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英雄とアプレのパイ 〜ウルス

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懐中時計のゼンマイを巻くことは、僕にとって1日1回の大切な習慣になっている。

いつものように、カリ、カリ、とリューズを回した後、耳を当てて時計が動く音を聴く。


ベッド脇の棚に戻そうとしたら、手が滑って鎖と蓋がぶつかり合い、『カシャン』という音を立ててしまった。


「…んん? アルト?」

その金属音によって、どうやら一緒に寝ていたウルスを起こしてしまったようだ。


「…あ。その時計、」

まだ眠そうな声。

「…文字盤を見せてくれるかい?」

長い髪が乱れている。ベッドの中でしか見られない珍しい姿だ。


カチャッと蓋を開いて渡すと、窓から差す朝の光に照らし、

「…やっぱり。君はフォークス男爵家の子だったんだね」

そう僕に言ったウルス。


この人が貴族だったのは間違いないだろう。


時計の文字盤に刻まれているのは、フォークス家の紋章だ。違う種類の鳥の羽を2枚交差させ、その中央にアプレの実が描かれている。

以前は剣とか盾とか、いかにも『国境を守るぜ』って感じの紋章だったけど、平和になった曽祖父の時代に新しいものへ変えたらしい。

これを“紋章”だって知らない人が見たら、たぶんちょっと可愛い感じの飾り模様だと思うだろう。

フォークス家みたいな片田舎にある弱小男爵家の紋章を覚えているなんて、ウルスはまさか、お隣の辺境伯家か、全ての紋章を知っている国の中枢……まさか高位貴族?


「ええ…? 僕が高位貴族?」

彼はぽかんとした顔をして、それから『ふふっ』と笑った。


「“アルトイール・フォークス”といえば、我が国の英雄じゃないか。その家の紋章を知らない筈がないよ」

もちろんそれは僕のことじゃない。

父様が尊敬しているという、曽祖父のことだろう。


「王都の学校では、君の曽祖父様について必ず習うよ」

「へぇ…そうなんだ」

…知らなかった。

学校へ行けなかったし、父様も教えてくれなかったから。


「僕が学校で教わった内容を知りたいかい?」

大きく頷いた僕に、ウルスは『分かった』と微笑むと、僕の身体を腕の中に包み込んだ。

あ…、裸の背中を撫でるのはやめて…。




「フォークス家は、王家から特別に“天上の大草原”の管理を任されているだろう? …そこでね…」


“天上の大草原”というのはこうだ。


標高900メートルほどの小高い山。

それを登り切ると、頂上は直径4キロほどの広範囲にわたり円形に平たくなっている。

その平らな部分が大草原になっているらしい。

あの形は“円錐台”っていうのかな? ざっくり言うと、山の頂上を巨人が大きな刃物で水平にスパッと切ったような感じ? そこに草が生えていると言えば伝わるだろうか。


その草原にはアプレの木がたくさん生えていて、何種類もの鳥が多く生息しているんだって。

フォークス家の紋章に羽とアプレの実が出てくるのは、おそらくそんな理由。


山の上に草原があるのも不思議だけど、逆に『草原とアプレの木』だけしか話に出てこないというのも妙だ。

この山で暮らしていると分かるけど、人の手が入らない場所はあっという間にやぶや森になってしまう筈なんだ。

誰か住んでるのかな?


…僕はずっと屋敷にいたから、行ったことないんだけどね。

いつか、その草原を見てみたいと思ってる。



ウルスによると、僕の曽祖父…アルトイールは確かにすごい人だった。


この国とお隣の国は本当に長い間、その土地を巡ってずっと争ってきた。

この国の土地であることは間違いないんだけど、“天上の大草原”と呼ばれるだけあって、どうやら隣国の民からは神聖視されているらしいんだよね。

だけどその戦の途中でアルトイールは、その大草原に当時の王様と、隣国の王様の2人だけを招いたらしい。


…王様2人だけって、一体どうやって呼んだんだろう。

しかも山の上にある大草原まで来てもらうなんて。


物語みたいに美化されているから詳細は省かれているけど、本当は紆余うよ曲折きょくせつあったんじゃないかな。

僕の曽祖父は自分語りが好きではなかったようで、貴族家の間で“英雄”と呼ばれてたわりに屋敷の図書室には『伝記』みたいな本は置かれていなかった。もちろん資料や彼の日記なども残されていない。だから知る由もないのだけれど。



