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第一三章 不タシかな燃ゆるイノチ

不タシかな燃ゆるイノチ(05)

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「おはよー」

 真由乃が起きた頃には、基本的に母も父も、そして小由里まで起きている。
 母は朝早くから食事の準備を始め、調子のいいときは真由乃の稽古セットまで準備している。父は見るからに何も考えず、コーヒーと新聞をたしなんで静かに座っている。たとえ家族であろうと、父は基本的に他人への興味が無い。常に一定の距離を保ち、それが父の良さでもある。
 小由里は、フラフラと家事の手伝いをしていた。眠そうな顔を手首で擦り、朝食用の小皿をせっせと運んでいる。

「もーおかあさーん、さゆ眠そうだよー?」

「あら真由乃、まだ寝てていいのに」

「う~ 今日もおばあちゃん家いかなきゃ……はいさゆ、貸して?」

「……うん」

 せっかく手伝って上げるというのに、何を迷うことがあるのだろうか――小由里は困った顔で小皿を真由乃に渡す。
 最近、どうも元気がないように思えて仕方がない。

「……さゆ?」

「なあに、おねえちゃん?」

「平気?」

「……うん」

 とても平気そうな顔ではない。かと言って、真由乃にはどうしたらいいか分からない。
 真由乃は、それ以上は問い質せなかった。




 ***




「はああ……」

「これ! 集中!」

 祖母が叩きつける竹刀の音で、真由乃は「はっ」と我に返る。今日は、型や組手の練習ではなく「集中」の朝稽古だった。

「己を見つめ、己を質す――それを無意識で行うんじゃ」

「言ってることむちゃくちゃだよ~」

「集中ッ!」

 ここぞという時に祖母は厳しい。
 小由里の暗い顔で頭は一杯だったが、目を痛いくらいギュッと瞑り、なるべく意識から逸らそうとする。

 邪念が頭の中を渦巻いても、正座のまま何分も集中を続ける。
 やがて、どれくらい時間が経過したかあやふやになってきたところで、意識も徐々に薄くなっていく。反して、集中を続ければ続けるほど、体が内から熱くなって汗が噴き出してくる。

「ふー、ふーっ」

 汗がまつ毛を伝っても、決して目は開けないようにして集中を続ける。全身から湯気を立てながら、真由乃はしばらく堪えていた。正直、集中どころではなく倒れてしまいそうだったが、何とか気を堪える。
 その内、接している地面まで「音を立てて」熱くなっていき――

「そこまでじゃ!」

「ふあああっ……」

 真由乃は、一気に気を楽にして体温を下げていく。急激な体温の変化で、油断をすれば今にも意識を失いそうだった。

「ながいよ~」

「ふむ、まずまずじゃな。今日はおしまいじゃ、夕稽古も無しじゃ」

 道場に訪れてから、まだ1時間も経過していない。練習が少ないのは嬉しいが、少なすぎるのも不安になる。

「うーん、まだ元気だし素振りだけでも――」

「だめじゃ! 道場は開けん!」

 祖母は、自主練さえ頑なに許さなかった。祖母が真由乃の身を案じていることは分かったが、真由乃の不安が払拭ふっしょくされる訳では無かった。

「だっておばあちゃん、もう来週だよ? 時間が無いよお」

「だめじゃ、体を休めるんじゃ」

 祖母の厳しい表情を前に、真由乃は喰い下がるのをやめた。

「……寝れてなんじゃろ」

「……うん」

 練習のせいか、植人としての能力が高まっているせいか、最近は体温が急上昇して寝つきが悪い日が多い。ただ、原因が練習だけでなく、精神的に追い詰められているからなのも真由乃自身感じていた。

「裕美にキツく言われておるんか?」

「そうじゃないよ、むしろおかあさんはいつも優しいんだけど……」

 そう、母は優しい。
 真由乃は、四家の中で1番幼いこともあり、植人としてのデビューも1番遅くになっている。そのことについて、母が偉い人から急かされているのを真由乃は知っていた。
 だが、母は決して真由乃を急かさなかった。
 ゆっくりで、自分のペースでも良いから「確実に」と、優しく寄り添ってくれた。
 その母の優しさは、真由乃の重荷にもなっていた。

