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第一三章 不タシかな燃ゆるイノチ

不タシかな燃ゆるイノチ(04)

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「――やあぁっ!」

 木刀がくうを斬る――

 祖母の道場で響かせる逞しい声、白い道着に汗をみ込ませた中学生の環日わび真由乃まゆのは、現在いまよりも幼さを残しながら、環日家の長女として精悍せいかんな顔付で稽古に励んでいた。

「――やああ゛っっ!!」

「そこまでじゃが!」

 真由乃の力強い声に負けず劣らず、祖母の益子ましこの制止する声が道場に響き渡る。

「おばあちゃん……」

「気負いすぎじゃ真由乃、身体がついていかんじゃぞ」

「……うん」

 体力には未だ余裕があったが、祖母の指摘を無視する訳にもいかない。
 真由乃は、渋々木刀を置いてシャワー室に向かう。朝ご飯を食べる前に、制服に着替えるよりも前に、大量に掻いた汗を早く洗い流したかった。

「――う、あたたたた……」

 益子の言う通り、気持ちに余裕はあっても、激しく動かし続けた身体は素直に痛みを訴えてくる。腰を押さえながら上半身をかがませ、冷たいシャワーの水を直接当てる。

「……頑張らなきゃ」

 長女として、植人の、四家の1人として――
 頭の汗も十分に流し、真由乃はシャワーの水を止めた。




「――おばあちゃん、依子よりこさんはどんな人なの?」

 真由乃は、植人としての初実践をついに来週に控えていた。
 その教育係を、同じ四家である葉柴はしば家の長女――依子が担当することになっていたが、未だ顔を合わせたことは無かった。

「そうじゃな……真由乃の何倍も強い」

「うっ……」

「冗談じゃが、失礼のないように」

「冗談に聞こえないよー」

 来るべき時に構えながらも、祖母お手製の朝食を余すことなく頬張った。そして、最後のお椀に手を掛けたとき、入り口の襖が勢い良く開かれる。

「真由乃! そろそろ学校の時間よ!」

 祖母の稽古の後、母の裕美ひろみは必ず道場まで迎えに来て、そのまま学校まで車で送ってくれる。その気遣いは当然ありがたいが、学校ではよく目立ってしまうし、年頃の女の子としては複雑な気持ちであった。

「ほら、急いで!」

「分かってるよ~」

 母は、幸か不幸か――植人としての才に恵まれず、事実上の戦力外通告を受けていた。悪く言えば、祖母が現役として活動している間に立派な子孫を残すことを余儀なくされた。
 周囲や母の期待を背負って出生した真由乃は、必然的に厳しくも過保護な扱いを受ける。
 母から直接聞いた話では無いが、母が肩身の狭い思いをしてきたのは子供ながらに理解できたし、自分のために献身的に動いてくれる母のため、その期待には応えたかった。
 結果として、肉体を限界近くまで追い込んでいることにも気づいていたが、これも植人としての試練だと真由乃は達観して受け入れていた。

「今日もたくさん練習できたの?」

「もうボロボロだよ~」

「そう、今日はマッサージに連れて行ってあげるから」

「マッサージって、肩が凝ってるわけじゃないよー」

「いいから、私の行きつけは間違いないのよ」

「本当かなあ」

 何てことない親子の会話――だが、いつもより母はピリピリしている。
 きっと、来週には教育係と顔を合わせて実戦が始まるから――母は、外部への体面を異様に気にする。

 娘は立派に活躍できるか? 恥をかかないか?
 真由乃の親として、その真価が問われると気を張っているに違いない。とはいえ、真由乃自身も気を緩めるつもりはない。

「……依子さん、どんな人なんだろ」

「呪われた血よ、決して言いなりになるんじゃないのよ」

「もお、先入観はやめてって」

「ふんっ」

 葉柴家とは、昔から折り合いが悪いらしい。尚更、真由乃が依子に劣らないのか心配なのだろう。そればっかりは、真由乃は同意できなかった。

「着いたわ、くれぐれも気を付けなさいね」

「学校はすぐそこだよ、またね」

 真由乃が歩き出しても、後ろでは車が停まったままで動こうとしない。母のことだから、真由乃の姿が見えなくなるまで停めているに違いなかった。
 複雑な気持ちでも、その期待には応えたかった。




