼の声が――
最後に聞こえた気がした。
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