引き続きウルスから聞いた話。


『まるで天の楽園に来たような景色』。

そんな場所で、アルトイールは自ら2人の王をもてなした。

その時、出したのがアプレのパイ。

彼が作った美味しいパイを分け合うように食べて、張り詰めていた空気はすっかり弛み、胸襟を開いた会談によって、両国の間にあった長年の争いをやめさせることができたのだ…とか。


…パイひとつで?


そういえば、『アプレのパイ』。そのレシピが書かれた紙だけは実家の図書室、一番奥の本棚で見つけたんだ。

…エッチな本に、まるでしおりみたいに挟まれてた。ページを開いたら男同士のディープな行為が図解されててびっくりした。

棚は“二重棚”になってて、まるで隠すみたいに置かれてたし、気になってその本も全部読んじゃったよ…。だって、絶対に暗号かなにか隠されてると思うじゃん…。

ちなみに、レシピに描かれていた絵を見ると、ど真ん中に丸ごと一個の大きな焼きアプレが入っていて、とても美味しそうだったんだよねぇ。

いつか作ろうと思って、つい覚えちゃったくらい。


『ひとつのアプレの実を分け合って食べると、永遠の愛を得られる』

それは、この国でも隣国でも信じられてきた言葉だったらしい。

しかもアプレのパイは、結婚式で新郎と新婦が分け合って食べる菓子なんだって。


それを僕のご先祖様は会談の場で出しちゃったんだね。

隣国の王様なんてきっと、『毒でも盛られるんじゃないか』と警戒してた筈…。それなのに、そんな菓子が出されたから拍子抜けしちゃったのかもしれない。

2人の王は、まるで古くからの友人であるかのような気安さで、和やかに話し合いを進めることができたそうだ。


結果として、『両国から独立した形で、これからもフォークス家が大草原を管理していく』という結論に達したらしい。

『どちらの国のものか?』じゃなくて、『どちらのものでもない中立地』になった感じだろうか。

だからもう争う必要はなくなり、両国の間に平和が訪れた…というわけ。

その代わり、『この地に足を踏み入れていいのは、フォークス家の人間と両国の王族のみ』という誓約がされたそうだ。


ん…? 

そうすると、今の僕は大草原に入れない…? 

いや、一応『アルトイール・フォークス』のままだから入れるのかな?

この時計を見せれば入れてもらえそうだよね。




「僕は、そのアプレのパイが気になっているんだ。…アルト。君は作れるかい?」

「一応レシピは知ってるけど、作ったことないなぁ」

うーん。僕も気になってはいるんだよね。


「そろそろアプレの季節だから、森で採れたら作ってみてくれないか?」

ウルスって甘い物が好きなんだろうか…。今までにないくらいグイグイ来る。

「分かった。それじゃあ、プロキオに砂糖とバターをたくさん買ってきて貰おう」


アプレか。ヴェダは好きだって言ってたし、『いっぱい採って帰る』って約束してるんだよね。楽しみ!!







「いい匂い…」

甘く焼いたアプレとバターの香りにヴェダがうっとりしてる。

もっと早く作ってあげればよかった…。


「あぁ、美味しそうだね」

ウルスも嬉しそう。

卵黄を塗って焼いたから、たしかに表面はツヤツヤ良い色してて美味しそう。卵を牛乳で薄めるのがポイントだよ。


グジャも、プロキオも目が輝いてる。

アルクルに、ギーウスまで?!


