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第一八章 ゼロの世界

ゼロの世界(07)

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「はっ……出口も見つけておらんとは、まったく使えんやつだ」

 雁慈は、すっかり自我を取り戻して体力も取り戻していた。引き続き、明人と共に何も無い世界を歩き回るが、一向に出口は見つけられない。
 その中で、雁慈が若干内股で何かを我慢しているのを、明人は見逃さなかった。

「歩きづらそうだな。謝っておくか?」

「……元の世界では覚えていろよ」

 顔を真っ紅にして逸らす辺り、明人の読みは当たっている。もう少し責めて照れるところをみたいところだが、一線を間違えれば本気で殺されかねないので、一旦黙ることにした。

「はっ、それにしてもこの世界は何だ!」

 雁慈の指摘どおり、この世界については確かな説明がつかなかった。歩いても歩いても先が読めない。
 周囲は景色が広がっていると思いきや、真っ暗で何も見えない。明人と雁慈で、見えている景色が同じとも限らない。

「夢か? 幻か? 元の世界の我らはどうなっている」

「恐らくだが、どちらも違う。ここまで他人と干渉し合えるのに、精神世界とは考えにくい」

「我の妄想でお主を創り上げてると考えたらゾッとするわ」

「ちゃんと俺だから安心しろ。やはり悲観的に見て、元の世界には俺たちの姿は存在しないと考えるべきだろう」

「はっ! ここが現実と言い切るか?」

「ああ。だが、物理法則には従わない空間にいるのも事実だ」

「それこそ概念の話ではないか! 我らの精神は矢剣の精神世界に取り込まれて彷徨っていると考えるべきだ」

 雁慈の考えも完全には否定できない。だが、過去の出来事と辻褄が合わない点がある。

「仮に精神世界の話だとしたら、隼さんの狙いは俺らの精神だけをこの世界に閉じ込めて、現実世界で行動不能にすることが目的であって、外には俺の姉さんが待機してるはず。俺らはとっくに殺されているはずだ」

「葉柴依子か……ヤツに限らず、近寄るとこの世界に取り込まれるのではないか?」

「その可能性もある。だが、そうなるとこの戦いに、いよいよ終わりはないぞ」

「はっ、我らが耐えられる限りな」

 雁慈の言葉はもっともだった。明人自身も、再び過去にさいなまれて倒れる可能性は大いにある。この世界からの脱出は急務であった。

「……ここが現実として、ここはいったいどこだという」

「……これも予想だが――」

 紛れもない現実だが、物理法則に縛られない空間は地上には存在しないはず。あるとすれば――

「ここは、タネの中じゃないか」

「はっ、たまったもんじゃない」

「隼さんがタネを口にした瞬間に、周囲を巻き込んでこの世界は広がった。この世界はタネの力そのもので、南剛の言う通り姉さんは巻き込まれないよう既に逃げていると思う」

「ならば、ここに実在するのは我と葉柴だけというか」

「いや、形は違えど、もう1人巻き込まれているはず」

「……矢剣か」

 この世界がタネの力としたら、宿主も当然巻き込まれているはず。そして、力の根源はその宿主にあるはず。
 この世界から脱出する方法があるとすれば、それは、その根源を断つこと――まずは宿主を見つけることが最善に思えた。

「……葉柴、どうやって我の元にたどり着いた」

 雁慈の質問は実に単純だったが、明人も同じ考え・・だった。会話の中で気づいた、隼に会う方法――

「南剛、お前のことだけを思ったよ」

「また茶化しているな」

 殺されそうな空気だが、間違ったことは言っていない。雁慈の行方を集中して考えた。そして、雁慈がこの世界にいることを概ね確信した。つまりは、雁慈の存在を強く認識した。

「自己も他人も、この世界で存在するためには、存在を肯定すること、認知によるもので違いないな?」

「ああ、間違いないだろう」

「はっ……」

 雁慈が目を瞑って考えを巡らすと、手元には雁慈の植器である剛槌ごうづちの姿が浮かび上がる。

「例え相手が管理人であろうと、こに世界の住人の共通認識となれば、ヤツを表舞台に引っ張りあげられるということだな」

「ああ、同じく――」

「…………そうだな? 矢剣――」

 雁慈と明人は、一斉に後ろを振り返った。
 振り返った先――上空には、煙のようにボヤケたよろいを纏う、矢剣やつるぎはやとの姿があった。

「隼さん!」

『明人、本当に変わったな』

 隼は焦点の合わない瞳で2人を見下ろし、冷めた口調で言葉を投げ掛ける。

『これだけ過去に向き合えるとは、環日わびの影響力は想定外だった』

「矢剣、我に余計な映像を見せた罪、死で償ってもらうぞ」

『明人も同じ気持ちか?』

「……今回の標的は俺だけじゃないですよね」

『…………』

「学校、家……母さんのことは真由乃に任せたが、俺もここで立ち止まっているわけにはいかない」

 この世界がタネの中で広がっており、その源が隼にあるならば、隼を衰弱もしくは死に追いやれば世界も崩壊するはずだ。もしくは、隼がこの世界の管理人であれば、明人たちを世界からはじき出して元の世界に戻せるかもしれない。
 いち早く世界から脱出するためにも、明人はできれば隼と戦いたくなかった。

「隼さんに何があったか、俺には分かりません。もしかしたら、何も無かったのかもしれません。聞いて教えてくれたとしても、俺には考えが及ばないかもしれません。俺が隼さんの本質を理解しきれていないだけだと思います。
 ただ、買い被っていたなんて思いません。隼さんがどんなヒトでも、俺にとっては教師で、恩師で、尊敬するヒトなんです!
 だから、こうして俺の尊敬するヒトを苦しめているタネが憎いし、悔しい。これは姉さんも同じだ。隼さんも姉さんも救いたいけど、そのためにも俺は、タネが生み続ける負の連鎖を止めないといけない。植人としてではなく、ヒトとして……
 だから、俺たちを解放しないなら、俺は闘うしかありません」

『……そうか』

 明人の覚悟を見て、隼も頷いて長い瞬きをした。そして、目を開いたと同時に、隼の背後4箇所ほどに、渦巻うずまき状の空間が現れる。

『残念ながら人間の意思でこの世界から抜け出すことはできない。それは、この世界の管理人であってもだ』

 さらに、隼は煙で形作った弓を構えて明人たちに向ける。

『もはや管理人とは呼べず、タネの核の一部に過ぎない。タネに危害が及ぶようなら自ずと防衛本能が働く』

「葉柴、結論は出たな?」

「ああ、分かってる」

 対する明人たちも、各々の植器を構えて攻撃に構えた。相手は最強の植人呼ばれる男――そこに、常軌を逸したタネの力が加わる。心して相手をしなくてはならない。

『本気で掛かってこい。これが、最後の教えだ』

 隼の言葉に合わせ、渦巻上の空間からはドス黒く光る矢が放たれて明人たちを襲う。
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