「裕美の圧力を真に受けるんじゃのうて」

「ううん、おかあさんの気持ちも分かるし、間違ってないとも思うの。だから、やっぱりわたしは頑張らなきゃ」

「真由乃は、誤解しておるかもしれんじゃ」

 祖母は、道場の屋根を見上げて過去を思い返す。
 植人としての能力に恵まれなかった娘――その境遇を思い返す。

「裕美は、冷たい眼にずっと囲まれ、ずっと苛まれてきた。それも真由乃を授かるまでじゃ」

「うん」

「確かに、過去の理想を真由乃に重ねておるかもしれん。じゃが、それが愛情であることも忘れんでやって欲しいんじゃ」

「うん、分かってる」

 分かっているからこそ、余計に荷が重く感じる。それに、母の愛情を強く感じるからこそ、もう1つ不安なことがあった。

「おかあさんの気持ちは十分すぎるほど伝わるんだけど……何でかさゆには厳しいんだよね」

 妹への辺りが強いのは昔からだった。
 小由里と喧嘩しても、大概は小由里がとがめられて終わる。その度に真由乃は、姉として罪悪感を感じていた。

「さゆの気持ちだって、おかあさんなら分かるはずなのに」

 精神的にも落ち着いて、喧嘩の機会が減った今、こうして小由里のことが心配で仕方がないのは、未だに当時の罪悪感に駆られているのかもしれない。

「最近元気ないんだよなあ、大丈夫かなあ」

「小由里のことはワシからも厳しく言っとくんじゃ。真由乃は、まず自分の心配をすんじゃ」

「はーい」

 ただ、その罪悪感を抜きにしても、小由里のことが「大好き」と言える自信があった。




 ***




「ただいま~ さゆ~」

 証拠に、今日も帰ってから向かうのは1番に小由里の部屋だ。だが、今日はいつもとは様子が違う。

「あれ? さゆ? カギ閉めてるの?」

『う、うん。着替えてるから』

 小由里も女の子になったんだなあ――と感心して少し待つことにした。
 扉の奥で自分の身体を鏡に映しながら着替える小由里を妄想すると、ついつい顔がニヤけてしまう。
 だが、冷静になって朝の小由里の暗い顔を思い出す。

「……ねえ、さゆ?」

「なあに、おねえちゃん」

「まだ?」

「うん、あとちょっと。下で待っててよ」

 明らかにいつもと様子が違う。何かを隠しているのは間違いなかった。
 だからと言って、ドアを無理やり開ける訳にも行かず――

 その日、結局小由里と顔を合わせることは叶わなかった。




「――おかあさん、昨日何かあった?」

 昨日1日考えたが、結局答えは出ない。小由里の様子が変な理由も、その対処法も何も思いつかなかった。

「どうしたの、疲れてるの?」

「そうじゃないよ。小由里に何かなかった? 誰か来たとか、電話とか」

「何もないわよ、早く食べなさい。今日も朝早いんでしょ?」

 今朝は未だ、小由里の顔を見ていない。
 真由乃は、朝食のスクランブルエッグを突くだけで、口に運ぶ気にはなれなかった。隣の父は相変わらず新聞紙に夢中でいる。

「う~ん、小由里の学校からは? ホントに何も来てない?」

「しつこいわね、何も来てません。そういえば本殿のヒトが来週のことで話しに来たわよ」

 母は呆れたように会話を終了させ、真由乃はそれ以上質問できなくなってしまった。
 結局朝食には手を付けられないまま時間が過ぎる――




「――さゆ?」

 そうして静かにしていたからか、普段であれば感じられないほど薄い気配を、真由乃は玄関から確かに感じ取った。
 状況からして、小由里がコッソリ外に出ようとしているに違いなかった。

「――あ、真由乃! 朝ご飯は?!」

 母の制止は無視し、真由乃は一直線に玄関へと向かう。その迅速な行動あってか、何とか小由里の顔を拝むことに成功した。

「お、おねえちゃん……」

「さゆ、話が――」

 早すぎる登校時間、ランドセル姿であることが既におかしいが、真由乃はすぐに気が付いた。
 小由里の首元後ろ、紫色に腫れた大きめのあざ――

「さゆっ、どうしたの?!」

 真由乃が手を伸ばすと、小由里はそれを拒むようにえりをたくし上げ、首元を隠した。

「さゆ?」

「……ごめんなさい」

「さゆ!」

 真由乃が伸ばした手が届く前に、小由里は家を出て行ってしまう。追いかけなければならないが、先に問い質すべき相手がいる。

「――おかあさん!」

 小由里の異変に、母が気づかないわけがない。
 母も、何かを隠しているに違いが無かった。
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