八等分にパイを切り分けていると、全員がジーッと見てきてやりにくい。

七等分に切るのは難しいからね。

もちろん余った一切れはヴェダにあげるんだ。




食堂のテーブル。

みんなで席につく。

目の前にはそれぞれ、切り分けて小さくなってしまったアプレのパイ。


余った一切れはアルクルが持っていった。

空いた隣の席に置いたから、亡くなった弟の分なのかもしれない。


7人じゃあ絶対足りないから、2台作ろうと思ったのに、ウルスが『1台を分け合うことに意味があるんだよ』って作らせてくれなかった。



「あの伝説の場面に立ち会えた気分だよ」

なんと、ウルスは僕の曽祖父のファンだったらしい。

どのあたりにファンになる要素が?!


「これで僕たちは『永遠の愛』を得られるね」

あっ!!


ウルスはにっこり微笑むと、僕の口にパイを一口食べさせてきた。

ん…。初めて作ったにしてはよくできてる!

生地はサクサクだし、アプレはシャクッとしてジュワッとなる。


4つ前の村で、僕に“さっくり焼けるパイ生地の作り方”を教えてくれたおばちゃん、ありがとう!!

ちなみに、『結婚式で新郎新婦がパイを分け合って食べる』件を教えてくれたのもこのおばちゃんだ。



「僕にも食べさせて」

自分の唇をトントン指で示すウルス。


とりあえず彼は放置して、僕はヴェダにフォークを差し出すのだった。


「美味しい…」

あぁ、可愛い。

ヴェダ。大好き!!



「ひどいなぁ。僕が『作って』ってお願いしたのに…」

…全く。

仕方ないなぁ。


「はい」

僕はウルスにもフォークを差し出す。



「あぁ! 光栄だよ。我が国の英雄、その子孫からアプレのパイを手ずから賜れるなんて!」

胸に手を当てて味わうウルス。

「…大げさだなぁ」

でも、ちょっと悪い気はしないかも…。



「英雄の子孫…ってなんだ?」

あっという間に食べ終えたギーウスが問う。

それをきっかけに、ウルスが僕の曽祖父の話をみんなに聞かせた。



「なんで、おうさま、やま…まで、きた?」

グードゥヤが僕と同じ疑問を抱いた。

だよねぇ。

なんで曽祖父が呼んだだけで、はるばる山の上の大草原に2人の王様が来てくれたんだろう…?

当時もうちは、ただの男爵家だった筈…。


「そりゃあ勿論、こいつの曽祖父って男が、こいつそっくりだった…とかじゃねェの?」

は?

ギーウス、意味が分からない。


「アルトそっくりか…」

ん?

アルクル、どうしたの?


「それなら、王様来ちゃうかも」

なんで?! なんで王様来たの?!

ヴェダ?


「オレたちがこうして賑やかにやれてンのは、お前がここにいるからだ。…分かるだろ?」

え?

ギーウス、分からない。

どういうこと?


「みんな、『君のことが大好き』ってことさ」

あのプロキオさえ、なんか分かった顔してる。


…まぁ、みんな嬉しそうだからいいか。

ヴェダが僕にパイを食べさせてくれようとしてる。

うん、美味しい…。

幸せ…。





幸せな時間はすぐに終わってしまった…。

『また作って』ってみんなが言ってくれたから、まぁいいか。



「いつかまた会えたら、アルク…君の王様に今日の事を自慢してやるとしよう」

僕の耳元に囁いたウルスがウインクして、部屋に戻っていった。


…アルク?

王様?




…!!

…アルクトゥールスのことか!!




“アルクトゥールス”はこの国の王様の名前。



王様に自慢とか…

愛称で呼ぶとか…

王家に近い家柄で、

相当仲がよくないとできないよね。




そういえば僕も以前は彼のこと“アルク”って呼んでた。

彼がうちに遊びに来てた頃、初めて会った時は王子だって知らなかったし…。

知ってからも『アルトは特別だ。これからも私のことをアルクと呼んでほしい』って頼まれたし…。


…あ、もしかして。

僕の曽祖父も、2つの国の王様と…友達だったとか…?

レシピが挟まっていた『あの本』のことは、敢えて考えないことにした。




…って、

ウルス!

やっぱりお前、

高位貴族だったんじゃないか!!
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