 ***




「まゆの~ 宿題教えて~」

「もお、また~?」

 真由乃は、学校でも人気者だった。
 才色兼備で運動神経も優れている。芯が通っていて頼りがいがある中、ちょっぴり気の抜けた部分が男女問わずに心を射止めていた。

「真由乃、サッカー部の部長にまた告白されたんでしょ」

「な、なんで知ってるの?!」

「返事は?! どうなのよ?! 答えなさいよ~」

「わ、私は別に――」

 当時は、まだ色恋に興味が無かった。というより、興味を持つ余裕が無かった。家のこと、植人のことで時間と体力は精一杯で、人気はありながらも異質な学生生活を送っていた。

 友人と遊ぶ機会は少なく、接点の少ない同級生からは『高嶺の花』扱いをされることも多かった。無論友人たちに悪気はないが、真由乃は次第に孤立を感じていた。
 友人や仲良くしてくれる生徒は多くても、悩みや辛さを相談できる友人はいなかった。

 そんな真由乃でも、心の内を明けられる、唯一無二の存在がいた。




「――ただいま!」

 家に帰ってから、洗面台を経由して決まって向かう部屋がある。真由乃の隣、真由乃の部屋よりも小さくて可愛い部屋――

「さゆ! ただいまっ!」

 真由乃が愛してやまない、大好きな妹――環日わび小由里さゆりは、いつも通り折り畳みベッドの上で体育座りをしていた。

「さゆ~~」

「お、おねえちゃん。おちついて……っ」

 真由乃は、耐え切れず小由里に抱き着いて頬をくっつける。小由里が嫌がって離れようとしても、真由乃は決して離さずに頬を擦り合わせた。

「さゆ~ づかれたよ~」

「うんうん、おねえちゃんがんばりました」

 小由里も嫌々ながら、慣れた様子で真由乃の頭を撫でる。真由乃にとって、この時間こそ至福だった。
 だが、小由里の手がいつもより早く離れてしまう。至福の時間が気づいたら終わってしまった。

「どうしたの? 何かあった?」

 真由乃の気のせいかもしれないが、思えば最近小由里の元気が少なく感じていた。

「学校で何かあったの?」

 愛する妹の一大事ともなれば、真由乃は動かずにはいられない。先ほどまでとは打って変わり、真剣な眼差しで小由里を見据える。
 小由里は、すぐに目を逸らした。

「な、何も無いよ……」

 難しい問題だった。
 仮に学校でイジメられていたとして、姉が出しゃばって介入しても、却って小由里の居場所を奪うことになりかねない。だからといって、姉として黙ってもいられなかった。
 何か小由里のために出来ることは無いか、支えになってやれることは出来ないか――そもそも、真由乃の行き過ぎた勘違いかもしれない。

「本当に何もない?」

「だいじょうぶ、おねえちゃんは心配病だね」

「そうだよ、おねえちゃんは病気なの」

「……?」

「さゆがいないと生きていけない病なの!」

「ふにゃあっ――」

 小由里の小さな体を強く抱き締める。
 小由里の体温が直で伝わり、温かい存在を確かに感じる。日中は不安定だった心が、まっすぐ横に落ち着いていく。

「さゆ……」

「なあに、おねえちゃん」

 もう一度、ギュッと体を抱きしめる。
 その小さな体は、油断をすると簡単に折れてしまいそうだった。真由乃は、気をつけながらも力を強めてしまう。

「……ありがとう」

 感謝してもしきれない。
 真由乃には、必要不可欠な存在――

 私の妹
 私の大好きな妹
 私が、愛してやまない妹――
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